昼夜逆転、深夜労働。色気もへったくれもない黒の業務用バックパックに、交換用のバッテリーを数本、詰め込んでいる。大根を背負った戦後の行商人のようだ。このバイトを始めた頃は、重さによろめいてキックボードを乗りこなすだけでも一苦労。ガードレールに激突し、膝を負傷。初日から労災申請するのも恥ずかしかったので、膝から血を垂れ流しながら涙目で巡回した。しかし最近は慣れたもので、目を瞑ってでもこの街を駆け巡ることができる自信がある。
誰もいない平日の深夜に、ほとんど駆動音のしない電動キックボードで縦横無尽に駆け巡っている間だけ、私は無敵だ。さながらバットマンだ。バットマンは夜な夜な、バットモービルを駆り、ゴッサムシティのパトロールに勤しんでいる。お勤めご苦労様です。時給いくらなんだろう。バットモービルには、ミサイルやマシンガン、グラップリングワイヤーなどが積載されている。私の場合、それが銃火器やガジェットでなく、交換用バッテリーで、バットモービルでなく電動キックボードで、ゴッサムシティでなく、日本なだけだ。大した違いはない。
身を翻しながら、なるべく誰にも会わないように、路地を攻める。黒いパーカー、黒いスニーカー、黒いデニム。黒のバックパックに光るリフレクター。バットマンさながらだ。といっても私は、ダークナイト3部作でしかバットマンを知らない。ほら、バットマンっていうか、アメコミってさ、もう掘り出したらキリないじゃん。歴史が長すぎちゃって。詳しい人に訊いたら、ふーん。「そこ」から入ったんだ。じゃあ、あれも観て、これも観て、どうせなら観といた方がより世界観の理解が深まるから。解像度が上がるから。奥行きが増すから。
あと、こいつのスピンオフもある。スピンオフから派生していって、マルチバースっていう展開もあるし、日本オリジナルのもあるし、ゲーム版でしか回収されてない設定もあるんだよね。みたいなことを熱く語り出す。それが鬱陶しくて、結局知らないまま放っておいている。そうして知らないままにしておいたことが、山ほどある。私の人生には。
3時間ほど稼働し、ポートにキックボードを停め、近くの自動販売機でカフェオレを買って、ポート内のフェンスに寄りかかり、一息つく。夜中にカフェオレで一息ついている時って、なんか画になった気がする。人知れず世の中の、誰かの役に立っている自分を愛おしく感じる。ビルとビルの谷間から空を見上げて、都会ってのは星がうっすらとしか見えなくて嫌になるね、なんて思う。知らないことといえば、星もオリオン座とか、北斗七星とか、わかりやすいやつしか知らないな。毎年同じ時期に同じ星が輝いているはずなのに、知らないことって多くて嫌になるね。あのひときわ輝いている大きな星は、一体なんだろうか?
カフェオレを飲みながらスマートフォンを開く。スマホを覗いてくる彼氏もいないから、暗証番号は誕生日、1020。防犯意識のカケラもない。だけど忘れるよりはマシだ。まずは専用のアプリを開いて、作業完了したポートをぽちぽちつぶす。その後、無意識で指がXを開いた。私がXでよく見るのは、京都水族館の公式アカウント。飼育されているペンギン同士の相関図が、ちょこちょこ更新されていて飽きない。実際の人間が織りなす恋愛リアリティショーはグロテスクで苦手だけれど、ペンギンの皮を被せれば、昼ドラばりのドロドロした肉体関係であっても観れてしまう。
さて、熟年ケープペンギン夫婦「とし」と「まつ」の近頃の様子は、と気になっていると、最初に目に飛び込んできたのはトレンド。
「地球に巨大隕石接近。あと10日で衝突、人類滅亡か」
陰謀論もいよいよここまでシンプルになったか。隕石衝突、人類滅亡って。私も、暇つぶしにオカルト記事を読むのは嫌いではないけれど、のめり込むつもりはまったくないし、むしろ、冗談半分でインプレ稼ぎの記事をでっちあげて、不安を煽って心の弱い方々をだまくらかして小銭を稼ごうとする連中に嫌悪感を抱いているほうだ。このトレンドに関するポスト、12万件。それにしても多すぎやしないか。タップしてみると、天文写真家を名乗るアカウントが上げた、暗闇に浮かび上がる巨大な青白い球体の画像ポスト。10万件の「いいね」。何がいいんだ。「この写真は合成やCGではなく、先ほど私自身が撮影したものです」と注釈。そこに付随して、NASA公式が英文で「Collision」「Disaster」などつらつらと。Dランク私文卒の私でもわかる。衝突、災害。JAXA公式はわかりやすく、簡潔で丁寧。
