筆者には、美容師をしている友人がいる。
彼女の名を、仮に白間さんとしよう。
先日、その白間さんの店での散髪中に、夏の暑さも手伝って「怪談」がトピックにのぼった。
とりとめのない雑談のつもりだったが、その場で彼女の口から語られたある奇妙な話が妙に心に引っかかった。
これは記事のネタになるかもしれない。そう思った筆者は、日を改めて彼女から話を聞くことにした。
都内某所のファミリーレストランに白間さん(仮名)を呼び出した。
(筆者)「では、先日聞いた話を、もう一度してもらってもいいですか?」
「ええと、最近暑いじゃない? だからお客さんに『怖い話とか体験とか無いですか?』って雑談を振ってみたんですよ……。そしたら、まったく接点のないはずの3人のお客さんから、それぞれ似た体験談が上がってきまして……」
「似た体験談」とはどういうことかと尋ねると、それぞれ異なる話なのだが、構成する要素がなぜか符合するのだという。その一致する要素とは何か、と質問を重ねると、彼女は何かを考え込むような表情になった。
「まず3人とも、『昔あった話で』とかじゃなくて、現在進行形で体験してる話らしいんだよね。で、その話っていうのがなんというか……近づいてくる話で」
——近づいてくる話。
「メリーさんの電話」に代表されるように、それ自体は怪談のフォーマットとしてはありがちなものだ。
もしかしたら、3人はインターネットなどで見知った話を自分の体験談という体で話しているのではないか? そう思った白間さんは、さまざまなキーワードをネット検索にかけてみたという。だが、同じような話を見つけることはできなかった。
3人は、知り合い同士でもないはずだし、そんな風に美容師をからかうような人柄でもない。
もし本当に3人が同時に、同じような恐怖体験をしているとしたら?
そう思うと、白間さんは妙に背筋が寒くなったという。
「そしたら、その3人に直接話を聞くことってできそうですか?」
「本人たちに確認しないとだけど……。次にお店に来たときに聞いてみるね」
「お願いします!」
1人目:Aさんの話
しばらく後。
白間さんを介して、3人と連絡を取ることができた。
仮に3人を、Aさん、Bさん、Cさんとする。
まずは、Aさんと会うことができた。指定されて向かった場所は東京・杉並区の公園だった。
彼女が白間さんに話した「体験談」とはどういったものなのか。
渋谷のIT企業に勤務する会社員のAさん。
「そうしましたら、どんな体験をされたのか教えていただけますか?」
「はい……。最初は、だいたい1ヵ月前でした。私、通勤で職場のある渋谷駅から浜田山駅まで、井の頭線を使ってるんですよ」
京王井の頭線 路線図
最初に”それ”に気付いたのは、渋谷から2駅の駒場東大前駅でだった。
「駅のホームに、変な人がいたんです」
「変な人?」
「細身の男の人だと思うんですけど、ホームから電車の中を覗き込んでいて。誰かを探してるような感じでした」
Aさんは、その男の行動よりも、服装に違和感を抱いたという。
目深にかぶった帽子にマスク。夏だというのに、長袖のパーカーを着こんでいた。ただ、そのときはまだ軽い違和感を覚えただけだったそうだ。
「それから2~3日後だったと思います。また帰りの電車で、同じ男の人を見たんです」
「それは、同じ場所でですか?」
「いえ、今度は1つ隣の池ノ上駅にいました」
「また何かを探している様子で……何の気なしに見ていたら、目が合っちゃったんです。そしたら、そのままこっちを凝視してきて」
怖くなったAさんは咄嗟に目を逸らした。電車が動き出したタイミングで恐る恐る男を見やると、男はまだAさんを見つめていた。
「さらに数日後、今度は下北沢駅にその人がいて。今度は最初から私のことを見ていたんです。電車に乗ってくるでもなく、ただホームからずっとこっちを見てて……。怖くなって、その日から乗る車両を変えました」
「車両を変えたら、男を見ることはなくなったんですか?」
