突然のLINE

こんにちは。フリーライターをやっている者です。

普段は脱毛サロンの体験記事とか、社長インタビューの文字起こしとか、そういう文章を書いて生計を立てています。

 

ある日のこと。高校の同級生・矢口から、突然LINEが来ました。

 

『久しぶり!生きてる?笑 

実は最近、人生観変わるくらいの凄い出会いがあってさ。

お前には絶対聞いてほしいと思って。今度軽くお茶でもしない?』

 

……。

 

臭う。臭うぞ。

社会に出てから何度か嗅いだことのある、あの独特のスメル。

これは十中八九、ネットワークビジネス、マルチ商法です。あるいは新興宗教か?

 

矢口とは、高校の文芸部で3年間一緒だった男です。

とはいえさほど仲が良かったわけではありません。顔を合わせればちょっとした会話くらいはしていましたが、これといった関係値はゼロ。私からの印象も、「内向的な眼鏡のオタク青年」みたいな感じです。

そんなどこにでもいるような文系男子が、卒業から7年経って、見事なテンプレLINEを打ち込んでくる立派な大人(?)に成長していたわけです。

普通なら既読スルーか適当に理由をつけて断るところですが、その時の私はちょっと魔が差しました。

 

「これ、ブログのネタになるんじゃないか?」

 

同級生にマルチに勧誘された実録ルポ。ことの成り行き次第で、いい記事になるかもしれない。

私はいつの間にか、友達の結婚式でもお葬式でも、常に頭の片隅で記事のタイトルや構成を考えてしまうような、ライターとしてのイヤな職業病に染まっていたんですね。

 

 

罠だと分かっていて踏み込むのは、罠にかかったことになるのだろうか。

そんな呑気なことを考えながら、私は指定された喫茶店に向かうことになります。

 

 

いざ、決戦の喫茶店へ

 

決戦の地は土曜の午後2時、駅から少し歩いたところにある個人経営の喫茶店でした。

 

コーヒー1杯700円くらいする、ちょっと落ち着いた雰囲気の店。

相手に「ここはちゃんとしたビジネスの場だ」と錯覚させるための店選びですね。セオリー通りで感心します。

 

(出典:消費者庁

ちなみに私は、前の晩に消費者庁のサイトを熟読し、国民生活センターの事例集をスクショして、完璧な理論武装を済ませてから臨んでいました。論破してやる気満々です。

 

店内は静かなジャズが流れていて、雑音はほとんどありません。

こんな静寂の中で金の話をするのかと呆れつつ奥の席に向かうと、矢口はすでに座っていました。

 

 

「うぇーい! 久しぶり!
いやー、全然変わってないね!」

 

 

開口一番、彼はやたらと高いテンションでそう言いました。コミカルな身振り手振りも含め、昔の大人しかった彼からは想像もつきません。

それにしても、矢口は驚くほど小綺麗になっていました。糊の効いた白シャツに、整えられた眉、清潔感のある短髪。昔の面影は笑ったときに見える八重歯くらいしかありません。

 

 

「最近どう? ライターやってるんだって? 充実してる?」

「まあ、ぼちぼちだよ。矢口は? 今何やってるの?」

「俺? 俺はねえ……」

 

そんな近況報告の会話もそこそこに、本題が始まりました。

彼はいま会社を辞め、「個人でビジネスをやっている」そうです。とにかく今は自由な時間を使って、周りの人にこのビジネスを紹介して回っているらしいです。

そして、私が水を飲んだ絶妙なタイミングで、彼は不自然なほど自然な動きで左手首を持ち上げました。

そこには、黒い石が連なった数珠のようなブレスレットが光っていました。

 

魔法の石と不労所得

 

「あ、気になった? これ、オシャレでしょ」

 

葬式帰りだったとしても変だぞ、それ、とは口に出しませんでした。

 

「……数珠?」

「惜しい。これ、ちょっと特殊な鉱石でさ。悪いエネルギーを防いでくれるんだ」

 

はい。出ました。「悪いエネルギー」。

そこからの彼のトークは、息継ぎのタイミングまで完璧に計算された見事な営業台本でした。
要約するとこんな感じです。

 

南米の特定の火山でしか採れない神聖な石である
●電磁波や他人の嫉妬、そして何より「自己否定」という一番悪いエネルギーを防いでくれる
量子力学の応用である(???)
●つけた翌日から目覚めが全然違う(※個人の実感です)
●会員になって周りに紹介すれば、マージンが入って不労所得(権利収入)になる

