オモコロ編集長の原宿です。
先日、初めていきなりステーキの「チキンステーキ」を食べました。
前々から「チキンがあるなあ」という認識はあったのですが、いきなりステーキと言えば分厚いビーフステーキで強制的にやる気スイッチを入れるために行くような場所で、この店でアッサリとしたチキンを食べるという発想はついぞ持ったことがありませんでした。値段も結構高いし(770円)、いきなりステーキでチキンを頼む時ってどんな時なんだろう。
しかし前回のこちらの企画でも触れた通り、「頼んだことのないメニューを食べる」のは手の届く生活圏内でできる冒険としてはなかなか面白く、チキンステーキも思い切って注文してみようと思ったのです。完全に勢いづいています。ビーフステーキとチキンステーキを同時に食べられる「テンダーコンボ」というメニューにかなり後ろ髪を引かれましたが、ここは潔くチキンだけにフォーカス。
いきなりステーキって、ワサビを添えられるのが好き。
チキンのお味はと言えば、ビーフに比べてやはり「アッサリ」「淡白」という印象。ただスーパーで買った鶏肉を家で調理するよりも歯ごたえが良くて(肉が水っぽくない?って言うの?)、これはこれでかなり美味しいです。メインで食べると言うよりは、ビーフの箸休めにチキンに行くというコース取りはかなりアリ。やっぱりテンダーコンボ、最高じゃないか!
食事後、「へぇ~、こうだったんだ~」と食欲と同時に知識欲も満たせた気がして、心なしかいつもの食事よりも脳に美味しかった感じがしました。食事って、胃腸と満腹中枢のためだけに存在しているものではないのかもしれない。自分たちはもっと好奇心オンリーの注文をしていっていいんだ! 頼んだことのないメニューを食べると、そういうことを感じます。
今回も自分以外の人が「注文したことないメニュー」も気になったので、オモコロライターの人たちにお願いして試してもらいました。
リンガーハットの「まぜ辛めん」
リンガーハットは英語で表記するとRingerHutとなり、これは『リンガーさんの小さな家』という意味になるらしい。
リンガーさんとは長崎に拠点を置いた英国商人フレデリック・リンガーのこと。いまでも生家が観光地として残っているそうだ。すてきだ。私も将来的には『藤原さんの小さな家』という小料理屋を出したい。
しかし今日私がリンガーハットで食べるのはちゃんぽんではない。『まぜ辛めん』だ。ちゃんぽんでなく、皿うどんでもなく『まぜ辛めん』。
(゚Д゚)ハァ?
2021年にもなって『ハァ AA』で検索させないでほしい。ずっとリンガーハットはちゃんぽんと皿うどんの二軸でやってきている。しかしいつのまにやらレギュラーメニューに顔を出し始めたのが『まぜ辛めん』だ。挑戦や革新がもてはやされるあまり、リンガーハットは『変化しない勇気』というものを忘れてしまったようだ。俺は怒っている。
そんな折に原宿編集長から本記事のお話があり、本日『まぜ辛めん』と対峙する運びとなった。
『まぜ辛めん』がきた。
別皿で用意されているのは花椒オイル。けっこうたっぷり入っている。
なんと紙ナプキンまできた。リンガーハットに紙ナプキンの用意があるなんて。
せっかくなのでつけた。この店で紙ナプキンをつけているのは私だけである。自前だと思われたらイヤだな。
まずは花椒オイルを入れずにそのまま食べてみよう。
ちゃんとまぜて・・・
一口。
Kindness.