「……そうですね。そのときは、それで大丈夫でした」
駒場東大前駅、池ノ上駅、下北沢駅……。
たしかに男は、現れるたびに1駅ずつ、Aさんの最寄り駅である浜田山駅へ近づいているようだ。
「ここまでが、だいたい白間さんに話した内容なんですけど……。実は一昨日、またあの男の人を見ちゃったんです」
「一昨日ですか……。それまでしばらく見ていなかったんですよね?」
「ええ。でもそのときは急いでいて、つい、前と同じ車両に乗ってしまって」
「その男は、今回はどの駅に?」
「……西永福駅です」
西永福駅といえば、Aさんの最寄り駅・浜田山駅の1つ手前ということになる。
「次にもし、最寄り駅にその男が現れたら……正直、電車を降りるのが怖いですね」
Aさんはそう言って、不安そうに目を伏せた。
現場検証
Aさんの案内の元、実際に男がいた場所を訪れてみた。
いつも男が現れるのは、退勤時のラッシュアワー、つまり平日の夜だ。週末の昼間である今ならば、鉢合わせることもないだろうというのが、Aさんの見立てだった。
「その人がいたのは、だいたいこの辺りですね」
周囲を見回してみるが、誰もいない。予想はしていたが、男の痕跡を見つけることはできなかった。
都心を走る割に、短い5両編成である井の頭線は、ホームも比較的狭い。ここで不審者に出くわしたら逃げ場がないとも言える。
Aさんには十分気を付けてほしいこと、何かあったら知らせてほしいことを告げて、取材を切り上げることにした。
別れ際に、ふと気になったことを聞いてみた。
「ちなみに、その男性はどんな表情だったんでしょうか?」
「マスクのせいであまりよく見えなかったんですけど……。最初に見たときは、無表情だったと思います。ただ……」
Aさんの顔には、困惑の表情が浮かんでいた。
「この駅で一昨日見たときは、笑っているように見えました」
2人目:Bさんの話
次に会えることになったのは、神奈川県に住むBさんだ。
会社員の男性、Bさん。
Bさんが体験した現象は、彼の自宅内で起こったという。話を聞かせてほしいと頼んだところ、一人暮らし中のマンションの一室に招いてもらった。
「では、何があったか教えていただけますか?」
「このマンションって作りがしっかりしてて、隣人の生活音とかは全然聞こえなくて静かなんです。ただ、逆に部屋の中の音は割とよく聞こえて、たとえば洗面所で洗濯機回してると、その音がリビングにいても普通にわかるんですよ」
Bさんが体験したことは、そんなマンションの構造が深くかかわっているのだという。
「このあいだ、お風呂に入ってたときなんですけど……リビングの方から、ピロンって音が聞こえたんです」
Bさんは少し考えて、それが何の音かを理解した。スマートフォンのカメラで、動画を録画する際に鳴る音だ。
部屋の構造上、隣人のスマホの操作音が聞こえるはずはない。間違いなくリビングから聞こえたはずだ。
しかし、Bさんは一人暮らしである。誰もいないリビングで、スマートフォンのカメラが起動する理由がない。
「え?って思って、慌てて風呂から上がりました。リビングには当たり前ですけど誰もいなくて、特段変わった様子もなくて。ただ、念のためスマホを確認してみたら……」
アルバムアプリに、動画が1本追加されていた。
「恐る恐る再生してみたんですけど、真っ暗で何も映ってなかったんです。音もゴソゴソ聞こえるだけで、意味の分かるものは何もなくて……。そのときは、スマホの誤作動だろうと思って、すぐに動画を消しました」
「数日後に、また同じことがあって」
またしても、入浴中に動画を撮る音が聞こえた。確認すると、前回と同じように見覚えのない動画データが1つ増えている。
ただ前回と異なるのは、動画内にはっきりと「ある音」が収録されていたことだ。
Bさんは、このときの動画データは消さずに残していた。現物をご覧いただこう。
▶実際の動画
▶音声のみ(映像は不鮮明なため、音声のみ確認したい方はこちらをおススメする)
※音量にご注意ください。
「踏切の音、ですね」