 

「俺を誘ってくれた人は34歳でもう不労所得だけで生活してる。今度セミナーがあるから、騙されたと思って一回だけ会ってみてほしい。絶対に考え方が変わるから」

 

熱弁を振るう矢口。

先月の家賃はもう権利収入だけで払えたと、自慢げに笑っていました。

 

すごい、と私は心の中で拍手を送りました。

すごいのは、自分がピラミッドの底辺付近で小銭を拾わされているだけの末端に過ぎないのに、あたかも資本家サイドに回ったかのように錯覚できるその無邪気さがです。

「不労所得」とドヤ顔で語りながら、こうして休日の昼間にせっせと新規勧誘の泥臭い営業活動をしている時点で、それは立派な労働収入だと思うのですが。

私はそんな冷たいツッコミを脳内で記事の構成案として組み立てながら、表面上は「へえ、すごいね!」と感心したふりをしていました。

 

そして彼は、自分の腕からブレスレットを外すと、テーブルの真ん中にコトリと置きました。

 

「一回つけてみなよ。とにかく実感してみてほしいから」

 

い……嫌だ。

私は丁重にお断りしましたが、ブレスレットはそのまま灰皿のようなポジションに鎮座し続けることになります。いや、なんでそこに置いた。

 

「まあ、石の凄さはこれくらいにしてさ」

 

矢口はグラスの氷をカラカラと鳴らし、少しだけ前のめりになりました。

 

今日お前を呼んだのは、一緒にこのビジネスをやらないか誘いたかったからなんだ。この石のスターターキット、初期費用で3万8千円かかるんだけどさ。でも、お前なら来月には絶対回収できる。俺が全力でサポートするから、一緒に人生変えてみない?」

 

いよいよ、ひとしきりの説明を終えて具体的な勧誘フェーズが始まりました。

……受けて立とうじゃないか。ブログのネタになるしね。

 

 

理論武装 vs 想定問答集

ここからが私のターンです。昨晩の予習の成果を見せるときだ!

私はおもむろに言いました。

 

「それって特定商取引法第33条で定義されてる連鎖販売取引だろ。さらに同法第33条の2の『氏名等の明示義務』違反だ。勧誘を始める前に自分の名前と、それが勧誘目的であることを相手に告げる義務があるはずだけど、今日お前それ言った?」

 

沈黙する矢口。

 

完璧にやり込めた、と思いました。具体的な条文番号まで持ち出した法的根拠は、こういう場での最強の武器です。

しかし、矢口は顔色ひとつ変えません。

 

「ああ、ごめんごめん。じゃあ改めて。俺は矢口です。今日は君にビジネスの話をしに来ました。――これでOK?」

 

そして鞄から、分厚いクリアファイルを取り出し、中から数枚の書面をテーブルに並べました。

 

「心配しなくても、うちはちゃんとした顧問弁護士がついてるからさ。連鎖販売業に必要な概要書面も契約書面も全部法的に完璧なものを揃えてるよ。もちろんクーリングオフも20日間きっちり対応するし、さっきの石の話も『※効果には個人差があります』って必ず添えられてる」

 

私の反論すら、想定問答集にはきっちり組み込まれていたんです。

彼のうろたえる姿を見られると思っていた私は、正直ちょっとたじろぎました。

でも、ここで引き下がるわけにはいきません。

 

「いや、でも『自動的に儲かる』みたいな言い方も違法だろ。消費者契約法第4条第1項第2号の『断定的判断の提供』にあたるし、特定商取引法第34条の不実告知にも——」

「俺、『うまくやれば』って言ったよね。うまくやれなきゃ当然儲からない。嘘はついてないよ」

 

 

そして矢口は、私のスマホ画面(国民生活センターのスクショ開きっぱなし)をチラリと見て、ニヤッと笑って言いました。

 

「……てか、やけに詳しいね。わざわざ調べてきてくれたんだ?」

 

その見透かしたような態度が悔しくて、つい感情的な言葉が出てしまいました。

 

「……いや、でも、下っ端が在庫抱えて泣きを見る構造になってるのは同じだろ。倫理的にどうなんだよ。はっきり言うけど、それただの詐欺だろ!」

 

静かな店内に響いた自分の声は、思っていたよりもずっと大きなものでした。

隣の客が目を丸くしてこっちを見ています。気まずい。

 

そして突きつけられた現実

しかし。

矢口は私の感情的な大声にも全く動じませんでした。

 

