口裂け女というお話があります。
主に1970年代の後半から口頭、或いは雑誌メディアを通して語られ、
当時の小中学生を中心に爆発的な流行を見せた怪談話で、
大きな社会問題として取り上げられました。
地域や年代によって細かな差異はありますが、
話としての基本的な型は恐らく以下のようになるでしょう。
放課後、ひとりで日の暮れかけた通学路を歩いていると、
突然に大きなマスクを着用した女性が現れ、声をかけてくる。
「わたし、きれい?」
きれいです、などと答えると女性は「これでも」とマスクを外し、
耳の辺りまで大きく裂けた口元を見せる。
恐怖を感じた子供たちは彼女のもとから逃げ出すが、
彼女はどこまでも追いかけてくる──
「口裂け女は鎌を持っている」とか、
「べっこう飴を食べさせると逃げられる」といったディテールの違いはあるにせよ、
概して上述の内容が語られ、当時の子供たちは恐怖に慄きました。
一定以上の世代になると、「友達の友達が実際に経験した」などの導入とともに口裂け女の目撃談を語っていた同級生を、一人は思い浮かべることができるのではないでしょうか。
さて、ここで注目したいのは、この怪談話に存在する「差」です。
先ほどから何度か触れているように、
口裂け女には様々なパターン、バリエーションがあります。
この怪談は主に小中学生の生活圏で口承・伝達されたため、
しばしば話型のローカライズが起こっているのです。
地域ごとの差異はもちろん、同じ地域でも学年によって口裂け女の特徴が異なっていることもざらで、コミュニティごとに「隣の学校の奴はこう言っていた」「妹のクラスでは」「怪談の漫画本では」といった数多くの体験談が混成していました。
今回紹介するのは、九州某県にあった小学校とその周辺地域において、
十数年前に集められた「口裂け女」に関する見聞の資料です。
とある事情から筆者もこの資料を見られる立場にあり、
事例の匿名化など様々な条件付きではありますが、
資料の一部を限定的に記事として公開できることとなりました。
民俗学者の野村純一氏は、「口裂け女」流行期である1980年代前半に、
主に女子中学生・高校生を対象に体験談を収集し比較検討していましたが、
今回の資料でも1980年代の前半、具体的には1981年から84年までの間に当小学校に「児童」として在籍していた人々に対して、
彼ら/彼女らの中で「口裂け女」として体験・受容されている話の収集結果が得られています。
1. 分布
こちらの白地図は、その某小学校(およびそこに在籍する児童が通っていた学童施設)における主な通学路を簡易的に図示したものです。
その校舎は、別の地区に在った旧校舎の老朽化に伴って1970年代に新設されて以降、幾度かの改称を経て利用されていった後、周辺地域の過疎化に伴う合併で現在は閉校を余儀なくされました。
周囲の山を切り開いて建設されたこともあり、この調査が行われていた80年代前半においては周辺施設に乏しく、周囲は山と田畑に囲まれていました。
地方の小中学校においては通学がほとんど山登りに近いような場所もしばしばありますが、当小学校はまさにそのような立地だったそうです。
地図の中心、つまり学校から左右に通学路を分割したとき、
子供たちが帰宅する家は基本的に学童施設Aの方向に集まっており、
学童施設Bの方向には田圃などが点在していました。
そのため通学路としての利用状況も、画像左側に伸びる道のほうが多かったようです。
以下に示すのは、その白地図の中で、
1981年から84年までの4年分の証言において「口裂け女を目撃した地点」が確定しているところに、
赤い印を附した画像です。
画像から、学童施設Bの周辺における目撃情報が若干多いことが分かるでしょうか。
先述したように通学路としての使用率はA周辺のほうが高いのですが、
密集率としてはそれほど変わらないか、B周辺のほうが高いようにすら感じられます。
もちろん、口裂け女に限らず学校で流行する怪談は「ひとりでいるときに遭遇する」ものが多いため、通学路としての利用率が比較的低い──ひとりになりやすい場所での体験が多くなることは理解できます。
しかし、その地域において目撃情報が密集している地点は学童施設Bに面した道路と交差点であり、
当時においても児童の往来は比較的多いところだったそうです。
さらに、目撃情報を時系列に沿って分類したところ、もうひとつの情報が示唆されました。
