ここは外国ではない。群馬だ。
群馬県邑楽郡大泉町(おおいずみまち)。外から見れば一見何の変哲もない地方都市だが、リトル・ブラジルと呼ばれるこの町では、一歩足を踏み入れると上の写真のような光景があちこちに広がっている。
大企業の工場が多数並ぶこの町には、1990年の出入国管理法の改正以来、多数の出稼ぎ労働者が集まって暮らすようになった。2021年現在、人口たった41,770人の町に暮らすブラジル人の人数は、4,536人にのぼる(およそ11%)。40人クラスなら4人ブラジル人。すごい。(2021年9月時点。大泉町公式サイトによる)
街中にはブラジル人向けのコンビニやレストラン、スーパーマーケットがあるのはもちろんのこと、自動車教習所や旅行会社などあらゆるサービスが彼らの公用語であるポルトガル語で展開されている。
筆者は思った。
この町なら、あの”夢”をかなえられるのではないか?
そう、
外国で髪を切ってみた~い!!!!!
これだ。
海外旅行に行くたびに、街角の床屋やヘアサロンが気になっていた。そこには、観光地にはない「その国の普段着の姿」があるように思えたからだ。
いつかどこかの国で、フラッと床屋に入って、その国の流行のスタイルに散髪してもらいたいとかねがね思っていた。
しかし旅行中にこれを試すのは、筆者にはなかなかハードルが高かった。言葉の壁もあるし、「入国時と外見が変わりすぎると出国できなくなるのでは?」というたぶん杞憂な心配ごとも増える。
そこで、群馬県大泉町だ。
これだけ色々なブラジル人向けの店があるなら、当然ブラジル人向け美容室もあるはず。
そこに行けば、国境を越えることなく、本場のブラジル流ヘアカットを体験できるのではないだろうか……?
そう思って調査したところ、果たして1件の美容室が見つかった。
どうやらブラジル人が営み、ブラジル人が通う美容室のようだ。
いざ現物を発見すると、さらにいくつかの疑問が湧く。このお店にはどんな人が働いてきて、どんな人が訪れるのだろうか? そして、日本とブラジルの美容室事情には、いったいどんな違いがあるのだろうか?
それらの疑問を解消すべく取材依頼を送ったところ、即OKの返事がもらえた。
というわけで今日はこの店で、ブラジル流ヘアカットを体験してみようと思う。
「テルマ・ヘアショップ」へ
というわけで、やってきたのはこちら。テルマ・ヘアショップ。
30年にわたり大泉のブラジル人たちの髪を切り続けている、老舗美容室だ。大泉町のメイン駅、西小泉駅から徒歩3分と、アクセスも抜群である。
営業終了後の時間を見計らって訪れたため、閑散とした店内を想像していたが、入店すると店内を飛び交うにぎやかなポルトガル語が耳に飛び込んできた。
筆者を出迎えてくれたのは、ベテラン美容師の西山シッサさん。お店オリジナルTシャツがよく似合っている。今回は彼女が、筆者の散髪もしてくれるとのことだ。
施術の前にまずは、ここがどんなお店なのか、そしてシッサさんは一体何者なのかをインタビューさせてもらうことに。
日本語でのインタビューを誤解なく行うために、ポルトガル語が堪能なREIさんにも通訳として同席してもらう。
:東京から大泉町に通うテルマ・ヘアショップの常連客。日本とブラ
ジルでREI CAPOEIRAP名義での音楽活動の傍ら、アパレルブランド『 Baile de Tokyo』の展開やYouTubeチャンネルで日本人向け にブラジル文化を発信している。大泉町のグルメイベントの司会も 務めている。
シッサさんは何者?
※写真右は筆者。
(筆者):まずはシッサさんの経歴について聞かせてください。お生まれはブラジルなんですか?
:ええ、生まれはパラナ州のマリンガという町よ。マリンガは日本人がとても多い場所なの。私自身は日系じゃないけど……。
:いわゆる日系一世が多い場所だね。(パラナ州は)サンパウロ州
:ブラジルにいたころから、美容師をされていたんですか?