呆れたように小さく息を吐くと、テーブルに広げていた書面をゆっくりとクリアファイルに戻し、パタンと閉じました。

彼は手元のグラスのアイスコーヒーを一口飲みました。

そして、まるで「ここから先はもう営業台本ではない」と告げるかのような、落ち着き払ったトーンで言いました。

 

「本当はさ、最初からそう思ってたんでしょ? マルチの勧誘だってわかってて、記事のネタにでもしようとして来たんじゃないの?」

 

図星でした。

 

「最初から俺の目的がわかってたんなら、なんでわざわざ誘いに乗ったの? なんで今日、ここに来たのよ」

 

私は苦し紛れに言いました。

 

「……久々に会って話したかったんだよ」

 

矢口はふっと鼻で笑います。

 

「へえ。久々に会って話したかった相手に、スマホで消費者センターのページ開きっぱなしにして向かい合うんだ。相変わらず趣味悪いね、お前」

「それは……お前が変なビジネスなんかやってるからだろ!」

「大方、俺がマルチにハマってる哀れなやつだって見下して、ブログの面白おかしいネタにでもしようと思ったんだろ? 『昔の同級生に数珠を売りつけられた話』みたいなタイトルつけてさ。お前のやりそうなこったよ」

「……別に、そういうわけじゃ」

 

否定しようとしましたが、言葉は空を切るばかりでした。矢口は私の狼狽を楽しむように、さらに言葉を重ねます。

 

「お前さ、いまフリーライターやってるんだっけ。今日来る前にネットで名前検索したら、色々出てきたよ。脱毛サロンの体験記事とか、どこの誰とも知らない社長のヨイショインタビューとか。……高校のとき、お前なんて言ってたか覚えてる?」

 

その言葉に、私は嫌な汗が背中を伝うのを感じました。

 

「……『俺はウェブに消費される言葉じゃなくて、紙の本として後世に残る文章を書きたい』って、部室で偉そうに語ってたよな。あれ、すげえカッコよかったよ。で、その後世に残る文章ってのは、VIO脱毛の痛みを面白おかしくレポートすることだったわけ? まあ、結構スベってたけど」

 

私は無理に笑顔を作って言いました。

 

「……わかってないな。仕事は仕事だ。綺麗事だけじゃ飯は食えない。俺はちゃんと金をもらって文章を書いてるプロなんだよ。お前みたいな怪しい石を売るのとは次元が違う」

「プロね。じゃあ、ライフワークの方はどうなの? ほら、カクヨムで連載してたやつ」

 

私の心臓がドクンと跳ねました。なんでそこまで知っているんだ。あのペンネームは高校時代の知人には絶対に教えていないはずなのに。

 

「あれ、なんだっけ。そう、『残響のレクイエム』。あれ、もう1年3ヶ月と20日くらい更新止まってるじゃん。どうしたの? 後世に残す前に作者の手が止まっちゃってるけど。もしかして俺と同じで『悪いエネルギー』にでも当てられた?」

「あれは……構成を練り直してるだけで、一時的に休載してるだけだ。プロットの再構築に時間がかかってるんだよ」

「へえ、1年3ヶ月も? トルストイでももうちょっと筆が早いんじゃない? 本当はもう、続きを書くモチベーションなんてどこにもないんじゃないの? 才能がないって現実に直面するのが怖くて、『今は休んでるだけ』って言い訳して逃げてるだけだろ」

「ちが……!」

 

矢口の声は決して荒らげることなく、淡々としていました。それが余計に、私のなけなしの自尊心を切り刻んでいきます。

 

ここでやっと確信しました。

彼は今日会う前に、私のことを徹底的にネットで調べ上げていたんです。

SNSのアカウントから過去の執筆履歴まで。

私が昨晩、国民生活センターのページを読み込んで彼を論破する準備をしていたのと全く同じように。

 

「お前こそ、どうして俺なんかにこんなモン売りつけようと思ったんだよ。俺の性格的にこういうのに引っかかるわけないのはわかってただろ」

「……うん、わかってたよ。お前が絶対に買わないことも、こうやって浅知恵で上から目線で説教してくることもね」

 

矢口は残っていたアイスコーヒーを飲み干すと、カチンと氷の音を立ててグラスを置きました。

 

