おおきちが育った街「西尾久」

攻守交代。

今度は僕の通学路をマンスーンと歩きます

僕が生まれたのは、東京都荒川区にある『西尾久』という街。最寄り駅は都電荒川線の小台という駅だ。小6までこの街に住んでいた。

 

マンスーンの実家とは意外と近かった。

 

▲18年振りに降りた小台駅前でツーショット

 

 

そうそう! 駅前ってこんな感じだったわ! あっちの道にこぐちゃんの家があって、こっち行くと僕ん家で……。

 

 

小暮くんこと、こぐちゃん。妹のみゆちゃんがかわいい。こぐちゃんママからバレンタインチョコを貰ったんだけど、恥ずかしくて食べられなくて、ずっと机にしまっていた覚えがある。

 

すごい! どうでもいい思い出が! 芋づる方式に溢れ出てくる!!

 

多分、読者の方にはこの感動がサッパリ伝わっていないと思うので、各自5番目くらいに仲良かった友達のエピソードを思い出して欲しい。

なにか溢れてくるものがあるはずだ。

 

通学路へ

ということで、元・自分が住んでいたマンションに到着。ここから通学路を歩きます。

 

マンションを見て思い出したことがある。

 

「あ、俺、この裏口でウンコ漏らしたことあるわ!」

 

18年ぶりに見た懐かしの家。出てきたのは糞のエピソード。マンスーンさんもそうだったけど、通学路でのお腹壊しエピソードは誰もが1個は持っているのではなかろうか?

 

 

 

 

ああ! この文房具屋のガチャガチャに泣かされたの覚えてる! 当たりがミニテトリスですげー欲しかったんだよね。それで200円入れて回したんだけど、出てきたのが『くっさいクリーム』ってヤツで。

 

『くっさいクリーム』?

 

 

絵の具みたいな容器に臭いクリームが入ってんの、腐った魚の匂いって書いてあった。生まれながらにして消化試合って感じの商品でさ。あまりにも悔しくて、ふて寝したの覚えてるもん!

 

ガチャガチャに泣かされた俺も、もう大人だ。もう泣かない(SPEEDのWake me up!風に)。

リベンジをするべく、18年ぶりにこの店のガチャガチャを回した。

 

 

大当たりはトランシーバー。こういうハイテクグッズが当たりのガチャガチャって、未だにあるのね。

 

ガチャッ

 

 

起き上がりこぼしが2個出ました。涙が出てきた。

 

マンスーンも挑戦。

 

 

これは……『キーホルダーの輪っか部分』……。のみ!?

 

 

『くっさいクリーム』を超えるハズレを18年越しに引き当ててしまった。

 

 

 

ちなみに、カメラマンとして同行したライター神田も同じく『キーホルダーの輪っか部分』が当たっていました。被害者が増えたね!

 

読者の方には全く伝わらないのは分かっているのですが、言わせて下さい!

 

「ここドムドムだったのに、オリジンになってる!」

 

僕にとってのファースト・ファストフードは、マクドナルドじゃなくてドムドム。地元にドムドムしかなかったから、逆にマクドナルド憧れが強かったな。

 

 

 

エヌ・マートじゃん!!

 

すいません。読者の方は本当に興味がないと思うんですけど、俺の“はじめてのおつかい“はここなんす!

粉末のミロを飲みたかったけど、溶かす牛乳がなかったので、親にお金をもらってここに買いに来たのよ! でも、間違えて乳飲料の『ラブ』を買ってしまったんだよネ……。

 

俺の脳はこんなことまで覚えているのか。別のことを覚えてくれ、効率のいい仕事のまわし方とかさ。

 

 

 

▲通学路の途中にある『高橋書店』。ランドセルを背負ったまま、少年ジャンプを立ち読みしてたな

 

 

ああ! また、思い出した! 俺、ここで「俺はあえての『ボンボン』だ!」って思って、ボンボン派になったんだよね!

 

 

なにそれ?

 

 

「あえてのボンボン」エピソード

当時、クラスメイトのほぼ全員がコロコロコミック派だった。この高橋書店で。コロコロとボンボンが隣同士に並べられていたのを見たおおきち少年はは「みんながコロコロなら、ボンボンは俺が支えないといけない!」「俺はあえてのボンボンだ!」と使命感を感じて、買い続けたというエピソード。

 

この影響でマイナーなものを好むようになった気がする。ボンボン派が人生を失敗しがちなのって、この時代に共感性を学べなかったからって予想してるんだけど、どう?

 

 

主語がデカい、偏見です。

 

 

元・ボンボン派は人生で超成功してて欲しい。

 

 

   

こんな感じでしょうもなエピソードを思い出しながら話し、通学路を歩いた。他にも以下のようなエピソードであった。

 

・『ピンポンダッシュ』という言葉を作ったのは俺

・友人宅の玄関前に、落ちていたAVを置き、拾うかどうかを物陰から見てた

・学童保育所で『Sケン』『水雷艦長』『プラ板』で遊ぶ

 

どうだい? どうでもいいだろう?

 

ということで、我が母校『尾久宮前小学校』に到着した。この校門前で、知らん兄ちゃんが「プレゼントあげるから、このテストを記入したら、ここのポストに入れといてよ」って言って、テストを配っていた。あれ、絶対悪どいビジネスだったよな……。

 

おおきちはどんな生徒だったのよ?

 

 

めちゃくちゃなイタズラっ子だったのを覚えてますね……。意味もなくマンションの上から水風船を投げたり、エッチな電話番号(Q2ダイヤル)に電話しまくって、高額な通話料を請求されたり……。当時SNSがあったら、絶対イタズラ動画をアップして炎上してるタイプですね。

 

時代が違ってよかったね…… 。

 

 

▲卒業アルバムより小1の俺。なんで右手を怪我してんだよ!

 

▲卒業アルバムより小6の俺

 

ということで18年ぶりの通学路は、思った以上に記憶を掘り起こすツルハシであった。

今回は友人と一緒に歩いたのだが、彼女やパートナーとお互いの通学路を歩き、知らん話を聞くデートも多分面白いはず。

 

バーチャル同級生。インターネットで本名すら知らない人と繋がる時代だからこそ、面白くなる遊びではないだろうか?

 

ぜひ、お試しあれ!

 

 

▲昔、通ってた駄菓子屋がまだ営業してたことに興奮した。

 

まあ、小学校時代も良かったけどさ……

 

ある程度自由になるお金があって、居酒屋に入れる大人も最高っすよ!

 

と、帰りの居酒屋で思った次第です。