:そうね、向こうで美容師として働き始めたのは10歳のころから。驚くかもしれないけど、当時のブラジルでは普通だったのよね。それで、20代になって、1995年に日本に来たわ。
:95年ってことは、もうこっち来て26年か。ずいぶん長いね。
:(日本語で)長いね。でも、日本好きです。
:外国人が日本で美容師として働くのは、制度上難しいと聞きました。日本に来てから今に至るまで、苦労があったんではないですか?
:日本に来てから4年間は、いわゆる出稼ぎ労働者といっしょに美容室ではない会社で働いたわ。そのあいだに学校に通って勉強して、美容師の資格を取ったの。近年ではまた勉強しなおして、理容師の資格も取ったわ。
:ロンドンで修業したんだよね。
:そう。フェードカットっていう、バリカンを使ったヘアスタイルは理容師じゃないとできないから、その勉強に行ったの。
※ロンドンにて。
※この刈り上げ方がフェードスタイル。
:ロンドンには、日本を思い出す景色がたくさんあったなぁ。お台場みたいな景色のところとか。
:それは多分、お台場がロンドンに寄せてるのでは?
:では続いて、このお店についても聞かせてください。「テルマ」ヘアショップということですが、店長はテルマさんという方なんですか?
:そうなんだけど、今はもうアメリカに行っててこの店にはいないの。お店自体はもう30年以上この店にあって、大泉町にはブラジル系の美容室がたくさんあるけど、一番の老舗なんじゃないかな。
:お客さんはやはり日本人よりブラジル人が多いんですか?
:ええ、というか日本人のお客さんはすごく少ないのよ。時々来るんだけど、スタッフもお客さんもみんなポルトガル語でわーっと話してるから、日本人は少し気まずいかも。あとはペルー人やフィリピン人も来るし……。
:大泉町以外からも来るよね。
:ありがたいことに、東京とか沖縄とか日本全国から来てくれてます。国籍もいろいろで、ドイツ人やロシア人のお客さんも来ているの。彼らのために英語の勉強もしているわ。
:それだけ評判がいいってことだね。
:本当はアメリカにも行ってもっと理容の技術を学びたいんだけど、今はコロナで行けなくて……。もっと世界のいろいろな国に行って技術を学びたいんです。美容師・理容師の道は、医療の道と同じくらい、学ぶべきことが無限にある。「これぐらいでいいや」ってことは無くて、いつも学びたい気持ちが強いんです。
:向上心がすごい。尊敬します。そのモチベーションの源泉は何なんでしょう?
:うーん。別に「お客さんをたくさん入れてお金を儲けたい」というわけじゃなく、一人一人のお客さんにもっと満足してもらいたいの。たとえば人種が変われば、何が似合うかも変わるでしょう。だから一人一人に合うスタイルをしっかり考えて施術することで、もう一回来たいと思ってもらえたらいいなと思ってます。
:プロフェッショナルだ……。
髪を切ってもらう!
シッサさんの仕事への真摯な目線がわかったところで、いよいよ髪を切ってもらおう。
現在の筆者のヘアスタイルはこんな感じ。
この企画のために3か月伸ばし続けたので、ボサボサである。果たしてこれがどう変わるのか?
また、事前に筆者の友人・知人から集めた「日本の美容室あるある」をリストアップしてみた。
これとどれぐらい異なるかで、ブラジルの美容室の特徴を検証したいと思う。
髪の毛のオーダー
:どんな髪型にしたいの?
:そうですね、今日はぜひブラジルで流行してるヘアスタイルにしてもらいたいです。
:それでいうと、さっきのフェードスタイルね。
※フェードスタイル(再掲)。バリカンでもみあげや襟足あたりはゼロミリ(スキンヘッド状態)にして、そこから徐々に長さをグラデーション状に長くしていくスタイル。
:ただあなたの場合、サイドの髪の量が少ないからあまりきれいにいかないかも。少し長めに刈り上げて、バーバースタイルにしてみるのがいいかもしれないけど、どう?
※バーバースタイル。サイドと後頭部を刈り上げて、トップにボリュームを残すスタイル。
:そうですね。これでお願いします! ちなみに日本ではよくヘアカタログでなりたい髪形を選ぶことが多いんですが、ブラジルではどうなんでしょう?
