20日目
あれからしばらく経つが、自分の身には何も起きていない。
人形は、「手元で見たい」と言われて、奥原さんに送った。6日以上経っているが、奥原さんも健在だ。人形を手にしてからの筆者の経験についていろいろ興味を持ってくれて、あれ以来ひんぱんにやり取りをしている。
人形についてはまだいろいろと分からないことが多いが、もはや推測することしかできない。
他人の家庭事情に踏み込むのは本意ではないが、おそらく高東教諭の身内に不幸があった。そして失意のなかにいた高東教諭は、地元に伝わる伝承「おかんぎょさま」を思い出した。彼は自ら人形を作り、生徒たちに噂を広めた。確実に人形の効果が出るように、ちょっとだけ、内容を変えて。
生徒Aの前に、誰が人形を持っていたかは知る由もない。ただ、もしかしたら生徒Aは”3人目”だったのかもしれない。
少なくとも現時点でまだ、生徒Aと高東教諭の消息はわかっていない。
ひとつ気になることがあって、奥原さんに連絡をした。
絵本ではぼかされている、物語の結末―。「複数のパターンがある」と言っていたが、どんなものがあるのだろうか。
「そりゃあもう、思いつく限りいろいろですよ。子供が本当に帰ってきたとか、鬼がやってきてあの世に連れていかれたとか。確かに子供が帰ってきたが、六郎の子とは似ても似つかない不気味な子供だった、なんてバージョンもあります」
思いをはせる。高東教諭のもとには、いったい何が来たのだろうか。
「共通しているのは、すべて”あちら側”から来たもの、ということぐらいでしょうか。これも絵本には描写がありませんが、人形自体が”あちら側”から何かを呼ぶためのマイルストーンの役割を果たしているんだと考えられているんです」
「なるほど……」
「ひとつ、気になったことがあります」
「なんでしょう?」
「今申し上げたように、人形はマイルストーンなんですよ。”あちら側”の存在は、人形をめがけてやってきます。加味條さん、インターフォンが鳴って、誰もいなかったことがあったとおっしゃってましたよね」
「こうは考えられないでしょうか。すごく、背の低い人物がいたと」
(おわり)