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カオサンがバックパッカーの聖地として隆盛を極めた90年代に滞在していた沈没者たち。あの頃のカオサンを知る者が、この地を再び訪れるときまって寂しそうに、目を細めてため息をつく。

 

 

 

「カオサンは観光地になってしまった――」

 

 

 

確かに、カオサンロードを歩くと、子供連れの家族や年配のご夫婦、ばっちりと化粧をした女性グループ、おしゃれな服を着た若者たち、そういった旅行者を多く見かける。薄汚れたTシャツを何日も着回し、無精ひげをたくわえ、ボサボサの髪と色黒の肌。そんな昔ながらのバックパッカーはいるにはいるが、まるで街に溶け込むのを拒否するかのように、通りの片隅にひっそりとその存在を確認できる程度である。本来この街の主たる存在であった者たちのその姿は、奇異なものに映ってみえるのだ。

 

 

 

カオサンの安宿街は1978年、ボニーハウスの誕生に端を発する。当時、ベトナム戦争に従軍していたアメリカ兵は休暇先としてタイを利用していた。現代のように情報がない中では、空港でホテルを紹介されてそこに泊まるというのが一般的だった。そういったホテルの中の一つが、カオサン通りを一本またいだラムブトリー通りにある安宿ビエンタイホテルだ。このホテルの従業員でもあった後のボニーハウスの主人が、ビエンタイホテルで知り合った外国人旅行者達を自宅に泊めるようになり、それが徐々に口コミでヒッピー達の知るところとなっていき、ついにはカオサンロードのゲストハウス第1号が開業されたのだ。

 

 

 

その後スニーポンゲストハウス、V・Sゲストハウスと続き、多くの安宿が開業していくこととなるのだが、このカオサン黎明期に誕生したV・Sゲストハウスがその後のドラッグカルチャーとしてのカオサンのイメージを形成していくこととなる。当時、カオサンに来る旅行者たちの大半はヒッピーであり、彼らの求めているものはマリファナやヘロインを中心としたドラッグであった。V・Sゲストハウスは、そういったドラッグをヤミ販売し、V・Sに行けば安全にドラッグを楽しめるという噂が口コミで広がり、カオサンはドラッグを求める旅行者達の溜まり場となっていったということらしい。

 

 

 

 

 

 

 

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写真:カオサンの土産物店で売られているガラスパイプなどのドラッグ吸引器具。

 

 

 

80年代、バックパッカーというスタイルが徐々に認知され始め、貧乏旅行者が目指した先の多くがバンコクであった。格安航空チケットの入手が世界的にも最も容易な地であったため、貧乏なバックパッカーは必然的にバンコクの安宿街に集まることになるのである。当時、安宿街はチャイナタウンやジュライ・サークル周辺にも存在していたが、90年代に入り、チャイナタウン、ジュライ・サークルエリアの治安の悪化に伴い、治安の比較的安全なカオサンロードが注目を浴びる格好となり、多くのバックパッカーがカオサンに集まるようになった。

 

 

 

00年代に入ると、カオサンのドラッグカルチャーは徐々に衰退していく。海外旅行の敷居が低くなり、若者が気軽に海外へと出かけることができるようになった。必然的にカオサンを訪れる層も大衆化していくこととなり、ドラッグに無関係な旅行者も多く訪れるようになったのだ。また、バンコク警察のドラッグ取締り強化によって、ドラッグに対するリスクも高まった。こうしてドラッグカルチャーはカオサンのイメージを象徴するものではあるものの、現在では裏通りを通るとマリファナの臭いがするといったこともほとんどなくなった。

 

 

 

 

 

 

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また、ドラッグカルチャーの衰退に合わせて、カオサンの街も変貌していった。通りにはお洒落なお店や欧米のチェーン店があふれ、マッサージ店の価格も他の地区に比べて、多少割高になっている。外国人旅行者ばかりでなく、流行に敏感なタイ人の若者が、カオサンのナイトクラブに繰り出してくる。

 

 

 

確かにカオサンは今でも安宿街があり、格安の航空チケットも手に入る。しかしながら、ここを訪れる旅行者には少なからず、「あのバックパッカーの聖地カオサンを見る」という目的があり、それがファッションアイコンとして機能した結果、新たなカルチャーが形成されているのかもしれない。

 

 

 

 

 

たけしくんの痕跡

 

僕は早速、たけしくんの聞き込み調査を開始した。

 

 

 

手始めに同じドミトリー部屋にいたイタリア人の女の子に、ここに頭のおかしい髪型をした奴は滞在していないかと聞くと、そんな人はいないと言う。予想はしていたが、どうやらたけしくんはこのゲストハウスにはいないらしい。

 

 

 

ただ、彼女と話をしている時、僕と目を合わせないようにしているのが気になった。まるで何かを隠しているような反応である。カオサンに滞在している旅行者は、皆一様にフレンドリーで、バックパッカー特有のゆるい雰囲気を持っている人が多く、この反応には少し戸惑った。一瞬ちらっと、彼女が何かを知っているのではないかということが頭をよぎったが、その時はそのままスルーしてしまった。

 

 

次にA・Tゲストハウスのフランス人のオーナーに聞いてみることにした。彼は一階の受付の机に座り、しかめっ面でパソコンを睨んでいた。仕事中に声をかけるのは気が引けたが、後ろからこっそり画面を見ると、カードゲームに熱中していただけだったので遠慮なく声をかけた。

 

 

 

 

 

 

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画像を見せて、この大きなトリュフを頭に乗せた男を知らないかと尋ねる。彼は興味なさげに僕とたけしくんのツーショット画像をちらっと見て、これはお前かと画像を指差す。確かに画像には僕が写っているが、彼が指差したのはたけしくんの方だった。

 

 

 

どうやら長いカオサン暮らしでドラッグカルチャーに染まりきったこのフランス人オーナーには、アジア人の見分けもつかないらしい。やれやれという呆れた気持ちと、やりきれなさを同時に抱いた。彼に聞いてもこれ以上埒があかないと判断し、僕はわずかでも手がかりを掴もうと、カオサンロードへと繰り出した。

 

 

 

カオサンエリアは狭い。カオサンロードの隣のラムブトリー通りやマヨム通りなどを含めても、1時間もあればゆっくりと見て回れる。僕は露店をひやかしつつ、この地に詳しそうな人、つまりたけしくんの痕跡につながりそうな人を探すことにした。あせらなくてもいい。無職だから、時間はたっぷりあるのだ。

 

 

 

 

 

あてもなく歩く内に、僕はある違和感を抱いた。

 

 

 

 

 

僕がかつて訪れた時には、すでにカオサンは観光地化していた。今見比べてみても、数年前に比べて街の様子はさほど変わった様子はない。もちろん新しいお店が出来ていたり、露店の顔ぶれが変わっていたりといった変化はあるが、外国人旅行者の多さや、街の喧騒も相変わらずで、一種のテーマパークを思わせる賑わいは、前回同様、日常とはかけ離れていた。

 

 

 

しかし前回とは明らかに異なる点があった。街を歩いているとまるで、この街の人々から監視されている気がしてくるのだ。

 

 

 

それは現地民である店の店員だけではない。本来同じ立場であるはずの、旅行者からも視線を感じる。さらに彼らと目が合うと、僕を避けるようにさっと目を逸らす。前回来た時は、このような違和感はなかった。思えば、A・Tゲストハウスでもこのような違和感があった。イタリア人の女の子、フランス人のオーナー……。どうやらこの違和感は、気のせいではないらしい。

 

 

 

 

 

 

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