広島県に住む鶴田花江さんは、自宅のクローゼットで見覚えのない人形を見つけた。
手作りと思われるその人形には、妙なものが入っていた。
部屋
私が鶴田花江さんと出会ったのは、去年の夏のことだった。オンラインのヨガ教室に入会した際、彼女も同じく生徒として参加しており、授業後の雑談で親しくなった。
それからしばらくはLINEなどでやりとりをしていたのだが、私が腰を痛めてヨガ教室を退会してからは、花江さんとの関係もだんだん遠のいていった。
ところが先々月のはじめ、久々に彼女から連絡がきた。
「相談したいことがあります」
なにやら、ものものしい雰囲気だ。
相談内容を記す前に、少しだけ彼女について説明したい。
花江さんは、五十代のパート従業員で、サラリーマンの夫と二人で暮らしている。
夫婦には、雄大さんという20歳の息子がいるが、去年の春、一浪を経て東京の大学に合格し、現在は広島を離れ、一人暮らしをしているという。
相談は、その雄大さんに関することだった。
花江さんは昨年の暮れ、雄大さんの部屋を整理することにした。
彼が家にいるときは、年頃ということもあり、部屋に入るのさえ遠慮していたが、もう一人立ちしたわけだし見られて困るものもないだろう、と思い切ったそうだ。
その日、花江さんは十数年ぶりに息子の部屋のクローゼットを開けた。
彼女は思わず息をのんだ。
小学校の夏休みにカブトムシを飼っていた虫かご、中学の部活で毎日着ていたユニフォーム、浪人時代に食卓でも読んでいた参考書…
そこには雄大さんの思い出の数々が静かに眠っていた。花江さんはしんみりとした気持ちで、しばらくそれらを眺めていた。
が、ふとあるものが目に入り、我に返った。
見たことのない箱だった。
勝手に開けていいものか迷ったが、結局、好奇心には勝てなかった。
箱の中には、手作りと思われる人形が入っていた。
花江さんは、不思議に思った。
「息子は手先が不器用で、人形なんて作れるはずがありません。」
また、
「自慢できることじゃありませんが、こんなものをプレゼントしてくれるような女の子も、私の知るかぎりいませんでした。」
花江さんのご主人も、裁縫をするようなたちではないという。
では、この人形はなんなのか?
なんとなく不気味な感じがして、それ以来ずっと気になっているらしい。
この話を聞いた私は「そうはいってもただの人形ならそこまで気にすることはないんじゃないか」、と正直思った。
しかし、花江さんによるとこの人形、ひとつ奇妙なところがあるらしい。
「知らない女の子の、声がするんです。」
人形の声
花江さんは、人形の腹部がやけに固いことが気になった。何か入っているのか?と触っていると、突然、人形から声が聞こえた。
『きのしたみきです』
それは、4~5歳くらいの小さな女の子の声で、安いスピーカーから鳴るような、酷い雑音にまみれた音だったという。
どうやら、人形の中には小型の機械が入っており、それに触れると音が鳴る仕組みになっているようだ。
花江さんは、もう一度、人形のお腹を押してみた。すると、
『おはよう』
さっきと同じ女の子の声。やはり、雑音にまみれた音声だった。
その後、何回か押し続けているうちに、花江さんはある法則に気がついた。
「『きのしたみきです』『おはよう』『おやすみ』『バイバイ』……この四つの言葉が、順番に繰り返し流れるようになっているみたいなんです。」
疑念
「おしゃべり人形」
…おもちゃ屋に行けばそういうものはたくさん売っている。かつて「ファービー」というぬいぐるみが大ヒットしたこともあった。
しかし花江さんによると、どうもそういったものとは違うらしい。
人形から流れる音声には、話し声や車の走る音が混ざっており、とても商品として販売できるクオリティではないという。
また、女の子の声はたどたどしく、プロの声優によって吹き込まれたものとは思えない。
ホームムービーの音声…そんな印象を受けたという。
しかし、鶴田家の子供は雄大さん一人で、近しい親戚にも女の子はいない。
そもそも「きのしたみき」という名前自体、一切聞き覚えがないらしい。
では、これはいったいなんなのか?
花江さんは、雄大さんに電話をかけた際、何気ない風を装い、このことを聞いてみた。
「なーんだ、そんなことか」と笑いとばせるような結末を期待していた。
しかし…
「息子は『なんでもないよ。人からもらったものだから』と、ちょっと上ずった声で言いました。
あの子は小さいころから、嘘をついたり、隠し事をするとき、声が上ずって早口になるんです。まったく同じでした。
私が『誰からもらったの?』と聞くと、『覚えてない』と言って、すぐに電話を切られてしまいました。」
「親バカかもしれませんが、雄大はやさしくて本当にいい子なんです。
でも自分の殻にこもりがちなところもあって。
なにか親に言えない秘密を抱えてるんじゃないかと思うと、心配で夜も眠れないんです。」
親に隠し事をしない子供なんていないだろう。しかし「知らない女の子の声が録音された人形」というのは確かに奇妙だ。
花江さんが心配するのもわかるが、現物を見ないことには何もわからない。そこで、雄大さんには内緒で、ひとまず例の人形を私の家に送ってもらうことにした。
機械
三日後、花江さんから小包が届いた。
材質などを見るかぎり、やはり一般家庭で作られたもののように思える。
まずは、音の出る仕組みを知りたい。
服をめくると、背中に縫い目を見つけた。これがフタなのだろう。
気は進まないが、糸を切って開けてみることにした。
何かが入っている。
プラスチック製の機械。
人形と違い、大量生産品といったおもむきだ。
ためしに、大きいボタンを押してみる。
スピーカーからガサガサとした音が鳴る。風の音。人の話し声。屋外で録音したものらしい。すると…
『きのしたみきです』
幼く、たどたどしい声。より正確に文字にすれば『きのちた み きです』となるだろう。
もう一度ボタンを押す。
やはり雑音が流れる。かすかにギターを弾く音が聞こえる。つっかえつっかえであまり上手くない。
それをかき消すように……
『おはよう!』
と大きな声が聞こえた。
その後、何度かボタンを押した。
やはり花江さんの言う通り『きのしたみきです』『おはよう』『おやすみ』『バイバイ』…この4つがループするようになっている。
機械の裏を見ると、シールが貼ってあることに気づいた。
「ISONAKA TOY」…機械の販売元だろうか。
調べてみると「株式会社磯中玩具」という企業が見つかった。
(磯中玩具公式HP)
ぬいぐるみを主に作っているおもちゃメーカーらしい。
カスタマーサービスに例の機械の写真を送り、問い合わせてみたところ、翌日、以下のような返信が来た。
URLにアクセスしてみる。
トーキングベア
…2007年に発売されたクマのぬいぐるみで「子供が自分の声を録音して遊べる」というのが売りらしい。
このぬいぐるみに内蔵されているのが、例の機械だという。
使い方としては、
・録音ボタンを押し、マイクに向かって5秒以内の言葉をしゃべる。
・再生ボタンを押すと、録音した音声を聞くことができる。
・最大四種類の言葉を記録できる。
つまり、簡易的なボイスレコーダーということだ。
ここから以下のことが想像できる。
誰かが「トーキングベア」を購入し、中から機械を抜き出して、手作りの人形に入れ替え、「きのしたみき」という女の子にプレゼントした。プレゼントしたのは、みきちゃんの家族か、親戚などだろう。
ただ、わからないのは
・なぜそれが、鶴田雄大さんの部屋にあったのか。
・きのしたみきちゃんと雄大さんにどのような関係があるのか。
この二点だ。
ここにきて行き詰まりを感じた。
「きのしたみき」を調べようにも、漢字もわからなければ、名前以外に情報がない。そもそも珍しい名前ではないので、特定するのは難しそうだ。
そこで、ひとまず花江さんに電話し、なにか補足情報がないか聞いてみることにした。
母親
花江:はい、鶴田です。……雨穴さんですか。このたびはどうも…。
―――花江さんの声は、以前よりも元気がないように感じた。私は、これまでに分かったことを伝えた。
花江:そうですか。色々と調べていただきありがとうございます。
雨穴:いえ、今のところ重要なことは何もわからなくて。それで、以前にもお聞きしましたが「きのしたみき」という名前には、やっぱり心あたりはありませんか?
