届いているか? そんなわけはないが、あるはずもないことが起こるのがこの場所だ。
だがよく考えれば、この記録が読めているとしたら、次に参照されるのはそっちかもしれない。まあこれも「仕方のないこと」だよな。
◇
中ノ鳥島という島がある。

1940年代まで日本の領土として、正式に認められていた島だ。

だがそんな島は、存在しなかった。
「中ノ鳥島(なかのとりしま、英: Ganges Island)は、北緯30度05分 東経154度02分に存在したとされていた疑存島である。(中略)自然科学の観点から見れば実在したとは考えられないが、日本の領土として正式に認定されていた時期がある点で、世界各地の『伝承における幻の島』『伝説の島』とは一線を画する」
アメリカの捕鯨船により発見された中ノ鳥島は、その後に山田禎三郎なる人物が上陸、測量まで試みたとされる。リン鉱石を豊富に有したと言われるが、その言説を悪用した投資詐欺だったという説もあり、真相は依然として不明である。
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プレス機に挟まれたアルミ缶が、一瞬でぺしゃんこにされた。続いて水色の初代iMacが、粉塵を飛ばしながら平面になっていく。
ボウリングの球が、黄色いアヒルのゴム人形が、画面のなかで潰されていく。もう何度見たかわからない。

ネット上には驚くほどいろんなプレス動画が投稿されて、一大ジャンルを形成している。硬いものも柔らかいものも、アンティークも流行の最先端も、圧力の下に等しく潰れていく。これがなんだか癖になる。
どんなものだって、つきつめれば原子で構成された物質でしかない。その事実にどこか、おれは安心するんだ。船でひとりやることもないから、ローカルに保存したプレス動画を、ひたすら眺めている。
例の現象のことを知ったのも、そんなプレス動画がきっかけだった。
アメリカの大金持ちの配信者が、広大な砂漠で、10万トン級の超大型油圧プレスを稼働させた。プレス機はフェラーリ3台と、ロールスロイスと、それからグランドピアノをぺしゃんこにした。あまりに悪趣味な光景に、おれは拍手喝采したもんだ。だが画面の隅っこでは、奇妙なことが起こっていた。
ペットボトルが縮んだんだ。プレス機に挟まれたわけじゃない。プレス機の隣に、おそらく大きさを比較するために置かれたペットボトル。それが一瞬でひゅっと縮んだ。まるで上から見えない圧力を受けたように、ボトルの高さは半分になった。
この動画は界隈で話題となって、さまざまな検証がおこなわれた。動画にはほかにも、おかしな点があるって指摘が相次いだ。
例えばペットボトルが置かれた机の脚が、一瞬歪んでいたとか。配信者の腕時計の針が、わずかに曲がっていたとか。
◇
2025年、科学誌『Nature』にとある論文が掲載された。
水を極限の薄さまで「閉じ込める」と、その電気的性質が突然変化するという研究である。その正確な理論は明らかになっていないとされる。

「本研究では、走査型誘電顕微鏡を用い、原子的に平坦な表面の間に、最小1 nmまでの間隔で閉じ込めた水の面内方向の電気的性質を調べた。閉じ込め幅が数nmを超える場合、水の面内誘電率はバルク水に近い値を示す……(中略)……ところが水がわずか数分子層の厚さになると、この傾向は突如として変化する。面内誘電率は約1,000という、強誘電体に似た非常に大きな値に達し、電気伝導率は数S m−1でピークを示す」
Nature『In-plane dielectric constant and conductivity of confined water』より(文章は筆者翻訳)
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圧縮キューブを指でつまむ。毎日ひとつ食べるのが習慣だ。これだけで牛丼並盛りと同等の栄養分が得られるらしいが、気休めにもならない。
だって圧縮された牛丼を食うことと、牛丼そのものを食うことは次元の違う快楽だろう? どんぶりによそわれた、汁だくネギ抜きの牛丼をもらえるなら、全財産をはたいたっていい。
キューブを口にする気にならなくて、おれはモニターに再び向き合った。「法則1」と入力する。
法則1. 物質がある臨界点を超えて薄くなると、ふるまいが変わる
たとえば水を極限まで薄く閉じ込めると、誘電率が激変する。モノの厚さは、その性質に影響を与えるんだ。そしてプレス動画の検証で明らかになったのは、そこからさらに進んだ現象だった。
モノを潰して潰して、潰しまくると、突如としてふるまいが変わる。ある閾値を境に、周囲にまで影響を及ぼしてしまう。
その閾値のことを、研究者たちは「臨界厚」と名付けた。