「そうなんです。さらに数日後、今度はまた別の場所の音声が入った動画が入ってたんです」
▶音声 その2(こちらも映像は不鮮明だった)※音量にご注意ください。
「宝くじ売場で流れてるCMってわかります?『今なら何億円のチャンス!』みたいな。多分、あれだと思うんですよ」
「確かに、『抽選結果』と言っているように聞こえますね」
「またその数日後に入ってたのが、これです」
▶音声 その3 ※音量にご注意ください。
「これは、信号でしょうか?」
「そうですね。歩行者用信号が青のときの案内音と、もうすぐ赤になるときに鳴る警報だと思います」
そこまで話して、Bさんは顔をしかめた。
「嫌だなぁって思ったのが……踏切も、宝くじ売場も、交差点も、近所に思い当たる場所があるんです」
最寄り駅近くの踏切。商店街にある宝くじ売場。歩行者用信号が変わる前に、警報が鳴る交差点。
それらを並べていくと……
「ちょっとずつ、こっちに近づいてきてるんですよね。動画を撮影してる場所が」
交差点からBさんの自宅までは、閑静な住宅街が続く。
つまり、特徴的な音がするポイントがない。
その後も数日おきに、入浴中に動画が撮影される現象は続いているというが、新たに撮影される動画にはゴソゴソという音が入っているだけで、「近づいてきてるのか?」「そうだとして、どこまで来ているのか?」がわからないという。
「ちなみに、一番最初に現象が起きたのはいつだったか、わかりますか?」
「……だいたい、1か月前だったと思います」
現場検証
シャワーを浴びに行くBさん。
動画が撮られるのは決まって入浴中だけで、時間帯はバラバラだという。この日、ためしにBさんに入浴してもらったが、Bさんのスマートフォンに動画は録画されなかった。
その後、Bさんに動画内の音声が聞こえた場所へ案内してもらった。
動画の音声と、実際の音を聞き比べてみるためだ。
「ここが例の交差点ですね」
「歩行者用信号の音自体はどこにでもあると思うんですけど、警報の音に注目してください」
▶Bさんのスマートフォンに入っていた動画の音声(再掲)
▶実際の音声
たしかに、同じ音のように聞こえる。
「商店街の宝くじ売場がここです。完全に同じ音かは自信がないんですけど」
▶Bさんのスマートフォンに入っていた動画の音声(再掲)
▶実際の音声
同じ文言ではないようだが、声のトーンや聞こえ方は近いものがある。宝くじ売場のCM自体は全国で流れているもののようだ。
最後が、踏切だ。
▶Bさんのスマートフォンに入っていた動画の音声(再掲)
▶実際の音声(※)
※取材時は夜遅かったため、「電車が来ます」というアナウンス音声は流れていなかった。音声はBさんに後日提供してもらった夕方すぎまで流れているもの。
「踏切の音も、まあ全国どこでもあるモノだとは思うんですけど」
信号も、宝くじ売場もそうだ。だが、それが3つ並ぶと、どうも偶然とは思い難いものがある。
「実際、どう思いますか? この現象」
「そうですね……。スマートフォンの不具合か、ハッキングのようなことで、外部から操作されてる可能性もあるんじゃないでしょうか?」
「それは僕も考えました。不安なんで、今度そっち方面で働いてる友人に見てもらうことにしたんですよ」
何かわかったら教えてください、と伝えて、この日は取材を切り上げた。
3人目の話
その後、Cさんにも連絡を取った。取材を希望したが『特殊な職業なため、人前に出るのは難しい』と残念ながらお断りをいただいた。
しかし、何が起こったのかはメールで聞くことができた。
の体験談
深夜に仕事を終えて、タクシーで帰る道中でした。
信号待ちの際、道端にお地蔵さんがあることに気付いたんです。こんなところにあったかな、と少し引っかかりました。
数日後、同じ場所を通るとお地蔵さんは無くなっていました。おかしいな、と思っていると、今度は少し先の別の場所で、同じようなお地蔵さんがあるのを見ました。