“現在観測中の小惑星「2026 α9999」について、
当機関による最新の軌道解析の結果、
地球に衝突する確率が極めて高いことが確認されました。甚大な被害が予想されますが、詳細は不明です。
衝突時期は「約10日後」と推定されています。
※本件に関する続報は、判明次第お知らせします”
Dランク私文卒にもわかる。なるほど。これはつまり、かなり危なそうですね。絵文字とかないし。
唐突に「10日後、地球に巨大隕石衝突」と突きつけられると、そうなんですか、って思うものなんだね。不思議と、気持ちは凪いでいる。カフェオレを飲み干し、ゴミ箱に捨てて、路地に目をやってみる。誰も外走ってないし、カラスがギャーギャーうるさかったり、野良猫が走り回ってたりもしていない。動物たちもみんな諦めてるってこと?あのうじゃうじゃいる京都水族館のペンギンたちも、岩の陰ですやすや眠ってるの?熟年ケープペンギン夫婦「とし」と「まつ」は?人間たちがいくら死んでも、わりとしょうがないか。と思うけれど、あのペンギンたちが死んでしまうのは可哀想だ。そんなことを思った。さっきの星をもう一度見上げてみた。そういえば、周りの星よりも青白い。
地球最後まであと10日かぁ。私って今までどんな人生を辿ってきたんだっけ?と改めて振り返ってみようとスマホのカメラロールを右手の親指で送り送りしてみた。黒猫、川にいた鷺、ウェイパーのおじさんのトラック、エビフライみたいな謎の遊具、駅前のロータリーのベンチで酔い潰れて眠るサラリーマン、道端おなじみの片方だけの軍手、「犬に小便をさせないでください」の看板、居酒屋のクーポンのQRコード、昨年末に珍しく積もった雪、など諸々。人間と写っている写真がまったく出てこない。私って何年間こんな生活してたっけ?10光年?違う、「光年」っていうのは時間の単位じゃなくて距離の単位か。隕石も迫っていることだしね。「光年」の単位で遠くから飛んできたでっかいまあるい岩が地球にぶつかって人生終わりか。あっけないものですね。
アルバムが「2023年夏」まで遡った時、私と、私以外の人間が登場した。
紗希。学生時代に、ほとんど唯一と言っていいほど交流のあった人間、もとい友人。彼女も友達が少なかったから、よくつるんでいた。3年前の夏に、日帰りで海まで行ったんだっけな。スズキの黄色いハスラーをレンタルして、運転代わりばんこしながら。台風予報でやばいっすね。なんて言ってたけど奇跡的に逸れてくれたから、人がいなさすぎてテンションが上がりまくってしまい、私が浜辺で猛ダッシュしている映像が残っていた。
紗希に撮ってもらった。私が全力疾走している、この世に現存する唯一の資料映像。普段全く運動をしていないから、腕の大振りに対して足の回るスピードが釣り合っていない。もどかしい夢の中のような疾走。自分で自分の疾走にややウケたあと、次に目に止まったのは港町の定食屋で食べた刺身定食3,300円の写真。2人ともお金もないのに、二度と来られないかもしれないから思い切っていっちゃんええやつ頼もう、と紗希に煽られて目を瞑って頼んだのだった。美味しかった。貧乏舌にもわかる、脂の乗ったまぐろ、サーモン、シャキッとしたイカ、シルバーに輝くアジ、あと忘れたけど白身の魚。大枚はたいて刺身定食頼んで良かったねって言って、でも今日は海が荒れてたから魚があまりいいの入ってないって言ってたね店員のおばちゃん。あ、そうだ。じゃあ、また来年の夏にも来よう。来年の夏、また海にお越しください。最高の刺身定食をご馳走しますよ。と美味しんぼの山岡士郎を意識したセリフを紗希に言った。ちょっとウケた。また代わりばんこで車を運転して帰ってきて、別れ際に、お互いに海で撮った写真を送った。