うっかりフレデリック・リンガーさんのお国言葉が出てしまった。やさしい味だ。野菜の甘みとひき肉のうまみ。そしてなによりうれしいのが、ちゃんぽんに近いモッチモチの麺。ちゃんぽんとは別の料理でありながら、しっかりリンガーハットの遺伝子を残している。これはちゃんぽんファンの私にはうれしい。
まぜめんと聞くとニンニク、ショウガ、ねぎ、コショウといった薬味とたっぷりのオイルのパンチが強くきいた味を想像してしまうが、リンガーハットの『まぜ辛めん』はやさしい。
あまりおいしそうな例ではないかもしれないが、土曜の昼におかあさんが作ってくれる麺類みたいなやさしくて素朴な味わいだ。
ホントを言うとゆとり世代で学生時代のほとんどは土曜休みではあったが、上の世代から聞きかじった『土曜半ドンのお昼』の思い出から構築された『母の味』がここにはある。自発的に「うまい!」と発する味というよりは、シンクに向いてお皿洗いをしているおかあさんから背中越しに「おいしい?」と聞かれて「うん」って返すかんじの味。
うーん。めっちゃうまいんだけど、これだとうまそうに聞こえないな。激昂したフレデリック・リンガーさんに殴られたらどうしよう(フレデリック・リンガーさんは暴力に訴えるような男ではないが…)。
しかしここで活きるのがこの花椒オイル。これを加えることで盤面の様相は一変する。
このオイル、けっこう辛いうえにたっぷり量がある。当然、個人の好みに合わせて量は調整するべきだが、全部入れるとかなり辛い。花椒独特の風味も強く、食欲がどんどん湧く。オイルのうまさが舌から脳へダイレクトに届く。からいからい。うまいうまいうまい。
先ほどまで『まぜ辛めん』が見せていた家庭的でやさしい笑顔は、この乱暴で刺激的な一面を魅せるための布石でしかなかったのか。クソッ! やられた! めっちゃジャンクにうまい!
この二面性はオタクが好きなやつである。リンガーハットが擬人化アニメになったら『まぜ辛めん』は糸目でFA。
ごちそうさまでした。すっかり『まぜ辛めん』に魅了されてしまった。
紙ナプキンはすこしも汚れなかったが、その心づかいがうれしい。ありがとうリンガーさん。長崎に行くことがあったら生家にご挨拶に行かせてください。
サーティワンのポッピングソーダ
『一ヶ月毎日違うフレーバーのアイスを楽しんで欲しい』というパワフルな願いが名前になった、世界最大アイスクリームチェーン店「サーティワンアイスクリーム」。
私は毎日違う味のアイスを食べたいと人生で一度たりとも考えたことはないが、そういった気概を持つサーティワンの膨大な種類のアイスから2つ(ときには3つ)チョイスするのはかなり楽しい。お気に入りで固めるもよし、限定フレーバーにチャレンジするもよし。全てが自由で、思うままだ。
そんな選択肢の申し子とも言えるサーティワンでドリンクメニューを頼んでみる事にした。好きなアイスで作るシェイクは知られた所だが、私が飲むのは「ポッピングソーダ」。パチパチ弾けるキャンディーが入った人気フレーバーポッピングシャワーをソーダに浮かべた飲み物だ。
今までで頼んだ経験がない理由はアイスが選べなさそうだからだ。選択肢のないサーティワンというのは刀を紛失した宮本武蔵のようなもので、私にとっては物足りなさを感じてしまう。それぐらいアイスを選ぶという行為は楽しみであり重要なのだ。
私は仕事終わりにサーティワンへ向かい、店外のメニューを見てみた。
店頭に用意があるフレーバーを数えてみたら本当に31種類用意されていて驚いた。
正直ハッタリだと思っていたが、サーティワンは名実共にサーティワンだったのだ。
よく見ると準備がないフレーバーには留学中という札が貼ってある。「確実に私よりも学があるアイスクリームじゃん…」と、海外で生活しているフレーバーに軽い劣等感を抱いてしまった。
店に入り店員さんに「ポッピングソーダください」とお願いすると、予想外の言葉が返ってきた。
「アイスは何にいたしますか?」
アイス、選べたんだ!!
