やっていませんでした。
検証終了です。さようなら。生まれてこなければよかった。
ここで終わるのもあれなので、あらかじめリサーチしておいた別の店もチェックしてみます。
なにしろ戸越銀座の商店街は全長1.3kmを誇り、観光目的に来る人も多い長大な商店街。
「定休日なのに意外とやってる店」が一軒くらいあるかもしれません!
次に狙いを定めたのは割烹料理の「やまなみ」。
お刺身の盛り合わせが美味しそうなんですよ。もちろん定休は木曜日です。
やってませんでした。
というわけで結論は……
ありがとうございました。
……いや。違う。
私はこんなことを調べに来たのではない。
「がっかり」に抗うのが目的だったはず。
たった2回のがっかりに負けて逃げ帰るようではなにも成長していません。
むしろ、もっと多くの「がっかり」を摂取しなければ成長はない。
そこで私はふたたび歩き出しました。
自らの手で「がっかり」をつかみとるために。
戸越銀座 がっかりハシゴ
探してみると、意外と「やってない店」は多い。
早速発見したのは修理専門店の「チャップリン」
残念ながら本日が定休日でした。
特に修理してほしいものはなく用事があるわけではないのですが、「やってないんだ」と思うとなぜかがっかりしてきます。
すぐに次の「やってない店」を発見。
「シロクマカフェ」はしばらくお休みとのこと。
事情によりしばらく休みのときは、「がっかり」よりは「大丈夫かな」という気持ちになります。
このあたりで、
「どうやら『やってなさ』に対する感情にも種類があるらしい」ということに気づきました。
たとえばこちらのお店は「本日の営業が終了したため、やっていない」パターンです。
「もう少し早く辿り着いていれば……」という感情に駆られるので、普段よりも「がっかり」度は高くなります。
逆に、こちらのように「まだ支度中だからやってない」場合は、
待っていればいずれ「やっている」状態になるので精神ダメージはかなり少ないです。
「店そのものがまだないからやってない」というパターンもあります。
さすがにこれにがっかりすることはありませんが、結局今日食べられないことに違いはないわけで生殺し感があります。
かなりショックが大きいのはこちらのようなパターン。
ハンバーガー屋さんなのですが……。
「リニューアルオープンに向けて準備中なのでやってない」です。
こういうのは予想できないことが多いので、胃のあたりが鈍く痛くなるようなつらさがあります。
四隅の貼り付けが紙の長さにぜんぜん合ってなかったのも予想外でした。
こちらのお店「シンエイ」は、「やってない」ことでそもそも何の店だかわからなくなっています。
雑念を排除した純粋な「やってなさ」を前にして、私たちは純粋な「がっかり」に興じることができます。
変則的な「やってるけど、もうすぐやってない になる」お店。
やっているのでがっかりすることはありませんが、「近いうちにがっかりすることになる」と確定する「予告がっかり」です。
こちらの「やってない」お店(なんのお店かは不明)は違法駐車に注意する張り紙をしていたのですが、
貼る位置がおかしいような気がします。高すぎないか。
これが気になってしまってがっかりするどころではありませんでした。
ねっとりと後を引くがっかり感を残すのが「半やってない」状態のお店です。
怪物から逃げ遅れた恋人の手を取ったら下半身がもう食われてた、みたいなシーンを思い浮かべます。
「がっかり」度で群を抜いていたのがこちらのお店。
定休日 火曜日
そんな……。こんなことって……。
そうなのです。「定休日だけどやってる店」は皆無だったのに、「定休日じゃないのにやってない店」はわりとあるのです。
がっかりを飼いならす
戸越銀座歩きまわって「やってない」を堪能した私は、やっているドトールでミルクティーを飲んで休憩しました。
改めて思ったことがあります。
がっかりするということは、それだけ期待していたということ。
それを避けてばかりいると、いつからか人生に期待することを忘れてしまうのかもしれません。
そして、もう一つ。
店がやってることのありがたみ。今回はそれを痛感しました。
やっている。これを当たり前だと思ってはいけないのですね。
やっているのは、ある意味奇跡なのです。
あと、もう一つ。
ごめんなさい、実際はぜんぜんそんなことないです。
人もたくさんいるし、やってるお店もいっぱいあります。
「がっかり」を極度に避けていた私ですが、それはやはり間違いだったと気づきました。
嬉しいこともあれば、落胆するようなこともある。その起伏が人生を豊かにするのです。
しかし、やはり急にがっかりするのは怖いので、
いつもカバンに「本日 定休日」のプレートを忍ばせ
暇があれば眺めることで「定休ショック」を飼いならすようにしています。
(おわり)