さて、注意書きを入れておいたので、ここからは「わざわざネット上に悪口を書き込むバカ」は読んでいないものとして話を進めさせていただきます。
どうして彼らは悪口を書き込むのか?
TwitterやFacebookなどインターネットがここまで生活に密着すると、どれだけ素晴らしい作品を発表したとしても、必ず重箱の角をつつくような悪口をネット上に書き込むやつがいます。
ものづくりをしている人たちの共通の認識として「どうして、こいつらはこんなに偉そうに発言ができるのか?」「なぜ、上から目線で生意気な口を叩けるのか?」という疑問があると思います。
答えはカンタン。そういう生き物だからです。
他人の批判を書き込むだけが唯一の楽しみの生き物。ネット上に悪口を書き込むだけの人生を送り、ネット上に悪口を書き込みながら死んでいく。
理解しがたいかもしれませんが、そういう生き物なのです。
とは言え、悪口を言われたり、誹謗中傷されたりすることは腹が立ちますよね。ムカつきますよね。
ついつい反論したり、反応したくなるお気持ちはわかりますが、そんなヤツらを相手にすることはとても不毛なことです。
たまに、「話せば分かり合える」と考えて、注意したり、反論したりしている優しい人を見かけますが、残念ながら「話せば分かり合える」のは、言葉が通じる同じ生き物だった場合のみ。
人の形をして人の言葉をしゃべる「何か」に反応することは、時間の無駄でしかありません。
そこで今回は「ネット上に悪口を書き込むヤツらに反応することが、いかに不毛な行為なのか」を実験で証明してみたいと思います。
いかに「時間の無駄か」ということをその目に焼きつけてください。
実験内容は、とてもシンプルです。
自分の名前でTwitter検索(エゴサーチ)をしてみて、悪口を言っているやつにわざわざリプライを飛ばしてみます。
こちらからわざわざ絡みにいく行為は精神的にとてもつらい作業ですが、今回は実験だと割り切ってがんばりました。
すると、3パターンの反応があることに気づきました。
以下、その3つの反応をご紹介します。
※特定の人物を晒し上げるのが目的ではないので、以下のすべてのツイート画像は一部加工してあります。
<反応その1>トンズラをぶっこく
まず最初に、検索にヒットしたのがこちらのツイート。
彼とは一切の面識がありませんが、突然、呼び捨てで「インターネットをやめてくれ」と言われています。
もしかすると、僕がインターネットをやっているせいで未来の世界が大変なことになっており、彼はそれを阻止するために送り込まれてきたエージェントなのかもしれないので、下記のリプライを飛ばしてみました。
「なんで?」という、これ以上ないくらいに超シンプルなリプライ。
はたして、どういう反応が返ってくるのでしょうか?
「エゴサ」とは、エゴサーチの略で「自分の名前で検索する行為」のことを指します。
彼からの返信は「エゴサーチはキモいからやめたほうがいい」という有り難いお告げでした。
有り難いけど……あれ? なんだか話が噛み合ってないぞ?
再度、なぜ「セブ山インターネットやめろ」なのかを聞いてみます。
っていうか「インターネットやめる」って何? どういう状態のこと??
その後、彼からの返信はありませんでした。
その代わり、下記のようなツイートが連発。
トンヅラをぶっこいたものの腹が立ったのか、僕自身のみならず当サイト(オモコロ)のことも批判するツイートが増えていました。(なぜか「艦これ」にも飛び火)
このように、わざわざ絡みにいくと「火に油を注ぐことになる」ということがわかりました。不毛ですね。
<反応その2>屁理屈をこく
続いては、こちらのツイート。
小野ほりでいを褒めているように見せかけて、セブ山をバカにしたツイートです。
不快に感じたり、アンフォローすることは自由ですが、なぜわざわざインターネットに悪口を書き込むのか聞いてみましょう。
どういうこと?
(言ってることはわかるけど)意味は理解できなかったので「こいつ、屁理屈言ってらぁ~」と思いましたが、要するに、悪口ツイート自体には何の意味も理由もないということなんだと思います。
べつに「セブ山のことを貶めてやろう」と思っているわけではなく、純粋に「渋谷なう」「晩メシなう」というツイート達と同じような感覚で悪口を書き込んでいるんでしょう。
彼にしてみれば、「渋谷なう」とつぶやいたら「なんで渋谷にいるんだ! ふざけるな!」と言われたようなものなんだと思います。
「悪意がないことが一番の悪」という気もしますが、わざわざ悪意のない人間とケンカをしても何も生み出さないので、このケースも「不毛である」という結果になりました。
<反応その3>無視
3つ目は、こちらのツイート。
別媒体で書いた僕の記事について、読んでもいないのに「氏ね」(※ネットスラグで「死ね」という意味)と中傷されています。
まあ、たしかにアホみたいな内容の記事ですが、「死ね」はいくら何でも言い過ぎでしょう…
「セブ山死ね」と思った理由をたずねてみました。
これに対して、返信は一切ありませんでした。
しかし、彼のTwitterアカウントは随時更新されていました。
要するに、無視されたということです。
何も返ってこない以上、ここでもまた「不毛である」という結果に至りました。
このように、自分の悪口を書き込んでいる人々にわざわざリプライを飛ばしてみた結果、とくに何の成果もなく、ただただ時間を無駄にしただけでした。
でも、自分の怒りが治まるなら反応してもいいのでは?
