10年前のデアゴスティーニで3Dプリンターを作ってみた
購入したのは『週刊 マイ3Dプリンター』全55号。
10年近く前に発売されたシリーズで、すでに絶版となっているが、メルカリで破格の値段で売られているのを見つけたのだ。
デアゴスティーニでも、たとえば船の模型のような商品は、中古品でもさほど価格が落ちていない。むしろ絶版になって、価値が上がっているケースもある。
そんな中で3Dプリンターだけが安かったのは、当時より技術が進んで、既製品を安く入手できるようになったからだろう。
それに10年前のプリンターやソフトウェアがきちんと動作する保証は、どこにもない。サポートもとうの昔に終了してしまったようだし、正直つくっても動くかわからないけど、なんか勢いで買ってしまった。
こうして全巻を並べてみると、ボリュームに圧倒される。一気に全部作ろうとしたら、気が遠くなってしまいそうだ。「ちょっとずつ届いて作る」価値を早速実感している。
だから僕も、デアゴスティーニにならって、自分で「定期組み立て」をすることにした。ただし週刊ではなく、日刊だ。1日に1号、デアゴスティーニを開いては組み立てる。全55号だから、順調にいけば2ヶ月くらいで終わるはず。
こうして「日刊・セルフデアゴスティーニ」の日々が始まった。
創刊号から苦戦する
1日目は、創刊号。これまでは創刊号で終わる前提で買っていたから、勘で遊んでいた。だが今回はミスが許されない。
アクリル板に張り付いていた茶色の物体は、JUNERAYさんが指摘していたように、保護シートだった。10年の年季が入っているせいか、シートはべっとりと板にくっついていて、全然剥がれようとしない。
こんな感じで残ってしまう
悪戦苦闘しながら、爪で引っ掻いて削っていく。シートに負けて、爪がボロボロになる。
小さな部品は特に剥がれづらく、思いきり力を入れたところ、
パーツが折れた。やばい。
幸い、大して重要な部品ではなさそうだった(本当にそうか?)ので、なんとなかったものの、これでは先が思いやられる。
爪とパーツを犠牲にしながら、なんとか創刊号が完成した。
ちゃんと完成させた創刊号
すでにほのかな満足感がある。これまで創刊号を組み立てたことはあったが、明日につながる創刊号は初めてだ。2号が楽しみになってきた。
10日目に訪れた達成感
2号以降も、相変わらず保護シールを剥がすのが大変すぎる。間違えて、「週刊・保護シール」を買ったのではと思えてくる。
しかし、それ以外の組み立て作業は、思いのほかスムーズに進んでいった。工作の苦手な僕でも続けられるのは、説明書がかなり丁寧な解説をしてくれているおかげだ。
例えばネジ締めひとつとっても、締め方のコツを教えてくれる。締めづらい位置のネジ穴には、「アクリル板を本の上に置いて作業しましょう」というアドバイスがあった。
しかも「文庫本がおすすめ」と本の種類まで指定してくれる優しさである。ここまで親切にしてもらって、失敗するわけにはいかない。
そうやって10日目。第10号で、3Dプリンターの筐体が完成した。
すでに3Dプリンターっぽい見た目をしている。10号目にして、大きな達成感を覚えてしまった。もうこれで完成ってことになりませんか?
これだけ早い段階で「やった感」を覚えるのは、読者がモチベーションを維持できるよう、順番が設計されているからだろう。
僕はこれまで、「創刊号には象徴となるパーツが入っている」という自説を持っていた。しかし今回、続きを作ったことで、それに加え「早い段階で達成感が味わえるパーツが入っている」という学びがあった。
これでまた、創刊号の見え方が変わってくる。創刊号の蒐集家としては、これがわかっただけでも、作り始めた甲斐があったというものだ。
過去と未来を行き来する
折り返し地点たる一ヶ月が経過した。外では猛暑日が続いているが、僕はクーラーの効いた部屋で、ひとりマイ3Dプリンターを組み立て続ける。
ここまで毎日作業をして、一回の作業量は、号によって大きな差があることがわかってきた。
例えば簡単なものだと、「ネジを締めるだけ」みたいな、1分で終わるような号もある。
ネジを締めるだけの号
逆に難しい号だと、爪楊枝を使ってミリ単位の調整をするような作業もあり、あまりに落差が激しい。雑誌の分厚さからは作業量は読み取れない(分厚い号は、ただでかいパーツが入っているだけの場合も多い)ので、説明書を開くときは毎回緊張する。
そんな難易度が高い回でもなんとかこなせているのは、説明書の丁寧さに加え、「号ごとにパーツが分かれている」というのが大きい。
通常、大掛かりなプラモデルを作ろうとすると、大量のパーツを分類し、整理するところから作業を始めなければいけない。一方でデアゴスティーニは、その号で完結するパーツだけが入っているため、いまの作業とパーツの対応関係が明確なのだ。こんなところにも、分冊百科の良さがあるのだと知った。
