血と肉片に塗れた夕暮れの教室で。
私は、ただ立ち尽くしていた。

からっぽの教室、その床には、制服を着た女子生徒が俯せに倒れていて。
彼女の右肩から先は、すっぱりと無くなっている。

数間先に転がっている彼女の、右腕があった部分からは──じわじわと赤黒い血液が流れ出ていて。

そのあまりにも凄惨な光景を、私はただ呆然と眺めていた。

「これは──」

力なく立ち尽くす私の足元で。

物言わぬ彼女の肩が、電気信号による反射のように、ひくりと痙攣した。

 

話は戻り、先週の週明け。

私が通っている高校では、他校で起きた「例の出来事」の噂が、早くも知れ渡っていた。

曰く、私たちと同年代の男子生徒がひとり、右目を抉られ、血塗れの状態で発見されたと。

放課後、その学校には救急車が訪れ、それなりの騒ぎになったとのことであった。

そこは、地域では有名な私立のエリート校である。

監視カメラの類も多数設置されており、外部の人間が無許可で入ったらすぐにアラートが鳴るはずなのだが、そういった兆候も一切なかったそうだ。

放課後、教室から突然の絶叫を聞いた一般生徒が、現場へ向かったところ、室内には件の生徒がひとり転がっていて──。

その右目はまるで無理矢理に抉り取られたかのように、どこかに無くなっていたらしい。

「最近──その、物騒なことが多いからな。不審者には十分に注意して、夜遅くまで学校に残らないように」

帰りのHRのさなか。
担任の先生は、明らかに言い淀んでいた。

それはそうだろう。

他校の生徒の眼球が何者かに抉られたなど、教員の口から云えるわけがないのだから。

八列ある席のいちばん右端、その後方に坐っている男子生徒が手を挙げる。

「先生。こっちの列、プリント一枚余ってます」
「あ、すまん。どこか足りなくなるはずだから、後ろの五人で調整しといてくれ」

先生はそう言って、私が座っている辺りの席を見遣った。

四十人に満たないうちのクラスでは、最後列は私の席を含めて五つしかない。
廊下側、つまり右後ろの三席分が空白になっている状態である。

彼の席に最も近い私が席を立ち、廊下側の生徒から余りのプリントを貰っている間──。

教室の生徒がひそひそと、様々な話をしているのが漏れ聞こえた。
好奇と恐怖が綯交ぜになった瞳で。

「ねえ。聞いた? あの高校の」

「先輩の友達があそこの生徒らしくてさ」

「本当? ねえあれってマジなの、その、大怪我した人が──」

「変な『儀式』をしてたって噂」

その話を流し聞きつつ、プリントを左隣の生徒に渡して着席する。

頬杖をつき、廊下の窓を見ながら──。
私は、その事件のことをぼんやりと考えていた。

無論、件の事件のことは、私も知っている。

好奇に彩られた噂をクラスメイトから伝え聞くだけでなく、その噂が自らの「仕事」にも関係しているからである。

 

私は。
学生生活の傍ら、所謂「霊媒師」をしている。

先天的に得た、とある能力によって。

と言っても、テレビや小説でよく見るような、悪霊を次々と退治できる、華々しい力ではない。

無力化できるモノの「範囲」が少々特殊なため、滅多に仕事は来ないが、一応の情報だけは警察機関から回ってくる。
先ほどの事件に関する内容も、同様に知らされていた。

つまり、その事件は明らかに「人ならざるもの」が関係しているらしい、ということである。

当然ながら秘密裡の仕事だ。
理窟っぽい性格・・・・・・・が災いして、親しい友人などほぼいないので、別に情報漏洩に気を付けるまでもないのだが。

下校時刻。
ひとり帰路を歩いていた私は、周囲に人がいないことを確認してから、普段使いのものではない業務用のスマートフォンを開いた。

専用のメッセンジャーアプリには、
【██町で発生した特別事案に関して】と題された、とても簡素なメッセージが届いていた。

その内容は、学校で聞いた噂とそこまで変わらない。

被害者は一人の男子生徒。

一命を取り留めてはいるが、意識回復後も要領を得ない発言が続く。

彼は放課後、とある儀式を実行し、その結果として片目を失ったと主張。

その儀式の名前は──。

「ねえ」

そこで。

「君は、知ってるの?」

不意に後ろから声が聞こえた。

「──あれ。驚かせちゃった、かな」

私の後ろ、ばつが悪そうに微笑するその人は、
灰色の制服ブレザーを見る限り、同じ学校の生徒であるようだった。

色素の薄い茶髪を肩まで伸ばした彼女に、私は全く見覚えがなかったのだが。

「…………えっと。あなたは」
「え」

硝子細工ビイドロめいた瞳を見開き、彼女は驚いた声を上げた。

「隣に座ってるソラだよ、ひどい」
「あれ、そうでしたっけ」

ねえそれほんとに言ってる。けっこう傷ついたかも。

彼女は分かりやすく落胆した素振を見せ、覗き込むように私を見た。

「英語の授業とかさ、ペア学習のときは隣同士だから、二人で授業受けてたじゃんか。結構仲良かった、と思ってたんだけどな」
「……それは、何というか。本当にごめんなさい」

