あれは一体なんなんだ。
観覧車というやつは。

 

あれはなんだ、君。随分と大きいそうじゃないか。観覧車は。丸の内のビルディングなんかより大きいのもあると聞くぞ。
高いだけじゃなく、横に広いと聞いた。塔というよりは、巨大な輪だ。その輪に、等間隔にゴンドラがぶら下がっていて、人を乗せて、ぐるぐるぐるぐると円の軌跡を描いて廻るのだろう?

 

わたしは本当に、観覧車のことを考えると身も凍る思いなんだ。

 

きっと頭のいい学者が風雨で倒れたりしないように巧妙に設計して、巨大な丈夫な合金を組み合わせて作ったのだ。甚大な量の電気を流して、あの輪っかを回している。そんな風景が私にはひどくおそろしい。

 

なあ、君。
高いところを見るためにそこまでするものかね。

たしかに高所は気持ちいい。ハイキングで山登りなんかして、目下に広がる木々の見晴らしを前にすると胸のすく思いだ。しかし、だからと言って、だ。「やあ、高くて気持ちがいいね」と言うためだけに、あれだけの途方もない人力駆動装置をこしらえる必要がどこにあるというのだろう。そういうものを狂気の沙汰というのではなかったか。

ジェットコースターというものも狂気の沙汰だが、あれはまだ理解できる。滑走する乗り物がすごい速さでひっくり返ったり回ったりしてキャーキャー叫ぶのは、死の危険というスリルを求める本能に従っていると感じられる。戦争や格闘技に通ずる理解可能な熱狂だ。
しかし観覧車は違う。ただ「高い」というだけなのだ。若いカップルに観覧車は人気だと聞くが、中でどんな会話をしているのかなんて知れたことである。

 

「高いね」
「高いわ」

 

これだけだ。たったこれだけの言葉を引き出すために、理性ある人々が多数駆り出されて観覧車を設計し、建築してしまった。ジェットコースターとは一線を画した穏やかな狂気がここにある。

 

台場に行くと、近代的なビルディングが立ち並ぶ中で巨大な円が光り輝いている。パレットタウン大観覧車。下から見上げた大きさを想像すると、いつも腰を抜かしそうになる。設計から完成までどれほどの労力がかかったことか。ただ円の軌道を通って帰ってくるために。

 

てんとう虫を手に乗せて指を立てると、上に向かって歩き出す。そういう習性が人間にも備わっているのだろうか。人が観覧車を作ったのは本当に人の意思なのだろうか。私たちは、人知を超えた何かに操られているのでないか。

 

観覧車は本当におそろしい。

 

 

 

以上で、校長先生による卒業式の挨拶を終わります。

全員、起立。

 

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