雨穴の新刊の中から、第一章「行先のない廊下」を、出版社から許可を得て全文公開いたします。

※書籍は縦書きですが、ウェブフォーマットに合わせるため横書きに変更しています。

まえがき

 

その日、私は11冊の資料が入った封筒を持ち、知人の住むアパートへ向かって歩いていた。

 

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2年前、『変な家』という本を書いた。
一枚の奇妙な間取り図をもとに、その家が建てられた理由、そして、そこで起きた恐ろしい出来事を、知人の設計士とともに調査した、ドキュメンタリー小説だ。

ありがたいことに『変な家』は反響を呼び、多くの方に読んでいただいた。それと同時に、私のもとには「家」に関する数々の情報が寄せられるようになった。

「本を読みました。実は私の家も、間取りがおかしいんです」

「昔、おばあちゃんの家に遊びに行ったとき、誰もいない部屋から変な音がしました」

「以前泊まった民泊で、不気味な柱を見つけました」

 

想像を超えて「変な家」は全国にいくつも存在することがわかった。

さて、この本には、それら数ある「変な家」の中から、11軒に関する調査資料を収録した。
一見、それぞれの資料は無関係に思えるかもしれない。しかし、注意深く読むと、一つの『つながり』が浮かび上がってくる。

ぜひ、推理しながら読んでいただきたい。

 

資料1「行先のない廊下」

その日、私は富山県の喫茶店にいた。テーブルの向かい側には、女性が座っている。

彼女の名前は、根岸弥生さん。同県に住む30代のパートタイマーだ。根岸さんと私がこうして会うことになったのは、彼女の子供がきっかけだった。

 

根岸さんの息子・和樹くんは、もうすぐ7歳になる。彼はある日、小学校の図書室に置かれていた「変な家」の単行本を借りてきたという。表紙に描かれた間取り図に興味を持ったそうだ。

しかし、まだ漢字もほとんど習っていない彼には、大人向けの本を読むのは難しかったらしく、母親に読み聞かせをせがんだ。根岸さんは「一日一回。寝る前に10分だけ」を条件に、毎晩ベッドで朗読をすることを約束した。

本を読み進めるうちに、彼女は子供の頃の記憶がよみがえってきたという。それは、心の奥底にとじこめた、不快で、薄気味悪い思い出だった。

 

・・・

 

根岸:私の実家には、一か所だけおかしな部分がありました。
だけど、もうずっと前に取り壊されてしまいましたし、私も今の生活が忙しくて、思い出す暇がなかった……というか、忘れようとしていました。でも、本を読んでいたら、だんだんあの家と、母のことが頭に浮かんできて……。

 

「母のこと」という言葉を口にしたとき、根岸さんの顔が、明らかに暗くなった。

 

根岸:それ以来、家事をしていても、パートの仕事をしていても、そのことばかり考えてしまって……。それで、本を書いた方にお話しすれば、何か変わるんじゃないかと思って、出版社に問い合わせました。
とはいっても、真相を解き明かしてほしいとか、そういうことを期待しているわけではなくて……。とにかく、誰かに話すことで、私自身が過去の呪縛が逃れられるんじゃないかと思ったんです。ご迷惑でしたよね。すみません。

筆者:いえ、そんなことはありません。あの本を出版して以来、色んな方から「間取り」に関する話を聞かせてもらうようになりまして「変な間取り図を集める」というのが、私のライフワークになっているんです。
今回だってその一環ですから、全然苦ではないんです。むしろ、私の趣味に付き合ってもらった結果、根岸さんの心が軽くなるなら、一石二鳥でうれしいことです。

根岸:そう言っていただけると、気が楽です。

 

根岸さんは、ハンドバッグの中からノートを取り出し、テーブルの上に開いた。そこには、鉛筆で手書きされた間取り図があった。
消しゴムの跡がいくつも見える。ぼんやりとした記憶を少しずつ掘り返しながら、消しては直しを繰り返して描いたという。

 

※根岸さんの間取り図をもとに、筆者が改めて清書したものを掲載しています。

 

根岸:私の実家は、富山県高岡市の住宅街にある、平屋建ての一軒家でした。
住みにくさを感じたことはなかったんですけど、ここだけが、どう考えても変だな、と……子供の頃から疑問に思っていました。

 

彼女は、図面の一か所を指さした。

 

 

根岸:この廊下、必要ないと思いませんか

筆者:必要ない……?