:昔はヘアカタログみたいなものもあったけど、今のお客さんはインターネットで拾った画像を持ってくることが多いかな。いくつか見せてくれたらその中で似合うのを提案できるわ。
洗髪
いざ髪型が決まれば、まずは洗髪から。このあたりは日本の美容室と同じ流れだ。担当してくれるのは、シッサさんの実の娘さんだというハイサさん。
:よろしくお願いします!
:ハイサさんは、日本語ペラペラなんですね。
:そうなんです、私は5歳から日本にいるので。今は専門学校に通いながら、美容師の勉強してるんですよ。
:なるほど…あっ
:くしくも「顔に布乗せたまま話すと布がズレて気まずい」という美容室あるあるを体現してしまった……。でも、ハイサさんは日本の専門学校に通ってるってことは、この洗髪は日本式なんですね。
:そうですね。特に皆さんが普段されてるのと変わらないと思います。
:ブラジルと日本で洗髪の仕方は違うんでしょうか?
:私、5歳までしかブラジルにいなかったからあんまりわからないんですけど……。聞いた話だと、ブラジルでは椅子を倒さずに首だけ後ろに倒して洗髪するみたいです。
:え、それめちゃくちゃ疲れませんか。
:その座り方だと水が飛んで、顔から胸のあたりまで全部ビシャビシャに濡れることもあるみたいです。
:最悪だ。
カット開始
洗髪も終わり、いよいよ髪にハサミが入る。店内にはブラジルの流行歌が流れ、飛び交うスタッフ同士の会話もにぎやかだ。
:いつもブラジル人が相手だと、たまに日本人の髪を切るのは難しかったりしますか?
:正直なところ、日本人の方がブラジル人より簡単ね。人種によって髪質が全然違うんだけど、日本人の髪は癖が少ないから比較的切りやすいかも。
:でもそれも慣れるまでは大変だったわ。日本人のお客さんに慣れてないブラジルの美容室だったら、スタッフ同士で押し付け合いになるかもね。失敗すると目立つから。
:頭の形も全然違いますよね。僕含めアジア系は、いわゆる”絶壁頭”っていうような頭の奥行きが狭い人が多い気がします。逆に白人系なんかだと、頭の奥行きが広い人が多いですよね。
:そうそう。だから日本人だと、後ろに丸みが出るようなヘアスタイルにするときれいに見えるね。そのあたりが、慣れるまでわからなくて苦労するところかも。
:うーん……。
:どうしたんですか?
:さすがに3か月も伸ばした後だと、元の髪形があってないようなものになってるから、ちょっと難しいね……。少し時間かかっても平気?
:大丈夫です。むしろすみません、企画のためを思って伸ばし過ぎました。ちなみにブラジルの人は、普段どれぐらいのペースで来店されるんですか?
:男性だと、だいたいひと月に1回。多い人だと2週に1回とか、毎週来る人もいるかな。フェードだとすぐに伸びちゃうから、キープするために結構頻繁に来る人もいるわ。
:それだけ、美容意識が高いんですね。
:いや、それは無いと思います(笑)
:美容意識でいったら、絶対日本人の男性の方が高いですよ! 日本人って男性でも脱毛に行ったりするじゃないですか。ブラジルだったら、男性はもちろん女性でも腕の毛がボーボーに生えてたりしますし。
:その方が楽そう。
:あとは日本人男性だと、ファッションでロン毛にしたり、ブーツ履いたりしますよね。そのへんもブラジル人男性だとありえないですね。
:あー、なるほど。言葉がアレですけど”男らしさ”みたいなものが日本より重視されてるんですかね。
:そうそう(笑) そういうのは、実際あると思いますね。
:そういえば、日本では『美容師さんと会話が続かない』という悩みを持ってる人が多いんですが、ブラジルの人って施術中は会話とかするんですか?
:めちゃくちゃ喋ります。
:2人から今日一番の熱量を感じた。
:ブラジル人は話好きだから、ずーっと喋ってる。恋愛相談とか、家族の話とか、見ているドラマの話とか、なんでもかんでもね。子供のお客さんだと、学校の話をしてくれたりするわ。
:私は日本の美容室でも働いてたことがあるんですけど、比べちゃうと日本はすっごく静かに感じますね(笑)
:日本だと話したくない人のために雑誌を置いてたりしますが、そういうことはしないんですか?