そんな人を、自分は忘れていたのか。

流石に罪悪感を覚えて謝ると、彼女はひらひらと手を振った。

「いいって、もう忘れないでね。で、それより──あの噂のこと」

その声色が、まるで秘密の話でもするような語調トーンに変わる。
若干声を落として、彼女は私の目を見た。

「ソラちゃん、結構気になっててあのこと。理乃リノちゃんは何か知らないの?」

「……いえ、特に何も。というか、なんでそれを私に」

「え? だって隣の席だし。あと例の事件があった高校に知り合いいないから、誰か知らないかなって」

「そう、ですか。ごめんなさい、私もそんな顔が広いわけではないから」

そっかあ、と間延びした声音で彼女は言って。

「まあ、何かあったら聞かせてよ。また明日」

喪服のように黒い革靴をかつりと鳴らし、彼女は私に手を振った。

 

翌日。

校内での噂は、より精度の高い、仔細ミクロなものに変わっていた。

「あ。ねえ、あの噂さ、男の子が血塗れで倒れてたって、前聞いたじゃん?」

「うん」

「その人、なんでか、スマホ握りしめてたんだって。見つかったとき」

「スマホ? なんで。通報でもしようとしてたのかな、というかあそこ携帯禁止じゃなかったっけ」

「や、確か『私物の携帯を校内で使用すること』が禁止なんだよあの高校って」

「ほーう?」

「だから電源を消して持ってくるのは黙認されてたし──防犯用のなんか、あるじゃん。電話とショートメールとGPSだけのやつ。あれは、届出さえすれば学校でも大っぴらに使えるらしくて」

「へえ。さすが私立のお金持ちだ」

それらの情報は、私が警察から伝え聞いた情報とも、それほど相違はなかった。

うちの学校全体に箝口令が敷かれるのも時間の問題だろう。

そして、ソラと名乗った昨日の女子生徒は、私の右横の席で、クラスメイトと様々な話に興じていた。

不意に、その話の矛先が自分に向けられる。

「ねえ。リノちゃんは、『怪人アンサー』って知ってる?」
「──まあ、ざっくりとは」

「本当? 例の事件で、スマホ握りしめてたその人がやってた『霊を喚び出す儀式』、らしいんだけど──どういうやつなの、それって」
「え? えっと──」

2000年前半にネット上で流行した創作都市伝説。
複数の電話端末を使って行う。

全員が同時に、隣の端末に電話をかける。

すると通常であればすべてが「通話中」になるところが、一つの電話だけが「怪人アンサー」に繋がる。

その所有者に対して「怪人アンサー」はどんな質問にも答えてくれるが、最後に「怪人アンサー」からも質問がなされる。

それに答えられなかった場合は、不正解になった生徒の体の一部分を奪われる。

いわば、「こっくりさん」の電話版のような儀式である。

 

私は、詳細な情報を話さないように注意しつつ、ウィキペディアレベルの知識を、雑に切り貼りするように話した。

「えー、怖」

彼女は、本当に怖がっているのか否か判断のつかない笑みでそう返した。

「じゃあさ。その人は『不正解』になって、目を抉られたってこと? 最後に来る質問って、どういうやつなの」

「諸説あるけど──よく児童書とかテレビの再現ドラマで言われるのは、到底答えられないほど難しい質問、ってことらしいです。今から100万秒後は何年何月何日ですか、とか」

