こんにちは。国府町怒児(こうまちぬんじ)と申します。

今日は、「なぜビーフジャーキーの天狗はあんなに険しい顔をしているのか」について考えていこうと思います。

 

はじめに

私が幼い頃、年末になると父方の親戚が私の家に集まってきていました。そこで何故か、毎年絶対ビーフジャーキーを買ってくる親戚がいたんです。

ビーフジャーキーなんて普段は家に置いていないのと、単純においしいのとで、年末に食べるのを結構楽しみにしていました。

ただ、そのビーフジャーキーのパッケージには、天狗が描かれていたんです。それを見て、「なんでこの天狗はこんな険しい顔をしているんだろう」と幼心に疑問に思いました。パッケージに睨まれたことありますか?

 

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私の知っているお菓子のパッケージは、どれも賑やかで楽しげで、載っているキャラクターも基本的に親しみやすいイメージがありました。無表情なのは、かっぱえびせんのエビくらいでしょう。

だからこそ、わざわざイラストでこんな険しい顔を見せてくるビーフジャーキーに異質なものを覚えたのです。

 

この天狗は何なのか。

何があってこんな顔になっているのか。

こいつは何を考えているのか。

 

様々な疑問を解消できないまま成人になってしまいました。

そこで、このままではいけないと思い、この天狗が険しい顔をしている背景について考察することにしました。

 

 

天狗のプロフィール

まずは、天狗のプロフィールを簡単に紹介します。

天狗は元々、中国で生まれた妖怪です。

 

 

(『山海経』)

 隕石や流星とそれに伴う音を象徴する怪物で、不吉な予兆として人々からは恐れられていました。

『天狗はどこから来たか』(杉原 2007)によると、「1 天から降ってくる。2 音を発する。3 災厄をもたらす。」という三つの要素を持っています。

 

姿は日本の天狗とは全く違い、四本足の犬のような外見をしています。つまり「天(空)」から降り注いだ「狗(犬)」という意味なのです。それが『史記』や『漢書』といった書物を通して日本に伝わってきます。日本でも飛鳥時代の637年には中国と同様の解釈をした形跡があるのですが、あまり定着はしませんでした。

 

その後、400年ほど歴史に埋もれることになります。天狗の下積み生活は長い。

 


(『是害坊絵巻』)

転機になったのは平安時代。

妖怪として姿を変え、『源氏物語』や『栄花物語』などにちょっとずつ現れるようになります。何とかイメチェンに成功したんですね。

十一世紀初頭には、「背中に鳥の翼があり、口も鳥の嘴となった半鳥半人」(同 2007)の姿になっています。いわゆる烏天狗です。

そして、十二世紀。『今昔物語集』の第二十巻で何話かストーリーの主役を任され、妖怪としての地位を確立します。

いやあ、よかったよかった。

 


(『フリー写真素材 街画ガイド』http://komekami.sakura.ne.jp/)

室町時代の『太平記』辺りからは、山伏のような服を着るようになります。その後、様々なバリエーションの天狗が登場する中で、いつの間にか顔が赤くなり、鼻も長い天狗のイメージになったようです。

赤ら顔と長鼻になった経緯は、諸説ありますがはっきりとはしていません。

 

以上が天狗の概略です。

ビーフジャーキーの天狗は、天狗の系譜としては割と新しい部類なんですね。

 

画像から導かれる三つの説

さて、いよいよビーフジャーキーの天狗について観察します。

大まかに言って、三つの説が考えられます。

順に紹介しましょう。

 

 

眩しかった説

まず私は、画像の陰影に目をつけました。イラストを見ると、影が水平に入っています。

これは、光が真横から射していることを示しています。ということは、太陽が低い位置にある朝日か夕日を浴びているということです。

日中の埃や水分で太陽光が弱められる夕日では、ここまでくっきりと影は出ないので、朝日が濃厚です。

天狗は山にいるので、山で朝日を浴びながらこちらを睨んでいるというところまで分かりました。

 

ん?光を浴びながら写真を撮ったら睨んでいるみたいになった?この状況、どこかで経験したことありませんか?

