ディストピアもののフィクションが好きだ。
高度に管理された全体主義社会。退廃して未来のない世界の中でそれに疑問を持たない大衆。『1984年』『ゼイリブ』『マトリックス』……狂った世界観はまさに現実の合わせ鏡で、私たちの生きる世界が正常だという証拠などないということを叩きつけてくる。
そして今日、ディストピアSFの主人公のように、私ははっきり宣言したい。「この世界は狂っている」と。
何が言いたいのか。一言で説明するとこういうことだ。
かき氷、デカすぎ。
かき氷って基本のサイズが異様にデカくないですか? あれどういうことなの?
たとえば「アイスクリーム」って普通
これくらいじゃないですか。これくらいの量が普通とされているじゃないですか。
それがなぜ、かき氷になった途端に
馬鹿なのか。
それでこの氷山を食べて言ってることが「かき氷って頭いたくなるよね~」ですよ。当たり前だ。
このサイズが特に「超デカ盛り」と認識されてないこの世界、相当狂ってると思うんですがみんなはどうなんだ。
夏になると「かき氷のシロップはどれもほとんど同じ味」という豆知識が披露されている。しかし私に言わせればそんなものは些末な問題だ。それよりも量なのだ。過去にかき氷の量を「このくらいが適正」と定めた奴がいるのだろう。こいつは何を考えていたのだ。お前のせいで未来がめちゃくちゃになってしまったぞ。
勘ぐるに、コスパの問題なのだろう。アイスクリームとかに比べるとかき氷は原価が安い。売値350円と同じ原料費でかき氷を作ったら、それはもうこのくらい大量になると。
いや、でも、それはおかしい! と声高に言いたい。売値に合わせて胃袋の都合を無視してしまうな。チロルチョコの最低価格が400円とかになって、10センチ四方の巨大なやつしかなくなったらSEKAI NO OWARI ではないか。
かき氷の売り方のベストは「安く・そこそこの量を・大量に売る」のはず。客単価を上げようとして、めちゃめちゃな量感覚をスタンダードに設定しようとする陰謀を感じる。そしてそれをみんな受け入れてしまっていないか。あの「ずんもり」とした量こそが、かき氷の醍醐味だと洗脳されていないか。
それはペテンだ。きみたちは不当に大量の氷を食わされている。
早く誰か気づいてくれ。騙されるんじゃない!
思うに、私たちが生きているこの世界って何かズレたパラレルワールドで、正史は別にあるんじゃないでしょうか。そっちの「本当の世界」ではちゃんと、かき氷も奥ゆかしいサイズなんだと思います。
でもここは因果律が狂って生まれてしまったディストピア。
その名も、デカデカかき氷世界線α。