2人で並んで浜辺で自撮りしたんだ。そのあとで、また絶対行こうね!最高の刺身定食をご馳走しますよ。ってLINEして、既読がついていて、返事がなくて、3年経った。そのことに今さら落ち込むでもない。自慢じゃあないけれど、私も既読でスルーしているLINEなんか死ぬほど溜まっているからね。返事のタイミングを逸して、逸し続けて、たまたま3年経過しただけかもしれない、私もしょっちゅう逸す。何もかも逸す。
そうだ、せっかくあと10日で地球も終わるんだからさ、3年越しに圧迫LINEを送ったっていいだろう。
「最後の晩餐って、何が食べたい?」
私は、充電が空になったバッテリーを回収し、バックパックを背負い直して、歩いて事務所まで帰った。この帰り道の長いこと長いこと、まだ慣れない。太陽が昇り白み始めた空に、青白い球体が微かに輝いていた。町はまだ静かだ。ガチで地球、終わるのかな。
よく晴れた日。幸せそうにキックボードをこぐ私。遠い宇宙から、隕石が地球に向かって迫ってくる。隕石と私がオーバーラップする。切り替わりの間隔が徐々に狭まっていく。隕石。私。隕石、私。目が覚める。夢か。家だ。ベッドだ。LINEを見る。地球消滅3日前の日付。紗希。未読。ため息。ちくしょう。
遡ること7日前に「10日後に地球が終わりますよー。残念でした」と通達があった。あと3日か。
総理大臣や国連事務総長が、この状況について緊急記者会見。テレビを持っておらず、ニュース映像をほとんど見ない私でも、散歩している途中、バス停のモニタで映像を見かけた。もうバスも動いていないので、記者会見の映像をリピート再生するしかなくなっているみたいだ。
というわけで、「どうか国民の皆様におかれましては、つとめて冷静に行動してください」とのお達しが出たのはいいけれど、冷静に行動するも何も、なにをどうすればいいか誰も皆目見当もつかない。だって地球そのものが終わるんだから。「権力者」や「上級国民」たちはこっそりロケットに乗って、月なり火星なりに先に避難するらしいというゴシップが流れたと思いきや、テキサス州ヒューストン宇宙センターや種子島のJAXAやら各国の宇宙研究施設で謎の爆発事故が多発。世界転覆をたくらむ反政府組織による犯行だとか、「金持ちだけ逃してたまるか」という世界中に点在する私のような貧困層の単なる怨嗟だとか、さまざまな憶測が流れた。
が、日に日に大きくなる、例の頭上に光る青白い球体。これはもはや、いかんともしがたいから、各々好きなように生きていきましょうや、といったムードが世界中に蔓延。そうなってくると、暴力で誰かから食糧や金銭を奪ったりする者も現れず、欲望に身を任せたような犯罪も、さほど発生しなかった。狙われるほうも必死だから、しっかり武装し、返り討ちにする構えができていた。
ギリギリ電気は届いていて、ネットも生きていた。安定したインフラ供給万歳、日本万歳。起きて、冷蔵庫から牛乳を取り出し、お気に入りのコップに注いで、飲む。飲み物が無くなっちゃった。買ってこなきゃ。そして、キッチンにある食糧棚に置いてあったおかきの袋を開けた。これが朝食。
近所のコンビニの前で、余っていたので持っていってください、と放置されていた醤油味のおかきをボリボリ。パッケージの説明によれば、あえて手仕事でおかきを割ったあと、特製の醤油ダレに7日間漬け込むことで、より味が染み込んでいるらしい。なるほど、醤油がおかきの中までしっかり染み込んでいておいしい。あと3日で地球は終わる。つまり、今からおかきを特製醤油ダレに漬け込んだとしても間に合わないということだ。そう考えると、このおかきがとんでもなく尊いものに感じられる。感謝感謝。私はおかきを親指と人差し指でつまんで、しげしげと眺めたあと、口に入れた。特製醤油ダレに7日間漬け込んだおかきの、甘辛く香ばしい味わいが口の中に広がった。おかき、おいしいなあ。天気、いいなあ。
「おかき、おいしいなあ、天気、いいなあ、じゃなくてさあ!」と、まあまあ大きな声で独り言を叫んでしまった。ベランダのカラスが飛んで、埃が舞った。
