11/30
すごくよく眠った気がする。
建物を出ると、目の前にカフェがあることに気が付いた。
チェーン店のような洒落た外観なのに、看板が無く、店名も思い出せない。
「いらっしゃいませ」
入ってみたが客もいない。
洒落ている店内。空調がついてないんじゃないかってくらい弱く、上着を脱ぐことも出来ない。
追い打ちをかけるように、ホットメニューすらもない。なんなんだこの店は。
私は顔の見えない店員にアイスカフェオレを注文した。
BGMで浜崎あゆみが流れている。それは知っている曲で、既知感になぜか少し嫌な思いをした。
おしゃれな空間とは少しズレた音楽の中、コーヒーが出来上がるのを待つ。
カフェオレはすぐに出てきた。ふと、カップにメッセージのようなものが書かれていることに気づく。
チェーン店のカフェでよく見かけるやつだ。「Thanks:)」とか「勉強頑張って!」とか、なんか店員が好きに描くやつだ。
どんなメッセージなのだろう。嬉しいような、少し恥ずかしいような。そんな気持ちでカップをひっくり返してみた。
何て書いてあるんだ。俺のことがどう見えていたんだ。
ハートマークから察するにいいこと書いてある気がするんだけど全然読めない。どうしてアラビア語なんだ。
このカフェのことも何もわからない。
気になるので、通ってみようと思う。
12/1
今日は、なぜかまもなく死ぬ奴だと思われているようだった。
どうしてなんだ、昨日はちゃんと黒いスーツも着ていたのに。
死ぬつもりもないのになんか不安になっていってしまった。
メッセージのせいで集中が出来ない。
また明日行くことにしよう。
12/2
まだ死ぬ奴だと思われている。なんなら借金苦の人間だと思われてる。
12/3
本多忠勝の辞世の句だ。
辞世の句の中でも飛びぬけてガチで死にたくなさそうな句だ。
僕は死にたいわけじゃない。それだけは思い出せた。
12/4
知らない英単語なので辞書を引いた。
スカリフィケーションとは、身体装飾の一種で、皮膚に切れ込みや焼灼を行った際に形成されるケロイドを利用して肉体に文様を描くもの。
とんでもない英単語だった。
そんなことコーヒーに書いちゃダメだ。
ビックリしてコーヒーを落としてしまい、床を汚してしまった。
店員さんがすぐに掃除をしてくれた。申し訳ない。恨まれていなければよいが……。
12/5
めっちゃ恨まれてた。
知らない漢字なのに不吉なのがわかる。
明日は別の店員の時を狙って来店するしかない。
12/6
1人で来ているのに書かれてたら怖い。
幕間
あれ……?
彼女……?
……?
僕はこのカフェを……知ってる……?
「ずっと眠ったまま……」
「……でも意識はあるんだって、お医者さんが言ってたから、たくさん話すね」
誰……だ……?
12/7
書くな。ミスっても絶対書くな。
普段より少し薄味だった。
お詫びのつもりなのか、しょっぱいクーポンもついてきた。
明日使うか……
12/8
ここをメモにするな。
12/9
なんかすごく嫌だ。
「メタボですが何か?」って書いてあるTシャツ(オレンジ色)を着てるデブを見た時みたいな、別にいいんだけど少しイラっとするような。
12/10
昨日の店員だ。絶対そうだ。クビにした方がいい。
12/11
BAD BOYのロゴだ。
懐かしいな。
12/12
牛丼以外で使うな。
箱根で見た床屋の看板にも書いてあったけど、このフォーマットは「うまい」部分の信頼度が下がるんだ。
箱根……?
誰と行ったんだっけ……。
4/21
「……それでね、今はもう電車とかも動いてないんだよ。全部の交通機関が麻痺してるんだ。もう箱根も行けないねー」
目の前の女性が話をしている。
僕の身体は動かず、脳だけで聞いている。
「急に色んな事が変わっちゃって、みんな不安そうだよ」
「でも、海はなんにも変わってなかったよ。また一緒に行こうって約束、覚えてる?」
「早く元気になってほしいから、ひまわり、飾っておくね。私の大好きな花なんだ」
「きっとすぐに元気になるよ。また明日も来るね」
女性は、励ましてくれている様子だった。
ただ彼女が誰なのか、僕にはわからない。
12/13
クソみたいなポエムを書くタイプの店員に当たってしまった。
どういう目線でこんなこと書けるんだろうな。お前なんてほとんどの人にとって何でもない他人なのに。
12/14
チラッと見えたが、今日はイラストが描いてあるようだった。楽しみだ。どれどれ……
タトゥーでしか見ないタイプの絵だった。
12/15
そうだけど、そう書くな。
12/16
トロッコ問題をご存じだろうか
線路を走るトロッコの先に、5人の作業員がいる。
このままだと5人轢き殺されるが、自分はこの時線路の分岐器のすぐ側にいる。
自分がトロッコの進路を切り替えれば5人は確実に助かる。しかしその別路線でも1人の作業員がいる。
切り替えれば5人の代わりに1人がトロッコに轢かれて確実に死ぬ。
自分はトロッコを別路線に引き込むべきか?