なんでも、臨界厚を下回った物質は極度に不安定になり、周囲との境界が曖昧になる、とか……もちろんおれも信じられなかった。あの景色を目にするまでは。
地元の、海のそばにある工場地帯だった。おれが見に行ったときには、雑草ひとつない更地と化していた。どこか懐かしい錆の匂いだけが、かすかに漂っていたな。
……その場所には、つい先日まで小さな町工場があったんだ。だが建物も働いていた人々も、突如として跡形もなく消え去ってしまった。そしてそのなかには、おれの親父も含まれていた。
「仕方ない」が口癖の人だった。いくら上司にいびられても、低い給料でこき使わされても、仕方ないと諦めたように言って、錆臭い現場へ通い続けた。情けない背中が大嫌いだったけど、まさか消えてしまうなんてな。
その後の調査により、工場では、最新鋭の大面積ダイヤモンドアンビルセル —— ダイヤモンドで試料を挟み、超高圧を発生させる装置が稼働したばかりだったということがわかった。周辺からは、中途半端に縦に潰れた物質が、多数発見された。

そして調査が進むうち、ことの真相がわかってきた。
工場は消えたんじゃなく、観測できないほどまでに、薄く圧縮されてしまったんだ。
法則2. 臨界厚を下回った物質*は、失った厚みを取り戻そうとして、周囲の物質*を「参照」する
* 圧縮される物質には、一定以上の表面積が必要
* 参照される周囲の物質には、一定以上の密度が必要
臨界厚を下回った物質は、縮んだバネを戻すみたいに、三次元を維持しようと反発する。それでも圧縮され続けると、代わりに境界が曖昧となった周囲の物体から、厚みを奪ってしまう。つまり周囲を道連れにして潰してしまうんだ。
プレス動画でペットボトルが縮んだのも、工場が姿を消したのも、同じ現象だった。どうやら物質を薄くすればするほど —— 二次元に近づけば近づくほど、参照エネルギーは桁違いになっていくようだ。
……そういえば、「戦時中にとんでもない圧力機が無人島で稼働してた」って噂は知ってるか?

中ノ鳥島とかいう島で、採掘されたリン石を超圧縮させ、兵器に使う金属を作ろうとしていたらしい。だが中ノ鳥島は、存在が疑われて地図から消えてしまった。
でも、もし島が実際にあったのだとしたら?そして実際に、消えてしまったのだとしたら ——
おれは地面を蹴る。ふわりと身体が漂う。
ともかくモノを極限までぺしゃんこにすると、とんでもないことが起きる。そのふるまいには、いまだ不明な点が多い。
それなのにお偉いさん方は、この現象を有効活用したいと言い出した。もしある物質を潰すことが、他の物質を完全に消滅させるなら。いろんな都合の悪いものを消せると考えたんだろう。
船が旋回し、窓から地球が見える。宇宙船の中で、おれはくるりと一回転する。
わざわざ宇宙までやってきたのは、この世で最強のプレス機を見つけるためだ。
人類が生み出せる最大の「ぺしゃんこ」は、最新鋭のダイヤモンドアンビルセルでもせいぜい数百万気圧。お偉いさんたちが求めていたのは、もっと天文学的なエネルギーを生み出すぺしゃんこだ。そんな途方もない存在が、宇宙にはあった。
◇

