まいど! 彩雲です。
僕は現在25歳なのですが年不相応に懐古主義的なところがあり、考えることといえば過去のことばかりなんですよね。記憶の中の淡く美しい日々に思いを馳せていると、今この瞬間の時間などいくらでも無駄にできそうです。
そんな過去の日々の中でも、特に「良い日」として記憶に残っているのが2018年10月25日です。何か劇的な出来事があったわけではなく、普通といえば普通の一日だったのですが、未だに折に触れては思い出すほどにこの日は良い日だったのです。
文章を区切るためだけに挿入した、特に意味のないフリー画像
できることなら、2018年10月25日をもう一度味わいたい。過去に戻ることはできないとはいえ、これは叶わぬ願いではないかもしれません。今からでも、2018年10月25日と全く同じ日を過ごせばいいのです。つまり、その日にあった出来事をできるだけ詳細に思い出してその通りの行動を取れば、2018年10月25日を再び体験できるのではないでしょうか。というわけで今日は、僕にとっての「最高の日」だった2018年10月25日を可能な限り忠実に再現したいと思います。
10時30分
阿佐ヶ谷に来ました。「最高の日」はここ阿佐ヶ谷から始まります。
当時の僕は阿佐ヶ谷にハマっていて、自宅からだと電車とバスを乗り継いで1時間くらいかかるのにけっこう頻繁に来ていました。当時はなるべく阿佐ヶ谷に行きたいという気持ちが高じて、東京のどの場所へ行くにも無理やり阿佐ヶ谷駅を経由していた思い出があります。
阿佐ヶ谷に着いてまず最初に訪れたのが、駅前すぐにある本屋さん「書楽」。厳密に言うと、2018年10月25日にここを訪ねた明確な記憶があるわけではないのですが、その頃の僕は阿佐ヶ谷に来れば決まって書楽に立ち寄る習慣があったのでこの日も行っていた可能性が高いです。当時の僕にとって「書楽」は、阿佐ヶ谷という街におけるログインボーナス的な存在だったのです。
あとこの時撮った写真を見て初めて気がついたのですが、書楽って読み方「しょがく」だったの!?!?!? ずっと「しょらく」だと思ってた。あれほど散々通っておいて店名一つ正しく覚えていなかった自分に愕然とします。
そんな書楽(しょがく)も、2024年1月に閉店してしまうとのこと。お世話になった店だし何か買っていこうかと思ったものの、2018年10月25日には買い物をした覚えはないので、今日のところは店内を見て回るだけにとどめました。最後に正しい店名を知れただけでも良かったです。
書楽を出た後は、「CoCo壱番屋 南阿佐ヶ谷店」で早めの昼食。
入店すると、5年前にはなかった注文用タッチパネルが全席に設置されていました。
僕は普段の生活で極力声を出したくないのでこの変化はありがたい限りなのですが、一方でそんな自分にどこか引け目を感じてしまうというか、いち人間としてタッチパネル的なものに対する批判的な目線を持ち合わせているのが正しい態度ではないのかと存在しないヒューマニストに問い質されているような気がして、なぜカレーを食べるだけでこんなことを考えなければならないのでしょうか。
注文したのはポークカレー(トッピングなし)の5辛です。
タッチパネルについてうだうだ言った挙げ句こんなオーダーをしているとなるといよいよ人間性を疑われそうですが、5年前の自分がこんな注文をしたのには訳があります。当時、「ギブリーズ」を観た影響でシンプルな辛いカレーが食べたい時期だったのです。僕だって普段はココイチでこんな注文をしているわけではありません。普段はクリームコロッケカレーやなすカレーを頼みます。
それにしても、自分にはココイチは2辛で十分だということがわかっている今、5辛のカレーを食べるというのは正直なところスプーンが重いです。ココイチの5辛って食べててテンションが下がるくらい辛いですからね。しかし、「最高の日」を再現するためには覚悟を固めなければなりません。