もともと孤独な暮らしが長いから独り言の多い性質ではあると自覚はしていたけれど、例のニュースがあってからというもの、アパートの隣室の生活気配もなくなって、いよいよ遠慮なしに馬鹿でかい声で明確な独り言、もとい雄叫びを発するようになってしまった。すると、これが妙な効果を発揮した。大きな声で「今日は天気がいいから、洗濯でもするか!」とか「飯も食ったし、皿洗いでもやってやるぜ!」などと叫んでみると、ふだんあれだけ面倒くさくて渋々やっている洗濯や皿洗いを、ガチでやってやるぜ、洗いまくってやるぜ、といった気分になるのである。早く気づいていれば良かった。
「おかきも食べたし、喉が渇いたな。水でも飲もう!」とまたも独り言を叫んで、立ち上がり、台所へ。蛇口を捻ってみたけれど、あれ?捻っても捻っても水が出ない。ないと死んでしまうから、支払いを滞納してもなかなか止まらない、でおなじみ、水。その水が、出てこない。死ぬかもしれない。隕石激突より前に渇き死ぬかもしれない。滞納状態は滞納状態ではあったが、こちらも慣れっこ、ギリギリのところを見計らって支払っているつもりではあった。水の供給停止が、インフラの一大事なのか、私の怠慢によるものなのかは、もうわかりません。もう、どうでもいいことでございます。スマホを開いて、Xを見てみる。流れ作業。無意識。もはやあまり意味もない。
-地球最後の3日間、最愛の彼女にプロポーズしました
#私たち結婚します
#付き合って2年
#来年もフェスに行きたかったね
#来世でも一緒になろうね
-青白い球体をバックに、京大生がハレ晴れユカイを踊ってみた
#京大生の頭脳完敗
#涼宮ハルヒの憂鬱
#踊ってみた
#地球終了のお知らせ
-このポストをいいね、リポストした方の元に、「救いの方舟」が飛来します
#先着100名様
#共に救われましょう
#地球を愛する人々へ
#プロジェクト・ノア
この世には、うらやましい奴と、おもしろくない奴と、うそつきしか居なくなってしまった。地獄に堕ちろ。私も行くから。
もういいか、SNSは。意味無くなっちゃったもんな。XとLINEを削除。
「さあて、喉も渇いたし、水でも買いにいくついでに、どこか遠くに出かけちゃったりして!」
と、叫んでみた。すると何かに取り憑かれたように、私の身が動いた。神様から馬鹿にでもされているかのような晴れた空だ。小心者なので、いちおう財布は持った。部屋の鍵、フル充電のスマホ、レンジでチンしたパックのご飯、残ったおかき。袋の口を輪ゴムで二重に縛って。あと、護身用のすりこぎ。変なジジイが襲いかかってきたらしこたまどつく。出刃包丁もあったけれど、刃物は洒落にならない気がした。そして、もしかしたら私のような者だってこんな事態だから急に遠くに行きたくなるようなことがあるかもしれないと用意しておいた、キックボード用の予備バッテリー数本。私は「怠惰」以外の罪を犯したことは今までなかったけれど、そこに「窃盗」が加わった。
これさえあればどこにだって行ける。北海道にだって行けるかもしれない。北海道には行けないか!途中に青函トンネルがあるしね。あと流石にめっちゃ遠いしね。とにかく、近場の海ぐらいには行けるだろう。海だ。海を見に行こう。ほんで刺身定食を食べよう。紗希が返事くれないから、ひとりで。部屋の扉を開け、アパートの階段をいつもよりも少しだけ速いスピードで降りた。
とりあえず駅の方面まで歩く。もうほとんどの飲食店は営業していなかったけれど、近所のさびれた寿司屋は最後のひと踏ん張り、とばかりに頑張って営業していた。せっかくだから寿司でも食いましょか、と列をなす人々、その列をいなすお店のおばちゃん。どうせなら普段から食べに来てあげてればよかったのに。「今更ですが」といった類の後悔が世界を包んでいた。
駅へ着く。公共交通機関はもう動いていなくて、自家用車やタクシーがぽつぽつと停まっている程度。レンタカーやカーシェアは出払っていて乗れない。となるとやっぱり、最後に残された、遠くに行く手段。BAT・KICK・BOARDである。自動販売機でペットボトルの水を一本買って、適当なポートから一台拝借。マシンにバットマークのステッカーを貼り、意気揚々と海へ漕ぎ出した。重なる窃盗。来世は虫かな。