タクシーの窓越しだったので定かではありませんが、同じお地蔵さんだったように思います。
それから、数日おきにお地蔵さんを見るようになりました。公園の真ん中や、中央分離帯の中など、不自然な場所にあって、次の日には無くなっていました。
不安なのは、その場所がだんだん、私の家に近づいているように思うことです。
地蔵を見たという場所を確認したかったが、家の場所に関係する情報は開示できないとのことだった。
そのため、1つだけ気になったことをメールで聞いてみることにした。
「最初に地蔵を見たのはいつ頃でしょうか?」
「だいたい1か月前だったと思います」
3人の共通点
ここまで、3人の話を聞いてきた。
確かに3つの体験談は、どことなく似通っているように思う。どれも1ヵ月前に始まっていて、得体の知れない何かが少しずつ近づいてくるという点でも共通している。
しかし、その「何か」の部分が明確に異なっており、安易に同じことが起こっているとも言い難い。
それに個別の事情に限ってみれば、Aさんの場合は不審者、Bさんはスマホの不具合、Cさんは見間違いなどとも考えられる。
この3つの事象は、関係があるのか、ないのか。
その謎を解くために、まずは3人の共通点を探してみることにした。ありふれた怪談話なら、ここで「3人とも同じ心霊スポットを訪れていた」というようなオチがつくことも多い。
見えない共通点を探るべく、Aさん、Bさん、Cさんに聞き取り調査を行ってみた。
——しかし
・出身地
・居住地
・勤務先
・使う路線や乗換駅
・よく行く繁華街や飲食店
・趣味
・2か月前~1か月前に訪れた場所
・直近訪れた旅行先
・共通の友人知人の有無
といった情報を(聞ける範囲で)集めたが、すべて空振りに終わった。この3人は、相互に全く接点がない。
また、この途中でCさんとは連絡が取れなくなってしまった。
もともと多忙な人のようだったので、取材に辟易したと考えるのが普通だろう。が、タイミングを鑑みると少し落ち着かない気分にもなる。
深夜に帰宅したCさんが、家の前に地蔵があるのを発見する——。そんなイメージがどうしても拭えなかった。
こうなると、残る3人の共通点は自然と1つに絞られる。
白間さんの美容室に通っている、ということだ。一度、閉店後に白間さんの勤めるお店を訪れてみることにした。
平日夜、閉店後の美容院を訪れた。
「いろいろ調べてみたんですけど、やっぱり3人の共通点が白間さんしかないんですよね」
「なるほど……」
「仮に3人の体験談がすべて本当で、且つ、いわゆるオカルト的なものだったとして……白間さんが何かしたわけじゃないですよね……?」
「”何かした”というと?」
「いやその、白間さんが呪術が使えて、3人に呪いをかけた、みたいな」
「そんなわけないでしょ」
「ですよねー……」
「仮に呪えたとしても、お客さんにはやらないわ。お客さん減るから」
「それはそう」
白間さんが関係ないとしても、お店が関係している可能性はある。
たとえば、3人が座った椅子に問題があったら? 使った道具は? 念のため、店内を調べさせてもらうことにした。
これも安直に考えれば、施術椅子の裏におフダが貼ってある……などといった発想が浮かぶ。椅子の裏をはじめとした店内の様々な場所を確認したが、当然そんなものはなかった。
物件が事故物件ということもないという。仮にそうだとしても、1か月前に急に3人に影響が出たとも考えづらい。道具も長く使っているものばかりで、同じ理由で関係がなさそうだ。
結局、ここでも何も見つからなかった。
行き詰まり
ここで、一度取材は手詰まり状態となった。
3人の共通点も、3人の体験につながりがあるのかもわからない。また、超常現象そのものをとらえることもできていない。
幸いAさんはあれ以来、例の男には遭遇していないらしい。だがBさんのスマホの録画は断続的に続いているという。
Cさんとはまだ連絡が取れていない。白間さんいわく、当人のSNSの更新も止まっているらしい。
謎は多いが、とっかかりが見えない。
