「大きなかぶ」が抜けて一同は抱き合って喜びあったが、それもつかの間の出来事だった。眼前に横たわる大きなかぶを見て、おじいさんの心は急速に冷めていったのだった。
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考えてもみたまえ。大男10人分はあろう「大きな」「かぶ」だ。両手ほどの大きさのかぶですら1日で食べきることは難しいのに、こんなに大きなものになるとどれほど時間がかかる事か。
私はかぶを使った料理を思い浮かべてみた。
ポタージュのようなスープ、肉料理との付け合せ、漬物といった料理を想像した。
どれもこれも、どうにも気分が高揚しない。きっとかぶそのものが、食べ物として「主役」になり得ないからだろう。
さらに厄介なのは、このかぶを抜くのを手伝った面々への対応だ。
あまりの大きさに手伝いが必要だと考え、私は自分の妻を、妻は孫娘を呼んできた。ここまではよかった。
孫娘は何を思ったか、犬を呼んできたのだ。
犬に何ができるんだと思ったが、なんと人間のようにかぶを引っ張るではないか。しかも「うんとこしょ、どっこいしょ」と、器用に言葉まで発音する始末。
私の知っている犬というものは、四つん這いでワンと鳴き、できる仕事は羊を追い回すくらいのものなのだが、この犬は一体何者なのだろうか。
そして犬は猫を、猫はネズミを呼んできた。
こいつらも同じように、人間のような振る舞いをするのだ。
犬、猫、ネズミの3匹(もうここまでくると3人と言ってしまってもいいが)を見ると、チラチラとこちらに目線を送ってくる。きっと手伝った礼を期待しているのだろう。妙なところまで人間臭い。
何かお返しをしなければならないが、犬も猫もネズミも、かぶを食べるなんて話は聞いたことがない。かぶのお裾分けというわけにもいかないから、別途用意しなければならない。
こんな田舎には、小洒落た菓子折りなんてものはない。今日のところはいったん帰ってもらい、後日車を数時間走らせ、街の高島屋まで行かねばなるまい。
そういえば以前、隣村に住むジジイが森にしかけた罠に大きなイノシシがかかり、親戚全員でなんとか家まで運び込んだと言っていた。
その夜はシシ鍋で多いに盛り上がり、食べきれないぶんは燻製にして、ご近所に配ったのだとか。
確かに肉だと盛り上がるだろうな。
だが、こちらは「かぶ」だ。
何故うちはかぶなんだ。世の中不公平じゃないか。