そう、眩しいときです。

 

眩しいと、人は目を細めたり眉を潜めたりして険しい顔になるのです。難しく言うと、光眼輪筋反射(photopalpebral reflexといいます。ビーフジャーキーの天狗も眩しかったのかもしれません。

 

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朝方、木々の中から出てきた天狗。

射し込んで来た朝日に「うおっ眩しっ」となっているところにカメラを構えた人間が、「こっち向いて下さい」と声をかけたらどうでしょう。

おそらく、こんな表情になるのではないでしょうか。

 

対等な高さなのがむかつく説

 次は、天狗の行動に着目してみます。

天狗にまつわる言葉で、「天狗笑い」という現象があります。

道を歩いていると突然笑い声が上がり、それが天狗の仕業なのではと恐れられたというものです。

『現代民話考(1)』(松谷 2003)には、数多くの天狗笑いの目撃情報が収録されています。

 

「岩山に天狗が住んでいて、ここを通ると昼中でも岩の上から大声で呼んだり、ゲラゲラ笑ったり、手拍子をうったりしたと言います」(同 2003

「或晩石老山を通ったら上の方でゲラゲラッと笑われ腰を抜かして大いに煩った」(同 2003

「右手の岩の頂上で老人の高笑いのような声が聞え、左手の岩でも同じ声がし、そのうち両側の声が一緒になって、ものすごい高笑いがひびいた」(同 2003

共通しているのは、上の方から人間を一方的に笑うという現象です。趣味が悪いな。

 

何がそんなに笑えるのか分かりませんが、天狗にとって「通行人が下の方を歩いている」のがツボのようです。

では逆に、対等な高さまで来られてしまったらどうでしょう。

ちょうどこのパッケージは天狗と同じ高さから撮影されています。

 

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「なんで人間が自分と同じ高さに来てるんだ」と少しむっとしたのかもしれません。

だとすれば、このビーフジャーキーの天狗のように顔が強張るというのも説明がつきます。

 

気難しい個体説

三つ目は、この個体がたまたまいつも険しい顔つきをしているだけという説です。

人間のコミュニティに必ずいる、「なぜか不機嫌そうにしている爺さん」の天狗版ということです。

 

この天狗をよく見ると、額の皺と白髪という点からけっこう年配の天狗な印象を受けます。人間で言ったら50歳後半から70歳前半位でしょうか。

もちろん、人間と同じ基準で老若を判断していいのか分かりませんけどね。

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こいつは偏屈で、近所の中でも敬遠されています。子供の天狗が自分の家の駐車場で遊んでいようものなら、怒鳴り込んできます。もちろんその狭量さは町内中に知れ渡っています。

だから余計に意地になる。眉間に皺を寄せて自分を保とうとする。それがたまたま写真に撮られて、パッケージになってしまったという訳です。

他の天狗にとってはたまったもんじゃないですよね。もっとにこやかで印象のいい個体もいっぱいいるのに、よりによって近所の偏屈爺さんが選ばれたんですからね。

 

まとめ

以上の三つの説を私からは提唱させていただきます。気に入った説はありましたでしょうか。個人的には、眩しかったんじゃないかなあと思うんですよね。

この記事を書いてたらビーフジャーキーが食べたくなってきたので、夜こそこそ買ってきました。

 

うん、険しいですねえ。

この険しさを何かに活かせないか……そうだ!

 

 

筋トレをサボらないか見張る係にしました。

 

 

【参考資料】

『現代民話考(1)』松谷みよ子 2003 筑摩書房
『天狗の研究』知切光歳 2004 原書房
『天狗はどこから来たか』杉原たく哉 2007 大修館書店
『うつ状態の光眼輪筋反射の観察』 中野哲男 1974 精神医学1612
『今昔物語集』における「鬼」と「天狗」 : 巻二十第七話を中心に』 久留島元 2009 同志社国文学70
『山海経』
『是害坊絵巻』

『街画ガイド』http://komekami.sakura.ne.jp/(最終確認2017/06/29)

 

(おしまい)

 

 

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