会社、辞めたいですか?

僕はこないだ辞めました。

こんにちは、岡田悠と申します。

最近、10年働いた会社を退職しました。
退職の際、どうしてもやってみたいことがありました。

 

懐からスッと辞表を取り出し、ダーンッッッ!と叩きつける。気持ちよさそう。死ぬまでにやってみたかったことの一つです。

ただ僕の場合、特に不満やトラブルがあったわけでもなく、なんならかなりの円満退職だったので、叩きつける機会はなさそうでした。

それでも、派手に辞表を叩きつけたい。
(※なお、厳密には経営陣や役員が叩きつけるのが「辞表」、一般社員が叩きつけるのは「退職届」と呼ばれるそうです)

 

そこで退職の数ヶ月前、辞表を派手に叩きつけるため、会社の上司に協力してもらうことになりました。
辞表に上司の協力を仰ぐ矛盾。

辞表を、叩きつけたいんです

いいですけど…

いいんだ

ただ岡田さんの退職、もう受理されてますよ

早めに相談してもらったお陰で、スムーズでした

そういう問題じゃないんです

 


こちらが用意してきた辞表です

紙の辞表って初めて見たかも

うちの会社、退職も電子申請ですもんね

この辞表を叩きつけるので、承認のハンコを押してもらえると

ハンコか……

……でも最後がハンコでいいんですか?それこそ岡田さん、ハンコ作業を減らすための「電子承認サービス」を開発してましたよね


岡田は実際にそういう仕事をしていました

はい。だからこそ、最後は原点に戻りたいなって。なんだかんだ、物理的なハンコも好きなんですよね

よくわからないけど、まあ協力しますよ

優しい上司でよかった

いつでもどうぞ

いいですか?

はい

せーの…….

 

オラッッッッ!!!

 

承認します

…..

ちょっと弱かったのでもう一回いいですか?

弱かった?

勢いが足りなかったなって。せっかくなら、もっと派手にやりたい

辞表に勢いとかあるんですか?

さっきは正直びびって加減してしまったんですが、今度は思い切り行きます

はい

すーぅ….

オラッッッッッッッッッッッッッッッッ!!!

手、痛っ….

承認します

もういいですか?

なんか違うんだよなあ….

なんなんだ

でもこれ以上強いと怪我しちゃうし…

どれくらい派手にいきたいんですか?

机を破壊するくらい

化け物の退職?

そうだ!

辞表をでっかくすれば、迫力が出るはず!

辞表を?

というわけで、

 


辞表をでっかくしました

でかすぎる

紙だと折れてしまうので、発泡スチロールで作りました

 

重っ……

辞表が重いってなんだ

踏ん張っていきます!

おんりゃゃああああ!!

 

 


帰ってもいい?

やっぱり物足りないな。ハンコもでかい方がいいのか…?

そういう問題じゃないと思います

あ〜違和感の正体がわかりました!素直に受け取られてるからだ

辞表を「叩きつける」には、暗黙の前提として「辞められたくない」という会社側の意向があるわけです。だからこそ叩きつける行為に胸がすくというか、最後にやってやったぞ、という気持ちになる

確かに、会社として「どうぞ辞めてください!」って感じだと、成立しないですね

だから僕が退職するのを、止めてください

 

いや、そりゃ辞めてほしくないですけど…でも岡田さんの今後を応援したいですし、どうせ止めても辞めますよね?

そういう問題じゃないんです。僕が辞表を出すのを止めてほしい。「自分、めちゃくちゃ引き止められてるな…やっぱり会社に必要とされていたんだな…」と承認欲求を満たし、その上で制止を振り切って退職したいんです

めんどくさいな

厄介な退職オタクだ

じゃあ僕らが「認めん!」とか言って辞表を突き返せばいいわけですね

それだとまだ弱いな……そうだ、僕に襲いかかってくるとかどうでしょう?

襲いかかってくる二人を撃退して、最後に辞表を叩きつけるんです

退職を止めるのに、なんで撃退されなきゃいけないんだ

唐突ですが僕、ホラー漫画の『彼岸島』にハマってて


吸血鬼サバイバルホラー『彼岸島』

それと何の関係が?

襲いくる吸血鬼を撃退していく過程がドキドキして。それくらいのスリルが退職にも欲しいなと……

個人の趣味を退職に持ち込まないでください

そうだ、いっそ二人とも吸血鬼のメイクをしてください!

 

…..