「なんそれ。地球が何回回ったとき、みたいな」

あれ、でも。
彼女は何かに思い至ったように首を傾げる。

「当時、その人って『一人』だったわけでしょ? 本当に何かに繋がったなら、どうやって電話をかけたの。他に誰かいたってこと?」

「──そこまでは、分かりません」

そう。

そこに関しては、情報を隠しているのではなく、本心から返答した。
その点は、未だに分かっていないのである。

意識が回復した当人は、まだある方の目をぎょろぎょろと動かしながら──。

はっきりと「一人で怪人アンサーに遭った」と返答している。らしい。

しかし、儀式の規則に照らし合わせるのであれば、それを単独で行うことはできないように思われる。

別の第三者がいたのか、何か他の方法があったのか──。

いずれにせよ「儀式」の実例サンプルが足りず、まだ不透明な情報が多い状況だった。

しかし、だからといって、その儀式を人体実験のように試してみることはできない。

いくら警察が秘密裏に対応を進めている案件といえど、実験動物として使える消耗品Dispossibleの職員などいるはずもないのだから。

だが、このままぐずぐずとしていると、儀式の内容を誰かが興味本位で行い、第二第三の犠牲者が生まれるかもしれない。

限られたリソースによるジレンマの中、その怪異に対する捜査は停滞していた。

「そりゃそうか。──でもだいぶ怖いね、それも含めて」

彼女はそう言って、私もそれに頷いた。

 

「一人での外出は避けて、出来る限り固まって下校するように」

帰り際、奥歯に何かが挟まったような口調で、先生が言う。

「ねえ。今日、一緒に帰らない?」

放課後の喧騒のさなか、彼女は私に声をかけた。

彼女は、黒い学生鞄に加え、なぜか犬の散歩に持ってくるような小さい箒とレジ袋を持ち、正面玄関で靴を履き替えた。

「ごめんね、急に一緒に帰ろうなんて言って。先生も言ってたけど、色々物騒だから」

「──いえ。別に、大丈夫です」

校門の前では、いくつかの乗用車が停車し、帰宅する生徒を待っていた。

学校まで子供の送迎に来る車の数は、ここ数日で随分と多くなった気がする。

「にしても、怖いねー。例の『怪人アンサー』だっけ」

「……そうですね」

やや昏くなった帰路をふたりで歩く。

それほど車や人の通りが少ない帰り路の途中、私たちは寂れた踏切に差し掛かった。

地元では開かずの踏切として知られるそれは、今もかんかんと音を立てて道を塞いでいた。

「怪我した人も心配だけど、問題はその儀式だよね。何があったんだろ」

「……あの」

私は黒縁の眼鏡越しに、数歩先で立ち止まる彼女を見遣った。
薄暗い夕陽の逆光で、その表情は判然としない。

「なに?」

「私、『霊媒師』をしてるんです。生まれつき変な能力があって、たまに変なモノの調査や無力化に動くことがある。能力の範囲が限られてるから、あまり多くは呼ばれないんですけど」

「……ほうほう?」

首を傾げる彼女を余所に、私はそのまま言葉を継ぐ。

「よく勘違いされがちなんですが──『幽霊』だとか『怪異』だとか言われる存在って、いくらこっちの道理が通じないからといって、一切合切が『なんでもあり』なわけじゃないんです。彼らには彼らの道理ルールがあって、それに基づいて振舞ってる」

「──まあ、そりゃそうだろうね。地縛霊は世界中を飛び廻れないだろうし」

「そう。怪異には怪異なりの道理がある。だから、怪異は理詰めでも殺せるんです・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「……どういうこと?」

踏切の音が響く中、彼女は顎に手を当てた。

「ものすごく雑に言うと、私は【嘘をついた怪異を無力化できる】。力を使える条件が限定的だから、他の人よりは使い勝手が悪いけど、その一点に関してはそれなりに強いと思います」

「……よくわかんないかも。っていうかそれ、ただのクラスメイトに言っていいの?」

「はい。だって、クラスメイトじゃないので

先日の記憶を思い返しながら。

私は、漆色の逆光に塗り潰された彼女を見上げた。

「うそつきですね、あなた」

いつものように、頭の中で、いくつもの《情報》を機械的に積み上げながら。

《これまでに確認された情報①》
八列ある席のいちばん右端、その後方に坐っているひとりの生徒が手を挙げる。

四十人に満たないうちのクラスでは、最後列は私の席を含めて五つしかない。

廊下側、つまり右後ろの三席分が空白になっている状態である。

 

 

「うちのクラスの席は、八列で構成されている。最後列は私の席を含めて五つしかない。八かける四たす五、つまりクラスは全部で三十七人。最後列は窓側に詰める形で配置されているから、廊下側、つまり右後ろの三席分は空白になる」

「うん」

「前、先生がプリントを配ったとき──私は廊下側いちばん後ろの生徒から余りのプリントを貰いました。理由は当然、私がいちばん近かったから。私は最後列の右端にいて、右隣に座る生徒はいなかった・・・・・・・・・・・・・