しかし、ポッピングシャワー以外のアイスにしてしまっては「ポッピングソーダ」とは呼べないのではないかと思い素直にポッピングシャワーを選んだ。
ソーダが出来上がるまでの間、店内を見回していると限定フレーバーのポップが目に入る。小倉トーストやフレンチトーストといった喫茶メニューのフレーバーを推していた。
いつもならラムレーズン+限定フレーバーのダブルという攻守バランスの取れたアイスを頼んでいるのだが、今日は出来ない。
そう思ったら段々悔しくなってきて「パチパチするキャンディーが入ってるからってソーダと組み合わせるのは安直だな。芸がないね」等と心の中でポッピングソーダの悪口が次々に浮かんできた。
私は憎きポッピングソーダを店員さんから受け取り席に付いた。
思いのほかテンションが上がるビジュアルだ。見た目の涼やかさが食欲をそそる。
さっきまでの憎しみは何処へやら、私は嬉々としてソーダを一口飲んだ。
うん!!ほんのりブルーハワイ風味で少し上品でありつつも、どこかオモチャ感がある味わいだ。
アイスを口に運ぶと、ミントとチョコレートの風味がソーダにマッチして特別な味がする。普段口にするソーダフロートより口当たりが濃厚でクリーミーだ。
飲む前はキャンディーのパチパチとソーダのシュワシュワ、口の中にバブを噛じった時以来の強刺激が訪れる…と覚悟をしていたのだが、互いの効果で相殺されたのかずいぶん静かだった。不思議だ。
アイスがなくなった頃、星型のプルプルした物体がでてきた。
歯応え的にナタデココだろうか。いっぱいの食感があっておいしい。
飲み終わった後、カップの底に大量のキャンディーが溜まっていたので必死にストローで吸い出したり、ほじくり返したりしながら一生懸命キャンディーを食べた。我ながら、知恵のある動物が食べづらい物を食べるときの動きをしていたなと思う。
ポッピングソーダ。今回は一人でゴクゴク飲んだが、友達と軽くお茶したい時などにちょうどいいかもしれない。
銀のさらの助六寿司
銀のさらで助六寿司を頼む。
すごいことだ。これはすごいことだと思う。
助六寿司、昔は本当に存在意義がわからない寿司のスカだと思っていた。
カービィが吸い込んでコピーすると、マグロだったら「ドゥルルン!」と能力をコピーしてマグロカービィになれるが、助六寿司は「スカッ」という音だけ鳴って何も変化がない。
そういうハズレの存在だと思っていた。
だが、年を経るごとにどんどん助六寿司が好きになってきている。
なんというか、鍛錬を続ける控えメンバーみたいな。決してレギュラーメンバーではないんだけど、補欠として試合に出場する選択肢には入れるくらいにはなっている。
そして、今後もその評価が上がることはあれど下がることはないだろう、という気がしている。自分の中で助六寿司はそういう評価のものだ。
しかし、これくらい助六寿司に関しては好意的に捉えている自分でさえ、銀のさらで助六寿司を頼むというのは、やはり道理に反していると思ってしまう。
宅配寿司というのはハレの物で、助六寿司はケの物だからだ。そこで明確に矛盾してしまう。「銀のさらで助六寿司を頼む」、この一文で既に矛盾が生じているのだ。
だからこそ、今回頼むべき価値がある。
さっそく登場して頂こう。
これが矛盾の集大成「銀のさらの助六寿司」だ!!!!
恐らく、実物を目にしたことがある人は世界に4人しかいないだろう。
https://www.ginsara.jp/areas/1/products
銀のさらのメニューを見てみてほしい。
通常みんなが頼むであろう握り寿司セットには、助六成分は一切含まれていない。
つまり、銀のさらではこの「助六寿司」を頼まない限り、かんぴょう巻もいなり寿司も出てこないのだ。
これはすごいことだ。キミはわざわざ、銀のさらでこれを頼むのか? 正直に言ってくれ、今ワクワクしてる奴は何人いる? 0だろう?
まあいい。
早速いただいてみよう。
うん、あの~、なんというか。
普通に助六寿司だ。
いや、そうなんだよな。助六寿司に奇襲性はいらないんだよな。しっかりと助六寿司だ。定められた仕事だけをキッチリとこなす、いかにも助六らしい助六。
これは「銀のさらの助六寿司をわざわざ頼む理由」よりも、「銀のさらで助六寿司を頼む状況」を考えてみた方が有意義かもしれない。
「握り寿司セット 匠(たくみ)が4個」と「助六寿司が1個」。もしもこういうオーダーがあったとしたら、みなさんはどう思うだろうか?
俺はこう思う。「助六寿司を頼んだ人間が金を払っている」と。かなりの年長者が「お寿司でも取ろうか」と、親戚の集まりか何かで言ったのだろうと。
その時、助六寿司を注文した年長者はワクワクしているだろうか? いや、していない。しているわけがない。その年長者は寿司への興味などとうになくしているのだ。
そこにあるのは、握り寿司の前でワクワクしている若い世代に、何かを託したいという想いだけだ。彼らに喜んでほしいという純たる善意だけだ。
銀のさらの助六寿司はそういう商品なんだ。これ単体でどうこうじゃない。
今の自分レベルで理解なんてできるわけがなかったんだ。
きっと、老いるとは自分の中での助六寿司がどんどん大きくなっていくことだ。
そう思うと、悪いことじゃないのかもしれない。
いつか、また銀のさらの助六寿司とは会うことになるだろう。笑顔で会えるといい。
ちんぽがかんぴょうみたいな色になった時に、また。
吉野家のチキン南蛮