高度に発達した科学は魔法と見分けがつかない。
同じように、高度にカジュアル化したババアは男子小学生と見分けがつかない。
ある日の通勤中の車内。信号待ちの僕の前を、一人の男子小学生が通り過ぎていく。パステルカラーのシャツに身を包み、水筒を肩から下げて、ウエストポーチを腰に巻いて。懐かしいな、昔に思いを馳せれば、僕にもあんな頃が……。
いや、待て。
様子がおかしい。フロントガラスにぐっと顔を押し付ける。
ちがう、これは……ババア!?
ババアじゃないか!!
ゲェーッ!ババア味だ!だましやがったな!プァーーーーーッ!!!(後ろの車が鳴らすクラクション)
とまあこんな出来事があったわけだ。
実際、見分けはつく。顔を見ればつく。深く刻まれたシワが幾星霜の苦労を、茶色く張り付いたシミがメラニンの敗北の歴史を物語っている。
それでも後ろ姿は完全に男子小学生なのだ。
家庭科の授業で作らされたランバードのナップサック、それとクリアパープルのゲームボーイカラーを添えれば完成するほどに。完成しないからこそ、かろうじてババアとしてのアイデンティティを失わずにいる。
そして近年、このようなババアを街のあちこちで見かけるようになった。
怠け者の蟻だけを選んで群れを作らせると、働き出す蟻とサボる蟻にまた分かれると聞く。高齢化社会が進み、子供が減り老人が増えたことで、ババアの中でも子供返りする個体が増えたのだろうか。しかし女児みたいなババアをめったに見かけないのは不可解だ。
彼女らは、何故これほどに男子小学生なのか。
考えるに。
女性はいくつになっても綺麗なままでいたい。オシャレ心を失いたくない。しかし悲しいかな、歳を取れば背は縮む。髪はくしゃくしゃ。寒天ゼリーが馴染みだす。そうなると若い頃のような派手な格好、攻めたファッションはとても似合わない。
地味に抑え、かつ、センスを発揮させたい。そんな思いに対し、オシャレ心と老婆心のデュアルコアをフル回転させて導き出した答えが、キッズ・リターンなのだろう。きっと。
ババアの孫という特異な立場からあえて言わせてもらうと、別にババアが男子小学生そっくりになったところで何の支障もない。そのまま彼女らなりのオシャレ街道を突き進んでもらいたい。
ところで、この現象は日本に限るのだろうか?
欧米でも同様に、ババアファッションのキッズ化が進んでいたりするのだろうか。
だとすると、アメリカの法事はスタンド・バイ・ミーと見分けがつかないな。