「退職を止めようと襲い掛かる吸血鬼を撃退して、辞表を叩きつける」これでいきましょう!

 

….

早速いろいろ準備しなきゃ。ワクワクしてきたな〜!

いや…

 

付き合ってられるかいッ!!!!

岡田さんは辞めるからいいですけど、みんな仕事があるんですよ!

そんなに派手にしたいなら、爆破でもしたらどうですか!

辞表と一緒に爆発したら、人生ごと辞められますよ!

無茶苦茶言うな

とにかく、もうこれ以上はひとりでやってくださいね!

 


帰っちゃった……

 

 一週間後…

退職日が迫っていた。僕はまだ理想の辞表の叩きつけ方を、見出せずにいた。

 

 

はあ、なんか派手な辞め方はないかな….

 

「辞表」で検索を繰り返していると、とあるサイトにたどり着いた。

なになに……退職祈願の神社」だって?

それは福岡県にある「金田神社」という神社だった。なんでも退職祈願で知られるらしい。辞表を神社に持って行くと、特別なハンコで「退職の承認」を行なってくれるという。

 

ハンコ…僕のやってきた仕事に関連するし、いいかもしれない

 

ただ神社のWebサイトではそれ以上の情報を得られなかったし、フォームから問い合わせてみたものの、返信はない。僕は東京に住んでいるため、気軽に福岡にも行けない。

 

そうだ、九州の神社といえば……

 

悩んでいたところ、以前ライターの飲み会で知り合った人物を思い出した。たしか「九州の神社仏閣巡り」についての本を出していたはず。
とりあえず連絡をとってみると、なんと金田神社のことを知っているという。僕はすぐに取材を申し込んだ。

 

専門家への取材

というわけで、都内のご自宅でお話を伺うことになりました。こちらがノンフィクションライターの永芳健太さんです

よろしくお願いします

ご連絡した通り、福岡県の「金田神社」について調べていて

はいはい、金田神社ですね。退職祈願で有名です

特別なハンコを押してもらえるって聞いたんですが……

資料を探していたら、ちょうどいいテープを見つけまして。ちょっとお見せしますね。

 

そう言うと、永芳氏は古いビデオテープを取り出した。

 

ビデオデッキに入れると、キュルキュルと音を立ててテープが回る。小さな画面に、資料館の教材のような映像が流れ始めた。

 

もともと福岡といえば、歴史的な金印が発見された地として知られています。これは漢が倭奴国を承認したハンコ、とも言われていますね

金印!歴史の授業で習いました

それで金田神社のある地域では、かつてハンコづくりが盛んでした

 


金田神社への階段

それで金田神社にハンコがあるんですね!でもどこが特別なハンコなんでしょう?

歴史的な引責辞任に使われたからです

歴史的な辞任!?

福岡といえば古来から重要な外交拠点でしたが、あるとき港での小競り合いが原因で、重大な外交問題に発展しそうになりました。ただそのとき要職にいた人物が、自ら職を辞すことで事態を回避したんです。その際使われたのが、特別なハンコ……「金の承認印」です

金の承認印!


金の承認印

この辞任は、危機を救った勇退だと讃えられました。「辞め方」には古来から美徳があったんでしょうね。以来、神社にはこの承認印が、退職の縁起物として祀られるようになったんです

 

話が見えてきました。もしかして金田神社に行ったら、その伝説のハンコを押してもらえるってことですか!?

そうですね。ただ紹介でしかやってないと思うので、僕のほうで連絡しときますよ

やったー!これは最高の退職になるぞ!

ちなみに、この地域にはもうひとつ面白い言い伝えがあって…それが「呪印」の伝説です。

呪印?

先ほど「かつてハンコづくりが盛んだった」と言いましたが、そのうち産業は廃れてしまいました。職人たちは仕事を失い、大量のハンコが破棄されて。百年以上の伝統あるハンコも失われたみたいです

それで捨てられたハンコが呪いになった……みたいな話ですか?

まさに。ハンコ文化は世界中で古来より存在しますが、ハンコは自分の代わりに意思を示す「分身」でもあります。だからそこに、呪術的意味を見出す伝承があったりしますね

僕もある意味、ハンコを減らす仕事をしてたんで、他人事じゃないかも。今日はありがとうございました!

 

その後、永芳氏に繋いでもらい、退職祈願の予約をとることに成功した。
電子印を開発していた自分にとって、辞表に伝説のハンコを押してもらうのは、最後にふさわしい儀式だと思えた。

 

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