「じゃあ、なんで……」

「顔が見たくってさ」

「……は?」

「俺が捨てた世界に、まだしがみついてるやつの顔を直接見たかった。才能がないのに夢を諦めきれず、大した努力もせずに『自分には可能性がある』って思い込みながらジワジワ腐っていく。そういう滑稽な姿を見て、『ああ、俺はあっち側に残らなくて本当によかった』って心底安心したかったんだ」

「ふざけんな、お前……!」

「ふざけてないよ。おかげでスッキリした。本当にスッキリしたね。俺はお前みたいに、何も行動を起こさないで言い訳だけうまくなるような人生は絶対に送らないって、今日ここで確信できたからさ」

 

言葉に詰まる私を、矢口は椅子に深く背を預けたまま、冷ややかな目で見ました。

 

「昔からそうだよな。お前、そうやってちょっとズレてる人間を『イタい奴』として観察して実況中継するの好きだったろ。でも、残念だけどさ、部活のとき、お前はどっちかっていうと完全に『イタい側』だったからな」

 

「……は?」

 

「自分が『やれやれ』って顔で周りを見てるつもりで、実は全員から気を遣ってもらってたこと、本当に気づいてなかった? 高2の夏合宿の夜さ、みんなでウノだっけ? トランプだっけ? やって盛り上がってたとき、お前一人だけわざとらしく部屋の隅の畳んだ布団に座って文庫本かなんか読んでじゃん。そのくせこっちの会話に『いやそれ◯◯な?』とかいってツッコミ入れる形で混ざってくるだろ。女子の先輩なんて『話しかけられ待ちわかりやすすぎ』って声殺して爆笑してたし。あの徹頭徹尾受け身のくせに上からな態度なんなんだよ。それともお前の中では『楽しく会話した思い出』になってるのかな?」

 

頭の中が真っ白になりました。嘘だ。あんなに和気あいあいとしていた文芸部で、そんな。

 

「合評会だってそうだ。他の部員の作品に半笑いでつまんねえ揚げ足取りみたいな指摘ばっかしてるから煙たがられてたよ。お前の書くラノベもどきだって相当イタかったけど、誰も面と向かって言わなかったのは、お前のプライドが異常に高くて、指摘したら不機嫌になってゴニョゴニョ言ってくるのが面倒くさいって全員わかってたからだ。みんな大人だったから『雰囲気が独特ですごいね』って当たり障りなく褒めてたんだ。お前一人だけだよ、自分が本当に一目置かれてるって勘違いしてたの」

 

「…………」

 

「そして今も全く変わってない。こうして底辺のマルチ業者に落ちぶれた俺を論破して記事のネタにしてやろうってドヤ顔で乗り込んできたんだから」

 

そう言われると、私は何も言い返せませんでした。

 

「俺はもう吹っ切れてるんだよ。まっとうなレールから、自覚を持って踏み外したんだ。クリエイティブな才能がないって思い知ったからね。どん底まで落ちたら逆に楽になった。今の俺は自分が何者か一秒で答えられるよ。便所の溝のカスだよ。お前は言えるか?」

 

言えませんでした。

痛いところを徹底的に突かれた屈辱と、図星を指された惨めさが、ついに臨界点に達しました。

 

「お前はお前でどうなんだよ! 自分が傷つきたくないから最初から勝負に参加してないだけだろ! まっとうな人生の勝負から逃げた臆病者が、人の人生に偉そうに口出ししてんじゃねえよ!」

 

気づけば私は立ち上がり、バンッと乱暴にテーブルへ両手をついていました。その大きな音に驚いたのか、ガチャンとグラスが倒れる音と共に、近くの席から短く悲鳴が上がりました。

その音で、それまで涼しい顔を保っていた矢口の表情が、初めてピクリと歪みました。狡猾な詐欺師の仮面から、等身大の苛立ちが顔を出した瞬間でした。

 

「……声がでかいよ。みっともない」

「みっともないのはお前だろ。友達を騙して、こんなおもちゃみたいな石を売りつけて小銭稼ぎしてさ。自分は特別な人間になったつもりか? 現実はただの犯罪者の一歩手前をウロウロしてるだけだろうが!」

 

矢口は小さく舌打ちをすると、眉間にシワを寄せて私を睨みつけました。

 

「俺は少なくとも、誰かの用意した土俵で文句言いながらすり減るだけの人生からは抜け出したんだよ。お前みたいに、何一つリスクを背負わず、安全な場所から石を投げてるだけの傍観者と一緒にすんな」