これ以上進展が無ければ、記事は没にしよう……。そう思っていたところへ、Bさんから連絡が来た。
詳しい友人に聞いて、わかったことがあるという。すぐに、電話をかけてみた。
「お疲れ様です。わかったことというのは何でしょう?」
「まず状況を話したら、まあ恐らくハッキングや遠隔操作の疑いがあるだろうという話になりました。で、調べてもらったんですが、何も見つからなかったんです」
怪しいアプリやデータ、不審なアクセス、ウイルス感染などを詳細に調べてもらったそうだが、検知できなかったという。
「だから、なんで動画が撮られてるかは結局わからないんですよ。可能性は低いけど、たとえば通勤中にポケットの中でカメラが作動して、数時間後に遅れて動画データが保存されたのかも、なんて友人は言ってましたけど」
「たしかに、それは少し納得感がありますね」
「ただ、僕いつも駅まで行くときに、商店街も踏切も通らないんです」
「えっ、そうなんですか」
聞けば商店街は交通量が多いため、いつも裏道を通っているという。踏切に至っては、線路を渡る必要がそもそもなく、商店街側の改札から駅に出入りしているため近づくこともないそうだ。
「まあ安心はできなかったんで、もう別機種の別回線に変えてしまおうと思うんですけど」
「確かにそれが良さそうですね」
「ただ、1つわかったこともありまして。今まで気付かなかったんですけど、動画データに位置情報がついてたんですよ」
「位置情報……?」
「座標のデータが入ってたんです。どこだと思います?」
ふつうに考えれば、Bさん宅ではないのか。もしくは、踏切の動画ならBさんの近所の踏切の場所、商店街なら商店街、といった具合に、動画内の音声が録られたと思しき場所ではないのか。
そう告げると、電話の向こうからBさんの力のない笑い声が聞こえた。
「そう思うじゃないですか。違うんですよ。G県だったんですよ」
ここでは念のため伏字にしているが、Bさんの告げた場所はBさんの住む神奈川県からかけ離れた場所だった。
「しかもGoogleMapに座標を打ち込んで調べてみたら、G県の、山の中だったんです」
G県へ
Bさんのスマートフォンに録画された動画が、なぜか持っていた位置情報——。それはG県と隣県の県境に近い、山深い場所を指していた。
マップ上には何も表示されておらず、付近の集落からも離れている。当然ストリートビューもできない。ただ衛星写真では、何か建物のような影も見える。
こうなったら、自分の目で確かめるしかないだろう。
次の休日に、その場所へ向かってみることにした。
電車とバスを乗り継ぎ、県境付近の集落を目指す。早朝に家を出たが、到着したのは昼過ぎになった。
帰りのバスの本数も心もとない。あまり長居はできなそうだ。
見かけた商店に立ち寄って尋ねると、座標の場所がある方向には古い集落跡があるはずだという。そこへ行きたいと話すと、山道に続くルートを教えてくれた。
道は険しくないが、熊に気を付ける必要があるという。その場で、熊除けのホイッスルを購入した。
GoogleMapに載っていない細い道を進む。
聞いた通り勾配はなだらかで、一部の道は舗装もされていた。だがすっかり植物が生い茂っていて、見通しが悪く歩きにくい。まともな装備をせずに来てしまったことを後悔した。
30~40分ほど歩いた先で、目の前にふと人家が現れた。
覗いてみたが、玄関ドアの前まで植物が生い茂り、窓から見える障子は破れ放題だ。人が住んでいる様子はない。ここが、ふもとで聞いた「古い集落跡」だろうか。
GoogleMapを開いてみる。驚いたことに電波は届いているようだ。
目的地は近い。この道を抜けた先にありそうだ。地図上には、民家や道は表示されていない。少なくともGoogleMapができる前には既に、この集落からは人が去っていたのだろう。
ここから舗装がなくなり、山道らしい山道になった。熊を警戒しながら進んでいく。
すると、目の前に突然石段が現れた。