根岸:だって、行先がないんですよ。この廊下から、どこにも行けないんです。これがなければ、私と両親の部屋は、もっと広くできたはずです。なんのためにこんな無駄な空間を作ったんだろうって、ずっと不思議でした。

 

たしかに、言われてみれば妙な空間だ。収納スペースにしては細すぎるし、ドアや窓がついているわけでもない。

「行先のない廊下」……そう呼ぶしかない。

 

 

根岸:昔、一度だけ父親に聞いてみたんです。「この廊下、なんのためにあるの?」って。
そのとき、なぜか父は焦ったように、強引に話をそらしました。私は、自分の質問が無視されたのが悔しくて、軽く駄々をこねながら、しつこく「この廊下、なんなの?」と聞きました。
父は甘いので、普段だったらそこで折れてくれるんですが、そのときばかりは、最後まで何も教えてくれませんでした。

筆者:お父さんは、この廊下について、何か話せない事情でもあったんでしょうか?

根岸:そんな気がします。この家の間取りは、両親が建築会社の人と相談しながら作ったそうなので、父が何も知らないはずはないんです。それなのに教えてくれないというのは……隠し事でもあったんじゃないかって、疑ってしまいます。

筆者:ちなみに、お母さんは何と?

根岸:母には、聞きませんでした。聞けなかった……と言ったほうが正しいかもしれません。そんなことを気軽に質問できる関係性ではなかったんです。

 

母親の話になったとたん、また根岸さんの顔が曇った。

経験上「家」を知るためには、間取りだけでなく、そこに住む「人」を深く理解する必要がある。この家の謎を解く上で「母親」がキーポイントになる。そんな気がした。

 

筆者:話せる範囲で構いませんので、お母さんについて、もっと教えていただいてもよろしいですか?

根岸:……はい。……母は、ご近所さんとか、父に対しては、普通の明るい人だったんですけど、私にだけは、いつもきつく接していました。
褒められたことなんてほとんどなくて、ちょっとしたことで怒鳴るんです。それだけなら、ただの「厳しい母親」で片づけられるかもしれませんが、ときどき私のことを、怖いものを見るような目で見てくることがあって……。
恐れられてる……っていうのかな。避けられてると感じることもありました。とにかく、私に対する態度が、普通じゃなかったんです。

筆者:お母さんとの関係が悪くなったのは、何か理由があるんでしょうか?

根岸:わかりません。物心ついたころから、ずっとそうだったので「自分は母に嫌われてるんだ」と当たり前のように思っていました。でも、今思い返すと、そこまで単純じゃない気もします。母は厳しい反面、ものすごく過保護でもあったんです。
私は早産で生まれて、小さい頃、体が弱かったっていうのもあると思うんですが「具合は悪くない?」とか「体のどこかが痛かったりしない?」とか、毎日聞かれました。あと「大通りに行かなかった?」とか。

筆者:大通り?

