こんにちは。寺悠迅と申します。
まずは次の写真をご覧ください。
Q.これは何でしょうか?
あら。点が3つあると顔みたいですね。
実は、これは僕が作った面白くない福笑いです。
【絶対に成立する福笑い】 -真面目(しんめんもく)-
福笑いの『顔を作る』というルールラインを守りつつ、可能な限り面白さを排除したもの。どう置いても高確率で顔らしきものが揃う。
どれもなんとなく顔に見えますよね。
顔に見える接地付きコンセント
人間は、点が3つあるだけでそれを顔と認識してしまいます。これをシミュラクラ現象と呼びます。多分テストに出ません。忘れてください。
僕は、こういう”無駄で無意味なモノ“の考案を10年近く続けています。
同系統の先駆者として、早稲田大学建築学科の「役に立たない機械」、藤原麻里菜さんの「無駄づくり」などがあります。
僕の活動は、早稲田大学の「役に立たない機械」から派生したものです。
……などと書くと卒業生か何かかと思われそうですが、すみません違います。『タモリ倶楽部』の放送で見ただけです。
「役に立たない機械」につきましては、タモリ倶楽部に先行してデイリーポータルZ様が詳しく取り上げておりますので、そちらをご覧ください。我々はデイリーポータルZから逃げることは出来ません。
とにかく、先駆者ありきの活動であることをご了承ください。宗派が分かれて独自に発展したもの、みたいなものと思っていただければ結構です。
この10年はあまり表に出さず、こっそり趣味としてやってきました。公開することで少なからずエンタメ性が生じ、無駄でも無意味でもなくなってしまうと思っていたからです。
ところが近年、10年も続けられる『楽しさ』は有意義そのもので、本当に無駄で無意味なモノとしては成立しないという自己矛盾に気づいてしまいました。
こうなれば、作ったからには見てもらいたいのが人間のサガです。紹介するんで見ていってください。
無駄で無意味なモノ作りの四か条
頭に入れておくとちょっと理念が理解できるような、気分や気付き次第で変容する鉛の掟。
今のところ僕の中にしか存在せず、僕しか守っていません。
価値を生じさせてはなりません。インテリアや娯楽品としても。間違ってもヴィレヴァンやドンキに並んでいる姿が想像できてはいけない。
手で触れられるばかりがモノではない。Meaninglessはカタチに宿るとは限らない。
花瓶を割って「はい無駄になった~!」はダメです。破壊とは別ベクトルの何かでMeaninglessの道を拓こう。
モノ作りは手を動かすこととは限りません。役立つ既製品の見方を変えるだけでもMeaninglessたり得ます。適材適所を大器小用※へ。
※才能ある人が才能を活かせない場にいることを表す四字熟語
メチャざっくり言うと『無用の長物を意図的に作る』活動です。よしなに。
【貼る失礼】 -御中訂正シール-
返送用郵便物の「○○行(ゆき)」を「○○御中」に訂正するシール。これを使うくらいなら訂正しない方がまだ礼儀がなっているはず。
やってますか? 「○○行」の訂正。
マナーとは、慮りのはず。宛先の場合、ただただ御中に直せばよいワケではありません。行(ゆき)という業務然とした指示にわざわざ打ち消し線を引き、「御中の人へ」と一筆添える思慮こそがその本質。
これが手間を省いた量産品のシールであれば、「行」のまま送るよりも失礼になる。と思う。たぶん。
特に、方形ではなく丸シールなのが一層失礼さを演出する。丸なのに角が立つ。
ちなみに、シールは丸でもデザインはシンプルに、フォントは固いゴシック・明朝体であるべきです。
あまりふざけ倒したデザインだと、ユーモアとして商品価値が生まれる可能性があるから。ユーモアは無駄と無意味の最大の敵であることを肝に銘じて、今日も明日もMeaningless。
【影のヒットマン】 -捺印SIGHT-
捺印をサポートする照準(サイト)が描かれたマット。使用時は上に紙が敷かれるので見えない。
命運を分ける指先。ハンコを押す緊張は、引き金を引く緊張と似ている。
であれば、捺印マットにも照準器(サイト)があれば欲しいですよね。
印鑑廃止の風潮強まる社会。捺印マット自体あまり見なくなりました。
ただでさえ押印しなくなったのに、紙を置けばこの通り。うっすら照準が見えるような、見えないような……
組み立ててから設置幅をオーバーしてることに気づいたDIY家具みたいですね。わざとやってるんですけど。
合皮なので押し心地は悪くありません。色が薄いのは朱肉が半ば乾いていたからです。
急に胡乱な書類をお見せしてすみません。一般的なコピー用紙の厚みがあると、マットがほぼ見えない事をお伝えしたかったのです。
限界までコントラストを調整したらちゃんと下にスタンバっているのがわかります。
ハンドルネームの書類に実名のマジ印鑑(銀行印)を押してみたら、なんか異様にドキドキしました。諸々真似しないほうがいいです。
【重し用ハードカバー】 -Wheighte book-
『重し』に使うための本。重し用なので文字が書いてある必要はないが、だからといって書いていない必要はない。
表紙も中身も全く情報がない本です。何ページあるのかもわかりません。
二年に一度くらいの頻度で困ることがあります。「本などを重しにしてください」という工程に出くわしたときです。
押し花を作るときだとか、何かを接着して固定しておきたいときだとか、皆様も何度か本による重しを指示されたことがあるのではないでしょうか?
