ここに1人の男がいる。彼の人生には、意味のあるものなど何も積み上げられていなかった。

彼は今年で28になるが、同年代の人間と比べて明らかに人生経験が薄かった。みんながしていることの多くをしたことがなかったし、みんながしていないことをしているわけでもなかった。つまり、何もしていなかったのである。彼のこれまでの人生は、ただの長大な時間の塊に過ぎない代物だった。

 

彼は一応、仕事をしていた。フリーのWebライターである。メディアと業務委託契約を結び、記事を書いて納品する、それが彼の仕事だ。

この仕事にありつけたのもたまたま人に紹介してもらったからで、それがなければ今でも働いてすらいなかっただろう。幸いなことに彼はライター職にそれなりの適性があり、今ではその稼ぎで生活できるようになっていた。

 

彼としてはそれで十分だったが、周囲からは「他に稼ぐ方法を見つけろ」と言われることもあった。フリーライターというのは吹けば飛ぶような身分なのだし、Webメディア業界自体が不況なのだから、今のうちに別の収入源を作っておけ、と。

 

だが、誰に何を言われても彼は行動を起こさなかった。彼とて将来への不安がないわけではなかったが、今日の衣食住が足りていればそれで満足してしまうのだ。実際、彼のような人間が自立して人並みの生活を送れているのは奇跡としか言いようのないことだった。

しかし、そんな彼にもたったひとつだけ、真剣に取り組んでいることがあった。

 

彼は毎日、『何も言えなくて…夏』のダジャレを考えていたのである。

『何も言えなくて…夏』はJ-WALK(現・JAYWALK)が1991年に発表した楽曲で、同バンドの代表曲として知られている。その「何も言えなくて」の部分を別の言葉に変えたダジャレを、彼は何年も作り続けていた。

 

彼はJ-WALKのファンではないし、『何も言えなくて…夏』が好きなわけでもない。にもかかわらず彼は、それが自分に与えられた使命であるかのように『何も言えなくて…夏』のダジャレを生み出し続けていたのだ。その数は、今や膨大と言っていい量に達していた。

彼がそれを始めたきっかけはこの際どうでもいい。どうせ大した理由はないのだろうし、『何も言えなくて…夏』という題材にも別に意味はないのだから。だが、こんな無益な行為を長く続けられているということが彼のある種特異な気質の表れだった。無益だからこそ、彼はこれに情熱を費やす気になったのだ。

 

彼にとってはむしろ、自分のためになることをやるほうが苦痛だった。有益なことは言い換えれば「やるべきこと」であり、ともすれば「やらなければならないこと」にも転じかねない。生来意志が弱く、厳しさというものを人一倍恐れていた彼は、そのわずかな強制力の気配を感じただけで拒否反応を示してしまうのだった。

それならばと、彼は無益と戯れることにした。無益なことは自分を助けてはくれないが、何かを強いてくることもない。その穏やかさが彼には心地良かった。無益こそが彼の安らぎであり、唯一の心を許せる友だったのである。

 

同時に彼は、無益に没頭する自分を誇らしくも思っていた。意味がないとわかりきっていることに心血を注いでいるという意識は、彼に異端者の自覚と自己犠牲的な陶酔をもたらした。報われようとしないことが彼のアイデンティティだったといえる。

そのうちに彼は、世の中の報われようとしている人々──つまり、目標のために頑張っている人々への奇妙な優越感をも抱くようになった。彼は今や、夢を持つことやそのために努力することを浅ましいとさえ思えるようになっていたのである。

 

ダジャレの数をひとつまたひとつと増やすたび、彼は自分の魂が高潔に磨かれていくような気がした。無益に打ち込めば打ち込むほど彼の自尊心は高まった。

作ったダジャレをどこにも発表しなかったことは言うまでもない。自分がダジャレを作り続けていることすら、彼は誰にも明かさなかった。

 

ここに1人の男がいる。彼の人生に積み上げられてきたものがあるとすれば、それは大量の『何も言えなくて…夏』のダジャレだけだ。

彼自身はそれに不満も引け目もなく、これからも今までと同じように生きられればいいと思っていた。だが、世界がそれを許さなかった。

 

彼の日常に望まない変化をもたらす1通のメールは、蒸し暑い夏の朝に届いた。差出人は彼が寄稿しているWebメディアの編集部である。普段の連絡はチャットツールで行っているので、メールが送られてくる時点でそれなりの非常事態であることは想像がついた。

メールを開くと、このようなことが書かれていた──「事業縮小に伴い、外部委託のライターは順次契約終了とさせていただきます」。つまり、彼は解雇されたというわけだ。周囲の人々が予言していた未来がついに訪れたのである。

 

彼はフリーライターと言いつつ取引があったのはほぼその1社のみで、そこから仕事を打ち切られることはすなわち職を失うことを意味した。

職を失えば収入が途絶え、生活が立ち行かなくなる。それを避けるには新たな仕事を見つけなければならないが、彼には自分から仕事をつかみ取りに行くような気概が一切備わっていないのだった。