「リスク? 詐欺の片棒担ぐことがリスクをとるってことかよ! 違うだろ、お前は表舞台で真っ当に勝負するリスクから逃げただけだ。自分の底の浅さを直視するのが怖くて、『あえてレールを踏み外した特別な自分』っていう安いアイデンティティに逃げ込んでるだけじゃねえか!」

「……なんだと?」

「さっきから『どん底まで落ちた』だの『自覚を持って踏み外した』だの、アウトロー気取って酔いしれてるみたいだけどな。やってることは、何年も連絡してない同級生を呼び出して、原価数百円のガラクタを3万で売りつけるだけの、最高にダサくて凡庸な小銭稼ぎだ」

「その通りだよ。でも俺はもうそれを受け入れてるんだ」

「……いや、わかるよ。お前、ほんとは自分のことを便所の溝のカスなんて思ってないだろ」

「……」

「いつもそうやって人を騙したあとは、一人で自己嫌悪に浸る時間もあるんだろ? 『本当は俺だってこんなことしたくない』って、心のどこかでは純粋な自分を持ってるつもりでいやがるんだ。ヒトの金をくすねておきながら、『他者を傷つけながらも傷ついてる自分』みたいな安っぽい感傷を後生大事に抱え込んでる。……そういう、何重にも卑しい奴の目をしてるよ、お前は。お前のその薄っぺらい自尊心、見てるこっちが恥ずかしくなってくるね」

 

矢口の目が怒りに細められました。

 

「……凡庸? 薄っぺらい? よく言うよ。お前、高校二年の文化祭のこと覚えてるか?」

「あ?」

「文芸部の部誌だよ。俺が初めて書いたファンタジー小説、お前に読ませただろ。あの時お前、なんて言ったか覚えてるか? 『設定は面白いけど、テーマが浅くて消費されるだけのラノベみたいだね。長く記憶に残る文章にはならないかな』って、偉そうに酷評したよな」

「それは……お前が率直な意見を聞きたいって言ったから」

「嘘をつけ。俺の才能のなさを確認して、心底安心してた顔だったよ。内心じゃ『こいつは俺より下だ、俺の方が特別だ』って見下して、自尊心を保つためのエサにしてたんだ。お前はそういう卑劣な人間なんだよ。今回だってそうだ。俺がマルチに落ちぶれた哀れな奴だから、説教して優越感に浸るためにわざわざノコノコ会いに来たんだろ」

「うるさい! 少なくとも俺は、お前みたいに人を騙して生きてはいない」

「だからなんだよ。表舞台で勝負してるふりをして、実際は1文字1円にも満たないゴミみたいなキュレーション記事をコピペして小銭稼いでるだけじゃないか。長く記憶に残る文章はどうした? お前のその高邁なプライドの結晶である『残響のレクイエム』とやらは、いったい誰の心を動かしたんだよ。誰にも期待されてないし、誰の人生にも影響を与えられない。俺のビジネスを詐欺だと喚くなら、一度でも誰かの心を動かして、お前の言葉で3万8千円の価値を生み出してみろよ。誰の記憶にも残らないお前の凡庸な人生に、1円でも値がつくのかよ」

 

静かなジャズが流れていた店内はすっかり水を打ったように静まり返り、周囲の客の視線が私たちに突き刺さっていました。
数秒の沈黙の後、私はふと、喉の奥に引っかかっていた小骨のような違和感に気づきました。

 

「……なあ。さっきお前、俺の小説の更新が止まってる期間、1年3ヶ月と20日って言ったよな」

 

矢口の表情が、一瞬だけ不自然に硬直しました。

 

「……それが?」

「日数まで即答できるのは、昨日の夜に俺の名前を検索しただけじゃ出てこない精度だ。更新通知も来ないページを、毎日毎日リロードしてないと無理だ。……お前、読んでたのか? ずっと」

 

矢口の顔から、狡猾な詐欺師の仮面も、先ほどまでの怒りも消え去り、何の表情でもないものが覗きました。

 

「捨てた世界の顔が見たかった? 嘘をつくなよ。お前はまだ、俺以上に未練だらけなんだ。お前が毎日俺の小説のページを開いてたのは、俺が夢を叶えるのが怖かったからだろ。でも俺が全然ダメで一年以上も筆を折ってるから、安心してたんだ。自分の挫折を正当化するために、俺の才能が枯れ果てるのをずっと監視してたんだよ」

「……」

 

言葉を吐き出す口の動きが止まらなくなっていました。まるで、唾液にまみれた舌そのものが思考しながらのたうっているような感覚でした。

 