根岸:ああ。これも説明しないといけませんね。

 

 

根岸:実家は、南側が大通りに面していました。
北・東・西側には民家が建っていて、それぞれの家との間は、狭い路地のようになっていたんです。
母は「何があっても大通りには出ちゃだめ。出かけるときは路地を通りなさい」って言うんです。たしかに、家の前の大通りは歩道が狭くて、危ないといえば危ないんですが、田舎ですから、そこまで車が多いわけでもないですし、ちょっと心配症すぎるな、と思っていました。
まあ、言いつけを破ったら怒鳴られるから、言われた通りにしていたんですけど。

 

 

辛く当たる一方で、必要以上に過保護に扱う……この態度について、思い当たるふしがあった。根岸さんの母親は、娘をどう愛せばいいのかわからなかったのではないか

世の中には「子供の愛し方が分からない親」が一定数存在する。
彼らは真面目だ。真面目すぎるあまり「親としての責任を果たさなければいけない」と過剰に思い込み、全力で子供を守ろうとする。

しかし、その緊張感が子供に伝わり、上手くコミュニケーションが取れなくなる。そのことに焦り、苛立ち、子供を避けるようになってしまう。
「親」という役割に対するプレッシャーが「過保護」「拒絶」という、まったく違った形で現れ、子供を苦しめる。

だとしたら……私は、一つの可能性を思いついた。

 

 

筆者:根岸さん。今のお話を聞いて思ったんですが、この廊下は、お母さんの提案で作られたのではないでしょうか。

 

 

廊下は、両親の部屋と根岸さんの部屋の間にある。見方を変えれば、廊下があるせいで、二つの部屋は離れてしまっているともいえる。それこそが、この廊下の役割なのではないか。

過保護ゆえ、自分の近くにいてほしいが、同時に距離を置きたい。そんな母親の矛盾した心理から作られた、「壁」のようなものなのではないだろうか。

私は、根岸さんを傷つけないよう、なるべくソフトな言葉を使って説明した。しかし、すべて聞いたあとで、彼女はゆっくりと首を横に振った。

 

根岸:実は、私も以前同じことを考えました。母は、私を遠ざけたかったんじゃないかって。でも、そう考えるとおかしいんです。この家が完成したのは1990年の9月……私が生まれてから半年後です。
どんなに早くても、設計から完成まで、半年で終わるってことはないですよね。ということは、この間取りは私が生まれる前に作られたはずです。
さすがに、そんな頃から私を遠ざけたかった、なんてことはないかな……と。

 

たしかに、いくらなんでも、生まれる前から子供を避ける親はいない。

 

根岸:すみません。もっと早くにお伝えすべきでした。

筆者:いえいえ。でも「生まれてから半年後に家が完成した」というのは、重要なヒントになりそうです。

根岸:そうですか?

筆者:時期から考えると、ご両親は、子供ができたのをきっかけに、この家を建てることにしたんじゃないでしょうか。
するとある意味では、根岸さんのために作られた家でもあると思うんです。だとしたら、この廊下が、根岸さんの誕生に関係している可能性はあります。今の段階では、それ以上は何もわかりませんが……。

根岸:もしそうなら……ちゃんと、両親に聞いておくべきした。

筆者:……あの、たいへん失礼ですが、今、ご両親は?

根岸:二人とも、ずっと昔に亡くなりました。

 

根岸さんは、両親との別れについて話してくれた。

 

根岸:あれは、私が小学三年生の冬でした。家族三人で食事をしていたら、突然母が「頭が痛い」と言って、その場に倒れこんでしまったんです。
急いで病院に電話したんですが、年末だったので救急車が出払っていたみたいで、治療を受けることができたのは、それからだいぶ後でした。

 

検査の結果、脳梗塞が発見された。

処置が遅れたせいで、全身に後遺症が残り、以降は寝たきり生活となった。父親は仕事を辞め、介護の合間を縫って、短時間のアルバイトをかけもちするようになる。根岸さんは、精一杯家事を手伝ったが、小学生にできることは限られていた。父は、まともに睡眠もとれず、過酷な日々の中でやつれていった。

そんな生活が二年続いた。根岸さんが11歳になった年、母は肺炎で亡くなった。それからすぐ、後を追うように父も病死した。二年間の介護生活と、妻を失った苦痛に耐えられなかったのだろう、と根岸さんは語る。

 

