寝室が殺風景だ。
寝てばかりの僕はここで長い時間を過ごす。ためしに花でも飾ってみようか。だが選び方がわからない。
そんなとき、花を定期購入できるサービスを見つけた。季節に合う花が毎月セレクトされ、ブーケとして郵送されるという。花に疎い僕でも、これなら寝室で四季を感じられる。
早速2社のサービスに登録した。つまりこれから月に2種類の花束が送られてくる。
透明な花瓶と青い花瓶を買って、寝室に飾ることにした。早く花を挿したい。
2020年4月。花束が届いた。最初のサービスから送られてきたのは、
チューリップ、ガーベラ、スイートピー、風鈴草、かすみ草、ヒマワリ、クロッカスオオニソガラム
花だらけだ。透明の花瓶に挿すと、寝室に春が訪れた。調和のとれた華やかさがある。
数日後、もう一方のサービスからも花束が届いた。
バラ、ナズナ、スカビオサ、オンシジューム、レースフラワー、ハイブリッドスターチス、ブプレウルム、カーネーション
華やかな最初の花束とはまた違って、気品がある。こちらは青い花瓶に挿した。花と一緒に新しい空気が運ばれてきたようで、清々しい気持ちで朝を迎えられる。
透明の花瓶と青い花瓶。
2つの花瓶を眺めていると、花言葉という概念を思い出した。花言葉も一緒に覚えたら、もっと花との生活を楽しめそうだ。
ためしにチューリップの花言葉を検索してみて、驚いた。同じ花でも、複数の花言葉を有しているらしい。しかもチューリップほどの有名花になると、色によっても意味が変わるようだ。複雑である。
4月に届いた赤のチューリップの代表的な意味は、
これぞ花言葉という感じがする。
ほかの花たちも調べてみたところ、以下のような花言葉があった。
愛に満ちた世界観だ。透明の花瓶は愛の花瓶だった。
今度はもう一方の、青の花瓶の花言葉も確認してみよう。最初はオレンジのバラ。花言葉は「無邪気」だ。可愛らしい。
次はスカビオサという紫の花。
花言葉は、
なんだって?
急展開である。悲しみの底、暗闇の深淵という感じがする。
花にこんな意味を持たせていいのか。そしてそんな花を送っていいのか。調べてみると、西洋ではスカビオサは伴侶を失った女性に渡される花らしい。もちろん花に罪はないが、少し印象が変わってしまう。
さらに、黄色のカーネーションはこんな意味を持っていた。
軽蔑。あまりにも直球。
透明の花瓶は愛で溢れていたのに、青の花瓶には憎悪すら感じる。
そうしてふと思った。もし透明の花瓶と青の花瓶に、それぞれ人格があったとしたら。
もし互いに、花言葉でメッセージを送り合っているのだとしたら。
透明な花瓶が愛をささやき、青の花瓶が軽蔑を抱いているとしたら。
2つの花瓶の間には、どんな物語が潜んでいるのだろう。
そんなアイデアが浮かんでしまったが最後、毎月届く花束を、もう純粋な花としては見られなくなった。それは花を介した文通だ。花瓶に擬態した恋愛リアリティショーだ。果たして花瓶たちにどんな未来が待っているのか。
僕はこれから届くすべての花言葉を、1年間記録してみることにした。
2020年4月:相反する気持ち
花言葉とは、西洋から輸入された概念らしい。フランスの貴族社会では、草花を擬人化した詩作集が人気を博していた。一説によれば、それが恋愛の駆け引きに使われていたことが起源にあるそうだ。花言葉とは、まさに花と恋を結びつけるところから始まっていた。
花言葉に公式な認定機関は存在せず、いまでも新しい言葉が次々と生まれている。今回は『美しい花言葉・花図鑑』(ナツメ社)を参考にしながら、足りない部分はネット上の情報などで補完していく。ここで紹介している言葉が必ずしも唯一の意味ではない点、ご留意いただきたい。
そして空想を膨らませるために、フランスの貴族社会にならって2つの花瓶を擬人化してみる。