「え? でも」

「そう。今日、あなたは私の右隣にいて、前からそうだったと主張しました」

《確認された情報②》
「英語の授業とかさ、ペア学習のときは隣同士だから、二人で授業受けてたじゃん。結構仲良かった、と思ってたんだけどな」

「でも、三十七人のクラスで、なぜ私とふたりでペア学習ができるんでしょう? このクラスの人数は素数だから、どうしても最後列の端で一人が余る。例外的に奇数グループを組むことはあるでしょうけど、少なくともあの席配置で、私が『右隣の生徒と』『ペア学習で隣同士』にはならないはずです」
「…………」

《確認された情報③》
昨日の女子生徒は私の右横の席で、クラスメイトと様々な話に興じていた。

「直感だけど──この世界に、何かの綻びが生まれる気がするんです。まるで、人じゃない何かが、私に嘘をついているみたいな気配が」

情報の矛盾を確認。
無力化の準備に移行。

無力化対象:空(ソラ)を名乗る女子生徒らしき存在

「改めて質問します。あなたは、いったい誰なんですか? あなたのために言いますが、もう《嘘》は吐かない方がいいですよ」

遠くで警笛が響いている。

「……あは」

彼女は、少し笑って。
手に持っていた袋と箒を私に手渡した。

「ごめん、ちょっと持っててくれる?」

「え? はい」

そして、次の瞬間。

彼女は満面の笑みで制服を翻し、遮断機を飛び越えて。

「もうばれちゃったか」

遊園地にいるみたいに弾んだ声でそう言うと、

「流石だね、やっぱり」

笑顔でこちらを向いたまま、

何の躊躇もなく線路の上に降り立った。

 

直後、車が轟音とともに通り過ぎていく。

私の頬に温かい何かが付着した。

「え?」

電車は、減速も停車もせず通り過ぎていった。

あまりの事態に、思考が硬直する。

焦茶色の線路には、油粘土がへばりついた粘土板のように、肉片が撒き散らされていた。

遮断機へぶら下がるように絡まった頭皮と制服のなれはてが、辛うじて彼女の痕跡を示している。

 

私は踏切に駆け寄って──そこで気付いた。

彼女だった肉片は。

痙攣するようにひくひくと蠢いている。

それらは粘着質な音を立てながら、再び一箇所に集まりかけていた。
まるで、今まさに、その肉体が再生しているかのように。

その再生速度は、少しずつ、加速的に大きくなっていき──。

「──ふう」

十数秒後、顔の上半分がまだ抉れたままの彼女が、笑顔で立ち上がってこちらを向いた。

「それで、何の話だったっけ」

 

彼女は、少し残った脳漿や肉片を箒で片付けながら。

朗らかな態度を崩さないまま、話を続けた。

「つまり、このソラちゃんも捜査のために、クラスに入ってたわけ。君と違って狭義の『人』ではないんだけど、見た目の上ではそんなに変わんないから」

彼女が左手に持つコンビニの袋には、場違いなほど凄惨な液体が少量溜まっている。

「ちゃんと認識も弄ったつもりでいたけど──ばれる人にはばれるもんだね、やっぱり」

彼女はそう言って笑った。

色々な質問事項を飲み込み、私は冷静を装って質問する。

「ちなみに、捜査、というのは」

「君も知ってるでしょ。『怪人アンサー』の捜査だよ。ちょうどリノちゃんの力と相性がよさそうだったから、同じクラスに入ることにした」

「相性?」

すっかり再生が終わった、硝子細工のような瞳を、彼女は私に向ける。

「デスルーラって知ってる?」

「デスルーラ?」

「ゲーム用語。敢えて別の言葉で表すなら『死に戻り』。何回か意図的に『死ぬ』ことで理論上の傾向と対策を見つけ出して、そこで得た攻略法を基に敵を倒す、みたいな意味」

「はあ」

考えてみてよ。
私の頬を指で拭いながら、彼女はそう言って笑った。

「今、君の目の前には、実質的に無限の『残機』が存在する。そしてあなたは、人じゃないモノの道理に理論上の『バグ』を見つけることで、そのバグを潰すことができる。言いたいことは、分かるかな?」

「…………ああ」

数秒ほど考えたあと。

つられるように、私も口角を上げた。

「なるほど」

そういうことか。

 

 