以下に示すのは、上述の事例の中から、
1981-82年の目撃情報を赤色、
1983-84年の目撃情報を青色で塗り分けた画像です。
つまり、事例が比較的古いものは赤色、新しいものは青色で表示されています。
このように、事例が新しいほど、
・目撃情報の密集
・目撃事例数の増加
の傾向が見受けられます。
また、時系列に沿った変化が見られるのは、目撃場所だけではありません。
2. 容姿の変化
以下の表は、口裂け女の様子あるいは行動に言及した42件の目撃情報を、
年代別に分類したものです(重複があるため、総数は42以上になっています)。
事例/年代 | 1981 | 1982 | 1983 | 1984 |
追いかけてくる | 1 | 2 | 2 | 6 |
刃物を持つ | 0 | 2 | 2 | 3 |
話しかけてくる | 1 | 3 | 3 | 6 |
ただ立っている | 4 | 5 | 7 | 12 |
特筆すべきは、一般的な口裂け女の目撃談に付随される情報──「子供たちを追いかける」「刃物(鎌)を持っている」「話しかけてくる」といったものが古い事例になるほど少ない、ということでしょう。
不思議なことに、この地域においては口裂け女の特徴として一定数、「特に何もせずただ立っている」という情報が得られたのです。「私きれい」と話しかけることも、子供たちに何かのアクションを起こすこともなく、ただそこにいる。
もちろん一般的な、「マスクを着用しており、それを外すと大きく裂けた口が見えた」「ポマードと三回唱えるとどこかへ逃げていった」といった体験談も複数得られていたのですが、
そのほとんどは比較的新しい年のものであり、1981年時点のそういった事例は皆無と言って差し支えありませんでした。
では、目撃者に話しかけもしないのにも関わらず、
子供たちはどうやってそれを「口裂け女」であると解釈したのでしょうか。
夕方に○○(筆者注: 学童施設Bの当地域における通称)ば出たとこで、
田んぼの道んとこに立っとった。笑っとるごと(見えた)。
顔の大きかったけん、そがんしとるとの分かった。
人じゃなか、(人の)顔はあがん横にならんけんが。
(女児、1981年時点で小学5年生)
これは、当時の児童に対する調査の書き起こしを、筆者が一部省略・加筆して転載したものですが、その地域の「口裂け女」目撃事例としては比較的ポピュラーな部類のものになります。
子供たちは放課後、多くは帰り道の途中で「口裂け女」に遭遇します。
彼女はただ立っているだけで、さらに普通であれば表情の視認が困難であるくらいに離れた場所に立っていることさえ珍しくなく、そのため直接的な被害を加えられることはありません。
そんな状況で、なぜ「彼女の口が裂けている」と考えることができるのか。
曰く、その顔は非常に大きく、かつ横方向に伸びているのだそうです。
そのため離れていても顔は確認でき、口が裂けて──というよりも、
ぐにゃりと横に伸びていることが分かるのだと。
そのような体験談が多いからか、
当地域では口裂け女の背景情報に関連した情報もあまり見受けられませんでした。
ここでいう背景情報とは、口裂け女の出自、バックボーンへの言及です。
例えば、初期は口裂け女の目撃情報を主として怪異譚が流布していたとしても、
目撃例が増加し飽和していくにつれ、
子供たちの噂はしばしば怪異を「肉付け」する方向に向かうことがあります。
つまり、「なぜ口裂け女がいるのか」に対する合理的な理由付けを行うことで、
彼らなりに口裂け女を分類・理解しようとするのです。
口が裂けているのは生前に整形に失敗したからで、
当時の執刀医がポマードを大量につけていたからポマードが嫌いである。
口が裂けているのは交通事故に遭ったからで、
今もそれを恨めしく思っているために幽霊として出てくる。
そんな風に、彼らにとってできる限り理解・解釈が可能なかたちで設定を加えることによって、どうにか「何もわからない」状態から脱却しようとするのです。
しかし、その某小学校の児童らは、そういった合理化をほとんど行っていませんでした。
あるいは行えなかったのでしょうか。
何もせずにただ立っているだけの「口裂け女」に対し、
それ以上の背景情報を付与することが難しかったとも考えられます。
ただ、私は別の理由を考えています。
3. 文脈の検討
