これで終わりかと思ったのですがそうはいかず、私たちは今度はデニーズの近くにある公園を訪れていました。

 

 

この辺りにはもう恐怖や不安は薄れ、ただ「なぜこんなことに」という感情だけが頭を支配していました。

 

 

「お腹空いたでしょ。僕スニッカーズ持ってるんですけど食べませんか?」

 

ああ……

 

 

「ほら、ちゃんと縦に3等分してますから」

 

なぜこんなことに……

 

 

「あれ、いらないんですか? 美味しいのに」

「ええ、結構です……」

「なーんだ」

 

 

「………」

「………」

「……ねえ」

「……はい」

 

 

「なんで僕がこんなことをしてるかわかりますか?」

 

「……え?」

 

何か、今までとは異なる緊張感が走りました。

 

 

「僕、ゲームのバグ技について調べるのが好きなんです」

「……はい?」

「有名なところだと初代ポケモンのセレクトバグとか、バキュラに256発攻撃を打ち込むと破壊できるとか、そういうやつです。他にもネットで調べればいろんなゲームのバグ技や裏技が出てきますよ」

「はあ……」

「まあ、その中には少なからずガセネタも混ざってるんでしょうけど、別にそんなことはどうでもよくて。僕が好きなのは、そういうバグ技を使うのに通常のプレイでは行わないような変な操作が必要だということなんです。だって、これってすごく夢のある話だと思いませんか?」

「……夢?」

 

 

「ええ。どんなに不合理で無益に見える行動でも、ふとしたはずみでバグを引き起こして、世界に何らかの変革をもたらすかもしれない。それってとても素敵じゃないですか? だってもし現実にも同じことが起こり得るとしたら、全ての人に等しくチャンスがあるってことになりますよね。レベルもステータスも何もない、現行の価値基準から振り落とされた、僕のような人間にも」

 

 

「実際、僕はもうそれに賭けるしかないんです」

「………」

「もう僕は、この人生というゲームを正攻法でクリアすることを諦めています。ただ、存在するかどうかもわからないこの世のバグを発生させて、何もかもがひっくり返ることだけを夢見て生きている……きっと、狂ってるように見えるでしょうね。でもそうじゃない。僕は狂ってなんかいない。世界が狂ってることを証明したいだけなんだ

 

 

男はそう呟いて顔を伏せると、死んだように動かなくなってしまいました。

私はどうしたらいいのかわからず、ただぼんやりと男を見下ろしていました。

 

 

 

 

……どれくらいの時間が経ったでしょう。男がゆっくりと顔を上げました。

 

 

「……あれ、まだいたんですか。もう帰っていただいて結構ですよ。すいませんね、長々と」

 

「い、いえ、あの」

 

「……何ですか」

 

 

「やっぱり、スニッカーズもらえませんか」

 

考えるより先に、その言葉が口を飛び出しました。自分でも驚きましたが、男はもっと驚いたようです。彼はぎょっとした表情を浮かべると、せわしない手つきでリュックからスニッカーズを取り出し、押し付けるように私に手渡しました。

 

 

「……美味しいですか」

「ええ」

 

 

「僕は今、あなたに聞きたいことがいっぱいありますよ」

「……何ですか」

「なんで今更スニッカーズを欲しがった? なんで帰っていいと言われても帰らなかった? なんでファミレスまでのこのことついて来た? なんで……」

 

 

「……僕に声をかけられても、逃げ出さなかった?」

 

「……それは」

 

なぜ、なのでしょう。彼に憐れみを覚えたから? 単に足がすくんで動けなかったから? それとも……

 

 

「……自分も、世界の『バグ』を探していた、から……?」

 

「……そんな冗談はいいですよ。あなたに僕の気持ちがわかるはずがない。でも」

 

 

「冗談だとしても、少し嬉しかったですけどね」

「……ははっ」

 

 

「今まで色んな方法でこの世にバグを起こそうとしてきたけど、一向に何も起こらなかった。この世界にバグなんかないんじゃないかと思って、怖くてたまらなくなったこともある。だけど今日、ようやく見つけることができました」

 

 

「きっとあなたが僕にとっての世界のバグで、通常プレイでは出会えない隠しキャラだったんです」

「隠しキャラ、ですか」

「ええ。バグ技でも使わなければ、僕とあなたが会うことなどなかった。それは、そもそも会うべきではないということなのかもしれません。でも誰にだって、この世のプログラムの裏をかいてでも出会うべき相手がいると思うんです。もちろん、あなたにもね」

 

 

「……あ、そうだ。記念と言ったらあれですけど、お渡ししたいものがあるんです。僕にはもう必要のないものなので」

 

男はそう言ってリュックを漁ると、ボロボロになった折り紙を取り出しました。

 

 

「これは……?」

「これは『全ての飛行機の祈りの紙』というアイテムです。まずは折り紙で普通に紙飛行機を折りますよね? そしたらそれを解体して、今度は別の折り方で紙飛行機を折る。その要領で、一枚の折り紙で知っている限りの紙飛行機を折っては解体するというのを繰り返すんです。そして最後に、しわだらけになった折り紙に願い事を書きます。そうすれば、全ての飛行機の速さをかけ合わせた何千ノットというスピードで、祈りが天に届くというわけです」

 

「これも、世界にバグを発生させるために作ったんですか?」

「……さあ、どうでしょうね」

 

 

 

 

「ああ、ずいぶんと長いこと話し込んでしまっていたようですね。僕はそろそろ失礼します。あなたも暗くなる前に帰ったほうがいい、変な人に出くわすかもしれませんから」

「……そうですね」

「とにかく、今日はありがとうございました。次は正規ルートで会いましょう」

「え? それって……」

「……それじゃあ」

 

 

……果たして、私にとっての「この世のプログラムの裏をかいてでも出会うべき相手」とは、誰のことなのでしょう。

 

 

もしかして、彼がその一人だったのでしょうか?

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

あれから数日が経った今、改めて一連の出来事を振り返ってみると随分な体験をしたものだと思いますが、それでもなぜか「全ての飛行機の祈りの紙」は捨てることができず、ずっと部屋に置いてあります。

 

 

これを見るとあの日のことが思い出されて、呆れるような、それでいて少し笑ってしまうような、不思議な気持ちになるのです。

 

 

今頃、彼はどこで何をしているのでしょう。やっぱり、世界にバグを起こすための活動に勤しんでいるのでしょうか。

 

 

もし再び彼と会う機会があれば、伝えたいことがあります。

 

 

この世界は恐ろしく厳密にできていて、バグが発生する余地などないように見えるかもしれない。でも、私があなたと一日を過ごした理由を説明できないように、合理だけで進んでいくものでもないのだと思います。

 

 

人生を正攻法でクリアできなくたって自暴自棄になることはありません。私たちが出会ったという「バグ」が起きたように、この世界にはあなたの居場所も、確かにあるはずだから──

 

 

 

 

 

 

 

 

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