家にある一番重いマンガを重ねていた日々
僕は硬派な本をあまり持っておらず、本の重しの指示を受けるたび厭文家(読書家の対義語と捉えてください)のコンプレックスと向き合わされてきました。
それが、白紙のハードカバーを手に入れてからはどうでしょう。
接着剤を固定している様子
真っ白な本は己の読書体験の希薄さを著しているようで、コンプレックスを逆撫でされている気分です。
ある種、無駄とも無意味ともほど遠い。
実のところ、これは束見本と呼ばれるただの製本サンプルです。たまに市場に出回ります。
使い方次第ではメモ帳にも日記帳にもなる可能性の束。
ですが、大事なのは道具の使い道を定めること。白紙である=読み物ではない=重し用である……と落とし込むのが本Meaninglessの要です。
コラム ~世の中にあるモノは限りなく無駄なく出来ている~
無駄で無意味なモノを考えるには、既存のモノがどうしてその形や機能を持っているのかを見つめ直す必要があります。
たとえば信号機。LEDの色を自在に変えられる今、発光部分をわざわざ青・黄・赤の三つに分けておく必要はあるのでしょうか?
どれか一つが壊れていてもなんとか大丈夫
たぶん、あります。三つに分かれていれば、どこか一つのユニットが壊れて点かなくなっても、残り二つである程度の状況判断が可能です。冗長性というやつです。
P型色覚をシミュレーションしたもの
それに、人間の色覚というものは意外と曖昧です。発光機構が一つだけでは色の区別がつきにくくて困る人たちが確実にいます。
「何色に光っているか」より「どこが光っているか」がわかる方が重要なのです。
もっとも、これは経験に基づく僕の独自見解です。意外とあっさり社会は一ツ目信号機に移行するかもしれません。
今日の常識は明日の非常識。
(👆名言っぽいことば! と思ったらドラッカーや日清食品の創業者が言っていたらしいです。僕が最初に言い出したことにならねーかな)
【幻の赤い十字架】 -緑十字カード-
本来掲示が禁止されている赤十字マークを、合法的に持ち歩くことができるカード。
緑十字を30秒見つめた後、カードの裏面や白い壁を見ることで補色残像現象が起こり、赤十字が見える。
本当に真面目な話をします。赤十字というデザインは、ジュネーブ協約などで国際的に不当に使用することが禁止されています。使用できるのは法律で定められている一部の組織だけです。
古いゲームやアニメが再配信される際、赤十字が修正されて話題になったりしますよね。
詳しくは日本赤十字社の赤十字マークの意味と約束事ページをご覧ください。見に行け。この意味のない記事で唯一大切な情報だから。
赤十字マークの重要性をご理解していただいたところで本題です。
ダメだと言われると、挑戦したくなるのが人間の性です。
ここで何よりも重要なのは、赤十字の理念を十分に尊重したうえで、何の主義主張も伴わず「問題のない赤十字を携帯することが可能か否か」を模索した、という点です。
どんなに言ったところで「ウソだね! 揶揄する腹積もりがなけりゃそーゆー発想は出ない!」と言う御心勘ぐりおばけもいるでしょうが、そういうのも人間の性だと思うので俺はお前を許します。
閑話休題。
赤十字のマークは多少変形させたり変色させたりしても、類似しているとみなされ使用することが出来ません。
白地に赤十字、赤新月若しくは赤のライオン及び太陽の標章若しくは赤十字、ジュネーブ十字、赤新月若しくは赤のライオン及び太陽の名称又はこれらに類似する記章若しくは名称は、みだりにこれを用いてはならない。
赤十字の標章及び名称等の使用の制限に関する法律 第一条より
そこで用いるのが、補色残像です。
上のピンクの画像の中央を30秒ほど見つめた後、2枚目の画像の中央をご覧ください。
緑もしくは青っぽい残像が見えませんでしたか?