根岸:そのあと、私は遠い親戚の家に引き取られました。実家は売りに出されて、買い手がつかないまま、数年後、マンション建築のために取り壊されたと聞いています。

 

根岸さんはコーヒーを一口すすり、カップを受け皿にかちゃりと置いた。

 

根岸:……両親が亡くなったあと、遺品を整理していたら、意外なものが二つ出てきました。
一つはお金です。母の引き出しに封筒があって、中には一万円札が68枚入っていました。へそくりっていうんですかね。

筆者:68万円か……。けっこう貯めていたんですね。

根岸:母は元気な頃、弁当屋でパートをしていたので、決して貯められない額ではないんですが、物欲のない人だと思っていたので、少し意外でした。それだけならよかったんですが……

筆者:もう一つのもの、というのは?

根岸:……人形です。和室の押し入れに、新聞紙にくるまれた木彫りの人形が入っていたんです。父と母、どちらのものだったのかはわかりませんが……奇妙なのは、その人形……片手と片足が折られてたんです。

筆者:え……?

根岸:気持ち悪くて捨ててしまったんですけど、あれが何だったのか、誰がなんのために折ったのか……いまだにわからないんです。

 

謎の廊下、母の態度、68万円、手足の折られた人形。まったくつながらない情報の欠片が、頭の中でぐるぐるとめぐる。

そのとき、突然「かちゃかちゃかちゃかちゃ」という音がして我に返った。見ると、コーヒーカップを持つ根岸さんの手が小刻みに震え、カップと受け皿がぶつかり合っている。

 

筆者:大丈夫ですか?

根岸:はい……すみません。なんか、いきなり緊張してしまって。

筆者:緊張?

根岸:実は……今日、本当にお話ししたかったのは、ここからなんです。

 

・・・

 

根岸さんは、まだ少し震えている指先を見つめながら、小さな声で言った。

 

根岸:両親が亡くなってから、ずっと考えていました。いったい、あの家にどんな秘密があったんだろうって。気になって気になって、仕方がなくて、建築関係の本を読んだり、気づいたことをノートに書き留めたりしながら、長い間、考え続けました。そしてあるとき、一つの答えにたどり着いたんです。

筆者:答え……謎が解けたということですか?

根岸:……はい。でも、根拠はありませんし、そして何より……もしその「答え」が正しかったら、それは私にとって、とても怖くて悲しいことので……結局、捨てることにしました。忘れようと思ったんです。
……でも、無理でした。何年たっても、大人になっても、結婚しても、子供が生まれても、ことあるごとに、その「答え」を思い出して、怖くなってしまうんです。今だってそうです。この話をしようとするだけで、こんなに緊張してしまう……。もう、いいかげん逃れたいんです。

 

彼女は最初「誰かに話すことで、私自身が過去の呪縛が逃れられるんじゃないか」と話していた。「過去の呪縛」とは、その「答え」のことなのだろう。

それを私に話すことで、楽になりたかった。

 

筆者:今まで、ずっと辛かったんですね。正直、根岸さんの「答え」が正しいか、正確に判断できる自信はありません。
でも、話すだけでも気持ちは楽になるはずです。焦らなくていいので、聞かせてください。

根岸:ありがとうございます。

 

軽い咳払いをして、彼女は話しはじめた。 

 

根岸:どうして「行先のない廊下」が作られたのか。
私は最初、その理由ばかりを考えていました。でもあるとき、ふと思ったんです。そもそも考え方が間違っているんじゃないか。あれは「行先のない廊下」ではなくて「行先がなくなってしまった廊下」なんじゃないか。

 

根岸さんはボールペンを取り出し、間取り図に記号を描き入れた。

 

 

筆者:庭に通じる扉?