 

彼の人生の困難は、積極性というものがまるきり欠如していたことにある。彼にとって自分から他者に働きかけることは、夜の海に飛び込むがごとく恐怖を伴うものだった。他のメディアに声をかけるとか、就職活動をするとか、ひとまずバイトを始めるといったことが自分にできると彼には思えなかった。

彼は自分で何も決めず、何も選ばず、ただ成り行きに身を任せることでこれまでの人生をやり過ごしてきた。そんな生き方でそれなりに安泰にやれてきたのは、ひとえに運が良かったからにすぎない。けれど、今日この日をもって彼の運は尽きたらしかった。

 

彼はすっかりうろたえてしまった。頭をかきむしり、爪を噛みながら部屋中をせわしなく歩き回った。ひどく焦っていたが、その焦りも行動を起こす恐怖を麻痺させるには至らなかった。彼の変化を恐れる心は、あるいは生存本能より強かったのかもしれない。

彼はこの期に及んでも、自分の殻を破るのはごめんだと思っていた。新しいことに挑むなんて耐えられないと思っていた。だが今の彼に何ができる? 彼が持っているものといえば、

 

『何も言えなくて…夏』のダジャレだけじゃないか・・・・・・・・・・

 

そう、『何も言えなくて…夏』のダジャレだけが彼に残されたものだった。そして彼は今、無益という美学を貫くために生み出したそれらを、皮肉にも自分のために役立てようとせざるを得ないのだった。

その決断に抵抗がないことはなかったが、もはや有無は言っていられない状況だった。彼は唯一の誇りと引き換えに、自分が生き延びる可能性のある道を選ぶことにした。

 

もちろん彼も『何も言えなくて…夏』のダジャレがただちに金にならないことはわかっていた。けれど、書き溜めたダジャレをSNSに投稿して少しでも話題になれば、それをきっかけに何かが起こるかもしれないと考えたのだ。そこで生まれた反響や交流が仕事につながる可能性もある。ネタツイート出身で今ではいっぱしのクリエイターになっているような人もたくさんいるじゃないか。

彼は自分のやってきたことが心底無益だと自覚しながら、この考えが雲をつかむようなものだとは思わなかった。なぜなら、『何も言えなくて…夏』のダジャレを作り続けるという行為は「面白い」と信じていたからである。

 

彼は決死の思いで「何も言えなくて…夏ダジャレbot」というXアカウントを作った。あえて、有料プランには加入しなかった。今は月額料金すら惜しかったし、商売っ気を出すのが恥ずかしくもあったからだ。ここにきてもまだ、彼はそんな手前の羞恥心に囚われていた。

しかし、彼はただ恐れているだけではなかった。これまでに作ったダジャレを世に発表すると思うと、静かな覚悟と期待が胸にこみ上げてきた。もう、どうしたってこれに賭けるしかないのだ。彼は無数のダジャレの中から厳選したものをXに投稿していった。そのひとつひとつにありったけの希望を、自分の未来を託して。

 

 

 

およそ1ヶ月の間、彼は一心不乱に『何も言えなくて…夏』のダジャレと向き合った。人生の全てを懸ける覚悟で『何も言えなくて…夏』のダジャレをXに投稿し続けた。

しかし、なんてことだ、彼はたった1人のフォロワー、たった1件のリポスト、たった1件の「いいね」すら得られなかったのである。

 

最初の1週間はまだ余裕があった。今日びシンプルなネタツイートでウケるのは難しいかもしれないが、こういうのは積み重ねが大事だ。積み重ねていれば、それまでは全くの無風でもひとつのきっかけで全てが変わる可能性がある。そう信じる元気がこのころの彼にはまだあった。

 

2週間目に入ると彼も少しは焦り始めた。100件以上投稿して1いいねすらついていないとなると、ダジャレの質を見直さざるを得ない。彼は過去に作ったダジャレを改めて吟味し、必要に応じてブラッシュアップした。時にはわざわざ自習室を借りてまで新作ダジャレの創作に没頭した。だが結果は変わらなかった。

 

3週間目には、よほどバズっている投稿にリプライか引用リポストをして注目を集めようかと思った。ダジャレの出来どうこうではなく、そもそもほぼ誰にも見られていないことにようやく気付いたのだ。

そこまで露骨な手段はとらないにしても、他のユーザーと交流するのは大切かもしれない。ひとまずJ-WALKのファンのアカウントを片っ端からフォローしようとしてみたが、自分は別にJ-WALKを好きではないという後ろめたさから実行できなかった。結局彼は、0フォロー・0フォロワーのタイムラインにダジャレを投稿し続けるという修行じみた作業に戻るしかなかった。

 

最後の数日はXを開くことを考えるだけで気が重くなる有様だった。半ば惰性で投稿を続け、ダジャレの質を顧みることもなくなっていった。

それでも彼はまだ、ダジャレがウケて人生が好転する想像をすることができた。どれだけ可能性が閉じていっても、その空想だけは不気味なほど色褪せないままだった。

 