花江:…ありません。あれから親戚やご近所さんにも聞いてみましたが、何も分からないんです。
ゆうべも、夫に「いいかげん寝なさい」って何度も怒られながら、ずっとスマホで調べていました。
いろんな漢字を当てはめて…でも「みき」って名前、本当にたくさんのパターンがあるんですよね。
結局、なにも収穫がないまま明け方になってしまいました。
雨穴:明け方って…じゃあ、ほとんど寝てないんじゃないですか?
花江:ええ。そのせいで、パートでもつまらないミスをしてしまって…情けないかぎりです…。
雨穴:あんまり無理をしたら体によくないですよ。
―――会話が途絶えた。電話口で鼻をすする音が聞こえる。花江さんは震えた声で言った。
花江:たしかに…たかが人形くらいで何をそんなに焦っているんだろうって…自分でも思います。
でも…やっぱり心配なんです。息子は…いくつになっても、私の中では、おぼつかない子供のまんまなんです。
もちろん、雄大はもう大人ですから、自由に生きてほしいと思います。でも、せめて私だけは、あの子の全部を把握しておきたいんです。そうでないと…もしあの子の身に何かあったときに、助けられないから…。
あの子が、私の知らない…私の理解できないことを、隠れてしていたんじゃないかと考えると…もう不安で不安で…眠ってなんかいられないんです…。
―――気持ちはわかる。離れて暮らす雄大さんが心配なのも親心として当然だろう。
しかし、さすがに過保護すぎないだろうか。成人した人間の全部を把握するなど、おそらく不可能だ。
そのときふと思った。
もしかしたら、花江さんの過剰な息子愛が、この件の真相を見えづらくしているのかもしれない…。
そこで私は、ある提案をすることにした。
雨穴:花江さん、思い切ったご相談ですが、私が雄大さんと直接お話しすることは可能でしょうか?
花江:雨穴さんがですか!?
雨穴:はい。雄大さんはおそらく、あの人形について隠したいことがあるんだと思います。
でもそれは「親だから言えない」ということもあるんじゃないでしょうか。「お母さんには恥ずかしくて言えない」ってことです。
案外、他人になら本当のことを話してくれるかもしれません。もしよろしければ、息子さんに取り次いでいただけませんか?
「知り合いのウェブライターに人形の話をしたら、興味を持たれて困ってる」とでも伝えていただければいいので。
―――以前、本で読んだことがある。過保護すぎる親ほど、子供は大事なことを相談したがらない。
必要以上に心配されるのが億劫だからだ。雄大さんも、それに近いものがあるのではないか。
電話を切って数時間後、花江さんからLINEがきた。
ありがたいことに、雄大さんは私と話すことをOKしてくれたという。(花江さんはそのことにずいぶん驚いていた)
彼が、若者には珍しくウェブメディアが好きで、このサイトのことを知ってくれていたのも大きかったのだろう。
数日後、雄大さんが大学を休みの日に、電話で話すことになった。
以下、彼との会話を記載する。
雨穴:はじめまして。わたくし、ウェブライターをやっております雨穴と申します。
雄大:はじめまして。 鶴田雄大です。あの、母がご迷惑なこと頼んだみたいで…すみません。
―――静かな口調に、少しだけ方言のなごりがある。上京したての純朴な青年のイメージそのものだ。
雨穴:いえいえ、とんでもないです。そのことでですね。お母様から聞いていると思いますが、雄大さんの部屋から、見覚えのない人形が出てきたということで……。
雄大:はい…。
雨穴:それで、個人的にその人形のことが気になってしまいまして、もしよろしければ、あれをどうやって手に入れたのか、教えてもらえませんか?
もちろん、お母様に知られたくない、ということであれば黙っていますから。
雄大:母には…言わないでほしいです。
雨穴:わかりました。……それで、私には教えてくれますか?
雄大:……はい
いたずら
―――雄大さんは、記憶をたどるように、ぽつりぽつりと話し始めた。
雄大:あれは、僕が小1の夏休みでした。友達のショウくんとボーちゃんって子と遊んでたとき……ゴミ捨て場に、人形が捨ててあったんです。
別に欲しかったわけじゃないんですけど、なんか「持って帰ろうぜ」みたいなノリになって、いつのまにか僕が持って帰る流れになってました。
でも母さんにバレたら、怒られそうな気がしたから、箱にしまって押し入れに隠したんです。
雨穴:じゃあ、あの人形はもともと捨ててあったものなんですね?
雄大:はい。
―――拍子抜けだ。なら、別に隠すこともないのではないか。
しかし、そのあと雄大さんは、意外なことを言いはじめた。
雄大:僕、雨穴さんにお願いしたいことがあるんですけど、
あの人形の持ち主を探すのを手伝ってもらえませんか?
雨穴:え?
雄大:人形を…返したいんです。あと、持ち主に謝りたいです。
雨穴:……でも、もともとはゴミ捨て場にあったんですよね。
持ち主からしたら、昔捨てたものを今さら渡されても…ってなると思いますが…。
雄大:それでも…謝りたいんです。勝手に…持って帰ってごめんなさいって。
正直、ずっと気がかりでした。
でも、どうやって持ち主を探せばいいのかわからなくて、ずるずる今まで来てしまいました。
だけどこの前、母さんにあれが見つかったとき、もういいかげんちゃんとしないと、って思ったんです。
ご迷惑なら、僕、自分でやります。
―――彼の意図は理解しきれない。しかし、口調は真剣だった。
雨穴:うーん…………わかりました。お手伝いします。
雄大:いいんですか?ありがとうございます。
―――「人形の持ち主に謝りたい」…彼のこの気持ちが、真相につながるヒントになる。そんな気がした。
雨穴:それで、一応聞いておきたいんですが、人形を拾ったゴミ捨て場というのは、どこだか覚えていますか?