都市部を抜け、国道沿いを走る。回転寿司屋さん、カー用品店、家族葬ホール、紳士服店、住宅展示場。日本中の何処にでも広がっている光景。それぞれに営みがあって、そのすべてが終わりを迎えようとしている。お父さんとお母さんと、子どもの頃に回転寿司屋さんでハンバーグ寿司だけを食べた光景を思い出した。あの頃は生魚が苦手だったけれど、大人になって、刺身定食を美味しく、自分のお金で、食べられるようになったよ。あ、お父さんとお母さんに連絡取るの忘れてた。と思ったら、出かける前にLINEを消していた。電話番号は知らないし、覚えていない。ごめんね。あの世で会おうね。
山間部に入る。峠を越えれば、やがて海だ。充電が残り10パーセントを切るたびに交換してきて、予備バッテリーもラスト一本。登り道だから、都会を走るよりも減りが速い。エコ・モードにして、おばあさんが歩道で乗っている薄緑色の電動三輪車と並ぶぐらいのスピードでえっちらおっちら山を登る。が、しかし、力尽き果てる。なにがエコ・モードだ。なんでこの期に及んで地球のことを考えなくちゃいけないんだ、と悔やんでみても遅く、山の中腹でBAT・KICK・BOARDは力尽きた。
私も力尽きそうだ。しばらくうなだれたけれど、海を見に行くのに意を決して犯罪までしたのに、山の真ん中で力尽きたくない。とにかく山を越えて海を目指さねば。水を一口飲んで、行き交う車にどうにかして乗り込むしかない。もはや制限速度をきちんと守って走る車はなくて、ベンツもエスクァイアもタントもレクサスも、とにかくぶっ飛ばして峠を攻めまくっている。ボードに乗っている時からひやひやものだったけれど、体一つで道端に放り出されるとなおさらおっかない。映画やバラエティ番組で観たのを真似して、親指を立てて半歩路上に出てみた。誰も見向きもしない。怖いぜ。
「海まで乗せてください!海まで私を連れていって!おい!聞いてんのかよ!お前ら!おーい!」
家にいるぐらいの大声で叫んでみる。すると幸運なことに、声を荒げたタイミングでちょうど通りかかった、おそらく制限速度を守って運転していると思われる軽トラックがゆっくりと停まった。
「何してんですか?こんなところで。危ないっすよ」
「あ、あの、すみません。ヒッチハイク?っていうんですかね、ちょっと訳あって立ち往生しちゃって、それで」
「はあ。何でもいいですけど、乗っていきます?困ってるんだったら」
「あ、はい。ありがとうございます。あの、港までお願いしてもいいですか」
「港?ああ、ちょうど荷物運んでるところだったから。いいすよ」
「ありがとうございます」
「それは?」
「それ?あ、BAT・KICK・BOARDのことですか?」
「なんすか?バット?」
「あ、すみません。お願いします。これも一緒に。助かります」
私と同い年ぐらいだろうか。おそらく20代の、ぶっきらぼうだけど仕事には真面目そうな青年。短く刈り込んだ茶髪。土と油で汚れた作業着。息からはタバコとコーヒーの匂いがする。もし襲いかかってきたらすりこぎでどつく。心の中で身構えた。しかし、すりこぎで勝てるのか?肉体労働者の成人男性に?不安になってきた。
荷台にBAT・KICK・BOARDを乗せて、ロープで括り付けてもらった。助手席に乗せてもらう。初めて乗る軽トラックの助手席。狭くて圧迫感がある。この私が知らない成人男性と乗るのはかなり気まずい。
「……ラジオでもつけます?」
「あ、はい。構いませんよ」
緊張しておかしなことを口走る。ラジオからは、いやに素人臭いおじさんの声が流れてきた。
【えー、というわけでね、お送りしております、DJ斉藤の「今夜は斉藤」。まだ夕方なんですけどね、つって。えー、なんだっけ。あ、ちなみにここから聴き始めた人のために言いますけど、この放送は、勝手にやってます。FMが停まっちゃったんで。喋る人いないみたいなんで。勝手に私こと斉藤つよしが、なんか空いていたスタジオに入ってやってます。できるもんなんですね。勝手に。夢だったんですよ、ラジオやるの。えー、で、なんて言ってもね。地球が終わるっつって。あと3日で。笑うしかないですね。生涯独身でしたよ。わたくし、斉藤つよし。高3の時に同じクラスだった山本さん。山本かおりさん。聞こえますか。まだ住んでますか?この辺に。好きでした。恋してましたよ。聞いてたらメールください。