透明の花瓶は「トオル」、青の花瓶は「アオ」と呼ぶ。なんとなく名前の響きからトオルは男性、アオは女性ということにしておく。
以上の前提から、4月時点での2人の恋模様をおさらいしよう。
トオルは実に情熱的な男だ。アオに対して、「愛の告白(赤のチューリップ)」を投げかけている。「あなただけを見つめます(ヒマワリ)」と言うほど彼女に心酔しており、「私を信じて(黄色のクロッカス)」と、気持ちをストレートに伝えている。
他方、アオは「軽蔑(黄色のカーネーション)」の気持ちを抱いている。愛を伝えた結果、軽蔑されるとは。またアオは、「すべてを失った(スカビオサ)」と失意の底にいるようでもある。アオに何かあったのだろうか。
しかし不思議なことに、アオは同時にこんな感情も抱えているのだ。
全てを失いながら、全てを捧げるとはどういうことか。さらには「初めてのキス(ププレウルム)」という花言葉も見つかって、軽蔑しながらキスをするとは、どういう情緒か。まるで正反対の気持ちを併せ持っているかのようだ。
もしかしたらアオは、相当な気分屋なのかもしれない。「お茶目(ハイブリッドスターチス)」で「無邪気(オレンジのバラ)」な性格らしいし、これがアオの個性なのか。
ここから空想のアクセルを踏み込んでいこう。
実はアオは、大きな失恋の真っ只中にあったのではないか。すべてを失ったと落ち込むほどの失恋。そんな中でついトオルの誘いにつられ、うっかりはじめてのキスをしてしまった。そんな自分にも、そして悲しみにつけいったトオルにも、軽蔑の念を抱いている。それがアオの、相反する気持ちの正体ではないか。
そう思うと、次回の展開が気になってしょうがない。早く次のブーケが届いて欲しい。月刊誌の発売を待ちわびるように、花の届く日を指折り数えた。
5月:未練と期待
5月中旬、待ちかねた次の花束が届いた。透明な花瓶に挿す方の花束、つまりトオルの選んだ花束はこちらだ。
スターチス、ミツバツツジ、ブルーパフューム、カーネーション、ガーベラ、マトリカリア
そして今月の花には、こんな意味があった。
引き続き愛情で溢れかえっている。「抑制された生活(ミツバツツジ)」を心がけているらしいが、愛は全然抑え切れていない。
それにしてもトオルという男、軽蔑されているのによくめげないなと思っていたら、
ハートがめちゃくちゃ強いようである。
さて、問題は青い花瓶、アオだ。今月の花がこちらである。
グリーンベル、ローズマリー、ハイブリッドスターチス、カーネーション、クロタネソウ、アスチルベ、アルケラモリス、ブルーレースフラワー
引き続き「お茶目(ハイブリッドスターチス)」なのはいいとして、緑色に膨らんだグリーンベルという花に注目したい。
未練。ここで僕は確信した。やはりアオは、過去の失恋を引きずっている。
しかし一方で彼女は、同時にポジティブな花言葉も選んでいた。「恋の訪れ(アスチルベ)」を予感し、「暖かな愛情(ピンクのカーネーション)」と「無言の愛(ブルーレースフラワー)」を感じている。
きっとアオは未練に傷つきながらも、トオルにこう期待しているのだ。
寄せては返すアオの心。果たしてトオルのくじけない想いは届くのだろうか。それとも、花と散ってしまうのだろうか。
6~7月:永遠の愛
寝室という部屋は休息の場以外にも、様々なモチーフとして描かれてきた。
世界最長の小説とされる『失われた時を求めて』ではたびたび寝室が登場し、プライベートな聖域であることが表現されている。またカフカの『変身』において、毒虫となった主人公を、家族が閉じ込めた場所も寝室だった。不可侵な聖域であるからこそ、暗い寝室には様々な秘密が葬られていく。