雄大:うちの近くの…ゴミ捨て場だったと思いますが、詳しくは覚えていません。
雨穴:わかりました。それと、一緒に人形を拾った友達二人とは、今も交流はありますか?
雄大:ショウくんは神奈川の大学に行ってて、ときどき会います。ボーちゃんとは高校卒業してからはほとんど会ってません。
地元に残って家を継ぐってことは聞いてます。
雨穴:なるほど。では、何かわかったらご連絡します。
―――人形を拾ったのが近所のゴミ捨て場なら、「きのしたみき」は鶴田家の近くに住んでいたことになる。
すると妙だ。
花江さんは「きのしたみき」のことをご近所さんに尋ねたが、なにもわからなかった、と言っていた。
すでに引っ越していたとしても、誰かが少しは覚えているはずではないか。
「きのしたみき」とは何者なのか…。
知人
その夜、昨年出版した本に関することで、執筆に協力してもらった知人を家に招き、打ち合わせをした。
彼の名前は栗原さんという。
本業は設計士だが、最近は不況のあおりであまり仕事がなく、推理小説の考察ばかりやっているらしい。
そんなに謎解きが好きなら…と、私は例の人形を見せ、雄大さんのことを話した。
栗原さんはなにかと知識が豊富で頭も柔らかいので、良いアドバイスをくれるのではないかと期待していた。
私の話を黙って聞き終えたあと、彼は軽い口調でこう言った。
「その雄大さんって人、嘘ついてますね。」
さも当然のように言うものだから、私はあっけにとられてしまった。
栗原:雨穴さんだって、おかしいと思ってるんじゃないですか?
雨穴:……まあ、たしかに、捨ててあった人形の持ち主を探して謝りたい…っていうのは、ちょっと変だなとは思いました。
栗原:それもそうですが、もっとおかしいのは、人形を拾った時期です。
雨穴:時期?
栗原:問題の人形には「トーキングベア」に内蔵されている機械が入っていた。
―――栗原さんは人形を手に取る。
栗原:サイズはぴったりですね。おそらく、機械の寸法に合わせて作ったのでしょう。
であれば、人形が作られたのは「トーキングベア」が発売された後、ということになります。
雨穴:まあ、そうですね。
栗原:「トーキングベア」はいつ発売されたんでしたっけ?
雨穴:2007年10月…です。
栗原:では、少なくとも、作られたのはそれ以降です。
さて、雄大さんは現在20歳。一浪を経て去年大学に入ったわけですから、今年21歳になる。
そんな彼が小学一年生の夏休みに人形を拾った。単純な計算です。
栗原:人形が捨てられたのは2008年の夏。
つまり、作られてから1年以内に捨てられた…ということです。…おかしくないですか?
手作りの、しかも声まで録音した人形をそんな短い期間でポイするなんて……。
雨穴:たしかに…。
栗原:人形が「ゴミ捨て場に捨てられていた」というのは、嘘だと思います。
雨穴:じゃあ雄大さんはどこでこの人形を?
栗原:今の話を聞くだけで、ある程度推測はできました。
雨穴:本当ですか!?
栗原:とはいえ推測にすぎません。
……そうだ。雨穴さん、鶴田家の住所はわかりますか?
雨穴:え?…はい。
―――私は花江さんから人形を送ってもらったときの送り状を栗原さんに見せた。
栗原さんはスマホをとりだし、何かを調べはじめた。
気のせいだろうか。だんだんと表情が険しくなっていく。
栗原:今度、雄大さんと三人で話せませんか?オンラインでもいいんで。
雨穴:三人で…ですか?
栗原:ええ。彼に直接話を聞きたいんです。
私は、雄大さんに連絡し、その旨を伝えた。
彼は「ぜひ」と言ってくれたが、ちょうどその時期は期末試験が迫っているとのことだったので、ミーティングは二週間後になった。
嘘
―――2月10日の午後4時、私と栗原さんと雄大さんの三人は、zoom上に集まった。
雄大さんは少し緊張しているようだ。
栗原さんが口火を切る。
栗原:雄大さん、はじめまして。申し訳ありませんね。いきなり知らないオッサンが割り込んじゃって。
雄大:いえ…よろしくお願いします。
栗原:今、大学ではどんな勉強をしてるんですか?
雄大:経済学です。
栗原:マルクス派ですか?ケインズ派ですか?
雄大:えーと…そこまでは、まだあまり…。
雨穴:栗原さん、そろそろ本題に。
栗原:ああ、失礼しました。雨穴さんにだいたいの話は聞きました。
雄大さんは、人形の持ち主を探しているそうですね。
雄大:はい。
栗原:でも、その人が今どこにいるのかわからない。
雄大:そうです。
栗原:なら探さないといけませんね。私も協力しますから、三人で調べていきましょう。
雄大:ありがとうございます。
栗原:ただ、その前にですね。雄大さんに確認したいことがあります。
あなたが人形を「拾った」ときの状況を聞かせてほしいんです。
たしか、二人の友達と一緒だったんですよね?名前はたしか、ショウくんと…
雄大:ボーちゃんです。
栗原:ああ、そうでしたね。変わった名前ですね。本名ではないでしょう?
雄大:はい、ボーちゃんの本名は「ケンタ」です。
栗原:なんでボーちゃんってあだ名になったんでしょう?もしかして鼻炎だったんですか?
雄大:いや…ちがいます…。
雨穴:栗原さん、また脱線してします。あと、ボーちゃんの鼻水を鼻炎っていうのは生々しくてなんかいやです。
栗原:ああ、失礼。まあ、雑談はこれくらいにして、雄大さん。単刀直入にいいます。
本当のことを話してくさい。
―――雄大さんはびくりとした。そして、うろたえるように言う。
雄大:……本当の……こと……というのは……
栗原:話を聞くかぎり、あなたは過去の自分の行いに、相当な罪悪感を持っている。
捨ててある人形を拾っただけなら、そこまで悔いることはない。
あなたはもっと後ろめたいことをしたんじゃないですか?
雄大:……
栗原:あの人形は、拾ったのではなく……盗んだ。
ちがいますか?
―――雄大さんの顔が、だんだん青ざめていくのがわかった。
雨穴:雄大さん…私も栗原さんも警察じゃありません。
別に怒ったり責めたりしないんで、本当のことを教えてください。
栗原:ええ、私たちは雄大さんの味方です。あなたに協力したい。
そのためには、事実が必要なんです。
雄大:………わかりました…。本当のことを言います。
おっしゃる…通りです…ごめんなさい。
雨穴:……ではやはり、人形は盗んだ…?
雄大:……はい。
雨穴:でも、どこから…?
雄大:………………
栗原:逆に、雨穴さんはどこだと思いますか?