saito_saiko@vmail.com。サイトーアンダーバーサイコーアットマークブイメイルドットコム。までお便りお待ちしています。えー、そうしましたらですね。曲。曲行ってみましょうかね。曲。世界も終わりっていうことでね、すてきな音楽でも聴いてね、気持ちを和やかにしませんか。えー、斉藤つよしで『What a wonderful world』。本当はね、本家ルイ・アームストロングのほうをかけたかったんですけども、残念ながら曲のかけ方までわからなかったんで。私が歌います。行きます。ゴホン】
♫アイ・シー・ザ・グリーン
ふんふふふーん
ふんふふふーん
フォー・ミー・アンド・ユー
アンダ・シンクトゥ・マイ・セルフ・
ワラ・ワンダフル・ワー♫
ルイ・アームストロングに寄せようと、ガラガラ声で絞り上げるように歌う斉藤つよし。の声が響き渡る車内。
気まずい沈黙が流れたあと、男が口を開いた。
「何、聴かされてるんですかね。俺ら」
「そう、ですね。下手ですね」
「これが人生最後に聴く音楽になったらどうします?斉藤のwhat a wonderful worldが」
「最悪です。チャンネル変えてもらっていいですか」
「いや、たぶん今はこの局しか、放送してないと思います」
「あ、そうですか……」
「切ります?」
「あ、いえ、流しといてください。無音よりは、斉藤のほうがマシなんで」
「了解す」
「……」
「……」
「あの」
「なんすか」
「ちゃんとスピード守ってて、偉いですね」
「ああ。まあ、仕事中なんで」
「誰もそんな人いないですよ。ほら、バンバン追い抜かれてますし」
「でも、なんとなく。こう見えて俺、一回も捕まったことないんすよ。だから、この際、最後の最後までダメなことしたくないなって」
「そう、なんですね。私、だめでした。キックボード、盗んじゃいました」
「BAT・KICK・BOARD?」
「聞こえてたんじゃん」
「バットマン、好きなんすか?」
「好きですよ。ダークナイトシリーズしか観てないですけど」
「えっ、人生損してますよそれ。ジャック・ニコルソンのジョーカーこそが至高ですからね」
「全部観た方がいいですか?」
「全部観た方がいい」
「あと3日しかないのに?」
「余裕で間に合いますよ」
「じゃあ、うちに帰ったら観ます」
「いいっすね。贅沢な時間っすね。地球最後の3日でバットマン全部観るのって」
「そんなことしてる場合なのかな」
「いいんじゃないですか。最後の最後ぐらい。好きなことしたら」
依然として、男の運転する車は制限速度を守っている。
私はなぜだかこの人と喋りたくなっていた。この期に及んで制限速度を守っている人は、下手に手を出したりしてこないだろう。
「それにしても、実感湧かないですね。地球終わるの」
「そうすね」
「だから、最後に好き放題やろうかなって。それで海に行こうと思って出かけたんです」
「海で何するんすか?」
「笑わないですか?」
「内容によるっすね」
「あの、新鮮なお刺身を食べようと」
「えっ?」
「新鮮なお刺身を、食べたくて」
「……」
「黙られるならむしろ、笑ってくれた方がよかったかもです」
「……それだけっすか?」
「だけってことないでしょ。こんな状況で新鮮なお刺身食べたいって、相当切実ってことぐらいわかってください」
「あ、ごめんなさい」
「謝るんだったら訊かないでくださいよ。私には友達がいないから仕方なくこうやって、キックボード盗んでまでお刺身食べに出てきてるの。それなりに覚悟もしてきたし」
「ごめんなさい、ごめんって」
「突然地球が終わるなんて言われても、日頃から高尚なこと考えてるわけじゃないし、私一人がいまさらじたばたしたって遅いんだから、とりあえず今一番やりたいことやってるだけ。文句ありますか」
この、自分の中でヒートアップすると歯止めがかからなくなって言いたいことを言いまくっちゃう癖のせいで友達ができなかったんだよな。と、頭でうっすら思いつつまくしたててしまった。
「……いや、全然」
「そういうお兄さんはやりたいことあるんですか?」
しばらく考える男。
