3.クリスタル池の人魚

断崖絶壁に見えるテーブルマウンテンだが、徒歩で登れるルートも存在する。

傾斜は急で、何度も転びそうになったが、生い茂る木が日差しを遮るのでサバンナよりいくぶん楽だった。

 

 

 

 

3日目、昼。

 

 

 

僕らはロライマ山に登頂した。

肩で息をしながらミゲルの方を見る。彼の顔は達成感に満ちていて、おそらく自分も同じ表情をしているのだと思った。

 

「マミヤ、おまえ死にかけのゾンビみたいな顔してるよ」

違った。死にかけのゾンビみたいな顔だった。ゾンビになってなお死にかけるのか。

 

 

ロライマ山の山頂には、巨大なキノコ型の岩が並んでいる。いろんな国を旅して得た教訓だが、秘境って呼ばれる場所にはたいていキノコ型の岩が生えている。人間はなぜキノコ型の岩をありがたがるのだろう。

 

 

答えは簡単で、ちんちんに似ているからだ。僕らは一番ちんちんに似ているキノコ岩の下にキャンプを張り、拠点とした。ちんちんに似ているだけじゃなくて、雨風までしのげる。ありがたい。

 

テントを張り終わると、ちょうど食事の用意が整っていたところだった。どうせまた穀物の塊だろう。「ピヨピヨ……ピヨ……」と唱えてメンタルをかわいい小鳥ちゃんに近づける。

 

「みんな頑張ったから、今日は特別メニューだ」

 

鶏肉が出た。とんだサプライズ。罪悪感で味がしない。

 

 

食事が終わった僕らは、ガイドに連れられ、きらきらと光るクリスタルの谷を歩く。スザンヌが来たいと言っていた場所だ。興奮して走り出そうとする彼女をなだめるのが大変だった。

 

 

開けた場所に出る。

 

見渡す限り広がる一面の水晶。きっと黙って持ち帰るやつがいるのだろう。「クリスタルは持ち帰っちゃダメですからね」とガイドが忠告する。

人々が我欲でクリスタルを盗み続けたら、いつかこの光景は失われてしまう。「俺のポケットには大きすぎらぁ」と宝を諦めたルパンの心情が理解できた気がした。

 

 

とはいえ持ち帰らなければ手に取るのは自由だ。僕らは公園の子供が一番大きなどんぐりを探すように、一番大きなクリスタルを探し始めた。

 

水晶をひとつ手に取るたびに、これまでの苦労が頭に浮かんで、そのすべてが報われたように感じる。

サバンナを歩いたことだけじゃない。

酔っ払い相手にコンビニ夜勤で金を貯めたこと、留年しないために大学の単位を詰め込んだこと、その合間に語学を勉強したこと。ほんとうに全部だ。感極まって泣いてしまった。ここまでやって留年したので。

 

 

「ねえ! これ見て!」

スザンヌが僕とミゲルを呼びつける。

 

 

なんだなんだと近づいてみると、そこには特大のクリスタルが落ちていた。田舎の土産物屋に数万円で売られてるみたいな、見かけるたびに「これどんなテンションの時に買うの?」って疑問だったでっけー水晶。野生のアレが鎮座していた。

 

 

「私、これ持って帰りたいわ」

峰不二子みたいなことを言うな。

 

 

「トイレに戻る感じで自然にキャンプまで運べないかしら」

言い終わらないうちにスザンヌはすっと立ち上がり、何食わぬ顔でキャンプへの道を引き返そうとする。

ガイドから隠すように水晶は体の後ろで抱えているのだけど、想像以上に重かったのか背中はブーメランみたいに反り、歩くというよりジャンプする感じになっていた。人ってこんなに不自然に動けるんだ。

 

 

説教されるスザンヌを置き去りに、僕とミゲルは黄金色に輝くクリスタルの池へと向かった。

池といってもどこかから水が流れてくるわけじゃない。窪んだ場所に雨水が溜まっただけの場所だ。

 

「池に入って汗を流していくといい。冷たくて気持ちいいよ」

 

スザンヌを連れて追いついたガイドが提案する。

すごいな。こんな経験めったにできない。水晶が敷き詰められたプールなんて、どんな大富豪の家にだってないだろう。

 

 

「水が金色に光って綺麗ですね。これもタンニンの色なんですか?」

「いや、これはトレッキング客の汗の色だね」

 

入るわけないだろ。そんなもん勧めんな。

 

 

その日の夜。

 

昼間に見た光景を思い出し、興奮でなかなか寝付けないでいると、テントの外からガサゴソと音が聞こえる。

 

「こんな時間になんだろう」

 

外に出てみると、遠くを走る人影が見えた。かすかな月の光だけでは、それが誰かまではわからない。

嘘だ。一瞬で分かった。スザンヌのテントが全開になっている。不自然を絵に描いたような女。地獄のナチュラルローソンの店員か。

そして彼女が向かう先にはクリスタルの谷……。僕は確信した。

 