雨穴:え…?うーん、手作りの人形を盗むといったら…友達の家とか…雑貨屋とか?
栗原:私も最初はそう考えました。しかし、それなら「持ち主」は探すまでもなく分かるはずです。
雨穴:ああ…。
栗原:では、通りすがりの女の子から引ったくったのか…
雄大:そんな…!そんなこと、しません。
栗原:私もそうは思っていません。実物を見せてもらいましたが、男の子が欲しがるような人形ではありませんでした。
では、他にどんな可能性があるだろうか。
失礼ですが、雄大さん。あなたのご実家を地図アプリで調べさせていただきました。
―――栗原さんはzoom画面にスマホを映した。上空写真だ。
栗原:とてものどかな場所ですね。まわりには民家と山しかない。
子供が住むにはちょっとつまらない環境かもしれません。
でも、あなたの家の近くに、とてもいい遊び場があることに気づきました。
―――そう言って画面の中の一点を指さした。
広い敷地の中に、屋根がいくつか連なっている。
雨穴:これ、なんですか?
雄大:…………お寺です。
雨穴:お寺?
栗原:円厳寺というそうですね。人形は、ここから持ってきたんですよね?
雄大:…………はい。
雨穴:でも、どうしてお寺に人形が?………あ……もしかして……
栗原:そう、人形供養です。
―――人形供養……古くなった人形をお寺や神社で焚き上げてもらう儀式。
いわば人形のお葬式だ。
栗原:明治神宮が有名ですが、人形供養をやっているお寺は日本中にあると聞きます。
この円厳寺もその中の一つ。調べたら書いてありました。
雨穴:じゃあ、この人形は供養のためにお寺に持ち込まれたものだったと……
いや、でも、そんな大事なものが置いてある場所に一般人が入れるんですか?
栗原:それは雄大さんに説明してもらいましょう。
雨穴:……?
雄大:……実は、友達がそのお寺の長男なんです。
あだ名
雨穴:友達が……お寺の長男…?
栗原:……最初は私も「まさか」と思いました。
お坊さんちの子供だから「ボーちゃん」…そんな冗談みたいな話はないだろうと。
でも、あだ名って、だいたいが冗談みたいなものなんですよね。
―――たしかに、ボーちゃんは「地元に残って家を継いだ」と聞いたが……お寺とは想像もしなかった。
雄大:栗原さんのおっしゃるとおりです。
僕らの地元には遊ぶ場所が少なくて、よくボーちゃんの家に行って境内を探検してました。バレると怒られるのでこっそり。
ある日、ボーちゃんがどこからか鍵を持ってきて「面白いものを見せてやる」って案内されました。その部屋には人形がたくさん置いてありました。
でも、当時の僕らは、それがどういう目的で集められたものなのか知らなかったんです。
それで、三人で面白半分で遊んでたら、僕がたまたま手に取った人形から、音が鳴りました。
「きのしたみきです」っていう、女の子の声です。
それを聞いたショウくんが面白がって「雄大、お前、みきちゃんと結婚しろよ。連れて帰ってやれよ。」とかふざけて言ってきて……そのまま…
栗原:まあ、子供の行き過ぎたいたずらってことですね?
雄大:…はい、すみません……。
雨穴:なるほど。だから、人形の持ち主に謝りたい…と。
雄大:はい……
雨穴:あの、これは私の個人的な考えですが、やっぱり、持ち主としては今さら返されても困るんじゃないですか?
「供養」とは言っても、「いらなくなったけど捨てるのは良い気がしないからお寺に預けた」ってことでしょ?
もうとっくに忘れてると思いますし、雄大さんがそこまで気に病むことはないと思いますよ。
雄大:ありがとうございます……でも僕、ずっと気になってることがあるんです。
その部屋の中には他にもたくさん人形が置いてあったんですけど、どれも古くて汚れたものばかりでした。
でも、あの人形だけは新しくて、きれいで…ちょっとおかしいなと思いました。それってつまり……
栗原:他の人形とは供養に出された事情が違う、ということですよね。
雨穴:事情?
栗原:供養に出される人形には、大きく分けて二種類あります。
一つは、古くなった人形。
もう一つは……故人が大切にしていた人形。
雨穴:あ………
栗原:「きのしたみき」ちゃんは、すでに亡くなっている可能性が高いです。
みきちゃんのご両親は、娘が生前大切にしていた人形を供養に出した。
作ってから一年以内に手放したのは、みきちゃんが幼くして亡くなってしまったから…そう考えれば辻褄が合います。
雄大:うっ……
―――雄大さんが嗚咽する。
雨穴:雄大さんは、そのことに気づいていたんですか?
雄大:はい……。高校のときに、現代文の教科書で人形供養のことを知って……そのときに、はっとしました。
それからずっと……クローゼットを開けるのも怖くて……。
僕は……すごく罰当たりなことをしちゃったって……。
雨穴:これは…どうすればいいんでしょうね…?
栗原:まあ、きのしたみきちゃんの家族に事情を話して謝るのが一番ですね。三人で何とか居場所を探しましょう。
雨穴:そうですね。
栗原:雄大さんはとりあえず、ボーちゃんに連絡を取って、住職さんに相談するように言ってください。
お寺に連絡先が残っている可能性があります。
最悪、家族が見つからなかったら、円厳寺で供養してもらいましょう。
雄大:はい……。
―――電話を切る。4時半をまわっていた。
薄暗い部屋で、西日に照らされた人形を見て、思わずぞくっとした。
「きのしたみきちゃんは、すでに亡くなっている可能性が高いです」
亡くなった子供の人形……あからさまに怖がるのは不謹慎だ。しかし、近くに置いておくのは、さすがに気が引ける。
ひとまず、目につかない場所に丁寧にしまっておこう。
人形を手に取る。そのとき……
『きのしたみきです』
……静かな部屋にけたたましい音が響く。指がボタンに触れてしまったのだ。
そのとき、どういうわけか、正体不明の違和感がこみあげてきた。
「きのしたみき」は、声から察するに小さな女の子。
もしそうだとしたら……何かがおかしい。理由はわからない。が、何かが嚙み合っていない。
私たちは、一番重要な何かを見落としている……。
空洞
その夜、雄大さんからメッセージが届いた。
彼はあのあとすぐ、お寺のボーちゃんに連絡したが、当のボーちゃんが「そんなこと今さら言えるわけないよ!うちのオヤジ、怒ると怖いの知ってるだろ?」とゴネているらしい。
引き続き説得を続けているそうだが、そもそも、十年以上前にお寺に来た人の情報が、まだ残っているとも思えない。
望みは薄いだろう。
私はとにかく、ネットを漁ってみることにした。
2008年…当時はSNSや動画投稿は一般的ではなかった。
しかし、ブログを書いている人はそれなりにいた。みきちゃんの親が子育てブログをやっていた可能性もなくはない。
以前、花江さんは徹夜して様々な漢字を試したと言っていた。
木下、木ノ下、樹之下、美姫、三紀、未樹、実希……パターンは無限に思える。
……ふと思った。花江さんは、ひらがなは試したのだろうか。
私は「きのしたみき」で検索してみた。
やはり結果が多すぎる。もう少し絞り込まなければいけない。
「子育て きのしたみき」「人形 きのしたみき」…他になにがあるだろうか。
「広島 きのしたみき」
と、入力している途中、検索候補に気になる文字が出た。
「広島 きのしたみつき 怖い画像」
関係ない…とは思いつつ、検索してみる。
画像検索に並んだ不気味な写真。
その一つをクリックする。
ふいに、あの声を思い出した。
嫌な予感がする。
私は急いで人形を箪笥から取り出した。機械を抜き出した、ボタンを押す。
『きのちた み きです』
よく聞くと『み』と『き』の間にやや空白がある。
子供特有のたどたどしい発音、だと思っていた。
しかし…
気持ちとして、一度、両手を合わせてから人形を詳しく調べる。
機械が入っていた空洞。そういえば、機械にばかり意識が行って、人形の内部をよく見ていなかった。
中を覗いてみる。……何もない。
布が重なった部分を開いてみる。
つ
―――栗原さんに電話をかける。
栗原:もしもし。どうかしましたか?