「えっと、俺は、そうですね。ヱビスビール。いつもは高くて買えないけど。部屋で。ヱビスビール飲みたいかな」
「へえ、高尚ですね」
「なんかちょっと嫌味だな」
「いま、飲んじゃえばいいんじゃないですか?私は怒んないですよ」
「いや。ちゃんと仕事が終わってから。捕まりたくないから」
「……そうですか」
かたくなな人だな。と思った。港まで、もうすぐのところに来ていた。
—
随分太陽も傾き、潮風のにおいも濃くなって、カモメが数羽、平然と空を舞うのが見えてきた。すると、軽トラのガソリンが無くなってきてしまったらしい。男はゆっくりと軽トラを路肩に停めた。
「ごめんなさい。ぼちぼち、ガス欠みたいす。参ったな。ガソスタも開いてないし。JAFってまだやってんのかな」
「歩きます。私。ここから。もうすぐなんで。本当にありがとうございました」
「え、どうするの、後ろのやつ」
「要りません。すみませんけど、預けます。私が盗んだやつなんで、お兄さんの犯罪じゃないです」
「ああ、まあ、そうかもしれないけど」
「さようなら。お家に帰ったら、ヱビスビール、飲んでくださいね」
私は早足で、夕日の沈む方向へと歩みを進めた。しばらくして振り返ると、中途半端な笑みを浮かべたまま、男が突っ立って、こちらを見ていた。振り返った私に気がつくと、男はゆっくりと、中指と薬指だけが揺れるような、慣れていない手つきで右手を振った。口は「気をつけてね」と喋っていた気がする。私はその真似をして左手を振り返しながら、「気をつけてね」と聞こえないぐらいのボリュームで言い、スマホで男とトラックを撮影した。少しだけぶれている。
「早口な子だったな」
男が、BAT・KICK・BOARDに結び付けられたロープをほどいて、アスファルトに下ろした。もはや単なる鉄の塊に過ぎない。意外と重いんだな。と思った。
男は「ゆるっと下り坂だし、しばらく乗ってみようかな」と独り言を呟いた。バッテリーの切れたボードを漕ぎ出した刹那、猛スピードで突っ込んできたハイエースに吹き飛ばされた。
♫アイ・シー・ザ・グリーン
ふんふふふーん
ふんふふふーん
フォー・ミー・アンド・ユー
アンダ・シンクトゥ・マイ・セルフ・
ワラ・ワンダフル・ワー♫
斉藤、まだルイ・アームストロング歌ってるのかよ。これが人生最後に聴く音楽か。
ハイエースの運転席の足元に、大量に転がるヱビスビールの缶。
—
“誠に勝手乍ら、お休みをいただきます。店主”
ああ、やっぱり定食屋さん、閉まってた。
剥がれかかった休業の張り紙をぼーっと眺めながら、私は立ち尽くすしかなかった。はるばるここまでやって来たのに、刺身を食べられないのは悔しい。でも、市場も営業していないみたいだし、新鮮なお魚を食べる手段ってあるのかな。漁師のおじさんに聞いてみる?地球も終わるのに漁師は海に繰り出すのだろうか?わからない。わからないけれど、ほかに手段が思い当たらない。防波堤へ向かってみる。海も風も凪いでいる。カモメは相変わらず呑気にぐるぐる空を舞っている。来世カモメに生まれたら、新鮮な魚にありつけるかもしれないね。ひとあし先に死んでみる?と、バカなことを考えながら歩いていると、釣りをしているおじさんを見つけた。50代くらいだろうか。猫背で、いかにもくたびれた経理係長といった風体だ。しかも、なぜかスーツ姿。様子を窺いつつ、クーラーボックスを覗く。おっ、けっこう釣れてるじゃん。
「すみません」
「……」
「あ、すみません!」
「なんです?」
「あの、お魚一匹、わけてもらえませんか?」
私もまさか、昭和の、長屋に住んでいる隣の奥さんにするようなお願いをその辺のおじさんにするとは思わなかった。
「いいですよ」
「えっ、あっ、ありがとうございます」
すんなりだ。思い切ってお願いしてみたら、意外と世の中ってうまく行くんだな。もっと早く気づくべきだった。それにしてもこのおじさんはなんでスーツなんだろう。
「どうされるんですか?」
「あの、お刺身にして、食べようと思いまして」
「はい。アジね。あと、これ、使います?まな板と出刃包丁。あ、醤油も。割り箸もよければ」
「えっ、あっ、ありがとうございます」
