「モンチッチ程度で気が引けると思うな!」

5歳の頃、写真館で内心ブチ切れたのを覚えている。

事の発端は、七五三である。
その日の私は、完全に機嫌が悪かった。
よく分からない袴のような服を着せられ、変な化粧もちょっとさせられ、
全然行きたくない神社に連れて行かれたからだ。

大人のエゴに付き合わされている。
こういう空気を敏感に感じ取り、ふざけるなとばかりにふくれ面をしていた。

両親は、「神社に行ったらお菓子がもらえる」という一点で、
騙し騙し私を車で運んでいく。

そして不満ながらも神社で神主が儀礼を終えるのを座って耐えた。
お菓子をもらって、やっと帰れると思って車に乗り込んだ刹那、父親が言ったのだ。

「最後に、写真館で写真を撮っていくから」

はあ?と思った。
当然、そんなのいいから早く帰りたいと連呼した。
それに対し両親は、これで本当に最後だから、もう予約をしてしまったからと頑として譲らなかった。

こうなると決定権のない子供は無力で、フラストレーション全開で写真に付き合うしかなかった。

昔ながらの薄暗い写真館に入る。
60歳くらいのおじいさんの館長が、父親と何か話をした後、撮影部屋に移動する。
おじいさんは、構図を考えながら、私に椅子に座った母親の横に立つよう促す。
三脚に立てたカメラを覗くおじいさん。

「は~い力抜いて力抜いて。ボクももうちょっとニコッとしてね~」

誰が笑うか。
お前も、私のように半日ほど大人に振り回されてみろ。
私はカメラの方を睨んだ。

するとおじいさんは、そんな私の様子を察し、対処療法に打って出た。
カメラの上に汚いモンチッチの人形を置いて、私の注意を逸らそうとしたのだ。
「ほ~ら、モンチッチだよ~」

そこで出たのが、冒頭の心の叫びである。
5歳といえど、自我とプライドがある。
そんな「これさえやっとけば子供は何とかなる」みたいな感じで出されたモンチッチで喜ぶかよ。

しかし、おじいさんの意図とは違うものの、まんまと注意はモンチッチに向けられてしまった。
その瞬間を逃さずに、おじいさんは写真を2、3枚撮り、撮影は終了となった。

やられた。
私は、ちょっとした喪失感に包まれながら車に乗り込む。
両親は、最後まで付き合った私を労ってくれているようだが、まるで頭に入ってこない。

以来、20年以上に渡って写真館での屈辱は、私の中で燻り続けている。
出来上がった写真がどうなったかは知らない。

 

 

 

 

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