雨穴:あの、今気づいたんですが、私、すごい勘違いをしてました。
女の子の名前「みき」じゃなくて「みつき」だったみたいです。
栗原:どういうことですか?
雨穴:人形の内側に刺繍がありました。
雨穴:ローマ字で「MITSUKI」って縫ってあるんです。
栗原:…でも、音声では「きのしたみきです」って…
雨穴:いえ、おそらくあの音声は「みっき」と言ってるんです。
栗原:みっき…?
雨穴:「みつき」の「つ」って、大人でも少し発音しづらいですよね。子供ならなおさらです。
だから、言いやすいように「みっき」というあだ名が、家庭内で使われていたのではないでしょうか。
今さっき、聞き返してみて気づきました。
栗原:「みつき」「みっき」…か。
雨穴:花江さんがいくら検索しても見つからないはずです。
栗原:なるほど…。でも、それがわかったところで…。
雨穴:栗原さん、googleで「広島 きのしたみつき 怖い画像」で検索してみてください。
栗原:え?はい…………
雨穴:なんか、変な画像出てきませんか?
栗原:………はい。
雨穴:よくみると、下のほうに「きのしたみつき」って書いてあるんです。
栗原:本当だ…。でも、これと人形にどんな関係が…?
雨穴:今のところは何とも言えません。ただ、気になったんで、この画像が何なのか調べてみました。
画像の掲載元は「ネットの怖い画像特集」みたいなサイトだったんですが、元をたどっていくと、昔のニュース記事に行きついたんです。
変死体
―――2008年7月30日に配信された記事
雨穴:2008年7月29日、広島県庄原市の公園の茂みで、加々良拓斗という14歳の少年の変死体が発見されたそうです。
栗原:変死体?
雨穴:はい。死因は包丁で胸部を刺されたことによる失血死。遺体に争った形跡はなかったそうです。
ただ、奇妙なのが……遺体は下半身が丸出しで……
雨穴:尿道にミシン針が刺さっていた…と。
栗原:尿道に針!?……うわっ、痛そ。
雨穴:怪事件ですが、意外にあっさり解決しました。現場付近の防犯カメラに、犯人の姿が映っていたんです。
栗原:間抜けですね。
雨穴:その映像が当時、ニュースで流されたみたいで、それを切り抜いたものが、この画像だそうです。
栗原:じゃあ、このお面男が犯人?
雨穴:はい。映像は見つからなかったんですが、記事によると、
男は手に持ったビニール袋から血の付いた包丁を取り出し、カメラに向かって突きつけたあと、
お面を取って自分の素顔を見せたそうです。
栗原:変質者の極みじゃないですか。
雨穴:当然ながら、映像から男の身元が割り出されて、後日警察に事情聴取を受けました。
そのとき、男はすんなり「私が犯人です」と認めたそうです。
男の家からは、被害者の血痕がついた包丁と、例のお面が見つかり、逮捕されたらしいです。
雨穴:男の名前は、木下夏幸。広島県に住む33歳の会社員。
逮捕される半年前に離婚していて、当時は独身。そして、これが重要だと思うんですが…事件が起こる前の年…
雨穴:5歳の一人娘を亡くしている、と書いてありました。
そして、お面の絵はその子が描いたものだ…とも。
栗原:じゃあ、その子の名前は…
雨穴:「きのしたみつき」……ってことに…なりますよね。
栗原:声の主と同じ名前、しかも同じくらいの年齢。
雨穴:それに、事件が起きた2008年7月というのも……
栗原:雄大さんが円厳寺から人形を盗んだのと同時期。おそらく、人形が持ち込まれたのも同じ頃でしょう。
―――2008年の夏、広島県、幼い女の子、そして「きのしたみつき」という名前。
あまりにも共通点が多すぎる。
栗原:ところで…
栗原:なぜ木下夏幸は、娘の描いた絵をかぶったんでしょうね。
雨穴:奇妙ですよね。そもそも、この絵は誰なんだろう…。
栗原:眼鏡をかけた…男ですかね……もしかしたら、木下夏幸の似顔絵なのかもしれません。
雨穴:「パパの絵」ってことか…。
それをかぶって人殺しなんて…だいぶ狂ってますね。
栗原:ええ…。あともう一点気になるのが、顔の横に描かれてる棒です。
雨穴:え?
栗原:よく見てください。向かって右横。
栗原:縦棒のようなものが二本、描かれているように見えるんですよね。
雨穴:あ、ほんとだ。よく気づきましたね。
栗原:でも、この画像だとよくわからないです。映像が残ってればな…。
雨穴:まあ、もう15年近く前の事件ですからね。情報はあまり残ってないみたいです。
栗原:15年か……そういえば……木下夏幸はもう出所してるんでしょうか?
雨穴:いえ…それが……
雨穴:罪を認めたあと、拘置所内で自殺したそうです。
動機
栗原:整理しましょう。
栗原:2007年、当時5歳だった木下みつきが死亡。その後、両親は離婚。
そして翌年7月、みつきの父・夏幸は、娘の描いた絵をお面にしてかぶり、当時14歳の加々良拓斗を殺害。
雨穴:いろんなことが短い間に起きていますね。
栗原:おそらく、発端は木下みつきの死亡。
ここからすべてがはじまったと考えて間違いないでしょう。
雨穴:ですね。
栗原:たとえばですが…「加々良拓斗が木下みつきを殺した」と考えれば筋が通りませんか?
雨穴:……え…?