「お前はここに、高二の合評会のやり直しをしに来たんだ。あのとき酷評された処女作の代わりに、今度はこの『魔法の石が悪いエネルギーを防ぐ』っていう、設定もガバガバなチープな新作ファンタジーを携えてな。お前がこの詐欺商売の台本を作り込んできたのは、俺を論破するためじゃない。お前は今でも『面白い物語』を書きたいんだよ。でももう小説は書けないから、営業トークっていう最低のフィクションで人の心を動かして、代替してるんだ。そして今日は、その実績をひっさげて俺にリベンジを挑みにきたんだ。『どうだ、今度は上手く書けてるだろ』って。俺に褒めてもらいたかったんだろ。スラスラ罵倒してくる台詞は、家で練習したのか?」

「……」

「……なあ、お前をこの詐欺商売に誘った34歳ってのはさ、要するに、お前の書いたテキストを初めて褒めてくれた人なんじゃないのか? だとしたら笑えるよ。お前は起業家でもなんでもない。昔の同級生に処女作をけなされた小さいトラウマを引きずって一生懸命膨らませて、犯罪まがいの舞台装置まで用意した、最高に哀れでイタい三流の物書き志望だよ。誰よりも『自己否定を防ぐ石』を必要としてるのは、他でもないお前自身だろ」

「————うるせえなぁ」

 

低い、絞り出すような声でした。

しかしすぐに、矢口は口の端だけで笑い直しました。温度を完全に失った、冷たく濁った目でした。

 

「ご高説どうも。じゃあ俺からも一個だけ教えてやるよ。お前さ、さっきから記事の構成考えながら喋ってるだろ。今のやりとりの、どこを見出しに使うかとかさ。自分にとって都合の悪い部分はカットしようとかさ。最後の編集権は自分にあると思ってる。お前は傷つくことすら一人称でできないんだ。全部三人称に演出してからじゃないと、痛みひとつ受け取れない。そんなんだから、あんな空っぽの文章しか書けないんだよ」

「…………っ」

「『残響のレクイエム』、読んだって言ったよな。あの主人公さ、最後まで何もしてないよな。重要人物っぽいけど、世界が壊れていくのを高台から眺めて、気の利いた独白だけしてて、はっきり言って読むのが苦痛で仕方なかったよ。お前は小説の中でまで、安全な場所から見下ろしてるだけの観察者なんだ。そこに自分を置かないと気がすまないんだ。いま傷ついて流れてる血をそのまま描けない奴なんだよ」

 

矢口はテーブルの上の安っぽい石のブレスレットを、哀れむような手つきで私の前に滑らせました。

 

「お前やっぱり、ブレスレット買えよ」

 

「……は?」

 

「3万8千円は高すぎるだろうから、特別に原価の1000円に負けてやるよ。俺とおそろいの数珠をつけてさ、その魔法の石にすがって、自分は特別な人間なんだって慰めながら、これからもせいぜい安全な場所で観察者を気取って生きていこうよ」

 

私は財布から千円札を乱暴に取り出し、テーブルに叩きつけるように置き、立ち上がりました。

それを見てニヤつく矢口に私は言いました。

 

「これはコーヒー代だ。帰る」

 

店をあとにしようとする私の背に、矢口の声が浴びせられました。

 

「今日のこの話、全部包み隠さず記事にしてみたら? 俺の実名、出していいからさ」

 

 

喫茶店の重いドアを押し開けると、排気ガスとまとわりつくような夏の熱気が、冷え切った体を容赦なく包み込みました。

 

(おわり)

 


応援コメント(3)

お名前:カフェインレス
これ、実話ベースですか? 生々しすぎてちょっと胸が痛くなりました……。


お名前:作者
コメントありがとうございます! じつはこれ、実話なんです。
あのとき、喫茶店で、二人の隣の席に座ってて、驚いてグラスを倒しちゃった客が私です(笑)。
お二人とも結構声が大きくて丸聞こえだったのと、話の内容からだいたいどういう関係性か透けて見えたので、勝手に記事のネタにさせてもらっちゃいました。さすがに人名とか固有名詞はフェイク入れてますが。
(会話が妙に鮮明なのは途中から録音して……ゴニョゴニョ)
このあとしばらく定点観測してたんですが、彼、結局あの日のことを記事にはしなかったみたいなので、代わりに私が書かせていただきました。いやー、若いってすごい!

問題あったら消します(笑)


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お名前:名無し
殺すぞ