まず前提として、この地域には2種類の「口裂け女」がいるように思えました。
ひとつは、時代が下るごとに増えてきた、一般的な「口裂け女」。
刃物を持ち、或いは大きなマスクを着用して、「私きれい」と話しかける。
しばしばこれに追いかけられるという体験が語られることもあり、
そのため子供たちの明確な恐怖の対象になる。
そしてもうひとつは、時代が下るごとにその割合が減少した、「口が裂けた女」。
顔が横方向に大きく伸び(あるいは歪み)、それに応じて口も裂けている。裂けているように見える。
特に何かの行動をするでもなく、ただ笑って道端に立つ。
そのため子供たちにとって、ただ不気味な印象だけを残し続ける。
前者はともかく、後者に関してはあまり類例が思いつきません。
そのため、当時この資料を集めた人々は、
恐らくそのヒントになるものを求めたのでしょう。
彼らは当地域において特に目撃例が密集していた場所──先述の学童施設Bに赴き、
周辺住民への聞き込みを含めた補足調査を行ったのです。
これは本調査の2年後、1986年のことでした。
その結果。
後者の、「顔が大きく歪んだ、ただ立っているだけの女」の目撃情報は、
1970年代前半にあの学校が建設される前──少なくとも1960年時点から、
ぽつぽつと存在していたらしいことが判明しました。
そしてその目撃場所は、当時から変わらず、あの学童施設だったと。
しかし、これには複数の疑問点も存在します。
まず、何故まだ建設もされていない学校の近くの学童施設に、
そのような話が流布されているのか、という点。
さらに言えば、なぜそれほど前から「口裂け女」がいるのか、という点も不可解です。
学校の怪談としての「口裂け女」が広く流行したのは、
先述したように1970年代の後半からと言われています。
新聞やメディアを通じて流布し、全国に広まったのは1979年のはじめごろとされており、
少なくとも1960年時点でそれが「口裂け女」と呼称される例などは見受けられません。
一点目の疑問に関しては、比較的早期に氷解しました。
そもそも、あの学校周辺にあるふたつの学童施設は、
どちらも小学校の新設に伴って作られたものでは無かったそうです。
学童施設Aに関しては比較的新しい時期、1970年代の半ばになってから、
児童増加に伴う要請もあり、公民館を増築して作ったものだったのですが、
学童施設Bはそれ以前からその場所に存在していました。
学童施設Bは現在、平時はM寺という寺院として利用されつつ、
いわゆる「児童クラブ」的な組織もその中に包括されています。
しかし元々は山間部を切り開いて建設された寺院であり、
時代が下るごとに「寺子屋」的な用途として、
周囲の子供たちが交流する場所にもなっていきました。
そして、まだ学童施設Bが単に「M寺」だったころから、
その女の目撃例はあったのだそうです。
また二点目の疑問、「なぜそれほど前から口裂け女がいるのか」という点に関しては──当時の調査者が、次のように推測しています。
曰く、それは元から口裂け女ではなかったのではないかと。
「1. 場所の分布」で示した表からも分かる通り、
時代が古いものほど「子供たちが口裂け女と解釈しているもの」の目撃情報は少なくなっている。
これは、その時代の口裂け女の目撃情報が無かったことを意味しているのではなく。
ただ単に、それまでは口裂け女だと思っていなかっただけなのではないか。
ずっと前から存在していた「口裂け女に似た何か」の目撃情報が、
1970年代後半以降の「口裂け女」ブームに伴って一種の習合を起こし、
時代が下るごとに「何か」の目撃情報も一緒くたに、
口裂け女の目撃情報として語られるようになったのではないか。
だとすれば。
某小学校の児童らが口裂け女の背景情報の設定を加えなかった理由にも、
ある程度の見当がつくようになります。
子供たちは合理化を行っていなかったのではなく、とっくに行っていたのでしょう。
しかしそれは、彼女は整形に失敗した、だから口が裂けているんだ、
などといったものではなく。
あそこに立っているのは今全国で噂されている口裂け女だ、
だから「何もわからない存在」ではないんだ、という形式の合理化だった。
筆者は暫定的に、そう結論付けています。
4. 類例の検討
当時この資料を集めた人々によって行われた学童施設B(寺院)周辺の補足調査の結果、