数日後。

ふたりは、誰もいない放課後の教室へ集まっていた。

急遽通達された短縮日程により生徒は出払い、どの教室ももぬけの殻になっている。

彼女は、私が印刷した複数枚のコピー用紙を見ながら、「じゃあ」と声を出した。

「ソラちゃんがこれを実行すれば、『怪人アンサー』は無力化できるんだね?」

「たぶん。予想が合っていれば、行けると思います」

「分かった」

そう言って、彼女はスマホを取り出した。

プライベートで使用しているものと、仕事で使用しているもの。

私や件の男子生徒と同じく、いわゆる「二台持ち」であった。

彼女はその二台を動かしながら呟く。

「言われてみれば、確かにそうか──あの学校の男の子は、どうやって一人で怪人アンサーを呼び出していたのかと思ったけど。一人で二台を動かせば、提示された儀式の条件を満たすことはできる」

考えてみれば単純な話だ。

校則と一緒で、脱法の方法はいくらでもある。

「はい。質問は端末の所有者に行われるから、会話の対象を自分だけに固定することもできるわけで、メリットもあります」

「──ちなみに、そうまでして、例の子が怪人アンサーにどんな質問をしたか、聞いた?」

「はい。最近メールで共有されたので。『どうすれば学校を長く休めるか』、でしたっけ」

エリート高校の重圧とは恐ろしいものだ。私は心からそう思った。
今頃、たっぷりと休養できていればいいのだが。

彼女は、二台の端末を操作して、同時に電話をかけた。
お互いに、お互いのスマートフォンに向けて。

「…………繋がった」

その彼女の言葉とともに。

教室の中に、無機質な声が響く。

Bluetoothのスピーカー越しに、その声はこちらにも聞こえてきていた。

──こんにちは 何か 質問は ありますか

ぴん、と空気が張り詰める感覚。
少しだけ低い声で、彼女は言葉を継いだ。

「……あなたが、『怪人アンサー』。この儀式によって、あなたに繋がったスマホの持ち主に、様々な質問や解答をするっていう──あの存在で、合ってるの?」

──はい

一瞬、教室が静まり返った。

スピーカー越しに、「それ」は確かにそう答えた。

今まさに、無辜の男子生徒ひとりの眼球を抉り取った何かが、この場に現れているのだ。

教室内に緊張が走る。
しばしの沈黙のあと。

「……じゃあ」

彼女は無表情で、その存在に《質問》を投げかけた。
手元にあるコピー用紙を見ながら。

“この儀式の『参加者』とは、怪人アンサーの呼び出しに用いた電話端末の持ち主、その総員と定義される”。ということで、問題ないね?」

もし、怪人アンサーとやらに感情が存在したのなら。

恐らく、その質問に面喰っていただろう。

──はい

心なしか、その解答に間が空いた気がした。
私は、頭の中でその回答を反芻する。

《確認された情報①》
現在行っている電話の対象は、「怪人アンサー」なる存在である。
「怪人アンサー」は、この儀式によって繋がったスマホの持ち主に、様々な質問や解答を行う。

 

《確認された情報②》
この儀式の『参加者』とは、
怪人アンサーの呼び出しに用いた電話端末の持ち主、その総員と定義される。

 

簡単な話だ。

怪異に道理があるのなら、かれらは理詰めで殺せる。

 

「おーけー。それじゃあ次の質問に行こうか。まずは小手調べで、“あなたを倒す方法を教えてください”

──「倒す」という言葉が「身体的に打ち負かす」という意味である場合、それは不可能です

「なるほどー、いわゆる『肉体』は持たないって感じか。じゃあどんどん行くよ」

手元の「台本」を一瞥し、彼女は質問を続ける。
その様子を、私はただ遠巻きに眺めていた。

複数のグループが同時に儀式を行った場合、あなたはどう振る舞いますか”

──最も早く繋がったものに対してのみ 質問を行います

「だって。リノちゃん、これをどう見る?」

「怪人アンサーは単一の存在であり、同時に複数の質問に答えるのは不可能、ということですね」

「よーしよし、傾向が掴めて来たね。それじゃあ次。儀式の場が学校である必要はありますか?”

──いいえ ありません

「やっぱりそうか。怪人アンサーを『学校の怪談』として紹介してる本って意外とないんだよね。じゃあ次は──」

──それでは、次は私から質問をします

「あーそだった。まいっか、ソラちゃんになんでも訊いてくれや」

──今から 十万時間後の日付は いつですか

「わ、本当にそういう質問なんだ。終わりじゃん──ええっと、じゃあ、4月4日、4時44分」

──不正解 です

怪人アンサーがそう言った、次の瞬間。

彼女の右腕が、ぶつんと千切れるように消失した。

その衝撃のまま、彼女は俯せにたおれる。

彼女の右肩から先は、すっぱりと無くなっていて、その辺りからはじわじわと赤黒い血液が流れ出ていた。

そのあまりにも凄惨な光景を。
私はただ、呆然と眺めていた。

「これは──」

力なく立ち尽くす私の足元で。
物言わぬ彼女の肩が、電気信号による反射のように、ひくりと痙攣して。

「──あー、びっくりした」

ずるずると粘着質な音を立て、腕を「生やした」彼女がむくりと起き上がった。

 

