突然ですが、誰の人生にも「主役だった瞬間」「脇役だった瞬間」が存在するんじゃないでしょうか。

 

 

例えば「文化祭でバンドを組んでステージに立った」は『主役』ですよね。羨ましい。

反対に「修学旅行を一人で回った」は『脇役』です。実際に経験した人はすみません。

 

 

そう、人の生涯とは「主役」と「脇役」に二分できると言っても過言ではありません。

 

この記事の筆者、たかやです。27歳です。

どちらかと言うと「脇役だった瞬間」が多い人生でした…。

 

高校時代の僕。顔からして「脇役」

中学では好きな子に「笑顔が気持ち悪い」と言われ、高校では不良にボコボコにされ、現在はパッとしないWebライター。

去年参加した大学時代の同窓会では「オモコロ? 知ってるよ! 私、あのライターさんが好き」と僕の名前は全く挙がりませんでした。

 

まさに「脇役人生」です。こんな調子の人生があと何十年も続くのか……。

 

……ん? 何十年も?

 

…あ。そうだ、

 

親父の人生はどうなんだろう?

 

 

親父に人生の「主役だった瞬間」「脇役だった瞬間」を聞く

というわけでここからが本題。父親に人生の「主役だった瞬間」と「脇役だった瞬間」を聞いてみます。

僕よりも倍近く生きている父。その人生は華々しい「主役」の連続だったのか。それとも「脇役の息子」を持つ父も、同様に「脇役」なのか。興味が尽きません。

 

 

帰省ができないのでLINEのビデオ通話を使いました

 おぉ~、本当に顔が見えとる

お父さんに「LINEビデオ通話のやり方」を理解させるのに3時間かかった…

 俺たち、お父さんが「どんな学生だったのか」「いつ結婚したのか」を全く知らないからね。いい機会だよ

 でも俺の人生なんて平凡だよ? 記事になるかなぁ

 謙遜しないで

 そうそう。変に話を盛られても“嘘松乙”って叩かれるからね

 うそ…まつ…おつ?

 

 

我が家の家族構成はこんな感じ

父(58):今回の主人公。長野県生まれ、長野県在住の山人(やまんちゅ)。58年間の人生にはどんなドラマが詰まっているのか…。

:この日は用事があったため不参加。正月にクリスマス用のLINEスタンプを送ってきたりと、どこかズレている。パンが好き。

たかや(27):東京在住のフリーライター。脇役人生。

:数年前に結婚、現在は2児の母。育児中なので不参加。我が子とポケモンをこよなく愛す。

弟(21):暇そうだったので声をかけた。現在は東京で役者を目指している。

猫1:喋れないので不参加

猫2:喋れないので不参加

家族仲も良好で平和な家庭。長女は数年前に嫁ぎ、僕も弟も恋人がいない為この家系はもうおしまいです。わはは。

 

 

今回は父の「主役」「脇役」を具体的に聞くためにこんなシートを作りました。「主役・脇役シート」です。

 

(※クリックで大きい画像が表示されます)

↑実際に記入してもらった「父の主役だった瞬間」

 

(※クリックで大きい画像が表示されます)

↑実際に記入してもらった「父の脇役だった瞬間」

この内容をもとに、僕・父・弟の3人で振り返っていきます。

 

 

周囲から可愛がられ、命の尊さを知った子ども時代

 まずは幼少期の「主役だった瞬間」を見てみよう!

 

 

●主役だった瞬間●

 これは4歳ごろのエピソードかな。姉の友達が家に遊びに来てくれてね。俺もおままごとに混ぜてもらった。とにかくチヤホヤされたな~

 まぁ幼少期って何やっても「主役」だもんね

 この頃は人生最高だったよ

 もう人生最高出ちゃった

 

昭和42年、周囲から可愛がられ「主役」だった父の幼少期

※当時の写真はほぼ残っていないそうなので、ここからは息子の僕(たかや)が父役として再現写真を撮っていきます

 

 

●主役だった瞬間●

 牛を飼ってたんだ

 実家は畜産・林業・養蚕業など手広くやっていたの。俺も牛の世話をしていたんだよ

 

 その中に「松香号(まつかごう)」っていう名前の仔牛がいてね。俺が大~切に世話をしたの

 その松香号が品評会で優勝したんだ。すごい!

 愛情をかけて育てた分、優勝した瞬間は嬉しかったな~

 

 

●主役だった瞬間●

 これはどういうこと?

 あ! サイダーじゃなくてオロナミンCだった。本当は「初めてオロナミンCを飲んだ」

 ジュースの種類はどうでもいいよ

 

 この頃は、TVで大村崑さん主演のオロナミンCのコマーシャルが流れててね。でも、俺の住んでた田舎にはオロナミンCの売っている店が無かった

 田舎あるあるだ

※大村崑…日本のコメディアン。1965年「おいしいとメガネが落ちるんですよ」というキャッチコピーのCMは一世を風靡した

 「いつか俺もオロナミンCを飲んでみたいなぁ」と憧れていたら、県外に出張していた親戚のおじさんがオロナミンCを買ってきてくれて

 おぉ! オロナミンCをゲットできた!