根岸:はじめはそう考えました。もともとここに扉をつける予定だったんじゃないかって。でも、庭に出る扉ならリビングにもありますし、玄関からも庭に行くことができます。わざわざここに出入口を作る必要はない。
それに、廊下まで作っておいて、扉だけキャンセルするなんておかしいと思いました。そこで、こう考えたんです。

 

彼女はふたたびボールペンを握る。

 

 

筆者:「部屋」ですか…。

根岸:計画段階では、もう一つ部屋が作られる予定だった。この廊下は、その部屋に行くための「通路」だった。
でも、工事が始まる直前に、急遽予定が変更されて、部屋は間取り図から消された。その結果、通路だけが残ったんじゃないかと。

筆者:でも、部屋を一つキャンセルするなんて、かなりの大ごとですよね。

根岸:はい。だからきっと、そこまでしなければいけないほどの大事件が起きたんです。
たとえば……家族が一人減った……とか。

筆者:え……?

 

この部屋には、「誰か」が住む予定だった。

祖父、祖母、叔父、叔母、親戚……誰かはわからないが、工事が始まる直前、その人物はいなくなった。

 

筆者:しかし、だとしても、わざわざ部屋を無くすなんて……。

根岸:普通はしないですよね。そう。普通ならありえない。「その人」は両親にとって、普通じゃなかったんです。特別な存在だった。
いったい、それはどんな人なんだろうって考えていると、変なことに気づいたんです。

 

 

根岸:この部屋、なんとなく私の部屋に似てるんですよね。大きさはほとんど同じだし、庭に面しているという点も同じ。なんか……双子みたいだな……って。

 

その言葉に、一瞬、胸がざわついた。

 

根岸:先ほども言いましたが、私は早産で、予定日より2か月も早く生まれたんです。しかも帝王切開。母子ともに、相当危険なお産だったはずです。
当時のことについて、両親はあまり詳しく話してくれなかったけど、もしかしたら……私には兄弟がいたのかもしれません。双子の兄弟です。
妊娠中、母の体に異常事態が発生して、緊急手術になった。片方…つまり、私は無事に取り出されたけど、もう片方は助からなかった。

筆者:この部屋は、生まれるはずだった、もう一人の子供の部屋……?

根岸:それが私の「答え」です。両親は、兄弟のことを私に隠すことにした。……一人の親として、その気持ちは理解できます。
自分の子供に対して「あなたには双子の兄弟がいたけど、生まれる前に死んでしまった」と伝えるのは、トラウマを与えてしまうようで怖いですから。

筆者:ではご両親は、根岸さんがそれに気づいたり、疑いを持つことを避けるために、そのきっかけになるかもしれないこの部屋を消すことにした、ということですか。

根岸:はい。ただ、それ以上に、両親自身が忘れたかったのかもしれません。部屋を見るたびに、亡くなった子供のことを思い出すのは辛いでしょうから。

 

たしかに、それほどの事情がなければ「建築予定の部屋を直前にキャンセルする」などという決断には至らないだろう。

 

根岸:それが事実なら、母の態度もある程度納得できます。
あの人は、私の存在を恐れていたのかもしれません。私は「死なせてしまった、もう一人の子供の分身」ですから。私が生きていること自体が、母の罪悪感を刺激していたのではないかと。
そう考えると、押し入れにあった人形の意味も分かる気がします。片方の手足が折られていたのは「子供を半分失った痛み」を表現したかったのかもしれません。

 

根岸さんはハンドバッグの中に手を入れ、一枚の写真を取り出した。

 

根岸:遺品整理のときに、父の引き出しから写真の束が出てきたんです。
すべて、建築中の実家を遠くから撮ったものでした。家が出来ていく様子をおさめておきたかったんでしょうね。これは、その中の一枚です。

 

写真には、まだ骨組みの状態の家が写っていた。骨組みには「建築中 ハウスメーカー美崎」と書かれた垂れ幕がついている。この家を建てた建築会社だろう。

ただ、何よりも目を引くのは、写真の端に写りこんでいる、小さな赤い物体だ。

 

 

それは図面右下の、大通りのすみに置かれていた。

目を凝らして見ると、ガラスのコップに挿した、一輪の花だと分かった。

 

根岸:両親が、もう一人の子供にお供えしたのかなと思っています。

 

私は違和感を覚えた。

亡くなった子供に花を供える、という行為は当然理解できるが、建築中の新居に供えるだろうか。どう考えても、場所がおかしい。

これは、我が子への供花というより、むしろ……。

 

・・・

 

根岸:どうでしょうか……。客観的に見て、私の考えは?