胸が痛くなるほどにしゃっくりを繰り返し、なんとか完食に成功。食べている最中は「これのどこが最高の日なんだ」と思いましたが、食べ終わってみるとひと仕事を成し遂げたような達成感があり、確かにこれは一日の始まりとしてなかなか悪くないのではないかと思わされました。明日の胃腸の具合のことは考えたくないです。
11時20分
色付いた欅並木がきれいな中杉通りを抜け、駅の北口側に向かいます。ちなみにこの撮影日は11月24日で日付的には約1ヶ月遅いので、記憶よりも町全体が秋めいています。
「セブンイレブン 阿佐ヶ谷北仲通り店」に入店。酒を買います。
5年前に買ったのは缶のサングリアサワーだったと思うのですが、それはなかったのでお店にあった酒の中では一番サングリアサワーに近そうな「バー・ポームム カシスと葡萄」を購入しました。
近くの小さな公園に向かい、そこで酒を飲みます。この公園に来たのは正真正銘5年ぶりですが、足を踏み入れた瞬間に当時の記憶が鮮やかに蘇ってきました。
この公衆トイレとネットで囲まれたグラウンド、あったな〜〜〜!!!
でもこの遊具はなかったような……???
近づいて触ってみるとまだ新しめの質感だったので、この5年の間に設置されたものなのかもしれません。
2018年10月25日というと、20歳になりたてくらいの時期でした。日中から公園で一人酒を飲むという行動に関して、「20歳だから」と言うべきか「20歳なのに」と言うべきかわかりませんが、それから5年が経った今でも、こうして天気の良い日に人気のない公園のベンチに座って酒を飲んでいると、やはり「幸せ」のようなものを感じてしまいますね。平日の昼間から辛いカレーを食べて飲酒をして「最高の日」と言ってるのだから世話ないです。もし自分が結婚して子供ができて、その子が公園で遊んでいる姿を眺める想像をしても、今以上の幸せを感じているビジョンが見えない。
このまま一日中こうしていてもそこそこ良い日になりそうですが、次の予定が迫ってきているのと親子連れが公園にやって来たのでそろそろここを去ることにします。
12時10分
さて、僕はわざわざカプサイシンとアルコールを摂取するためだけに街に繰り出してきたわけではありません。この日僕が何をしに阿佐ヶ谷に来たのかというと、映画を観に来たのです。
訪れたのはこちらのミニシアター。現在は「Mork阿佐ヶ谷」という名前ですが5年前は同じ場所に「ユジク阿佐ヶ谷」という映画館があり、そこで「リズと青い鳥」を観たのでした。
「リズと青い鳥」は僕の一番好きな映画です。いや、純粋に好きというのともまた違う、特別な作品と言ったほうが近いかもしれません。どこが好きなのか、どう特別なのかを説明できればいいのですが、すみません、「リズと青い鳥」について語ることは僕の心の一番柔い部分を開陳するのと同義なのでこのような場で言及することは憚られます。こればっかりは勘弁してください。
とにかく、2018年10月25日は僕が初めて「リズと青い鳥」を観た日なのです。この日が「最高の日」として思い出に残っているのもそれによるところが大きいでしょう。未だにその時に座った映画館の座席も覚えています。後ろから2番目の列の最も奥の席でした。
しかし今日は映画館で「リズと青い鳥」は上映されていないので、阿佐ヶ谷駅近くのネットカフェにて持参したタブレットで映画を観ることにしました。環境的にはだいぶスケールダウンしてしまった感もあるけれど、「リズと青い鳥」を観られるというだけでも胸が高鳴ります。「リズと青い鳥」を観るということ自体が、即ち「ハレの日」を意味するのですから。それでは、「リズと青い鳥」を観るので邪魔しないでください。