上った先にあったのは、神社だった。
木々が開けた空間の奥に、鳥居が佇んでいる。その先はよく見えない。少なくとも、人の気配はない。
GoogleMapによれば、この神社がどうやら目的地のようだ。
鳥居には、「××神社」という聞きなれない名前が記されていた。ここでは念のため伏字にしておく。GoogleMap上には神社の記載も見当たらないが、これは何を意味しているのだろうか。
しばしの逡巡のあと、意を決して鳥居をくぐり、参道に足を踏み入れてみる。
境内は草木が生い茂っており、人の手があまり入っていない様子がうかがえる。
足に絡みつく雑草を避けながら、奥に見える建物を目指す。
正面に見えていたのは、拝殿と思しき建物だった。賽銭箱や鈴は撤去されてしまったのか見当たらない。
建物内は既に片付けられているようで、段ボールなどが乱雑に積まれているだけだ。
回り込んでみると、奥には本殿と思える建物があった。かなり古びてはいるが、荒らされた様子はない。神様はまだ、この中にいるのだろうか。
これより奥は切り立った斜面になっており、何もないようだ。これだけで、境内を一通り見たことになる。
少し荒んではいるが、あくまで一般的な神社のようだ。この場所がなぜ、Bさんのスマートフォンに記録されていたのか。ランダムな座標が付いていただけで、そこに神社があったのは単なる偶然だったのだろうか……。
そう思い、元来た道を戻ろうとしたそのときだった。
拝殿の前、鳥居へと戻る参道に、ビニール袋が置かれていた。あんなもの、さっき来たときはあっただろうか?
周囲を見回してみる。人の気配はない。聞こえるのは蝉の声だけだ。
おそるおそる近づいてみる。何の変哲もない、コンビニで買えるような袋だ。
何か、入っているように見える。
中を覗き込んで、瞬時に後悔した。
髪の毛だ。中にはぎっしりと、人毛が入れられている。
これはいったい、なんなんだ。冷や汗が背中をつたう。周囲をもう一度見回してみるが、誰もいない。
袋には、髪の毛のほかにも何か小さな紙片が入っているようだった。好奇心に負けて、もう一度中を確かめてみる。
これは……「さんこう」だろうか?
意味が分からない。
ふと、周囲から視線を感じたような気がした。神社ではなく、周りに生い茂る木々の奥に何かがいて、こちらを見ているような気がする。
これ以上この場にいてはいけない――。そんな考えがよぎった。
足早に、その場を立ち去った。
「さんこう」
気が急いていたおかげか、まだ日のあるうちに山を下りることができた。
神社で見たものは、いったいなんだったのか。
集落に戻ってすぐの場所で人影を見つけて、話を聞いてみることにした。
畑いじりをしていた男性に話を聞いた。
「すみません、このあたりについて少し調べていまして……。山の上の『××神社』って、ご存知でしょうか?」
「ああ、知ってるよ」
「今そこへ行ってきたんですけど、半ば自然に還っているような様子でしたが……」
「あそこはもう手が入ってないかしんないな。あんまり人も行かない場所だよ」
「そうなんですね……」
ダメもとで、あの袋についても聞いてみることにした。参道に謎のビニール袋があったこと、中に髪の毛があったことを伝えると、男性は首をかしげてしまった。
それでも何か思い当たる節はないかと尋ねると、少し考えて何か気付いたのか、付いてこいと言う。
向かったのは男性の自宅と思われる民家だった。
玄関先に入っていった男性が、一枚の紙を持って戻ってくる。
「これ、自治体から配られたやつなんだけど」
それは不審者への注意を促すチラシだった。
旧集落に怪しい人物が出入りしているという内容だ。読みながら「今日の筆者も地元の人からすれば十分不審者だよな」と冷や汗をかく思いをし始めたが、ある1点を見てその雑念が消えた。
帽子、マスク、灰色のパーカー……。これは、Aさんが言っていた不審な人物の特徴に一致する。
さらにその人物はビニール袋を持っていたらしい。これは、参道で見たものではないだろうか?