ただし、たまに例外が存在する。
第14号でなんか部品が余るなと思ったら、後の号で使うので保管するよう指示された。だがそのパーツのサイズは、わずか3ミリ。3ミリの部品を無くさず保管する方法を、僕はまだ知らない。
そんな感じで、パーツを未来の号に向けて保管することをちょくちょく求められた。極端なケースで言えば、第3号で保管したパーツを、第40号で使ったこともあった。週刊だと考えると、保管期間は半年以上。もはやタイムカプセルである。
また逆に、「過去の号に遡る」というパターンにも遭遇した。例えば第22号には、第5号の訂正が入っていた。つまり第5号まで遡って、作業をやり直さなければならない。こうして何度か過去の号を訂正され続けると、次第に疑心暗鬼になってきて、先に未来の号を先回りして、訂正がないか調べたりした。
過去の号へ遡り、未来の号へパーツを託す。
マイ3Dプリンターを完成させるためには、まるでデロリアンのように、過去と未来を行き来する必要があった。
ラストスパートで物騒になる
40号を超えて、いよいよ終盤。
終盤はひたすら配線作業が続いた。作業の複雑性は増し、ひとつの号にかける時間も増えてきたが、ここまできたら引き下がれない。ケーブルのジャングルをかき分け、慎重に繋いでいく。穴という穴にケーブルを通し、結束バンドを通し、シャフトを通す。JUNERAYさんの指摘していた「穴が左右非対称にある」理由は、モーター付近には多くのケーブルが必要になるためだった。
これまで組み立てた部品同士がどんどん繋がっていくのは、伏線回収みたいで爽快である。ただし「ここで配線を間違えると火災の原因となります」など、注意書きがどんどん物騒になっていくので、決して気は抜けない。「文庫本がおすすめです」などと言っていた、牧歌的な時代がいまや懐かしい。
説明書通りに正しく配線しているつもりだが、何かを間違えているという不安が常につきまとう。どこかの号でミスをすると、以降はミスの上塗りとなる。ケーブルを繋げば繋ぐほど、逆に完成から遠ざかっていく気がした。
この作業が前半にあったら、きっと心が折れていただろうと思う。やはり前半は、意図的に作業ハードルが下げられていたのだ。『週刊ロビ』の創刊号があまりに簡単すぎたのは、そんな設計の最たるものであったのだと、今になって思う。
ついに完成……動くのか?
そして55日目。
ついにマイ3Dプリンターが完成した。
達成感よりまず先に訪れたのは、緊張感だった。これは3Dプリンターだから、組み立てただけでは終わらない。肝心なのはここからである。
果たして動くのだろうか? ていうか動かなかったら、この二ヶ月はなんだったのか? 立ち直れるのか?
震える手で、電源コードをコンセントに挿しこむと……
ランプが点灯し、冷却ファンが唸りをあげた。
動いたああああああああ!!!!!!!
気持ち良い!!!!!!!!!!!!!
ウィンウィンと音を立て、回るファンがとても気持ち良い。ファンの唸り音が、こんなに気持ち良いのは初めてだ。もっと唸ってほしい。音源にしてAirPodsで聴きたい。
しかし喜んだのも束の間、すぐに問題に直面した。
専用ソフトを立ち上げ、PCと接続。プリンターを操作しようとしたところ….それ以上動かないのだ。
嫌な汗が流れた。
画面を確認すると、右下に”Waiting for temperature”なるエラーが表示されている。
どうやら、プリンターの温度を取得できていないらしい。
マイ3Dプリンターは、フィラメントという原料を熱で溶かして、にゅうと押し出す仕組みになっている。だからプリンターが一定の温度に達したことを、ソフト側で認識しなければ、プリンターは動き出さない。
困った僕は、解決法を求めて「マイ3Dプリンター 動かない」で検索。そしてたどり着いた当時のユーザー掲示板では、発売当初に同様の症状がたくさん報告されていて、それに対し熱心に助言をする人々がいた。
10年前のアドバイスに従い、片っ端から対処法を試していく。配線を確認し、ソフトの再起動を繰り返してみたが、ダメだった。「マイコン(プリンターを制御するちっちゃいコンピュータ)の故障を疑った方がいい」という投稿もあったので、マイコンが同梱された37号だけを再購入して、新品に取り替えてもみた。
すると、なんと温度データの取得が始まったではないか。
データを取得している!
いいぞ!!!!!!
10年前の誰か、ありがとう!!!!
ちゃんと直ったことに自分でもびっくりしながらも、温度を確かめよう。プリンターはまだ加熱されていないから、最初はこの部屋の室温が表示されるはずだ。大体26度くらいだろうか?
そうして表示された温度は……
158度。
水星に住んでる?
