信仰の融合

 

なぜ、カトリックとかけ離れた装飾になっているのか
その答えは結構、昔。

 

世は大航海時代。コロンブスに続けとばかりに、シャカリキに新天地を目指した男達が、夢の島を探し求め彷徨う。その時代のチャムラの人々は、もともとのマヤ文明やそれ以前からの文化や信仰をもっていました。 

そこへやってきたキリスト教、宣教師達。改宗させチャオ!っつって神の教えを説きはじめます。

 

でも、宗教とか文化って土地に根ざしがちじゃん?

 

育ってきた環境が違うから、新しい宗教もってきて、ほい上書き!っていうのはできないもんなのです。ジーザス?何それ?オフィスチェア?ってなるじゃん。

世代交代が繰り返されるごとに、リベラルな思考の子供達が土着の信仰とカトリックに折り合いをつけて徐々に浸透していったわけです。そうして、この土着信仰とカトリックが融合した信仰形態が生まれたのですね。

 

 

 

 

もともとは、鏡は土着の信仰の魔よけ なのだそうです。
聖人だから破邪くらい自力でできそうなんですけども、そこは聖人を守ろうとしたチャムラの人たちの優しさなのです。たぶん。

 

  

 

生タマゴを使うタイプの祈り


サンフアン・バウティスタ。この村の名前であり教会の名前にもなっている聖人。(絵画はエル・グレコ作)

 

礼拝にくる人はもちろん普通の村人で、普通に祈ってます。
床の松の葉をどかして持参したろうそくを床に直に立てる以外は普通。
ひざまづいて、指を組んでロザリオもってお祈りする。

サンフアンも納得の礼拝スタイル。

  

 

 

でもね。あるんです。サンフアンも裸足で逃げ出す祈りが。
すんげぇのが。それが 邪眼よけ の祈りです。

邪眼っていうのは、RPGではおなじみの世界中にあるジンクスですね。「ある種の視線(ねたみやうらみの視線)は災いをもたらす」というやつですね。メデューサとかね。

 

言うとね、生タマゴを使うんです。

 

生タマゴを使うタイプの祈りってだけで世界中探してもここだけな気がしますね。

ここチャムラでは邪眼の影響は小さい子にでると考えられているんですが、祈祷の言葉とともに子どもの体に生タマゴを散々こすり付け、グラスに割る。これで邪眼よけOK。 

 

 

小さな子が泣き叫んだり湿疹がでたりすると 邪眼 のせいだと考えるそうです。小さな子供は(かわいいので)良かれ悪かれ、視線を集めやすい。その中に混じっている無自覚の邪視をうける、のだと。

で、そのこすりつけた タマゴの方に邪眼が移るんですね。身代わりの考え方ですね。そいで邪眼を移したタマゴの黄身はギザギザになったり目玉模様が現れたりすることもあるとかないとか。

電車内とかで子どもが騒いだら、ぜひ試してみてください。

 

 

 

でも、もっとレアなタイプの祈りがあるのです。