「それじゃあ、続けよっか」

 

彼女は再び、二台の端末を操作しはじめた。

利き腕が再生中であるがゆえに、タップ操作に難儀している。

「これは、確かに魅力的ですね。ちなみに、盗られた時の感触はどうでしたか?」

「えー、どうだろ。感触的には、『すっぱりと無くなる』ってよりは『無造作に千切られる』感覚に近かったかな。こうして意思疎通もできてるわけだし、やっぱり肉体がないだけで、意識や実体はあると思うな」

そんじゃ、次の質問ね。彼女はそう言い、電話口に顔を向けた。

 

「次は……えーっと、これか。“あなたは、一般的な四則演算によって答えが出る質問をされた場合、それに答えられますか”

──はい

「まあ、そうじゃないと『十万時間後』なんて質問はしないよね。答えが分かってないと正誤判定もできないし。じゃあ“『円周率の最後の桁は何か』という質問に、あなたはどう答えますか”

──数学的性質上 最後の桁を求めることはできない と答えます

「は? ねえリノちゃん、これは矛盾じゃないの?」

『答えを出すことはできない』という一般的な事実を答えているので、今はまだ動けないですね。次の質問をお願いします」

「むー」

若干頬を膨らませながら、彼女はコピー用紙を捲る。

 

2より大きいすべての偶数は、2つの素数の和として表すことができる。この理論に対する反例をすべて挙げてください”。どーせ現時点では知られていませんとか答えるんだろうけど」

──現時点で、その数学的解答を出すことは不可能であるとされています

──また ひとつの質問につき 回答はひとつまでです

「はあー? 何それ、後出しじゃん」

「まあ、儀式の性質上、『質問は一問一答である』ことは説明不要の事実とみなされても仕方ないですね。こっくりさんだって一問一答なので」

「でも、大丈夫なの? なんか制限がついた感じだけど」

「大丈夫です。むしろ進展しました」

「そうなの? じゃあ次、“すべての自然数をあいうえお順で列挙してください”

──ひとつの質問につき 回答はひとつまでです

──また 私は 質問への回答のみを行います 回答方法の指定はできません

別に、その音声に感情の起伏などは全くないのだが。

心なしか、その回答に苛立ちが感じられた気がした。

 

現在進行形で「怪談」が起こっている舞台とはとても思えない、デバッグじみた質問の応酬が続く。

その空間は、傍から見れば非常に奇妙だっただろう。

「これも無理か」

「なるほど。誰でも解答を出すことができる質問でも、答えが複数個や無限個の場合は答えない場合があるということですね。次の質問をお願いします」

「はいはい。“10わる3の答えを厳密な小数で口述してください”

──質問への回答のみを行います ので 回答方法の指定はできません

「あー、無理かー。れーてんさんさんさんさん、を言い続けさせるってことでしょ? 結構いい案だと思ったんだけど」

『答えの有限性』の制約に抵触する、ということでしょうね。矛盾と言うほど無理な制約ではないです」

「っていうか、こいつは計算できるのかな? ねえ、“今から10万秒後は何月何日何時何分ですか”

──2027年 9月2日 0時50分 です

「即答された。人並み以上の計算はできるわけか。次はー……なんだこの質問。今日こんにちにおける未解決問題だから、などの客観的理由ではなく、まだ答えを決めていないから、といった主観的理由で、あなたは回答の拒否を行いますか”

──いいえ

「そりゃそうだよね。何か質問されて『何を答えるかはまだ決めてません』なんて言うわけないじゃん。この言質を取って、何の意味があるの?」

「そのうち分かります。次の質問を」

「えー。“私がしている『質問』とあなたがしている『質問』に意味的な違いはありますか”。でも、これも──」

──いいえ

「だよね。さっきの質問返しにも即答してたし」

──それでは、次は私から質問をします

「あーはいはい」

 

数秒後、
左眼から側頭部にかけて大きな孔が開いたままの彼女は、こともなげにスマホを動かしていた。

「うわ、髪型崩れてんじゃん──なんかソラちゃんばっかり割喰ってる気がするんだけど。後でリノちゃんの髪解いていい?」

「その後で完璧な三つ編みに戻してくれるなら」

「やめとこ。っていうかこれ、本当にいけてるの?」

「はい。恐らく次のターンで、ある程度の当たりはつくと思います」

「へー。じゃあ、次は──」

再び繋がった電話先の何者かに、彼女は質問を投げかけた。

 