筆者:そうですね……。根岸さんの推理はとても論理的で、説得力がありました。
ただ、気になる点がいくつかあったことも事実です。

 

 

 

筆者:たとえば、もしこの位置に部屋があったら、ご両親の部屋に窓がつけられないんです。外に面している壁がなくなってしまいますから。
この間取り、ご両親が建築会社と相談しながら考えたんですよね。プロが付いていて、こんな配置になるとは思えないんです。

根岸:……たしかに、言われてみれば……。 

筆者:それから、直前になってここまで大規模な間取りの変更ができるのか、という疑問もあります。
屋根の形も変えないといけないですし、資材発注などの面から見ても、かなりのお金と時間がかかる気がします。そもそも、建築会社が了承してくれるかどうかも……。

根岸:そう……ですよね。

筆者:これらを総合して考えると、根岸さんの推理は、現実的ではないと思います

 

正直、そこまではっきりと否定しきれない、というのが本心だった。しかし、中途半端に肯定すれば、根岸さんはこれからも苦しむことになる。存在するかどうかもわからない、兄弟の亡霊に怯え続けることになる。

それなら、ここできっぱりと否定して、過去の呪縛から逃れてもらったほうがいい。彼女もそれを望んでいるはず……だと思っていた。

しかし、予想に反して、根岸さんはなぜか悲しそうな顔をした。

 

根岸:ありがとうございます。自分の考えが現実的ではないと分かって、心が楽になった反面、少し寂しい気持ちになりました。今、はじめて気づいたんですけど、きっとこの「答え」は、私の願望なんです。

筆者:……どういう意味ですか?

根岸:母のことを……好きになりたい、という願望です。
私、今でも母のことが嫌いなんです。亡くなってから長い時間が経っているのに「今にして思えば良いお母さんだった」なんて全然思えなくて。それがすごく嫌なんです。
だから少しでも「あの態度は仕方がなかったんだ」「母には、私にきつく当たらざるをえない事情があったんだ」って、思いたいんでしょうね。私。

 

・・・

 

喫茶店を出ると、強い西日が照り付けた。根岸さんと別れ、駅に向かって歩き出す。

「母親を嫌いなままでいたくない」……そんな願望から生まれた推理。たしかにそうなのかもしれない。

だとしても、忘れるべきだと私は思った。もうこの世にいない母親のために、苦しみながら生きることはない。根岸さんの「答え」を否定したのは、間違っていなかったと信じている。

 

ただ、一つだけ胸に引っかかっていることがあった。

写真に写っていた赤い花。あれは何だったのか。誰が何のために置いたのか。

根岸さんは「両親が子供に供えたもの」だと考えていた。そんなはずはない。

置き場所がおかしい。あれは、道路に置かれていた。

 

道路に置かれた花……常識的に考えて……。

 

そのとき、頭の中で火花が散った。

突如、一つの仮説が組みあがっていく。

まさか……。しかし、そう考えれば「行先のない廊下」の説明がつく。

 

私は、スマートフォンの地図アプリを使い、図書館の場所を調べた。

 

・・・

 

喫茶店から徒歩30分。市立図書館に到着した。そこには、県内の地方新聞のバックナンバーが保管されていた。私は、根岸さんの実家が完成した1990年の新聞を読み漁った。

 

やがて、一つの記事を発見した。

 

1990年1月30日 朝刊

 