これらは一体、何を意味するのだろうか。
まさか——。
男性に礼を言って、すぐに東京へと戻ることにした。
戻ったころにはすっかり夜になっていた。
本当は店に行って確認したかったが、電話で済ませることにした。かける相手は、白間さんだ。
「もしもし?」
「お疲れ様です。つかぬことを伺うんですが、白間さんのお店って、切った髪の毛をどうやって捨ててますか?」
「切った髪の毛? いや、普通に燃えるごみとして捨てちゃってるけど……」
「特に、特殊な捨て方があるわけではなく?」
「無いですね」
バラバラだった点と点が、少しだけ、本当にごくわずかに繋がったような気がした。
仮説
帰京したタイミングから、Aさん、Bさんともなぜか連絡が取れなくなってしまった。
聞きたいことがいろいろあったのだが、電話もメールも梨のつぶてだ。BさんとはSNSのチャットを介して連絡を取っていたのだが、そのSNSの更新も数日前から止まっていた。
Bさんからは、最後に不可解な連絡が来ていた。微妙に文脈に沿っていないこのメッセージは、何を意味するのだろうか。
そのまま、1週間が経った。
いまだに謎が多いが、情報源となる人物たちとのつながりが断たれてしまったため、これ以上の情報収集は難しいという気がしてきた。
この記事の締め切りも近い。中途半端ではあるが、ここまでで考えた仮説を述べて、この記事の締めとさせていただきたい。
まず、今回の話がオカルト的なものなのか、もしくは特定の人物による行動の結果なのかは判断がつかない。
が、いずれにせよあの神社で見つけた髪の毛は、大いに関係しているようだ。
「髪の毛を使った呪い」と聞けば、いくつか思い当たるものがあるだろう。調べてみれば、「藁人形に憎い相手の髪の毛を入れて釘を打つ」といった呪術的なものから、「意中の相手の髪の毛を使って両想いに!」と謳った女児向けのおまじないまで多くの例が見つかる。
近年では「ひとりかくれんぼ」でも爪や髪の毛を使って降霊術を行う手法が参照できる。
これらに共通するのは、呪いやまじないの相手となる人物の髪の毛を使う必要があるということだ。
ひとつ屋根の下で暮らす家族でもない限り、特定の相手の髪の毛を手に入れるのは難しい。それが呪いやまじないにとって、一つのハードルとして機能しているのだろう。
だが、もしそれが誰の髪の毛でもいいとしたら?
手軽に、大勢の髪の毛を集めることができるとしたら?
目的はわからない。だがその人物は、おそらく白間さんの美容室から、捨てられた髪の毛を盗んで、「何か」に使った。
もしかしたら、それは白間さんの店だけではないかもしれない。美容室なら全国どこにでもあり、日々大量の髪の毛が捨てられている。
連絡が途絶えた3人に何があったのかはわからない。もしかしたら、その「何か」に巻き込まれてしまったのかもしれない。ただ単に取材に付き合うのが面倒になっただけであることを願わずにはいられない。
それに、筆者も彼らと同じ美容室に行っていたのだ。彼らと同じように、筆者の髪の毛も捨てられていた。同じく「何か」に使われた可能性は十分にある。
幸い、まだ「何かが近づいてきている」という体験はしていないが、そのことを思うと少し落ち着かない気分にさせられる。
じぶんからきたのでしように
それでは、非常に中途半端な形で心苦しくはあるが、ここで記事を締めさせていただく。
お読みいただきありがとうございました。
よかつた
大変参考になりました。