 初めてオロナミンCを飲んだときの感動は今でも覚えてるな~。あと「田舎で流行の飲み物を飲んでる」っていう誇らしさもあった

 いい話だなぁ

 

田舎住みの父にとってオロナミンCは貴重だった。蓋にジュースをちびちび注ぎながら、一本を2週間かけて飲んだらしい。腐るだろ。

  …と、ここまでが幼少期の主役だった瞬間だね

いろいろあって楽しかったなぁ

 しかし、裏ではこんな「脇役だった瞬間」がありましたッ!

「しくじり先生」みたいな前フリ

 

 

●脇役だった瞬間●

えー?! 知らなかった…

まさか父親が園卒だったとは…

もちろんそのあと小学校に入ったよ?

 

一つ上の組にガキ大将がいてね。俺もいじめの標的にされたのよ。「おい! 明日までに蝉を獲ってこい!」みたいな“宿題”を毎日のように出されて…

保育園児にそのいじめはキツイ…

園児のときの一歳上ってかなり恐怖の存在だしね

母ちゃんに相談したら「辛かったらあんなとこ行かんくていい。家におってくれるだけでええよ」って言ってくれてね

泣ける…

それで翌日から保育園に行かなくなった。その代わりに牛の世話をしたり、夕方になったら姉の友達が遊んでくれたんだ

なるほど。さっきの「主役」の話と繋がるわけか。 でも…

 

 

●脇役だった瞬間●

その牛も売られちゃうんだけどね

松香号~~~!!!

まぁ、結局は家畜だからね

でも当時10歳でしょ? そんな簡単に割り切れたの?

そりゃ泣いたよ。トラックで運ばれていく松香号を泣きながら見送った

リアル「ドナドナ」じゃん

 

10歳にして家畜の意味を理解した父

でもそのおかげで「自分は他の動物の命に生かされているんだな」ってことが知れたよ

人間は他の命の「脇役」ってことか…

うまいことを言うな

 

 

優等生だった思春期、そして初恋

●主役だった瞬間●

じゃあ次! 高校時代までの「主役だった瞬間」です

すげ! 児童会長、生徒会長、弁論大会優勝…かなり優等生じゃん

ゲームセンターみたいな娯楽施設もなかったし。とにかく勉強してたな~

 

数々の輝かしい賞を手に入れ、優等生だった学生時代の父

多感な時期だし、グレたりはしなかったの?

そんなことは考えもしなかった。両親が朝から晩まで山で働くのを見て育ったからね。親が苦労してたのを知っている分、余計な心配はかけたくなかったんだよ

立派すぎる…

よくドラマで不良の更生物語みたいなのもあるけど、親に迷惑をかけたって過去は消えないからね。できれば不良にならない人の方が凄いと思うよ

 

 

●主役だった瞬間●

あら~

もしかして初彼女?

そう、初めての彼女。学内でも一番のマドンナだったよ

マドンナって呼び方、古っ

 

高3の文化祭だったかな。同じ実行委員だった女の子から校舎裏に呼び出されてね。「前から気になってた」みたいなこと言われたんだ

 

学生生活も最後だったし、二つ返事でOKしたよ

親父に恋バナ聞くのは照れるな

優等生で、彼女もできて…。順風満帆じゃん

でもね…

 

 

●脇役だった瞬間●

あちゃちゃ~

ドンマイ

 

初めて彼女ができたが一週間でフラれた、高3の秋

なんてフラれたの?

「思ったよりもつまんない」って言われたかな…

うわ、キッツ

ドンマイ。他に良い人いるよ。今からでも遅くないよ

母さんいるから

 

 

社会人突入!高級車を乗り回したぜ!

いよいよ社会人か。大学に進学しようとは思わなかったの?

大学へ行くとなると県外へ出なきゃいけない。でも、両親になにかあった時すぐに駆け付けたかった。だから地元を離れたくなかったんだ

さっきから立派すぎない? 

なんの躊躇もなく地元を捨てた俺たちには耳が痛い…

 

昭和57年。高校卒業後は地元企業に就職し、親元を離れて社員寮での暮らしがスタート。この頃は近所の古本屋で漫画を買い漁っては暇を潰してたらしい

 

 

●主役だった瞬間●

 

入社式では新入社員代表で挨拶を務めた!

 

 

●主役だった瞬間●

すげっ!クラウン買ったの?!

あの頃は「車を持ったら一人前」みたいな風潮があったからね。俺もマイカーを持つのが夢だった。で、せっかくなら当時何百万円もしたクラウンがいいな…って

思い切ったな~

それからは毎日の様に残業して、贅沢もせずに貯金したなぁ

偉すぎ。息子の前だからって見栄張ってない?

まぁ、多少は親からもお金を借りたけどね

なんだ。親のすねかじりは今の俺たちと一緒じゃん。これが遺伝か

わはは

笑い事じゃないよ

 

昭和62年、父25歳。世間は高級車ブーム。念願のクラウンを手に入れてブイブイ言わせたぜ!

いや、待って

 

クラウンの再現度ひどくない?

さすがにクラウンをレンタルする予算はなかった

俺の夢(クラウン)が…

 

 

この時の写真だけ見つかりました。再現できてますよね?

 

 

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