“次、あなたが私に対して行う質問の答えは何ですか”

少しの間が空いたあと。

──「火曜日」 です

怪人アンサーは、そう答えた。

直後、彼女は「あー」と声を上げて大きく頷く。

「成程、積み上げた質問はこう使うのか」

《確認された情報③》
「まだ答えを決めていないから」といった主観的理由で、「怪人アンサー」が回答の拒否を行うことはない。

 

《確認された情報④》
両者の『質問』行為に意味的な違いはない

 

《確認された情報⑤》
ひとつの質問につき、回答はひとつまでである。

私たちの『質問』と怪人アンサーの『質問』は同じ意味、つまり交換可能なので、『あなたの側はその質問はできない』などの強弁はできません。答えも無事ひとつに定まる質問なので、怪人アンサーが解答を拒否する論理的な理由は無いですね」

「よかったよかった。私もこれ以上変なことされずに済むよ。じゃあ次、“無回答はどう処理しますか”

──解答を放棄したとみなし 不正解と同様に処理します

「まあ、想定内だね。じゃあ“参加者のスマホの充電が切れた、もしくは恐怖によって自発的に電源を切った場合、あなたはそれをどう処理しますか”

──解答を放棄したとみなします

「おっけー。じゃあ“『解答を自発的に聞く人がいたか否か』は解答の仕方に影響しますか?” あーえっと、例えば “『質問の答えを聞きたくなくて耳を塞いだ』『恐怖に耐え切れないなどの主観的な理由でその場から逃げた』場合、あなたは解答をやめますか?”

──いいえ 自発的に解答を聞く者がいなくとも 私が解答をやめることはありません

「ほーん。どう足掻いても恐怖の儀式は続くぜってことか。そんじゃ──」

──それでは 次は私から

「あーはいはい。火曜日火曜日」

 

──質問の対象は あなたではありません

 

一瞬、教室がしんと静まり返った。

 

「え?」

「ほう」

──あなたの隣にいる方 あなたは 台本を用いて 間接的に 質問を行っています これは この質疑応答の参加者であることと同義です

「……だから、私にも質問を行うと?」

──はい

 

ずるずると。
黒い靄のような何かが、私の体肢に纏わりつくような感覚があった。

そこで私は、「怪人アンサー」なる存在の意図を理解した。

「え、ちょっと」

彼女が私に視線を向け、驚きに目を見開く。
明らかな動揺が滲む口調で、私に早口で言葉を投げかけた。

「リノちゃん、『火曜日』だよ。次の質問の答え。かようび」

「──多分、その情報は無駄だと思います」

「え」

先ほど得られた「火曜日」は、彼女への質問に対する答えだ・・・・・・・・・・・・・

私になされる質問は、それとはまた別の、山勘では絶対に正答できない何かなのだろう。

 

校則と同じだ。
脱法の仕方はいくらでもある。

「──ついに痺れを切らした、という感じでしょうか。そちら側からしたら溜まったものではないでしょうし、そのお気持ちもよく分かります」

そして、次の瞬間。

情報の矛盾を確認。
無力化の準備に移行。

「ですが」

無力化対象:「怪人アンサー」

その靄が。

 

「うそつきですね、あなた」

 

教室内に一瞬だけ現れた、赤く大きな牙のような何かによって、跡形もなく雲散した。

無力化を実行。

 

「ごちそうさまでした」

 

「──結局、何が決め手になったの?」

その後、放課後の帰路で、彼女は私に問うた。

「いちばん最初の条件定義しつもんです。初め、怪人アンサーと行った会話を思い出してください」

「……あなたが、怪人アンサー。この儀式によって、あなたに繋がったスマホの持ち主に、様々な質問や解答をするという──あの存在で、合ってるの?」

──はい

「じゃあ、“この儀式の『参加者』とは、怪人アンサーの呼び出しに用いた電話端末の持ち主、その全員と定義される”。ということで、問題ないね?」

──はい

「私は『儀式に使用したスマホの持ち主』ではないし、儀式の参加者という定義からも外れる。あちら側もそれに承諾しました」

「……あー、なるほど。最初っから、攻撃対象にならないように言質を取ってたわけか。でも、もしああやって焦らなかったら、どうしてたの? まだ、あいつの質問を完全に抑え込めたわけではなかったじゃん」

「ああ。実は、あと一問で抑え込める予定だったんです。質問用紙の最後を読んでみてください」

「え? ええっと──“現時点で人間が発見している最大の素数を階乗したあたいは何ですか”……なにこれ」

 

