はじめに
皆さんは泡立て器は好きですか?
僕は嫌いじゃありません。
泡立て器の魅力は、まずはなんといってもそのデザインではないでしょうか。いくつもの流線がなめらかに交差する先端部と、シンプルながら手になじむグリップ。余計な装飾を一切排した造形にもかかわらず、まるで芸術品のような気品が感じられます。
そしてこれだけ洗練されたデザインに対し、用途は名前通り「食材を泡立てる」に尽きるという慎ましさもまた好印象です。この微妙な実用性の低さが、他の調理器具にはない可愛げを感じさせてくれます。あと、「泡立て器」という名前もいいですよね。「泡立てる」という動詞の耳馴染みのなさからはファンタジックな印象を受けますし、単純な構造で機械じかけでもないのに「器(き)」を名乗っているところもイカしてます。
このように、泡立て器とはビジュアル・機能・名称の3要素が絶妙なちぐはぐさで融合した、実に味のある道具だと僕は思っています。
こんな素敵なものを、凡百の台所用品と一緒に流しの下にしまっておくのはもったいありません。というわけで……
今日は泡立て器を外に持ち歩くことにしました。一つよろしくお願いします。
1. 街中
泡立て器を手に持って街を歩くという経験は初めてなのでそわそわしてしまいます。少しは道行く人から変な目で見られるかと思いましたが、全くそんなことはありません。単についさっき泡立て器を購入した人か、あるいはやる気のあるパティシエ見習いにでも見えているのでしょう。やる気のあるパティシエと思われて損なことはないですからね。
しばらく街を歩き回ってみてわかったのですが、片手に泡立て器を持っているとけっこう心強いです。見ようによっては武器っぽい形状をしていますし、泡立て器という本来ならまず家から持ち出さないものを携帯することによって、常に「自宅の余韻」のようなものを味わえるからではないかと思います。
泡立て器があるので、よく自販機に貼ってあるこういう怪しげなポスターも怖くありません。これに登録したら、やっぱり最終的には旦那殺しに加担させられるのでしょうか?
他にも、泡立て器を持ち歩くことによっていろいろな出会いや発見がありました。
例えば「自販機横にあるゴミ箱に泡立て器がぴったり入る」という知見は、泡立て器を外に持ち出してみなければ得られなかったでしょう。もちろんぴったり入るからといって捨てていいわけではありませんが、街でゴミ箱を見かけた時に「ここに泡立て器を捨てることもできる」と考えられるのとそうでないのとであれば、前者の方が「豊かな人生を送っている」ということになるのではないでしょうか?
また、「カーブミラーに映る泡立て器」という貴重な写真も撮影することができました。僕がこの写真をインターネットにアップロードしなければ皆さんは「カーブミラーに映る泡立て器」を目にすることなく死んでいったでしょうから、感謝していただきたいです。
ペプシのベンチとパシャリ!
あとこれは泡立て器とは関係ないのですが、散歩中に「一丁目ひだまり公園」なる公園を見つけました。
ただこの公園、あまりにも狭すぎませんか?
マンションの裏口の植え込みのような場所にベンチが置かれているだけで、「公」にも「園」にも見えませんが、こんな空間が公園を名乗っていいのでしょうか?
完全に公園でした。疑って申し訳ありません。
2. ファミレス
時刻はお昼。そろそろお腹が空いてくる頃合いです。
というわけでサイゼリヤにやって来ました。おなじみのイタリアンカラーのロゴには泡立て器もよく似合います。ただ、泡立て器を手に握ったまま入店すると道場破り的なものだと思われかねないので一旦はカバンにしまっておくことにします。
「サイゼリヤの厨房には包丁がない」というのは有名な話ですが、だとすれば泡立て器もないであろうと予想できます。この店内に存在している泡立て器はおそらく自分が持っている一本だけだと思うと興奮を禁じ得ません。
ドリンクバーを取りに行くと、複数のドリンクを組み合わせて作る「モクテル」が推されていました。
「よ〜く混ぜて」と書いてありますが、泡立て器で混ぜてもいいのでしょうか?
せっかくなので「ティー・ナトゥーラ」を作ってみました。
味は普通でした。なお泡立て器ではなくスプーンで混ぜました(コップに泡立て器が入らなかったので)
そうこうしているうちに、注文した「半熟卵のミラノ風ドリア」と「エビとブロッコリーのオーロラソース」が運ばれてきました。というわけで……
(泡立て器は事前に除菌ティッシュで拭いてあります)
おい!! 何をする気だ!?!?
完成した料理と泡立て器のツーショットがここまで冒涜的な絵面になるとは思いませんでした。まだ何も起きていないのに「蛮行」の二文字が頭に思い浮かびます。
泡立て器そのものに不快な要素はないし、「食べ物を粗末にする」とは正反対の「食べ物を作る」ための器具だというのに、どうしてここまで不穏な空気が漂うのでしょう。泡立て器が基本的に「調理途中の食材」に対して使うものだからでしょうか?