栗原:2007年、加々良拓斗は木下みつきを殺害。娘を失った木下夫婦は離婚。
翌年7月、木下夏幸は娘の復讐をして、自分も命を絶つことを決意する。
大事に持っていた、娘の形見の人形を円厳寺に預けたあと、加々良を殺害し、逮捕後に自殺。
顔にかぶった娘の絵は、いわば仇討ちの旗印のようなものだった。
これでおおよそ説明がつきます。
雨穴:なるほど……あ、それなら……
ーーーもし栗原さんの説が正しければ、「加々良拓斗が木下みつきを殺した」というニュースがどこかに残っているはずだ。
私はパソコンを開いた。しかし……
雨穴:栗原さん……ダメです。「加々良拓斗」で検索しても、出てくるのはさっきのニュースばかりで、
加々良が加害者になった記事は一個も見つかりません。
栗原:……いや、雨穴さん。なくて当然ですよ。
雨穴:え?
栗原:加々良は当時、未成年です。未成年が事件を起こしても、実名で報道されないんですよ。
雨穴:あ…………。
ーーー家庭裁判所の審判に付された少年は、氏名、年齢、職業、住居、容ぼう等を新聞紙その他の出版物に掲載してはならない。
……少年法で定められた決まりだ。
栗原:だから、調べるなら被害者の名前です。被害者は大人だろうが子供だろうがフルネームで報道されます。
雨穴:「木下みつき」ですか。
栗原:下の名前の表記はわかりませんが、「みつき」にはまる漢字はそこまで多くないはずです。
―――「美月」「充希」「深月」…私は思いつくかぎり、検索窓に打ち込んだ。そして…
雨穴:栗原さん……ありました。
13歳
―――2007年7月22日、母親とデパートに買い物に来ていた、当時5歳の木下光季ちゃんが行方不明になった。
その日は夏休み最初の日曜ということもあり、デパートは芋を洗うような混雑ぶりだった。
母親が一瞬、目を離したその間に、光季ちゃんはいなくなっていた。
翌日早朝、公園を散歩中の女性が、光季ちゃんの遺体を発見した。死因はショック死と断定された。
犯人はすぐに捕まった。デパート入口の防犯カメラが、光季ちゃんの手をひいて歩く小柄な少年の姿を映していたのだ。
補導された当時13歳の少年は「まさか死ぬとは思わなかった」と語った。
その日、光季ちゃんが何をされたのか。
警察の話に、母親は途中で耳をふさぎ、泣き崩れた。
しかし父親は、歯をくいしばり、最後まで聞き続けたという。
一年後、父親は凶行に走る。そのときの彼は、狂っていたのかもしれない。
しかし、あまりに切実な復讐だったのだろう。
栗原:「母親が目を離した間に…」か。私の妹に4歳の子供がいるんですけど、つくづく小さい子供を守るのは大変だと思いますよ。
母親は悪くないです。……しかし、父親はそうは思わなかったかもしれない。
離婚の原因はそういったところにあるのかもしれません。
雨穴:辛いですね…。
―――この事件の犯人は加々良と考えていいだろう。年齢的にも一致する。
しかし、一つだけ不可解なことがある。
雨穴:加々良のやったことは、明らかに重罪です。
捕まったら相当長い期間、外には帰ってこれなさそうですが、事件の一年後に、加々良は「公園」で殺害された。
つまり、一年で出所していたことになります。おかしくないですか?
栗原:それも少年法です。当時の法律では、14歳に満たない者は刑事責任に問われなかったんです。
「子供だから悪いことしても許してあげよう」ってことです。
雨穴:そんな…
栗原:加々良は当時13歳。たぶん、児童自立支援施設に送られたことでしょう。
でも、刑務所と違って拘束力がない。自由に外に出られるんです。
雨穴:そうなんだ…。
栗原:ただ、我々にとっては少し残念なお知らせがあります。
雨穴:え?
栗原:人形の声の主「きのしたみつき」と、殺された木下光季は、別人です。
雨穴:は?
二人のみつき
雨穴:どうしてですか…?
栗原:思い出してください。木下光季ちゃんが亡くなったのは……
栗原:2007年7月。……わかりますか?
栗原:「トーキングベア」が発売される前なんですよ。
雨穴:あ…じゃあ、光季ちゃんが声を録音することは不可能…。
栗原:そうです。せっかくここまでたどり着いたのに、また一からやり直しですね。
雨穴:はあ…。
―――正直、私は内心ほっとしていた。
手もとにある人形が、そんな痛ましい事件の被害者のもの…そう考えるだけで、恐ろしく、生きた心地がしなかったからだ。
別人でよかった…不謹慎だが、それが素直な気持ちだった。
―――……が、この腑に落ちない感じはなんだろう…。
同じ時期に、同じ地域で、同じ名前の少女が亡くなる……そんな偶然があるだろうか……?
―――そのとき、ずっと感じていた違和感……人形の音声に対する、漠然とした気持ち悪さの正体が分かった気がした。
人形の持ち主
雨穴:栗原さん、ふと思ったんですが、この人形、
本当に「きのしたみつき」ちゃんのものなんでしょうか…?
栗原:どういう意味ですか?
雨穴:ずっと、違和感があったんです。なんて言ったらいいのかな……そうだ、栗原さん。
子供の頃に人形やぬいぐるみに名前を付けて遊んだこと、ありますか?
栗原:私はないですが、妹がやってました。
雨穴:妹さんはなんて名前を付けてましたか?
栗原:えーと、たしか…猫のぬいぐるみには「にゃん吉」とか、うさぎのぬいぐるみには「ぴょん子」とか……いやあ、ひねりがないですよね。
雨穴:そう…そうなんですよ。
栗原:え?
雨穴:子供が人形とかぬいぐるみに名前をつけるとき、普通、自分の名前はつけませんよね?
子供にとって人形は「兄弟」とか「友達」であって、「自分」ではないからです。
私がもしお気に入りのぬいぐるみを買ったとしても「雨穴」とは名付けません。
栗原:……そういうものですか…。
雨穴:で、この人形の持ち主が、きのしたみつきちゃんだとしたら、あの音声はちょっとおかしいんですよ。
人形に自分の名前を録音してしまったら、つまり「きのしたみっきです」と録音してしまったら、
あの人形の名前が「きのしたみっき」になってしまいますよね。
自分と同じ名前の人形をかわいがることって、かなりのレアケースだと思うんです。
栗原:じゃあ……
雨穴:人形の持ち主は、別の誰か、ということです。
その人は、みつきちゃんが亡くなったあとに、この人形を作り、みつきちゃんと同じ名前を付けて、かわいがろうとした。
そんなことをするのは……
栗原:みつきちゃんの……親。
ノイズ
栗原:みつきちゃんの親は、娘を亡くした悲しみをまぎらわせるために、「みつき人形」を作った、ということですか。
雨穴:はい。
栗原:まあ、あり得る話だと思いますよ。でも…
雨穴:どうやって、声を録音したのか…ですよね。
栗原:ええ。
雨穴:それも、音声にヒントがあると思います。ノイズです。
栗原:ノイズ?