詳しい説明は省きますが、人間は一定の色に曝された後に白色に目を移すと、反対色(補色)が残像として見えます。これを補色残像といいます。
裏面には説明付き
これは緑⇔赤の補色残像を使い、緑十字を持ち歩くことでいつでも赤十字を見られるようにしたカード……というわけです。
財布に丁度収まるサイズなので、いつでもどこでも持ち運べます。定期的に赤十字を見たい衝動を抱える人を救えるかもしれない。
ちなみに業者に発注したので50枚くらいあります。ヴァンパイアハンターの名刺にも見えてきました。
無駄で無意味を追及する立場でこんなコトを言うのも何ですが、いらねぇ。
【重なる虹の時】 -RGBデジタル時計-
時・分・秒が光の三原色で重なっているデジタル時計。時はB(青)、分はG(緑)、秒はR(赤)。判読性が低く、何時かを考えている先から時刻が切り替わってゆく。
実物を見たほうが「何コレ?」と思うこと受け合いなので、ぜひリンク先をご覧ください。
なあに、怪しいモノではございません。ただのブラウザ上で動く時計です。
(ChromeとSafariで動作確認済みです)
時計とは、時・分・秒を示すアイテムです。
時・分・秒の示し方で大別すると、アナログ時計は針が階層で並んでおり、デジタル時計は横に並列しています。
「じゃ、デジタル時計を階層化してみよう! きっと無駄で無意味なモノができるぞ!」で作られたのがRGBデジタル時計です。
ちなみに時・分・秒は波長の短い順に当てはめてあります。短針・長針と言いますし。
逆にアナログ時計を並列化したものもあります。
しかしこれは比較的容易に時間が判別可能で、心なしかオシャレな雰囲気が漂うので『無駄で無意味なモノ』としては失敗作と考えています。
実はこれらの時計、私がこのメディア――オモコロ――で記事を書くきっかけになったものです。
これでオモコロ杯2022という記事コンテストに応募し、まんまと金賞をせしめ、ライターデビューに至った経緯があります。
しかもその際は『アナログ時計とデジタル時計の精神を入れ替えて能力を変質させる』と題し、違うテーマ性を引っ提げて記事化しています。
『無駄で無意味なモノを作ったので見てくれ!』などと言ったところで、訴求力に乏しいので。
無駄で無意味なモノを作ったのに、転用して賞まで頂戴する。この時、『本当に無駄で無意味なモノなんて、きっと作れない』と悟りました。
超えられない壁にぶち当たったとも言えますし、不思議と視界がひらけた気もしました。
いずれにせよこの瞬間、無駄で無意味なモノ作りが一つの節目を迎えたことは確かです。
おわりに
無駄で無意味なモノ、ご理解いただけました?
ご理解いただけずともそれはそれで結構。モノの見方の違いが新たにモノを生むので。
無駄で無意味なモノ作り四か条が一つ、『モノの見方で無駄を呼べ』。
これを転用すれば、見方を変えて無駄なモノを有益なモノとすることも可能です。
「良いも悪いもリモコン次第」と鉄人28号で歌っていたし、「神にも悪魔にもなれる」ってマジンガーZで言ってました。
「発想を逆転させるのよ」とか「逆に考えるんだ」という名台詞もあります。「枯れた技術の水平思考」なる哲学もありますね。
無用と有用のこねくり回しは、古今東西、誰もが嗜んできたポピュラーな挑戦ということなのでしょう。
とても楽しいので、皆さんもMeaninglessな、無駄で無意味なモノを考えてみませんか。
うっかり有益なモノを思いついてしまったら、その時は発表せず特許とか取りましょう。もしくは僕にこっそり教えて下さい。
その日のうちに公表して、『無駄で無意味なモノ』にしてみせます。