さすがに泡立て器を実際に「使う」わけにはいかないので、以降は普通に食事を楽しみました。サイゼリヤ(というか飲食店全般)には泡立て器を持ち込むべきではなかったのです。また一つ賢くなりましたね。
3. 駅
お腹も膨れたところで、続いては泡立て器を連れて駅にやってきました。
泡立て器とともに電車に乗ってお出かけすることも考えたのですが、それはさすがに「とばしすぎ」なので、今回はホーム内へ立ち入るにとどめることにしました。
そのため今日は切符ではなく、券売機の右下にひっそりと表示されている「入場券」を購入します。これが何のためにあるのかずっと疑問だったのですが、泡立て器をホームに持ち込む時のために用意されていたのですね。
これが実物の入場券です。見た目は普通の切符と変わりませんが、あくまでホーム内に入場できるだけで、客車への立ち入りはできないそう。
これでホームに泡立て器を持ち込む準備ができたわけですが、ここにきて若干怖くなってきました。「駅構内への泡立て器の持ち込みは禁止されています」という注意書きはありませんでしたが、当たり前のことすぎて書いてないだけの可能性も否めません。本当にこんなことしていいの? 炎上しない?
入ってしまった……
泡立て器の持つプライベートな雰囲気と、駅という場所の公共性が同時に押し寄せ、不思議な気分になってきます。これは絶対共感してもらえないだろうし自分でも意味がわからないのですが、高校受験で志望校へ願書を出しに行った時のことをなぜか思い出しました。
ホームに降りると、ちょうど電車が到着していました。
この電車の行き先は元町・中華街。泡立て器一本で中華街に殴り込みをかけることができたら相当かっこよかったのですが、電車には乗れないので諦めましょう。
その代わりに、今日は電車と一緒に記念写真を撮ることにしました。きっと泡立て器にとっても思い出の一枚となったことでしょう。この写真、人にどう説明したらいいんだ?
4. 展望台
泡立て器と過ごす一日もいよいよ大詰め。最後は山の上にある展望公園に登り、今日の締めくくりとすることにしました。
夏の夜にはカップルや夕涼みに来た人たちで賑わうこの公園も、今日は人がまばらです。そんな中、わざわざ自宅から運んできたと思しきシンセサイザーで「Let It Be」を弾いているおじさんがいたのが印象的でした。まさか今日、自分の他にも家に置いておくべきものを持ち歩いている人に出会えるとは思いませんでした。演奏に集中しているようだったので声はかけませんでしたが、彼のピアノの旋律は、泡立て器を持ち歩く僕をまさに「なすがままに」と肯定してくれているように感じられました。
肝心の景色もとってもいい眺め! こういう景色を泡立て器に見せたかったのです。
さらに空高く手を掲げれば、まるで泡立て器で雲をかき混ぜているような写真を撮ることもできました。「まるで泡立て器で雲をかき混ぜているよう」ですって。なんと清らかなユーモアなのでしょう。
公園内を歩き回っていると、いい感じの東屋を発見しました。
ここで休憩がてら、事前にプリントアウトしてきた泡立て器のWikipediaを読むとしましょう。
へー、今の形の泡立て器が普及し始めたのは18世紀末なのか。
18世紀末ねえ……
それにしてもいい眺め!
あんまりいい眺めなので、タコ糸を使って階段の手すりに泡立て器をいたずらにぶら下げてみることにしました。
愉快! 愉快! 愉快!
……そろそろ帰りましょうか。
終盤こそ言うべきことが見つからなくなりましたが、今日という日を振り返ってみるとなかなか悪くない一日になったのではないかと思います。泡立て器は泡を立てるだけに非ず、持ち歩くことにも意味がある道具だということがわかっていただければ幸いです。
それにしても改めて自分の姿を見てみると、都市伝説の類としか思えないですね。近所の小学生の間で語り草にならない程度に、今後もこういった活動を続けていきたいと思います。
終わりに
泡立て器とともに過ごした一日を終え、泡立て器に対する理解と愛着も以前より深まりました。そこで、最後はこの泡立て器を使ってケーキ作りに挑戦してみたいと思います。
お菓子作りなどほぼしたことがありませんが、今ならば泡立て器も自分の体の一部のように操ることができるでしょう。
このようにハンドミキサーは、面倒な泡立て作業を短時間で楽に終わらせることができてとっても便利! 皆さんも料理やお菓子作りの際にはハンドミキサーを使ってみてはいかがでしょうか?
それでは僕はバスクチーズケーキをいただくのでこれにて失礼します。皆さんも美味しいものを食べて素敵な人生を送ってくださいね。