そして寝室から最も想起しやすいコンセプトこそ、愛である。時に官能的な空気を纏う寝室では、様々な形の愛が育まれてきた。そしていま僕の寝室で、新たな愛が燃え上がろうとしている。6月、7月と花言葉を記録してきたが、トオルの愛の言葉が、寝室中に飛び交っていた。
熱い。「あなたの姿に酔いしれる(クルクマ)」とアオに心酔してるトオルは、こうまで言う。
怖い。凄まじい「情熱(オレンジのカーネーション)」である。もはや愛の言葉と言うよりは呪詛の念だ。
ただその根底には「あなたの痛みを癒します(エキナセア)」という真摯な「純愛(ナデシコ)」がある。傷ついたアオの心に寄り添う「深い愛情(マトリカリア)」がある。決して上辺の言葉だけではない。トオルは花も実もある好漢である。
この一途な姿勢に、ついにアオの心は大きく動かされたようだ。4ヶ月連続で「お茶目(ハイブリッドスターチス)」を選んだ彼女は、一方で吹っ切れたかのように「清らかな心(かすみ草)」にある。先月まで抱いていた未練や軽蔑の念はすっかり消え去った。
彼女は気づいたのだろう。本当に自分を愛してくれるのは、誰なのかということに。
「恋の訪れ(アガパンサス)」を確信したアオは、「暖かい心(ピンクのスプレーバラ)」、そして「純粋な愛(白いカーネーション)」でトオルに向き合う。なぜならアオは、「愛の渇き(アストランティア)」に直面していたから。そうしてついにアオは、トオルに見つけたのだ。
トオルの想いがアオの心に届き、2人の愛が結実した瞬間だった。
8~9月:2人の秘密
本格的な夏が到来し、トオルは再びこの花を選んだ。
この熱烈な花言葉は、ヒマワリが常に太陽の方向を向くというところからつけられたらしい。
変わらぬ「熱愛(スプレーカーネーション)」を胸に、「あなたを愛します(カリメロ)」と真摯に訴えかける。アオの「閉じた心を開く(リュウカデンドロン)」ため、トオルはこんなにも「情熱(オレンジのカーネーション)」を傾けている。あっぱれである。
それに対してアオは、「暖かな愛情(ピンクのカーネーション)」を抱く。5ヶ月連続の「お茶目(ハイブリッドスターチス)」な強い「個性(クルメケイトウ)」を持ち、
と恋愛とは関係なさそうなことを願っている。しかしそんなアオを受け止める度量を、トオルは持っていた。だからこそアオは同様に「情熱に燃える心(フェイジョア)」で、それに応じる。
ただ一つ、気になる花があった。オシベがすらりと伸びるこの花の名は、ヒペリカム。和名は、弟切草。この花から作られる秘伝薬の秘密をうっかり漏らした弟が、激昂した兄に斬り殺されたという伝説に由来している。そこから生まれた花言葉が、
8月、このヒペリカムの花が選ばれたのだ。それもトオルとアオの両者に、同じタイミングで。果たして2人はどんな秘密を抱えているのだろうか。着実に愛を育む2人の恋に、よからぬ影が差しているのだろうか。
しかし僕は思い直す。他人に言えない秘密くらい、誰にだってあるだろう。むしろ健全ではないか。そんなことで2人のロマンスは止まらない。
現にアオが引きずっていた未練はすでに「追憶(シオン)」と「思い出(ユーカリ)」になり、今は「移りゆく日々(ワレモコウ)」にただ「静かな想い(ユキヤナギ)」を馳せている。
アオは「幸せを得る(アゲラタム)」ために。トオルは「輝かしい未来(ストレチア)」を迎えるために。僕は完全に2人を応援していた。彼らにただ幸せになって欲しかった。
だからトオルが、
といった辻褄の合わない花言葉を選んでも、つい目をそらしてしまっていたのだ。
10~1月:会えない時間
2人の恋路が盛り上がってきたところで、4ヶ月間の空白期間を挟む。僕がしばらく家を空けていたからだ。会えない時間が、果たして2人にどんな影響を与えるのだろうか。2人の愛は、どのような結末を迎えるのだろうか。