なぜだ。明らかに高すぎる温度が表示されている。いきなり158度だと認識したから、安全装置が働いて3Dプリンターもやっぱり動かない。
僕はうなだれた。2ヶ月かけて、完成したのは冷却ファンが回る箱。しばらくしっかり落ち込んだが、映画『ルックバック』を観たらやる気が戻ってきたので、再び原因を追求することにした。
しかし仮説がありすぎる。新品とはいえ、このマイコンも10年前のものであることに変わりない。ソフトが古いせいかもしれないし、ケーブルが断線しているのかもしれない。10年という年月は、あらゆる不具合につながりうる。ユーザー掲示板にも、これを乗り越えるための回答はなかった。
今日も気温38度の猛暑日だ。外では蝉が盛んに鳴いている。僕はクーラーの効いた部屋で、158度の表示を睨みながら、ファンがウィンウィン回る音に耳を澄ませた。
たどり着いた真の醍醐味
……そして1週間後。
僕は、
Amazonで既製品の3Dプリンターを購入していた。
組み立てた『マイ3Dプリンター』は、いまだに動かない。不具合の原因を追求するうちに、実際の3Dプリンターの挙動を確かめたくなったのだ。3Dプリンターを作るために、3Dプリンターを買う。自分でも何をやっているのか、もうわからない。
格安の既製品プリンターは、その安さにもかかわらず、組み立て不要で、電源を入れただけで動いた。便利すぎ。テストデータの印刷を薦められたので、プリントボタンを押すと、そのままヘッドが動き始め、フィラメントが溶け出していった。開封してからここまで、わずか10分。拍子抜けするほどスムーズだ。僕は冷却ファンを唸らせるだけで、二ヶ月かかったというのに。
テストを終えたのち、今度は自分で描いた3Dモデルを印刷してみることにした。
これまで毎日一号ずつ、組み立て作業と並行して、デアゴスティーニに付属する冊子を読んで勉強してきた。おかげで、ごく簡単な3Dモデリングならできるようになっていたのだ。
冊子で学んだ通りにモデリングをしながら、作業用BGMとして、マイ3Dプリンターの冷却ファンを回す。ファンが唸る。ファンだけはいつも調子がいい。この音を聞くと心が静まる。
そもそも分冊百科の起源は模型ではなく、百科事典にある。だからモデリングの知識を得た時点で、本当の目的は達成したはず —— ウィンウィンと唸るファンが、僕の捧げた二ヶ月間をそう慰めてくれるようだった。
完成したデータを、既製品に同期する。
プリンターが温まって、押出機が忙しなく動き始めた。
輪切りのように、溶けたフィラメントが幾層にも重なっていく。僕はその様子をじっと観察する。
奥がX軸のモーターで、シャフトを押出機が移動して、リミットスイッチで位置検知して……自分で3Dプリンターを組み立てたことで、随分とその構造に詳しくなった。
モノが印刷されるなんて魔法みたいだ、と以前は思っていたけど、今では仕組みをある程度理解できている。なんだかちょっと、世界の解像度が上がったような気がする。
半分くらい印刷を終えた頃、インターホンが鳴った。
宅配便だった。
届いたのは、マイ3Dプリンターの30号と31号。温度センサーの部品を入れ替えてみようと、再購入していたのだ。
僕は既製品の動きを参考にしながら、再度マイ3Dプリンターの修理を始めた。
スムーズに動く既製品の横で、動かないマイ3Dプリンターのネジを緩めた。10年前の掲示板を探りながら、動作を確認した。
そしてパーツを入れ替え、自作のマイ3Dプリンターを再起動したところ……
一瞬だけ動いて、すぐに止まった。
一緒に息も止まるかと思った。一瞬すぎて、写真にも撮れなかった。だが確かに、マイ3Dプリンターが動作しかけた瞬間を、この目で捉えた。
鼓動がドクドクと高鳴っている。
画面を確認すると、また新しいエラーが出ていた。がっかりした反面、実のところ、僕は少しワクワクもしていた。エラーの原因を考えて、ちょっといじって、また動かしてみる。この試行錯誤の過程が、一周回ってなんか楽しくなってきたのだ。バイク好きが古いバイクをいじるように、こうやって自分で手を動かして、ちまちまと調整を続ける。この過程にこそ、分冊百科の醍醐味があるのかもしれない。
しばらくして、既製品から印刷終了の合図が鳴った。こちらは設計通りのものを出力できたようだ。今日の作業はここで終えて、明日また両方のプリンターをいじってみよう。
明日は既製品で、何を作ってみようか?
自作品の、どこを修理してみようか?
そんなことを考えながら窓を開けると、むわっとした夏の湿気が部屋に飛び込んできた。
動くプリンターと、動かないプリンター。
これからもきっと、2つのプリンターが僕を楽しませ、笑顔にしてくれることだろう。
そう、
まるで、
コメディアンのように。
(おわり)