「何か」の目撃情報は1960年代ごろから既にぽつぽつとあったらしいことが分かった、と書きました。
では、何に対するどのような調査から、これは判明したのでしょうか。
結論から言うと、それは古くから住んでいる周辺住民に対する聞き込みの結果として得られた幾つかの情報だったそうです。
現在は開発・舗装されている山の中で野菜を拵えたり、山菜採りをしたりしていた人々の中に数名ほど、それを目撃していた人もいたのだと。
しかし、それは昔から代々語り継がれている説話の類では無さそうでした。
現に、その地域の古くからの説話を集めた文献をいくら繰っても、
その「何か」に関連しそうな記述は見つかりませんでした。
当地域の新聞など学術資料以外の文献を調べても同じで、
M寺をはじめとしたいくつかの家、施設を回ってみても、
それらしい文字資料を見つけることはできなかったそうです。
つまり、それは古めかしい言い伝えや由来譚というよりは、
各個人がある時期からぽつぽつと体験するようになった怪奇現象のようなものであり。
それを見た彼らも、単なる幻覚や見間違いの類だと思って、
わざわざ誰かに話すことも無く今まで忘れていた、という人がほとんどでした。
≪補足調査の時点で得られた複数の証言の抜粋≫
・顔だけが(極端に)大きかった
・顔は横に長く、笑っているように見えた
・山道の先に立っていた
・M寺の前の道に立っていた
・田圃の畦道に立っていた
・顔に気を取られていたため、服装は分からなかった
・ぼろぼろの服を着ていた
・女に見えた
・女ではなかった
・女のふりをしていた
以上の記述で語られているものと某小学校で子供たちが目撃した「口裂け女」は、
どこか似通った部分があるように感じられます。
顔だけが極端に大きくかつ歪んでおり、それは危害を加えるだけでもなくただ立っている。
その性別はどうやら女であるようだが、
同時にこの世のものではないこともほぼ直感的に認識している。
当時の調査者たちは、証言の乏しさ、そして文献資料の少なさから、
この段階での補足調査以上に「何か」に対する新たな情報を得ることは出来なかったようで、
その後に幾度か行われた質的調査においても「何か」の正体に迫る知見は特に見出せないままであることが伺えました。
そして調査は(宣言こそされていないものの実質的に)打ち切られ、
様々な事情からその資料の一部が公開できる状態となり、今に至ります。
先述したように、1970年代以降には「何か」と口裂け女に関する情報は既にある程度の習合の兆候を見せていました。
それから時が経ち、2000年代後半にその学校が閉校してからは、もはやあの道が通学路として利用されることすらほぼ無くなっており、2022年現在ではそもそも「口裂け女」という怪談それ自体が下火になっています。
そして、文献資料も満足に見つかっていない現状を鑑みると、
今となっては「あれ」が一体何であったのかを十分に検証する手段は、
恐らく無いに等しいのでしょう。
5. 付記
以下は、筆者が別の記事執筆の一環で一年ほど前に取材し、
文章化の段階で諸事情により未発表のまま凍結されていた実話怪談の原稿です。
「幽霊とかお化けがどうこうっていうか──そもそも怪談なのかも、よく分かんないんですけどね」
N県で大学の事務職をしている茜さん(仮名)は、困ったような顔で話を始めた。
茜さんが通っていた小学校は商業施設や住宅街から離れた山間部に在り、
現在は少子化のあおりを受けて閉校を余儀なくされたものの、昭和の時代にはそれなりの人数が集まっていたのだという。
「まあ私がその学校行ってた時には、もうだいぶ終わりが近いなって感じでしたけど」
茜さんはそう言って少し笑った。
これは、彼女が成人を機に地元へ帰省し、当時通っていた小学校を訪問した時の話である。
訪問したといっても学校の敷地内まで入ったわけではなく、
そもそもその時点で閉校しており校内に立ち入ることは出来なかったため、
慣れ親しんだ地元の山道をひとりで散歩したついでに学校を遠巻きに眺める、程度のものだったらしい。
「さすがに、別の学校に行くための通学路として今も使ってる道路とかは、ある程度きれいになってましたけど。それでも元々人通りが多い場所じゃなかったし子供の数は当時よりも確実に減ってるので、かなり──寂れてた、んですよね。当時学校行くのに使ってた道とか、どこ歩いても。