雨穴:この音声、いくらなんでもノイズが酷すぎるんです。
大昔のラジオみたいな音質で、女の子の声もだいぶ遠い。なんというか、
別のスピーカーから出る音を録音したような、そんな感じがするんです。
たとえば…携帯で撮影した動画……とか。
栗原:つまり、過去に撮った動画の音声を使ったってことですか?
雨穴:そうだと思います。
ホームムービーの中で、みつきちゃんがしゃべっている箇所を探して、それを再生しながら機械に録音したんじゃないかと。
だから、音声には話し声とか、ギターの音とか、余計な音が入っているんだと思います。
栗原:なるほど。しかし、そうなるとより分からなくなるのが、
なぜそこまで苦労して作った、娘の分身のような人形を、作ってすぐに供養に出してしまったのか、ということですね。
雨穴:ええ。どう考えてもおかしいですよね。たぶん、相当な心境の変化があったはずです。
栗原:心境の変化……。
栗原:「復讐を決意した」……ってことか。
雨穴:結局、人形では悲しみを癒せなかった。
だから、犯人を殺して、自分も死ぬことにした。
その前に人形を供養することにした。
栗原:「親」=木下夏幸と考えれば、すべて説明がつくわけですね。
雨穴:はい……。
未来
栗原:で、人形はどうしますか?木下夏幸さんは亡くなっているわけだし、やっぱり円厳寺で供養してもらうのが無難でしょうかね。
雨穴:うーん……最後の望みで、遺族を探してみます。
栗原:遺族……母親ですか。
―――光季ちゃんの母親、夏幸さんの元妻……まだ生きている可能性は高い。
電話を切ったあと、再びパソコンを開き「広島 木下光季」と検索してみた。
やはり検索結果のほとんどが、事件に関するものだった。
しかし、その中にひとつだけ、毛色の違うサイトがあった。
広島県にある幼稚園の公式ホームページらしい。
「2007年6月30日をもちまして、当園のホームページは下記のアドレスに移転しました」とある。これは旧サイトということか。
「園の生活」というページの中に、子供たちの描いた絵がアップされていた。
この子たちは今は大学生か、もう社会人になっている人もいるはずだ。
ページを見ていくと、一枚の絵が目にとまった。
父親は、いったいどんな気持ちで、これをかぶったのだろう…。
母親
比倉幼稚園にはかつて、木下光季ちゃんが在籍していた。母親の連絡先が残っているかもしれない。
万に一つの望みで、電話をかけることにした。
「もしもし、比倉幼稚園、ササキです!」
ー--はきはきとした、若い男性の声だ。
「お忙しいところ失礼いたします。2007年ごろ、そちらの幼稚園に通っていた、木下光季さんというお子さんについてお話を伺いたいのですが、よろしいでしょうか?」
「申し訳ありません!ぼく、去年から入ったので昔のことはわからないんです!園長に聞いてまいります!」
ーーーしばらく保留音が鳴ったあと、年配の女性が電話に出た。
「お電話かわりました。園長のサカグチと申します。大変申し訳ありませんが、木下光季さんに関する取材はすべてお断りしております。」
ーーー「取材」……おそらく、今でも事件のことを調べようと、電話をかけてくる人間が少なからずいるのだろう。
私は、これまでの経緯を正直に説明することにした。話を聞き終えたあと、しばらく間を置いて園長は言った。
「光季さんのお母様とは、今でも年に数回、個人的なやりとりをしております。
今、あなたから聞いたことは、お母様にお伝えしておきます。お母様があなたに連絡をなさるかはわかりません。
でも、あなたの電話番号はお伝えします。」
ーーー十五年前に在籍していた園児の母親と園長が連絡を取り合うなど、普通はないだろう。
不幸な事件で娘を亡くした母親を、園長としてずっと気にかけているのかもしれない。
私は自分の番号を伝え、時間をとらせてしまった非礼を詫び、電話を切った。
再会
二日後の夜、見慣れない番号から電話がかかってきた。
「ウエダ サナと申します。」
小さく無表情な声だった。
「サカグチ園長先生からご連絡を受けまして…」
という言葉で、彼女が光季ちゃんの母親であることがわかった。
ようやくたどり着いた…。
園長から話は伝わっていたが、私はあらためて、これまでの経緯を話した。
嗅ぎまわるようなことをして、不快に思われても仕方ないと思っていたが、
彼女はそんな様子は見せず「娘のために、ありがとうございます。」と何度も口にした。
雄大さんについても「子供がしたことだから」と、さして気にしていないようだった。
話しているうちに、だんだんと会話がはずみ、彼女自身のことも教えてくれた。
離婚したあとは、旧姓の「上田」に戻し、現在は故郷の高知県で、事務員として働いているらしい。
やがて話は、人形をどうするか、に及んだ。
雨穴:もちろん、こちらで、円厳寺に改めて供養をお願いすることもできます。
ただ、上田さんにその気があれば、お渡しした方がいいのかな、とも思います。
上田:そうですね…。お手数かけることになってしまいますが、送っていただけると、嬉しいです。
雨穴:わかりました。住所を教えていただければ、明日にでも郵送します。
上田:ありがとうございます。
まさか、こんな形で人形と再会できるなんて…ちょっと不思議な気持ちです。
―――再会…。
雨穴:あの…上田さんは、人形のことをご存じだったんですか?
上田:ええ、もちろんです。だって私が作ったんですから。
雨穴:え…!?上田さんが?……てっきりご主人が作られたのかと。
上田:たしかに、作ろうって言いだしたのは夫です。
でもあの人、手芸なんてやったことないものだから、何回も自分の指に針刺しちゃって……見ていられなくて、途中から私が全部やったんです。
できあがったら大喜びしてました。もう、こっちが呆れるくらい可愛がっちゃって…。
―――夫を慈しむような口調が、少し不思議に感じられた。
二人が離婚した原因は何だったのだろうか。
上田:だけどある日突然、私に人形を渡して…「これはお前が持っていてくれ。別れよう。」って言いだしたんです。
雨穴:え?
上田:私、わけがわかりませんでした。子供が亡くなったあと離婚する夫婦は多いって聞いたことありますが、私たちはそうはならないと信じていました。
二人一緒にちゃんと生き切って、いつか天国で、また光季と暮らそうねって約束していたのに…。ああ、この人は変わっちゃったんだなって思いました。
でも、離婚して数か月たって、テレビで事件のニュースを見て、やっとあの人の本心が分かったんです。
夫は、私に迷惑がかからないように、独り身になってから犯人に復讐したんだと思います。
雨穴:…そうだったんですか…。
上田:夫が亡くなったあと、人形をどうしようか迷ったんですが、結局、ご供養に出すことにしました。
持っておくには…あまりにも、辛い思い出が多すぎたので。
雨穴:あ…その、すみません。今回のことで、思い出させてしまって…。
上田:いえ…謝らないでください。それに…私、あなたに知っていただけてうれしいんです。
本当は、もっともっとたくさんの方に知ってほしい。
雨穴:えーと、ご主人のこと…ですか?