そうして1ヶ月が経過した。「何も言えなくて…夏ダジャレbot」には681件のポストが公開されたが、フォロワー数、リポスト数、いいね数はとうとう0のままだった。彼が全てを捧げた『何も言えなくて…夏』のダジャレは、彼の望み通り全くの無益だったというわけだ。しかし彼はもうそれを誇らしいことだとは思えなかった。

 

彼は絶望した。職を失ったことに、未来が見えないことに、何より『何も言えなくて…夏』のダジャレが一切ウケなかったことに心から絶望した。この時になってようやく、彼は無益の本当の意味を理解したのだ。そして、自分がとてもそれに耐えられない人間であるとも気付いてしまった。

彼が無益を愛でてきたのは、傾奇者を気取ることで空虚な自分を肯定しようとする哀しい自己暗示に過ぎなかったのだ。彼は今、初めてウケたいと思った。称賛が欲しいと思った。有益なことをしたいと思った。でも、もう全ては手遅れだった。

 

彼は「何も言えなくて…夏ダジャレbot」のアカウントと今までダジャレを書き溜めてきたPCのメモを削除すると、家を飛び出した。行くあてなどもちろんなかったが、ただ「遠くへ行きたい」と考えていた。彼にとってはあまりに酷薄だったこの世界から、そして救いがたい自らの人生からも遠く離れた場所に……

 

一体、彼はこれからどうなるのだろうか。この顛末は当然の自業自得で、これ以上彼に構ってやる必要はないと切り捨てるのは簡単なことだ。彼が画面の向こう側の存在に過ぎず、自分と全く無関係なのであればここで話を終わらせてもいいのかもしれない。でもそうはいかない。だから私は彼を追うことにした。

 

私は彼の行きそうな場所を方々見て回った。なんとしても彼を見つけなければならない、彼に何かを伝えなければならない、そう思ったが、それがどんな言葉なのかは自分でもまるで見当がつかなかった。

 

彼がいたのは、住宅街の中にある小さな公園だった。彼はベンチに腰かけ、深くうなだれていた。

夜の公園の中でも彼の姿は一段と暗く、今にも周囲の闇に消えてしまいそうに見えた。彼がいなくなってしまう前に、私は急いで彼のもとに近づいた。

 

爪先が触れ合うほどの距離にまで近づいても、彼はぴくりとも動かなかった。まさか気付いていないはずはない。ひょっとすると彼は私を気の触れた殺人鬼だと思い、自分の首筋に包丁を突き立ててくれるのを待っているのかもしれない。申し訳ないが、その期待には応えられそうになかった。

 

さて、私は彼に何を言うべきなのだろう。彼のやってきたことを褒めてやればいいのか? 意味もなく『何も言えなくて…夏』のダジャレを大量に作り続けるというのは、確かに並大抵のことではないと思う。彼は面白い人間だったのかもしれない。だが、自分1人すら救えない面白さに何の価値がある?

 

私も彼もうんともすんとも言わないままずいぶん時間が経った。頭に浮かぶのは月並みな言葉ばかりで、とてもそれを口にする気にはなれなかった。そういった言葉はこの沈黙よりずっと虚ろでむごたらしい。それならこのまま黙って立ち尽くしているほうがよほど彼のためだと思えた。

 

しかし、いつまでもそうしているわけにはいかなかった。彼が不意に、ゆっくりと頭を上げ始めたのである。私は焦った。なぜか、私たちが互いに顔を見合わせることがとても恐ろしく感じられたのだ。私はとっさに視線をそらそうとした。だがそうするより先に言葉が私の口から飛び出した。

 

「こんなことがあってはならない」

 

思ってもみない言葉だった。ほんの1秒前まで、こんなことは露ほども考えていなかった。でも私は確かに「こんなことがあってはならない」と言い、それはこの状況にふさわしい言葉に思えた。

まさにこれこそ、私が彼に伝えなければならない言葉だったのだろう。しかし、言い終わってから気付いたが、これは彼自身に対する言葉ではない。私は彼を責めるつもりでこんなことを言ったのではない。この言葉は紛れもなく、彼以外の全てに向けられたものだった。

 

彼は顔を上げるのをやめ、私にはぎりぎり表情が見えないくらいの角度で再び静止していた。私の言葉は彼に届いた、と思っていいのだろうか。もっとも届いていたとして、彼が何を思ったかまで知ることはできない。だが、彼の肩はかすかに震えているようにも見えた。あるいはそれも気のせいだったのかもしれない。

 

 

翌日再び公園を訪れると、彼はもうそこにはいなかった。彼がどこに行ったのか、何をしているのか、誰も知らない。わざわざ書くまでもないようなことだが、この話を結ぶにはこう記すしかない。

 

私は彼の無益な人生を記事にして発表するつもりだ。きっと『何も言えなくて…夏』のダジャレよりは反響があるだろう。でも、それで彼が救われるわけではない。この記事が読まれることで救われるのは彼ではなくだ。こんなことがあってはならない。何があろうと、こんなことがあっていいはずがない。

 


 

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