 

 

こいつは……

 

 

 

面白いことになる……

 

 

 

 

僕は他の人を起こさないようにゆっくりと靴を履き、そそくさとキャンプから離れると、スザンヌを追いかけて走った。めちゃくちゃ息が切れた。地面が平らだから忘れていたけど、ここは標高2800メートルの山頂。全力疾走していい場所じゃない。

 

が、それはスザンヌも同じこと。クリスタルの谷に差し掛かるころ、彼女の後ろ姿は数十メートル先にまで近づいていた。

 

昼間に巨大なクリスタルを見つけた広場が見えた。彼女の目的地はあそこに違いない。もうすぐ追いつけるはずだ。

ところが予想に反して彼女は止まらなかった。クリスタルをスルーして、そのまま前方へ走り続ける。

 

水晶を持ち帰るのが目的じゃないのか?

 

いや違う。

 

追いかけているのがバレたんだ。

 

僕がスザンヌを追いかけたのは、彼女の行動の一部始終を見届けたかっただけだ。邪魔するつもりはない。それを伝えたくて叫ぼうとするが、息が切れ切れでうまく声を出せない。

 

彼女は追跡者を振り返りもせず闇を駆け、その勢いのままクリスタルの池に飛び込んだ。

 

月の光が雲に遮られ、彼女の顔はよく見えない。風の音だけが耳に響く静寂の中で、僕は彼女と出会った2日前のことを思い出す。サバンナで生き倒れそうになった時のことを。

 

「これ、飲んで大丈夫なの……?」

 

きったねえ色の川を前に、眉間をしわくちゃにしたスザンヌ。そんな彼女がいま、汗で濁った池に肩まで浸かっている。耐えがたい苦痛だろう。

 

「ごめん! 邪魔するつもりじゃなかったんだけど」

 

闇の中の彼女に声をかける。怒られるだろうか。嘆かれるだろうか。どちらにせよ受け入れようと思った。手伝えと言われれば手伝おう。僕は彼女にそれだけのことをしてしまった。

 

風が吹く。搔き消されるように雲が晴れる。彼女の口が動いた。

 

 

 

 

「私は人魚です」

 

 

 

 

すっとぼけやがった。

 

 

本当はMermaid(マーメイド)という単語が聞き取れなくて聞き返してしまった。「私は人魚です」「えっ!? 何!?」「私は人魚です」「人魚!? 人魚って言ったの!?」「私は人魚です」みたいな感じだった。こんなセリフよく3回も言えたな。

 

 

拠点に戻ると、ガイドはテントを抜け出した僕らに気づいていて、スザンヌはまたもや怒られた。何か言い訳しようとモゴモゴしていたが、口を挟む余地のないくらいめちゃくちゃに怒られていた。

 

 

強欲な人魚は声を失うのだ。

 

 

4.巨大洞窟の蜘蛛男

ギアナ高地が特殊なのは地質だけではない。そこに暮らす動植物も激レアである。

 

どれくらい珍しいかというと、およそ75%の生き物がギアナ高地にのみ生息する固有種らしい。ラッキーとケンタロスばっか出てくるサファリゾーン。残り25%のコラッタとかはめちゃくちゃ肩身が狭いだろうよ。

 

 

何日目かの夜、ミゲルは自分が旅人になった理由を教えてくれた。

 

 

「俺は新種のタランチュラを探してるんだ」

「新種のタランチュラ? ミゲルは学者なのか?」

「違うよ。だけどタランチュラに自分の名前が付いたら、最高にクールだろ?」

タランチュラを探して世界を旅する。なんだそれ。かっこいいじゃん。

 

「見てくれよ。背中には蜘蛛のタトゥーが入ってるんだ」

そう言いながらTシャツを脱ぐミゲル。「俺は日本のアニメが好きだから、参考にさせてもらった」

 

日本のアニメ? 何だろう? ワクワクしながら彼の後ろに回り込む。背中を見て驚いた。

 

 


(佐脇嵩之『百怪図巻』より)

 

牛鬼の浮世絵が彫ってあった。何のアニメ見たんだ。

妖怪には詳しくないけど、たぶんこいつは蜘蛛じゃない気がする。「牛鬼」って名前で蜘蛛成分が入ってるミラクルあるのか? 牛乳の成分表にタランチュラって書いてあったら泣いちゃうけどな。

 

星を眺めることしかできない夜は、ミゲルと他愛もない話をして暇を潰した。スマホに入ったジャンプを読ませると「スペイン語のブリーチはぜんっぜん新刊が出ないんだよな〜」と楽しそうだった。

 

 

4日目。

 

 

この日は「天国の窓」と呼ばれる穴を見に行った。地面の一部が吹き抜けになっていて、そのすぐ下を雲が流れている。ぶあつい雲は絨毯のようで、足を踏み出したら乗れるんじゃないかと錯覚するほどだった。

