時々、小説を書いてみたくなったりする。僕のこの手は「とんじる」か「ぶたじる」か分からないメニューを指差すためにあるわけじゃないから。

 

 とはいえ、こういったエッセイやコラムという体ならなんとか誤魔化しはきくが、小説となると僕の文体はあり得ないほど稚拙に見える。

 

 とにかく、言葉が出てこないのだ。

 

 「仕返し」という行為をスッと「意趣返し」と表現できる人は一体どんな人生を送ってきたんだろうか。

 

 どこでそんな言葉を覚えてきたんだ?日曜学校か?どうやら僕がふりかけでメシを食べたりして遊んでる間に、ずいぶん先を越されてしまったらしい。

 

 「忸怩たる」、「殊勝」、「キュロットスカート」などなど。どれも僕の脳のスタメンからは外れている。終わりかけのチョコボールの箱のように頭を降ってみても一つもこぼれてきやしない。「無辜」という単語を見ると何故か「睾丸」が浮かんでしまうのは僕だけなのか?

 

 僕だって昔は文学少年で、中学時代は太宰治とオレンジレンジに深く傾倒していたのに。学生のうちに文学賞取ってセカンド乙一って呼ばれるんだーなんて夢を持っていたのに。乙一にセカンドもサードもなかったが。

 

 その頃のコンプレックスがまだ根付いているのか、豊富な語彙で書かれた含蓄のある文章を見ると、作者の年齢を確かめる癖が治らない。

 

 年下だとハンカチを噛んで悔しがり、年上でも、その人の年齢に追いついた時にこれほどの文章を書けるかどうか分からず不安になる。

 

 

 語彙が貧弱なことよりもさらに怖いのは、誤字や誤用だ。

 

 かつてネット上で小説を書いたことがあるが、「下半身に何も身に付けていない状態」のことを文中で「フリチン」と表記したら、読者から「フリチン……?フルチンじゃなくて?」、「フリチンってどこの田舎の方言だよ」とボコボコに叩かれ、以来ショックで大声が出なくなった。

 

 まあ、それはいいとして。

 

 とにかく小説を書くにはリスクが多い。でも小説は書きたい、一体どうすればいい?

 

 ツナ多めのサラダを先輩に取り分けてあげながら熟考したところ、ひとつの名案が浮かんだ。

 

 そうだ、AIに任せればいい。

 

 日進月歩で発展する現代のAI技術ならば、そのうちプロットを入力するだけで目の覚めるような名文をしたためてくれる魔法のツールが実現するだろう。

 

 僕は、ただ待てばいい。

 

 その技術が実用化される日まで、ネタを溜め込んでおけばいい。

 

 いつか、僕の書きたかった「納屋で双子のおじさんを飼う女子短大生の日々を描いた小説」が、AIによって生み出されるだろう。

 

 その作品の題名は、もう決まっている。

 タイトルは、そう。

 

     ――文字そば。

 

 

 

 

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