怪訝そうに視線を向ける彼女に目を合わせ、私は軽く頷く。

この学級の生徒の総数である37は素数だ、という話から、この質問を思いついた。

 

「今見つかっている最大の素数は4102万4320桁あるらしいのですが、1分間に150桁のペースで音読しても、全て言い終えるのに0.52年、つまり半年ほどかかるそうです。これに他の数をかけたらどうなるのか、想像もつきません。式で表すと『(2^136279841 1)!』ですかね

「え、その『ニノイチオクサンゼンロッピャクニジュウナナマンキュウセンハッピャクヨンジュウイチジョウヒクイチノカイジョウ』だかは答えにならないの? 十秒ぐらいで言い終わっちゃうけど」

「それは厳密には『式』であって、『値』とは言えないと思います」

 

「……じゃあ、その『値』を、あいつはちゃんと答えてくれるの?」

「答えなければおかしいでしょう」

《確認された情報⑥》
「怪人アンサー」は、答えが複数個あるものには解答しない。

 

《確認された情報⑦》
「怪人アンサー」は、一般に「答えがない」とされている問いには解答しない(答えがない、と答える)。

 

《確認された情報⑧》
「怪人アンサー」は、四則演算の範囲で計算可能な問いには解答する

 

「つまり、『非常に長いが確実に有限であり、かつ四則演算の範囲で計算可能であり、答えがただ一つに定まる答え』は、制限のしようがありません

「──そっか。そもそもあいつ自身『今から10万秒後は』なんて質問をしてたし、その質問返しにも一瞬で答えを出してたから」

「そういうことです。“今この学校にあるすべての分子の運動方向と速度を一つずつ述べてください”という質問も考えたんですが、これは没にしました。一問一答の縛りに抵触しそうだったので」

「……すごい頭悪い質問するけどさ。めっちゃ早口で答えられたらどうしてたの?」

「『解答』という行為について、厳密に定義し直せばいいだけです。それがありなら、例えば、私たちが解答の想起から発話までに五十年ほどかかる『遅口』で解答することも防げない」

「──オーケイ、分かった。こっちの負けさ」

「急にどうしたんですか」

「でもさ、あいつが百年ぐらいかけて素数の階乗値を答えきったとして。その解答を、誰が聞いてればいいの」

「それも、直前に言質を取っていました」

 

《確認された情報⑨》
『解答を自発的に聞く人がいたか否か』は解答行為の有無に影響しない。
例として、参加者が儀式の場から逃げた場合でも、「怪人アンサー」が解答をやめることはない

 

《確認された情報⑩》
儀式の場所が学校である必要はない

 

「なので、答えを最後まで言い切るのに数百年はかかる一意解の質問をしたのち、そのスマホを適当な場所に充電した状態で繋いでおき、警察の誰かにでも管理してもらえば、理論上はそれを半永久的に収容できると思ったんです」

「……うわ」

「さらに、『怪人アンサーは同時に存在できない』。ひとりのスマホに繋がっている間、他の誰かが電話をかけても《通話中》です。他の人に被害が及ぶこともないから、安心安全に幽閉できる」

「まあ、間違ってはないけどさ」

「はい。勿論倒し方はこれだけではありませんし、色々な別解があると思いますけど──ひとまずは、これで怪異を詰め殺せます・・・・・・

「…………」

彼女は、呆れたような表情で、私に言った。

「……リノちゃんさ。ペア学習のとき、一人だけ余ったりしてるタイプ?」

「当然です。うちのクラスは素数なので」

「──そりゃあ捜査に呼ばれないわ」

 

後日。

放課後の校舎裏に呼び出された私のもとに、朗らかな笑みを湛えた女子生徒が歩み寄った。

「あのね。最近、とある民家から、『呪いの木箱』が発見されたんだって。昨日、現場に行ってきた」

「呪いの木箱、ですか」

「うん。その箱の力に『呑まれた』おじさんたちが言うには、組木細工のようなその箱は、女子供だけを呪い殺すらしい。その昔、その箱を持ち出した庄屋の女性や子供が十数人、次々と悶え死んだって」

「怖いですね。ソラさんは大丈夫だったんですか?」

「大丈夫なわけないじゃん。大変だったよほんとに。触ったところから壊死するみたいに腐っていって、慌てて切り落としたんだから──それで」

この怪異、リノちゃんならどう「解決」する?

悪戯っぽい笑みで、彼女はそう問いかける。

 

夕暮れの校舎裏。

少しの思考のあとで、私は言った。

 

「──まずは、『女子供』の定義から始めましょうか」