「中性子星は、太陽ほどの質量を都市ほどの大きさに押し込めた天体である。きわめて高密度で、物質があまりにも強く圧縮されているため、原子核同士の境界さえ失われる。(中略)……中性子星同士は徐々に近づいていく。やがて2つの星はわずか数ミリ秒で合体し、重力波の強いバーストと、短時間ながら非常に強烈なガンマ線バーストを放出する」
◇
中性子連星 —— ただでさえとんでもなく圧縮された中性子星同士が、合体する現象。
数千年に一度レベルのレアな事象から、できるだけ多くの観測データを集めるためには、宇宙まで来る必要があった。中性子連星の放つガンマ線は、大気に吸収されてしまうからだ。
観測隊の下っ端のひとりとして、おれはこの船に乗せられた。あぶない匂いがしたけど、親父の身になにが起こったのかを、どうにかたしかめたかったしな。
そうして観測開始から数週間たったころ。
宇宙の一点が白く燃えた。
おれは中性子連星の光を見た。
見てはいけなかった。
法則1. 物質がある臨界点を超えて薄くなると、ふるまいが変わる
法則2. 臨界厚を下回った物質は、失った厚みを取り戻そうとして、周囲の物質を「参照」する
でも、周囲に参照できるような密度の物質が、なにもなかったら?
ガスと塵しかない希薄な宇宙空間で、原子の境界さえなくなるほどの星同士が、巨大なダイヤモンドアンビルセルと化したとしたら。
星の間に挟まれた物質は、一体なにを参照しようとするんだろう?
おれはアメリカ人の配信動画を思い出す。砂漠に置かれたプレス機の外で、曲がっていた腕時計の針のことを思い出す。あの針は曲がったんじゃない。戻ったんだ。
ここに最後の法則を書き加える。きっと世間じゃ誰も知らない、おれだけが見つけた法則だ。
法則3.参照できる周囲の物質が不足した場合、参照先は空間から「時間」へと切り替わる
星と星に挟まれたぺしゃんこが、参照したのは時間だった。
相対性理論では、3つの空間方向と時間は合わせて「時空」として扱われる。周りになんにもなさすぎて、空間方向の1つを見失った星のかけらは、代わりに時間を参照したんだ。過去の自分から、厚みを奪い取ろうとした。
時間を参照したぺしゃんこは、一瞬だけ厚みを取り戻したあと、またすぐに平面化する。そうして再び過去を参照する。参照のループが回る。現在と過去を繰り返し続ける。

……そんなわけでおれは、この船で同じ一日を繰り返している。いくら中性子連星のエネルギーが桁違いだからって、まさか観察者にまで影響を及ぼすなんて思いもしなかった。世紀の大発見だが、伝えるすべはもう残っていない。
あの光を見てからというものの、おれはきっかり24時間かけてぺしゃんこにされては、0時になったら時間が戻る日々を送っている。起こってしまったことは仕方がない。とにかく呼吸する肺のように、膨らんでは萎み続けている。
そうそう、驚いたことに、ぺしゃんこにされた場所ではそのまま暮らせる!(ちょっと息苦しいけど。)でも外には出られない。次元の壁にでも阻まれているんだろうか、通信も届かない。
ピストン運動をつづける世界で、おれはひとりこの記録を記している。船内の乗員たちも、おれの視界には現れない。みんなおれと同じように、それぞれの時空で過ごしているんだろうか。おれはそのことを想像して、すこし嬉しくなる。
だってもしかしたら、地図から消された中ノ鳥島の海にも、見えないだけで、孤独に暮らす人々がいるんじゃないだろうか。あるいは工場が消えた更地にも、親父が生きているんじゃないだろうか。
親父のことだから、いろんな仕方のないことから解放されて、案外楽しくやってるんじゃないかな。
さて、無口な親父とは違って、おれは話し相手がいないと気が狂いそうだから、この同じ記録を何度も書いては、なんとか気を紛らわせている。今日でたしか、31回目だ。
外から観測すれば、あるいはこの記録も毎日ぺしゃんこになるんだろうか。記録がぺしゃんこになるってどんな感じだろう。たとえば情報量の多い画像データから、先に潰れていくとか?
臨界厚を下回った物質のふるまいは未知数だ。何百回とぺしゃんこになるうちに、ひょんな拍子にどこかの次元に新たな参照先を求めて、この記録が誰かの目に触れたりしないだろうか。
そんな願いを込めながら、おれは今日も永遠の今日を過ごす。そのうちようやく観念して、31個目の圧縮キューブを口に放り込む。キューブを奥歯で噛み潰すと、ざらついた食感が口に広がった。

岡田悠
どろり

寺田大熊猫楠


梨
サイケ蟹光線
彩雲
JET
ダ・ヴィンチ・恐山