という、倫理学の思考実験。
が、書いてある。
カフェであまり考えたくない問題だ。
12/17
ただ嫌な言葉が書かれてる。
12/18
ロブスターが書いてある。
コーヒーに海洋生物の絵はダメなんじゃないか。
スタバのセイレーンがいかに絶妙なチョイスだったのかがわかる。
12/19
喫茶店で明らかに怪しい勧誘を見ることもあるが、店員サイドから仕掛けてくる場合もあったのか。
12/20
浜崎あゆみのロゴが書いてある。
なぜだ。
5/30
目の前の女性が困っている。
「ごめんね、もう来れなくなっちゃうかも」
僕の身体は動かない。
「もうすぐ、ここも避難区域になっちゃうみたい」
口を開こうとするが、それも叶わない。
「多分あなたもどこかに疎開されると思う」
「海もまた一緒に見たかったけど、今は海の近くも危険なんだって。あのカフェも危ないかもね、なーんて」
「ちょっとの間さみしいかもしれないけど、すぐ会えるよ」
僕は何故、空調もなく居心地の悪いこのカフェに通っているのだろうか。
わからない。
ただ、浜崎あゆみは確か、この女性が好きだった歌手だ。
それだけが、なぜかわかる。
12/21
今日も来た。考えてみれば毎日通っている。
このカフェに行くことで、少しずつ記憶を取り戻している。
それは生きている理由のような気もしていた。
関わっちゃいけないタイプの店員だ。
12/22
また違うタイプの関わっちゃいけないタイプの店員だ。
明日は時間をずらそう。
12/23
クソッ、たかしだ。サインがこなれてきてやがる。
12/24
美味しくてもコーヒーに合わなそうな食べ物を書くな。
12/25
今日はクリスマスらしく、英語でメッセージが書いてあった。
筆記体でそんなこと書くな。
12/26
そんな入ってないだろ。
ウソップと同じ種類のユーモアじゃないか。
12/27
帰ってほしいんだろうか。
だとしても「ぶぶ漬け」だけ書くのは違うんじゃないか。帰ってほしい意思が出すぎだろ。
12/28
ドラえもんと、誰だ? 誰だこいつ? いたかこんなの?
本当にこれが最終回なのか?
6/4
「来れるの、今日で最後なんだ」
彼女は僕に語りかける。
「また、大きな爆弾が落ちるんだって。あ、大丈夫だよ、患者さんもみんな避難するから」
「でね、私たちの地元は安全みたいなんだ。あっちにとって大事な神社があるんだって。ホントかどうかわからないけど」
「元気になったら、思い出してほしいな」
「私、いつものカフェで待ってるからね」
12/29
段々と思い出してきた。
そうだ、僕はあれに巻き込まれて――
なんだ?読めない
12/30
それで、彼女が毎日、お見舞いに来てくれていたんだ。
読めないな、なんでだ。
12/31
で、彼女は――
1/1
彼女は――
どうしたんだったっけ?
1/2
彼女は、たしか――
1/3
今日もいつものカフェに来た。
客の姿は相変わらず見えない。
1/4
彼女は、そうだ、カフェで待ってるって――
1/5
いや、前も、海沿いのこのカフェに通い詰めていたような気がする。
椅子の座り心地が良くて、何時間でもいられたんだ。
1/6
そうだ、1日だけ、高熱で行けなかった日があったんだ。あの日に
1/7
今日も、いつものカフェに来た。
なんだか、いつもより意識がハッキリしてる気がする。
相変わらずカップには何も書いてくれなくなってしまったようだが……。
今日こそ、彼女について思い出せそうだ。
あの日に――
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