昨日29日の午後4時頃、富山県高岡市で死亡事故が発生した。亡くなったのは、同市に住む小学生 春日裕之介くん(8) 。裕之介くんは大通りを歩行中、建築現場からバック走行で出てきたトラックと衝突したものとみられている。トラックは建築資材を運搬していた。運転手の男は「視界が悪く、男の子には気づかなかった」と供述している。男はハウスメーカー美崎に勤務する従業員で…………

 

 

記事には、事故が起きた道路の写真が掲載されていた。それは、つい先ほど根岸さんに見せてもらった、あの写真と同じ場所だった。

思った通りだ。「行先のない廊下」は、この事故のせいで生まれてしまったのだ。私は急いで図書館を出て、根岸さんに電話をかけた。

 

根岸:はい、もしもし。

筆者:根岸さん。お願いがあります。ハウスメーカー美崎に連絡してもらえないでしょうか。根岸さんの実家を作った建築会社です。社員さんに直接話を聞きましょう。

根岸:直接……?でも、両親が家を建てたのは、もう30年以上前のことですし、それ以来、全く関わりがないんです。
そんな昔のお客に、まともに取り合ってくれるとは思えないですし、そもそも、当時のことを知っている人が残っているか……。

筆者:私も、今まではそう思っていました。でも、たった今、図書館で過去の新聞を調べたら、重大な事実がわかったんです。ハウスメーカー美崎にとって、根岸さんはとても大事な人のはずです。

根岸:どういうことですか……?

筆者:実はですね……

 

その後、根岸さんに問い合わせてもらったところ、予想通り、会社は彼女のことを覚えていた。さらに「当時のことを知っている人と話がしたい」とお願いすると、一人の社員を紹介してくれたという。その人は「池田さん」という人事部長らしい。

翌週の金曜日、私たちは本社に招かれ、彼と会うことになった。

 

・・・

 

金曜日の昼下がり、根岸さんと私は、ハウスメーカー美崎本社の応接室にいた。

向かいに座る池田さんは、腰の低い、人のよさそうな中年男性だった。彼は根岸さんの顔を眺めながら、しみじみと言った。

 

池田:そうですか……あのときのお嬢様が、こんなに大きくなられたんですね。

筆者:池田さんは、根岸さんのことをご存じなんですか?

池田:はい。お母さまのお腹にいらっしゃる頃から存じております。
当時、私は店舗でお客様のご対応をしておりまして、ご両親がお家を建てられる際、色々とお世話をさせていただきました。
よく、ご主人が奥様のお腹をなでながら「女の子なんです」と嬉しそうにおっしゃっていたのを覚えております。

根岸:あの、そのとき父は「双子」とか言ってませんでしたか?

池田:いえ……記憶のかぎりでは、そのようなことはおっしゃっていませんでした。

 

根岸さんは、肩の荷を下ろすように「ふー」と息を吐いた。

 

池田:しかし……せっかく弊社を選んでいただいたにも関わらず、あのような事故が起きてしまったことは、我々にとって消えることのない恥です。

筆者:今日は、それについて伺いたくてお邪魔しました。事故について、詳しく教えていただけますか?

池田:はい。あれは……地盤調査が終わり、これから骨組みを建てようという頃でした。
うちの従業員が、敷地の前の道路で、男の子をひいてしまったんです。

筆者:男の子は、その事故で亡くなった。

池田:はい。決してあってはならないことです。

 

根岸さんは、例の写真を取り出した。

 

根岸:お花を供えたのは、池田さんですか?