 

 

「天国の窓」という名前は、「天国から下界を覗く窓」と「落ちたら天国行き」とのダブルミーニングなのだろう。この場所の非現実感に浸っていると、日本での生活こそが嘘だったように思えてくる。ぜ〜んぶ嘘。俺は留年していない。

 

 

夢見心地のままキャンプに戻る。次は何をしようか?という話になったとき、遠慮がちにミゲルが手を上げた。

 

「なあ、もういちど洞窟へ行かないか?」

 

 

洞窟とは、キャンプから15分ほど歩いた地点でみつけた縦穴のことだ。ミゲルと散歩している時に発見し、中を探検しようとしたのだが、思いの外深かったので引き返した経緯がある。

ガイドの装備と知識があれば、もっと奥まで行けるのではないかという魂胆だった。

 

 

難色を示したのがスザンヌだった。

「洞窟……楽しそうだけど、常識的に考えたら危険じゃない?」

 

もっともな意見だ。池に飛び込んだ女とは思えない。

だが僕も同意見ではあった。洞窟探検、めちゃくちゃ憧れる響きではあるけれど……。

 

 

それでもミゲルは食い下がった。「洞窟なら見つかるかもしれないんだ」と。

ガイドもスザンヌも「何の話?」とぽかんとしていたが、僕には分かってしまった。

 

 

結局、ガイドの持っていたでかい懐中電灯を借り受けて、僕とミゲルの2人で洞窟に潜った。

照れ臭そうなミゲルに「ありがとう」とお礼を言われる。「新種が2匹見つかったら、1匹にはマミヤの名前を付けよう」とも。すごいな。全然嬉しくない。

 

結露した岩肌を慎重に進むが、蜘蛛の巣ひとつ見つからない。入り口から差し込む光は完全に途絶えた。かろうじて方向感覚を保てるのは、背中に感じる生ぬるい風のおかげだった。

 

……だめだ。諦めよう。弱音を言いかけたそのとき。

 

「なんだこれ!!!!! すげえ!!!!!!」

ミゲルの声が洞窟に響き渡る。懐中電灯が指し示す先に見たのは、残念ながら蜘蛛ではなかった。

 

 

岩壁の一部が光を反射して金色に輝いている。ゲームの中では何度も見た光景。それはまさしく金の鉱脈に見えた。

 

金色の鉱石というだけで、本当に金だったのかはわからない。だけどあの瞬間、確かに僕らは「2人で金を見つけた」という絆で結ばれた。コナンの世界だったら片方が不審死を遂げることになりますね。

 

 

「一生の思い出ができた」「絶対に忘れない」「いつの日かまたここに来よう」

 

 

次々と臭い言葉が口を衝く。完全にクライマックス。エンディングのイントロが流れ始める。だから驚いた。

 

 

 

 

 

 

「さ、タランチュラ探しを続けようか」

 

まだやるの?

 

 

ついに蜘蛛はみつからず、あまりにミゲルがゴネるので洞窟の入り口で一泊することになった。途中からはミゲルも諦めてブリーチ読んでた。

 

 

「新種が3匹見つかったら、1匹はマミヤ、もう1匹はクボタイトと名付けようと思う」

 

 

それは久保先生も迷惑だろ。

 

 

5.エピローグ

「このステーキ固すぎない? タイヤ食ってるみたいなんだけど……」

2ドルで食うステーキの味は最悪だったけど、7日ぶりに飲むコーラは神の飲み物に思えた。

 

ひきこもってばっかのゲーマーが、ゲームみたいなギアナ高地を旅すれば、誰も知らない感動に出会えるかもしれない。

半分は当たっていて、半分は間違っていた。

 

あの日、あの場所で、僕は人魚と同じ月を見上げて、蜘蛛男といっしょに金を見つけた。

そこに立場や趣味なんて関係なくて、僕らは初めて外を歩いた赤ちゃんのように、見るもの全てに感動していた。一面のクリスタルを見れば誰だって感情のメーターが振り切れる。ギアナ高地にはそれだけの力があった。僕が抱いていた希望は思い上がりでしかなった。

 

 

だけどやっぱり

 

この場所で聴くゲームのサントラは最高だった。

 

「俺はこのステーキも結構好きだけどな……。日本の飯ってそんなに美味いの?」

「いつか日本に行ったら案内してよ。今度は3人で温泉猿に会いに行きましょう」

 

僕らは固く握手をして、それぞれの道へと別れた。僕はブラジル経由で日本に帰国し、ミゲルは中米方面へ北上、スザンヌはベネズエラの友人宅に泊まると言っていた。

 

 

 

 

ミゲルとスザンヌとは、以来一度も連絡を取っていない。

 

 

 

 

おまけ

高いところから山頂を俯瞰した動画です。よろしければご覧ください。

※風の音がうるさいので音量注意