こんにちは、オケモトです。僕は今、実家に来ています。
突然ですがみなさん、ゲーム好きですか?
僕はゲームが大好きで、産まれてこのかた何かしらの形でずっとゲームをやってきました。
今もゲームの記事を書いたりしてゲームに助けられているのですが、なぜ僕がゲームをするようになったのか?
それは父の影響が大きいでしょう。僕はゲームをする父の背中を見ながら成長してきました。
実家にも父と遊んでいた古いゲームがたくさん眠っています。
ということで今回は……
父とゲームの話をじっくりしてみよう!
企画に協力してくれるか聞いたところ、二つ返事でOKがきました。
暇なのか? ジジイの顔文字を使ってるの切ないな。
というわけで、冒頭の実家に繋がるわけです。
そしてこれが実家のリビング。
漫画喫茶のゲーミング卓みたいになってしまっており、左では妹がバトルロワイヤルゲームの「Apex Legends」、右では弟が格闘ゲームの「ストリートファイター5」をプレイしているという満員御礼の日曜の昼下がりとなっております。
この部屋を作り上げてしまったオケモト父です。
御年54歳、オケモト母と共に3人の子供を育てぬいてきました。すごい。
今日は家にしまってあるゲームを引っ張り出し、父と一緒に振り返ってみたいと思います。
まず家にカセットだけあった、ファミコンのドラゴンクエストとドラゴンクエストⅢ。
僕「たしかドラクエは好きだったよね?」
父「好きだけどクリアした記憶がないな~。当時はインターネットとかもなかったし攻略法がわからなかった。実家にはファミコン本体とディスクシステムとかもあったけどばあちゃんが終活とかいってこの前捨ててたな」
父がファミコンを母(僕の祖母)に買ってもらったのが1983年の発売当時。その頃、父は18歳だったという。
実家あるある「せんべい缶に入ったゲームソフト」。
ゲームボーイのカセットがけっこうあります。オレンジ色のはワンダースワンか、懐かしい!
これは初代ゲームボーイ。携帯ゲーム機ですが、初代はでかくてまあまあ重い。
本来はグレーカラーなのですが、月日の流れで茶色く黄ばんでしまっています。
左側が1号機だったのでしょう、黄ばみ度が高く液晶を守るフレームみたいなのがとれています。
ちなみに黄色く変色してしまうのは、日焼けによる化学変化とプラスチック自体の腐食によるものだと言わています。
実家のアルバムに、幼少期の僕がこのゲームボーイを持っている写真がありました。
後ろからめっちゃ弟が見てるな。
これは「ポケットピカチュウ」か!。
万歩計なんですけど毎日たくさん歩かないと画面のピカチュウがどこかに行ってしまうんですよね。
なので毎日めちゃくちゃ手で振ってました。同年代の人なら分かってくれるはず。
このとき奇跡的にピカチュウの服を着ているんですが、ピカチュウのデザインが初期の丸っこいやつなのが時代を感じますね。
あとフリーザ編の悟飯?ってくらいめっちゃ前髪揃ってる、俺。
ゲームボーイのカセットを並べてみました。
「ルパン三世」「怒りの要塞2」「天神怪戦」とか昔やったことがあったけど、だいたい難しくてすぐ飽きちゃうんだよなあ。
中でも「天神怪戦」はお気に入りでした。
天保の大飢饉を起こしている陰凶界のチミモウリョウを倒すために「あしがる」「さむらい」「にんじゃ」「そうりょ」「みこ」というそれぞれの特性を持ったキャラの中から、最大4人を雇用して敵を倒しながら進んでいく横スクロールゲームです。
ただ、これが子供にはめちゃくちゃ難しかった!ステージ1を越すのがやっとでした。
しかし今はYouTubeの時代、このゲームをクリアしている人もきっといるはず…と思って、動画を探してみたらありました。
https://youtu.be/-_2KoDJm6PM
この人がめちゃくちゃうまいことが大前提ですが、まさか「にんじゃ」だけを選んで最終ステージ前で「みこ」を追加するのが最適解だとは……。
すいません、「天神怪戦」の話はここまでにしておきます。
この中で父お気に入りの一本は「ゲームボーイウォーズTURBO」です。
このゲームは「ファミコンウォーズ」の続編で、敵と陣地を奪い合う戦争シミュレーションゲームです。
父がやっているのを後ろから見て、僕もハマりました。
せっかくなので「ゲームキューブ」の「ゲームボーイプレイヤー」を使ってプレイしてみましょう。
このゲームキューブの下の段をつければ、テレビでゲームボーイアドバンスからゲームボーイまでの携帯ゲームが遊べる優れものです!
映った!
あ……
大画面で見る接触不良画面。懐かしいですね。
カセットの端子にフーッと息を吹きかけて再起動させましょう!