:置くことはするよ。今はコロナ対策で置いてないけど、うちも以前はいくつか並べてたし。でも、あんまり手に取られない(笑)
:みんな話好きだから、半分喋りに来てるみたいなところがあるんですよ。
:すごい、美容室が1つのコミュニティになってるんですね。
「ライン入れないの?」
カットもだいぶ進んできたところで、少しのあいだ離席していたREIさんが戻ってきた。
:お、もう終盤だね。あれ、ライン入れないの?
:ライン?
:ほら、こういつやつ。
:ああ、剃り込みですか。僕、昼間会社員やってるんでマズいかもしれませんけど、いきましょう。
:え、いいの?
:大丈夫です。……多分大丈夫です。
:言い直したけど。
:いや、真面目な話、せっかくなので体験してみたいです!
:どんな模様にしましょっか。クロスとか、ジグザグとか、星マークとかあるけど……。
:僕、ラインへの知識が皆無なんで、言われてもまったくイメージがつかないんですが。
:さっきも話したけど、頭の奥行きが狭いから、あんまり複雑な模様は入れられないかも。シンプルな1本線でいきましょうか。
というわけで、人生初のラインを入れてもらうことに。まずはバリカンであたりを付け……
剃刀で慎重に剃っていく。まったく痛みはない。
こうなった。
:どうなってるか自分では見えないからめちゃくちゃ不安だ。
:いや、めちゃくちゃ良い感じですよ。ライン入りのフェードやバーバースタイルって東京でお願いする
:確かに、さっきぶらぶらしてて思ったんですが、大泉町は「海外旅行行きたくても行けない人」にマジでおススメですね。ブラジル系スーパーのあまりの異国感に、そのあとファミマに入ったら「帰国」した気分になりました。
:ちなみに、もしかしたらこの記事を見て日本人のお客さんが来るかもしれないですが、シッサさん的にはどうですか?
:来てほしいです! 大歓迎!
:みんなポルトガル語でワーッと話してて、もしかしたら気まずい思いをしてしまうかもしれないけど、それでもぜひ来てほしいね。
:じゃあ、そんなときのために、とっさに使えるポルトガル語のフレーズを教えてくれますか?
:そうね……。
:こんな感じかしら。
:顔に切った髪の毛がたくさん付いててかゆいときは何て言えばいいですか?
:ソコーホ?(笑)(「助けて!」の意味)
:「コッサンド(かゆい)ホースト(顔)」で「顔がかゆい!」って言ってもらうのがいいかも。
カット終了!
そうこうしているうちに、無事全工程が終了。
完成した髪型がこちら!
:おお! 良い感じ! 心なしか、若返った気がします! めっちゃ気に入りました!
:それは何より! ボニート(かっこいい)ね!
冒頭で紹介したチェックリストはこんな感じ。
ひとつひとつは些細な差だが、並べてみるとブラジルと日本の文化の違いの一端が垣間見えたように思える。
最後に、こんなことを聞いてみた。
:シッサさんには、何か「こうなりたいな」みたいな目標はあるんですか?
:難しいなぁ……。まだまだ学びたいことがたくさんあるし、将来的には先生になって美容師の学校で教えたりもしたい。日本人が外国人の髪を切るときの方法とか、逆もしかりね。とにかく日本でいろいろ学びつつ、もっと日本のことをブラジル人に伝えたりもしていきたいね。
:すごい……あらためてその向上心に感動しました。なんだか、自分の身の振り方も考えちゃいますね。
:私も、同じこと思いました。自分もちゃんとしなきゃなぁ。
:あなたは、今いくつ?
:29です。
:まだ子供だね(笑) 人生これからよ。
シッサさん、テルマ・ヘアショップの皆さん、ありがとうございました!
後日……
:すげえな。剃り込み入れたんだ。
:あ、はい。ちょっと冒険してみました。あと、剃り込みじゃなくてラインです。
:うん、まあいいんだけどさ……。ちょっとヤンチャすぎないか?
:……ソコーホ!(助けて!)
■Thelma Hair Shop (テルマ ヘアー ショップ)
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群馬県邑楽郡大泉町西小泉4-23-21
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営業時間:10:00~19:00 (水曜、第一日曜定休)
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