「何も生み出さない不毛地帯かもしれないけど、逆に何も損しないなら、反応してもいいじゃん! 少なからず、言いたいことを言ったらこっちの怒りも少しは治まるし!」と思う方もいるかもしれません。
でも、残念ながらデメリットがひとつだけあるんです。
こちらのツイートをご覧ください。
しっかり見られているんですよ、第三者に。
一連の不毛な行為を見て、少なからず「あいつ、わざわざエゴサーチしてまで反応してるぞ! だっせ~」と思う第三者がいるんです。
これが何を意味するのかというと、今まで自分のことを応援してくれていた人たちにまで「あいつはネットに悪口を書き込むヤツらと同じレベルだ」と思われてしまうということ。争いは同じレベルのひと同士でしか起こりませんから。
これこそが、唯一のデメリットであり、最強のマイナス要素だと私は考えます。
エゴサーチして、わざわざ絡みにいく時間があるなら、より良い作品が生み出せるように努力したほうが、何百倍も有意義です。
悪口や批判を完全にシャットアウトするのもいかがなものか?
「良い意見ばかり聞いていたら、作品がどんどんダメになっていくのではないか?」という声もあります。
たしかにそうかもしれません。
しかし、それは「○○の部分は良かったが、もう少し○○の要素を入れてみたらもっと良くなると思う」といった、具体的な意見だった場合。
そういう具体的な意見は、とても素晴らしいことだと思いますし、参考にするべきです。
私自身も、過去に何度もそういう具体的な意見を見て、なるほどと参考にさせていただいたことがあります。
しかし、「おもんない」「無理」「意味わからへん」「惜しい」というような書き込みの場合はどうでしょうか?
おもんない理由、無理な理由などが一切書かれていない意見の場合は、参考にしようがありません。
そもそも彼らが「おもんない」「無理」といった単語しか書き込まないのは、知識や語彙がなさすぎて、自分の気持ちを上手く表現できないからです。
自分の気持ちすら表現できないくせに、他人の作品は批判したいヤツらの意見にいちいち耳を貸す価値はあるでしょうか?
申し訳ありませんが、私はそういう人たちの意見は、おもんない、無理、意味わからへん、と思います。(人間的に)惜しい。
つまり、ここでも「相手にするだけ無駄」という結論に行き着きます。
たとえ、ただの悪口だとしても発言の自由ではないのか?
「発言の自由だ! 俺はそう感じたのだからそう書いた! 何が悪い! わざわざ絡みにくるな!」と怒る方もいるでしょう。
たしかに、一理あります。おっしゃるとおり。ごもっとも。
ということは、今こうして僕が書き込んでいることも自由でしょう。
発言の自由だ! 俺はそう感じたのだからそう書いた! 何が悪い! わざわざ悪口を書き込むな!
と、そっくりそのままお返しします。
そもそもさぁ、この記事自体がネットの悪口に反応しているダサい記事なんじゃねぇの?
ひえ~! バレた~!!
これには返す言葉がございません! その通りでございます!
反論できないので、そろそろ今回のまとめに入りたいと思います。
最後に
今回、このようなブーメラン記事を書こうと思ったのは、最近、立て続けに「創作活動がしたいけど、悪口を言われるのが怖いから何もできない」という若手クリエイター達に会ったからです。
正直、驚きました。
僕自身は、ネットの悪口なんて便所の落書きみたいなもんだし、野良犬がキャンキャン吠えているようなもんだと思えばいいじゃんという考えなのですが、そのことを伝えると、「いや、便所に悪口書かれていたら傷つきますよ。それに、野良犬に吠えられたら怖いし」と言われて、たしかにそうかもしれないと妙に納得してしまいました。
「批判を恐れているようなやつは創作する資格などない!」という意見もありますが、その考え方自体、古いのかもしれません。
これだけ社会にインターネットが浸透していれば、昔よりもはるかに飛んでくる誹謗中傷の数が多いことでしょう。
そんな「ネットの悪口」が少なからず、彼らの創作活動の妨げになっているなら、それはとてももったいないことだと思い、ネットの悪口を相手にすることが、いかに不毛なことなのか、いかにバカらしいことなのか、彼らに伝えたくて、この記事を書くことにしました。
心無い言葉に惑わされているクリエイターのみなさん、これからモノづくりの世界に飛び込もうと考えている若手のみなさん。
あなた達の「素晴らしいものを作って、この世を素晴らしい世界にしたい」という気持ちを、僕は応援しています。
あなたがノイズに惑わされることなく、素晴らしい作品を生み出すことを楽しみにしております。
(おわり)
【追記】2017/1/16
この記事は2013年に発表したものですが、「公開後にどんな反応があったか?」「何が起こったか?」という後日談を、『インターネット文化人類学』という書籍の中に書かせていただいております。
本記事に興味を持ってくださった方は、ぜひ、こちらもご覧ください。