これこれ! 大画面でゲームボーイのカセットができるだけで興奮しますね!
さっそく父にやってもらいましょう。
父「これどうやって歩兵とか戦車のユニット買うんだっけ? あ、そうそう、こうやってどんどんユニット展開して…」
最初はゲームの内容を忘れていたみたいですが、徐々に勘を取り戻していました。
このゲームは、まさに父がやっている姿を後ろから見て操作やルールを覚えたので、僕も子供時代を思い出してかなり感慨深い気持ちになりました。
「ゲームボーイウォーズ」不思議とずっとやってしまうゲームなので、結構本気でスマホに移植してほしい!!
3DO
次に出てきたのは「3DO」のディスクたち。
3DO
1994年にパナソニックが発売したゲーム機。しかしプレイステーションやセガサターンが爆発的な普及を見せたことから陰に隠れる。
昔は「あれ? なんかプレイステーションで起動できないディスクがあるなあ」程度に思っていたのですが、3DOのディスクだったんですね。
父「これね、当時会社の仲間たちの間で『これは絶対流行る!!』って話題になって買ったんだけど、あんまり流行らなかったね。本体は壊れたから捨てちゃったよ」
本体無いんかい! 僕も「チキチキマシン猛レース」が、ただムービーを見るだけのゲームだったことは覚えています。
あとは「ウルトラマンパワード」の2D格闘ゲームがあって、ストーリーモードでは怪獣との闘いの前に実写で怪獣が出現するまでのあらすじが流れるんですよね。
こちらもYouTubeにあった。なんでもあるな。
今見ると、主人公でケイン・コスギが出てるのが面白い。
3DOは映像に力を入れていたハードだったんですね。
ドリームキャスト
「ドリームキャスト」も父が率先して買ってきました。
ドリームキャスト
SEGAがSONYのプレイステーションに対抗するために開発したセガサターンの次世代機。
このドリームキャスト版の「ハウス・オブ・ザ・デッド2」は銃の形をしたコントローラー、通称ガンコンで迫りくるゾンビを倒しながら進むというゲーム。
なかなかにグロテスクなゾンビが襲ってくるわ、ゾンビの顔がふっとぶわで、当時まだ小学生だった僕はまあまあビビッていたのですが、父がガンコンを二つ買ってきたのでビビりながら一緒にやった記憶があります。
その他のドリームキャストのディスク
でもその後、このゲームにものすごくハマリ、友達を家に呼んで大騒ぎしながらやり狂ったことを覚えています。
バッティングセンターや旅館のゲームコーナーには、いまだにアーケード版のハウス・オブ・ザ・デッド2が置かれている時があって、懐かしい気持ちになります。
プレイしようと思いましたが、液晶テレビでは何とこのガンコンが使えないんです!
ガンコンはブラウン管テレビをうまく利用した仕組みらしく「走査線」がなんちゃらかんちゃら、らしいです。
今どきブラウン管のテレビなんてほとんど無いよ……。
バーチャルボーイ
めずらしいゲーム機も家にありました。
「バーチャルボーイ」です。父はよっぽどこういった流行らなそうなゲーム機が好きなようです。
バーチャルボーイ
任天堂が発売した3Dゲーム機。スタンドに据え付けられたゴーグル型のディスプレイを覗き込むようにしてプレイする
3Dを売りにしたゲームでしたが、父いわく赤と黒の2カラーしかない、あきらかに目に悪そうという理由で流行らなかったらしいです。
なかなかプレイできないのでやってみよう! と思ったら、バーチャルボーイの足を支える部品が割れてひび割れていました。
それを見つけた父は「貸してみろ」と、バーチャルボーイを持ち上げ、どこかからサッと出てきた接着剤をつけ謎の光を当てて一瞬で直しました。
こういうところはマジですごい。
コンセントにつないで電気を供給するのではなく、コントローラーに単三電池6本を入れて稼働するパワフルマシーンです。電池多っ。
パチっとスイッチを入れると、20年前の機械なのに当たり前のように起動する。流石任天堂!!
父にはテトリスをやってもらいました。はたしてテトリスを3Dでやる意味はあるのだろうか?
僕「どう?」
父「うん、3Dだけどふつうのテトリスだな。なぜかテトリスとは無関係に星がこっちに向かってきて、目が疲れるな」
僕「え? 星……? 本当だ! ゲームと無関係の背景がめっちゃこっちに向かってくる!」
バーチャルボーイは画面を一人しか見れないので、ゲーム画面の共有が難しいこともあまり売れなかった原因だと思います。
音だけは聞こえるんだけどな。
何とか撮れたゲーム画面。テトリスの各パーツも全て赤なので、めちゃくちゃ見づらいです。