新しくカラフルに舗装し直した歩道なんかはいくつもあって、でもそれが余計に空元気というか、そういうのを強調してる気がして」
夕方の五時ごろ。錆びた校門の外からその小学校を眺めても、
郷愁とも寂寥感とも違う、どこか物悲しいような気持ちしか感じられず。
結局、見物もそこそこに、茜さんは学校の坂道を下りていった。
そこで茜さんは、折角だから当時のルートで「下校」していこう、と考えたそうだ。
小学生だった茜さんは、何となく遠回りして家に帰りたい気分のときなど、
たまに普段の登下校には使わない道を通って下校することがあったという。
学校の坂道を下った後、途中の道を右に曲がって道なりに行けば家に着くのだが。
そこをまっすぐ進んでから、ぐるりと大きく右回りの円を描くように遠回りをして、
再びいつもの家路に合流する。
そのルートを歩くと、途中に一部のクラスメイトが放課後の児童クラブに利用していた寺院があったため、普段なら途中で帰り道が分かれてしまう友達とのお喋りを続けることも出来たのである。
夕暮刻、茜さんは自分以外殆ど誰も通らないその道をだらだらと歩いて、
件の寺院が見えるあたりに差し掛かった。
彼女は自分の視点で言うところの右側の歩道を歩いており、
その寺院は左側、つまり車道を挟んだ向かい側に見えるのだが。
その、自分とは反対側の歩道、寺院の前の電柱の陰に。
誰か、がいるのが見えた。
「最初は、ただの通行人というか、普通に地元の人だと思ったんですよ。で、ああ珍しいなこんなひとけのないとこにって思ってたんですけど。でも、その人との距離が近くなると、なんか色々とおかしいって気付いたんですよね」
茜さんは、小首を傾げながら、
言葉を選ぶようにぷつりぷつりと言葉を繋いだ。
まず、夕陽が逆光みたいになってて最初はシルエットしか分かんなかったんですよ。
で、私「耳でも塞いでるのかな」って思ったんですよね。
頭を抱えてるというか、とにかく頭の横に手を添えてるってことが分かって。
例えばほら、片方に携帯電話でも持ってたとしたら、
そっちの声に集中するために耳を塞ぐとかあるじゃないですか。
でも、道路挟んでその人の真横まで来たところで、
いや明らかにおかしいって思って。
まずその人、顔に──口とか目の辺りに両手の指を押し当てて、誰もいない歩道でですよ?
まるで睨めっこでもしてるみたいに、ぐにいって両側に顔を広げてたんです。
で、その人は三十歳半ばぐらいの男性だと思います。
髪とか顔の感じからして、そのくらいに見えました。
色白で骨ばってて、それほど運動してないんだろうなっていう瘦せ型の男性。
ただ、その人はすっごいぼろぼろの、
コットンドレスみたいなのを着てたんですよね。
いえ、顔立ちとか体つきとか、あと声も確かに男性の声でした。
その人、反対側の歩道を通ってる私を、ずっと目で追ってて。
いえ、顔はずっと指で無理矢理に引き伸ばされてますから、
視線の方向とかは分かんないんですけど、
顔の向きが明らかにこっちを向いてるんですよずっと。
それで、走って逃げだすのも逆に危ない気がして、
出来るだけ見ないように見ないようにってその歩道を通ってたんです。
そしたら、ちょうど私がその人とすれ違うくらいの時に。
無理矢理にそういう声を出してるみたいな、すごい甲高い声で、
「あのお、これはだれだとおもいますかあ」
ってその人が叫んだんです。
びくっとしてそっちを向いたら、やっぱりその男の人が、
ぼろきれみたいな白い女性用ドレスを着た男の人が、
両手で顔を横に引き伸ばして笑いながら、
こっちを向いてたんですけど。
彼の後ろにあるお寺の門のところに、
さっきまでいなかったはずの誰かが立ってて。
不思議なことに、どんな姿をしてたとかは全く思い出せないんですけど、
でも、ああこの男の人はこれを真似しようとしてるんだろうなってことは、
何となく分かりました。
それから、特にそれ以上の何かが起きることも無く、私は家に帰っていて。
それ以降であの道を通ることは、一度もありませんでした。
そもそも、普段はそれこそ散歩とかで、
自分から行こうと思わないと通らないような道なんですけど。
「あとで親に聞いたら、その男の人、私の小学校時代の同級生でした」
○○くん、よく一緒に遊んだりしてたんだけどなあ。
茜さんはどこか寂しげに、そう結んだ。
あれは今もその道に立っているような、
そんな気がしてなりません。