「用意いいでしょ」
「そうですね。……なんでスーツなんですか?」
「いや、朝。会社に行こうと思ったんですけど。急にバカらしくなっちゃって、一旦家帰って、車に荷物積んで、海まで来ちゃいました。最近はゆっくり釣りをする時間もなかったんで。美味しいんですよ。釣りたてのアジ。今日は入れ食いだ。飲みます?ヱビスビール」
スーツのおじさんは、クーラーボックスからヱビスビールの缶をこちらに差し出した。
「あ、大丈夫です。お酒飲めないんで」
「そうですか。それにしても、ねえ。何が楽しくって生きてきたんでしょうねえ。あと3日で地球も終わりですか。こうして考えてるだけで、いつの間にか死んじゃいそうだ」
「あの、ありがとうございます。いただきます。失礼します」
なにやら辛気臭くなってきたので、急いで退散した。これから海辺で私は、新鮮なお刺身を食べる。おじさんの自分語りに付き合ってる時間はないのだ。小走りでおじさんから離れた。
それにしても私ってコミュ障だな。対人コミュニケーションにおける障害こと、コミュ障。どうせ反省するのに、いつも自分の都合のいいところで黙って、喋って、喋るの急に止めて。その繰り返し。最後の最後まで治らなかったな。あと3日で治るかな。喋ってくれる人、いるかな。あー、私のバカ。バカ。バカ。あー。うぜー。あー。うぜー私。と、いつの間にか脳内反省が口から漏れていて、声のボリュームも大きくなっていた。もう家も外も関係ない。
おじさんが釣った30センチぐらいの大きなアジ。防波堤の上に直でまな板を置き、その上にアジを寝かせた。私は普段、魚なんて捌かない。生き物のお命を自分の手で頂戴するなんてもってのほかだった。アジ。ごめん。もう少しで地球終わるのにね。私に殺されるなんてね。ごめんね。せめて美味しく食べるから。ざっくりと首を切る。どばどばと流れる血。これで合ってる?まるで武士の介錯だ。アジが恨みがましくこちらを睨みつけているような気がして、一瞬目をそらした。
まじごめん、まじごめん、とぶつぶつ呟きながら、ジャリジャリと鱗を取って、骨の手応えをしっかりと感じながら、勢いで三枚におろしてみた。薄いのと分厚いのとバラバラで、アジの三枚おろしというか、三枚裂かれになっている。このまま包丁で叩きまくってなめろうにしてやろうかと思ったけれど、私が食べたいのはお刺身。釣れたてほやほやの新鮮なアジのお刺身。呼吸を止めながら、アジを切り刻んでいく。魚って痛覚ないよね?最近の研究によると、痛覚あるみたいですよ。とか言わないよね?
なんとか完成した「アジの、刺身風のもの」を、すっかり冷め切ったパックご飯の上に乗っける。醤油をかけて、いただきます。
「ありがとう、地球!」
「ありがとう、地球!」
「母なる、大地!」
「母なる、大地!」
「バンザーイ!」
「バンザーイ!」
「バンザーイ!」
「ワッハッハ!ワッハッハ!ワッハッハ!」
騒ぎの聞こえる方向に目を向けると、堤防の先のほうで、沈む太陽に向かって万歳三唱をする集団がいた。年齢層はバラバラ、血縁関係もないように見える。揃いも揃って目がうつろ。頬から下の筋肉だけで笑っている。
「……やば」
つられて私も半笑いになってしまった。家に帰って見返そう。とスマホを向けて録画しようとすると、反応しない。出かける時にフル充電してたのに、3年は機種変更していないスマホのバッテリーは1日持ってくれないのだった。まあ、連中のことはいい。刺身定食を食べよう。割り箸を割って、一口頬張った。
「……まずい」
アジの小骨が、身の隅から隅までくまなく残りまくっていて、口の中で刺さりまくっている。無惨に殺されたアジの最後の復讐か。悔しいな。こんなことなら普段から、魚を捌く練習ぐらいしておけばよかった。
……なんだか眩しい。空を見上げると、青白く光る巨大な隕石が、この星を呑み込もうとしていた。海が一瞬で干上がっていくのを、爽快だと思ってしまった。
あれ?ていうか、隕石まであと3日じゃなかったっけ。意外と早いな。しょうがないか。私も親に連絡とってない2年間を、2週間ぐらいって思ってたしな。

JET
ダ・ヴィンチ・恐山
加味條
鳥角
梨