池田:私だけではありません。家が完成するまでの間、我々社員は毎日交代で、事故現場にお花を手向けました。
むろん、それで許されるはずもありません。亡くなった男の子とご家族には、誠心誠意、償いを続けていくつもりです。ただ、それと同じくらい、根岸様とご両親には、申し訳なく思っております。
「ご自宅の前で死亡事故があった」という事実を、我々が作ってしまったのですから。

筆者:だから間取りを変更して、玄関の位置を変えたんですね

池田:そのことを、ご存じなのですね。

 

 

池田さんによると、当初の間取り図では、玄関は南側についていたという。

そして、玄関のちょうど真正面にあたる場所で、事故は起きた。幽霊を信じない人でも「玄関先が事故現場」というのは良い気がしないだろう。

根岸さんの父親は、会社に激怒したという。それをなだめたのは母親だった。彼女は代わりに、あることを要求した。

 

 

「玄関の場所を変えてほしい」……それが、母親が会社を許す条件だった。

もともと、その場所は行き止まりの廊下だったため、玄関を作ることは難しい作業ではなかった。会社は、変更を無料で請け負うことになった。

こうして「玄関ホール」になるはずだった場所は役割を失い「行先のない廊下」となった。

 

 

「廊下をなくして、部屋を広くする」という案も出たというが、耐震強度の都合上、壁を一枚減らすのは難しいという結論に達したそうだ。

 

池田さんは「お母さまの素晴らしいご提案には、感服いたしました」と何度も褒めていた。たしかに、これなら家の中から事故現場は見えず、心理的にいくらか楽になる。だが、母親の目的は別のところにあったのではないかと感じた。

おそらく、生まれてくる我が子が大きくなったとき、玄関から大通りに飛び出して、同じように事故に遭う悲劇を避けたかったのだろう

 

母は「何があっても、大通りには出ちゃだめ。出かけるときは路地を通りなさい」って言うんです。

 

それは、実際に大通りで死亡事故が起きたことを受けての言葉だったのだ。

事故が起きたことは悲しい。しかし「母親が根岸さんを心から心配していた」という事実が分かったことは、根岸さんにとってプラスになったのではないか。

接し方がわからず、怒鳴ったり、拒絶したこともあったが、本心では我が子を愛していたのだろう。

 

……と思っていた。しかしこの後、我々は不可解な事実を知ることになる。

 

 

・・・

 

 

一通り話し終えたあと、池田さんは思い出したように言った。

 

池田:そういえば、根岸様にお聞きしたいことがございました。

根岸:なんでしょう……?

池田:お母様は、どうしてあのような改築をご希望されたのかご存じですか?

根岸:改築……何のことですか……?

池田:ああ、やはり根岸様もご存じないのですね。
実は、家が完成してから5年ほど経った頃、お母様が一人で弊社にいらしたんです。そのとき、お母様は私に、不思議なことをおっしゃいました。
南東の角部屋だけを取り壊す工事はできますか」と。

根岸:取り壊す……?

池田:我々は、家の一部を撤去する「減築工事」というものも請け負っておりますが、一つの部屋だけを取り壊すというのは、あまり例がないのです。理由を伺っても、何も教えていただけませんでした。
とはいえ、お母様の表情から察するに、並々ならぬ事情がありそうでしたので、ひとまず見積りだけ作成いたしました。そこまで安い金額ではないですから、お母様もお諦めになったようですが、どういうことなんでしょうね……。

 

私は、母親の引き出しに入っていたという「68万円」のことを思い出した。

もしや、工事費用を作るため、密かに貯金をしていたのではないか。

 

筆者:ところで「南東の角部屋」というのは、どの部屋のことですか?

池田:ええと……玄関の隣ですから……

根岸:私の部屋です。

筆者:え!?

 

 

南東の角部屋……たしかにそうだ。しかし……。

 

根岸:やっぱり……母は私のことが、嫌いだったんでしょうか……

筆者:いや、そんなはずはないですよ!だって……根岸さんが大通りで事故に遭うことを心配して……

根岸:じゃあ、どうして……!

 

どうして、娘の部屋を取り壊そうなどと考えたのか。

私は、返す言葉が見つからなかった。

 

 

 

続きは、現在発売中の書籍「変な家2~11の間取り図~」で読めます。