上田:いいえ、加々良拓斗のことです。
復讐
上田:私、若い頃は無知で、法律のこととか全然知らなかったものですから、
光季が殺されたあと、犯人の名前が報道されない意味がまったくわかりませんでした。
雨穴:少年法……ですね。
上田:そうです。どこの誰が作ったのか知らないけど…少なくとも、私にとっては最悪の法律です。
あのクズのプライバシーは守るくせに、光季は顔も名前も、されたことまでテレビで流されて……あなたは、ネットメディアの方だからわかりますよね。
当時、あの子が2ちゃんねるで、どんなひどい…無神経なことを書かれたか。
雨穴:……想像は、つきます。
上田:そのくせ、少し時間が経てばみんな忘れてしまう…。
今でもあの事件のことを覚えている人が何人いるか…。
ーーー当時、私もニュースを見ていたかもしれない。しかし「木下光季」という名前を聞いても何も思い出さなかった。
上田:だから…私は一人でも多くの人に知ってほしいんです。
あの事件で、娘の命が奪われたこと、奪った人間がいたこと、それを面白おかしく騒ぎ立てた連中がいたこと…。
―――なぜ木下夏幸は、テレビで流されるであろう、防犯カメラの映像に向かって、包丁を突き付けたのか。
彼が復讐したかった相手は、犯人だけではなかったのかもしれない。
天国
翌日、上田さんに人形を送るため、郵便局に行った。
その帰り道、栗原さんから電話がかかってきた。
栗原:雨穴さん、あれからどうなりました?
雨穴:今ちょうど人形を送ったところです。
栗原:あ、もうそこまで進んだんだ。
ーーー私はここ数日のことをざっくりと説明した。
栗原:よかったじゃないですか。お母さんのもとに帰れて。
雨穴:ええ。雄大さんも安心してました。
ありがとうございます。協力してくれて。
栗原:いえいえ。まあでも、結局、私が一番気になっていたことは未解決のままですね。
雨穴:え…?なんのことですか?
栗原:うーん、いや、やっぱりこれは言わないでおきます。
雨穴:ちょっと…言いかけといてそれはダメですよ。
栗原:そうですか?じゃあ…話半分で聞いてくださいね。
栗原:加々良の遺体は、尿道にミシン針が刺さっていた。
これは”痛み”を与える、という復讐の一つだったと思うんです。
雨穴:はい。
栗原:つまり、加々良を苦しめることが目的なわけですから、
針は加々良が生きてる間に刺されたと考えるのが自然です。
雨穴:…はい。
栗原:だとするとおかしなことがあります。たしか、記事には「遺体には争った形跡はなかった」と書いてあったんですよね。
雨穴:そうです。
栗原:当時の加々良は14歳。それなりに体も大きい年齢です。
突然襲われて、パンツを脱がされて、陰部に針を刺されそうになったら…普通は抵抗しますよね。
雨穴:それは…そうですね。
栗原:なぜ加々良は抵抗しなかったんでしょうか。
雨穴:…………
栗原:意味不明です。こういう場合は、考え方を変える必要があります。
なぜ加々良は、公園の茂みで、無抵抗なまま、下半身を露出したのか。
―――私は、栗原さんの言おうとしていることがわかり、背筋が寒くなった。
栗原:どう考えても、性行為の最中です。
雨穴:………
栗原:そうすると……絶対とは言えないが、加々良を殺したのは、女性である可能性が高い。
雨穴:栗原さん、もしかして…
栗原:加々良に強い恨みを抱く女性……一人いますよね。
雨穴:上田さん…のことですか?
栗原:はい。
―――加々良を誘惑し、ひと気のない場所に連れ込み、下着を脱がせ、完全に相手が油断しきったところを、不意打ちに……。
雨穴:いや、待ってください。
防犯カメラに映っていたのは木下夏幸だって、記事に書いてあったじゃないですか。
栗原:彼はカメラの前で「血の付いた包丁を突き付けた」だけです。
雨穴:でも……
栗原:そもそも、映像自体おかしいと思いませんか?
なぜ彼は、わざわざカメラの前で自分の素顔を見せたんでしょうか。
雨穴:それは…「自分がやった」ということを警察に知らせて、逮捕されるためじゃないんですか?
栗原:なぜそんな回りくどいやり方を?自首すればいいだけの話じゃないですか。
雨穴:……
栗原:加々良の殺害は女性にしかできない。だから、母親が実行犯になり、父親はその罪をかぶった。
防犯カメラの映像は「木下夏幸が犯人である」ということを印象付けるための工作だった。
雨穴:二人は、共犯だったってことですか…?
『だけどある日突然、私に人形を渡して…「これはお前が持っていてくれ。別れよう。」って言いだしたんです。』
『夫は、私に迷惑がかからないように、独り身になってから犯人に復讐しようとしたんだと思います。』
栗原:…と、いうような考え方もできますが、たぶんこれは間違いです。気にしないでください。
雨穴:は?ちょっと…!
栗原:「話半分で聞いてくれ」って言ったでしょ?
雨穴:……なんなんですか。
栗原:そういえば私ね、もう一個だけ気になっていることがあるんです。
雨穴:今度は何ですか?
栗原:あの人形に録音されていた音声は『きのしたみっきです』『おはよう』『おやすみ』『バイバイ』の四つでした。
……どうして夫妻は「バイバイ」なんて言葉を録音したんでしょう。
雨穴:どうして…って
栗原:木下夫妻が人形を作った本当の目的は、もしかして、光季ちゃんとお別れすることだったんじゃないでしょうか。
雨穴:どういう意味ですか?
栗原:彼らは「さよなら」も交わせないまま、娘と永遠に引き裂かれた。だから、せめてしっかりお別れをしたかったんだと思いますよ。
たとえそれが、布切れでできた人形相手だったとしてもです。
雨穴:……
栗原:雄大さんが円厳寺で人形を見つけたとき、最初に聞いた音声は「きのしたみっきです」だったんですよね。
ということは、そのひとつ前…つまり、上田さんが最後に再生した音声は、順番的にいえば「バイバイ」です。
たぶん、そのとき彼女は、ようやく光季ちゃんとお別れできたんだと思います。
そう考えたら、仮にさっき私が言ったことが、億が一、本当だったとしても、そっとしておいてあげましょう。
―――そのときふと、上田さんが言っていた言葉を思い出した。
『二人一緒にちゃんと生き切って、いつか天国で、また光季と暮らそうねって約束していたのに…。』
雨穴:あの、栗原さん。
栗原:はい?
雨穴:人を殺したり、自殺した人は、天国に行けないってたまに聞きますけど、実際のところどうなんですかね?
栗原:え?雨穴さん、そんなもの信じてるんですか?
雨穴:いや…うーん、少しは。
栗原:ロマンチストですね。善人も悪人も、大人も子供も、死んだら灰になるだけです。
※この記事の内容を、オモコロおよび雨穴の許可なく、YouTubeなどで配信することはご遠慮ください。