観終わりました。すみません、先ほどと同じ理由で感想もあまり言いたくはないのですが、なんというか、海が二つに割れるとか死んだ人が生き返るというような「奇跡」を目の当たりにした気持ちになってしまいますね。こういうものを見ると、生きることも死ぬことも怖くなくなってくる気がします。
でも実を言うと、5年前に初めて「リズと青い鳥」を観た時はそこまで感動したというわけではありませんでした。そもそも僕はものを好きになるのに時間がかかりがちということもあり、その時も良い映画だなとは思ったものの、自分にとってこんな特別な作品になるとは予想していなかったです。ただその代わりに、映画を観た「日」自体がここまで印象に残っているあたり、やはり自分にとって「リズと青い鳥」との出会いはただならぬ事態であったのだと思わされます。
14時20分
ここで阿佐ヶ谷を離れ、総武線に乗って三鷹へと向かいます。何か用事があったわけではなく、まだ帰るには早い時間だからなんとなく行くことにしただけです。あと、このあたりからオモコロのラジオを聴き始めました。この日最初に聴いたのは、「かまってみくのしんGOLD」第17回「激シブミスチル結婚式」です。
三鷹駅に着きました。5年前は三鷹駅でトイレに立ち寄った覚えがあるので、今は別に尿意はないけれど一旦入っておくことにします。
三鷹も阿佐ヶ谷と並んで好きな町です。小さい頃に住んでいたからか、未だにいるだけでも落ち着くんですよね。そして5年前、用もないのに三鷹に来た自分は、ただ駅から深大寺方面に向かって歩くことにしたのでした。三鷹駅から深大寺までの距離は約4kmほどあるのでそこそこ遠いのですが、とにかく歩きたい気分だったのでしょう。
それでは出発します。最初から4km歩くことがわかりきっているとなるとだいぶ気分が違いますね。端的に言うとダルいです。
あ!!!
そういえばこの日パン買ったんだった!!!!!
そうです。駅前の通りを歩いていたこの瞬間、5年前に自分が三鷹でパンを買ったことを唐突に思い出しました。事前に2018年10月25日の行動をリストアップした時には、パンを買ったことなど頭の片隅にもなかったのに。しかし、現地を訪れたり当時の行動をトレースしたりしたことで脳が活性化されたのか、まさに青天の霹靂といった具合に記憶が発掘されたのです。
地図アプリで調べた結果、5年前に自分が立ち寄ったのはこちらのパン屋さんであることが判明。この店構え、めちゃくちゃ見覚えがある。今年一脳内物質が分泌された瞬間です。
ただ、さすがに何を買ったかまでは思い出せなかったので、なんとなく今の気分で食パンとブラウニーを選びました。自分の性格的にこんなおしゃれな店に飛び込みで入ったりはしないでしょうから、もしかしたら親に買い物を頼まれていたのかもしれません。自分の意思で行ったのではないとしたら今の今まで思い出せなかったことも納得な気がします。
14時50分
ここから先はもうただ歩くばかりです。
ここの通り、コメダ珈琲とオーケーストアが並んでてすごい当たりの道じゃんと思った覚えがあります。別に自分がこれらの店舗を利用することはないのに、「当たりの道」はそこを歩いているだけでも満たされた気分になりますね。
同じ通りをさらに進むといきなりステーキも。いきなりステーキは閉店が相次いでいると聞きますが、ここの店舗は5年前から健在でなんだか嬉しい気分に。いきなりステーキって行ったことないですけど。
でかい交差点に突き当たりました。このあたりから若干道順が曖昧になってきます。今までは道路沿いにいろいろな店があったのでそれが記憶の楔(くさび)となっていたのですが、ここから先は目印になりやすい店が減ることもありちょっと自信がありません。
こんな道通ったか? 通った気も通ってない気もする……左側のネットも破けてるし不安だな……。
なんだここ!! 既視感と違和感がちょうど半々でキレそうかも!!
と、しばらく確証を持てないまま歩いていたのですが、この分かれ道を見た途端に再び記憶が蘇ってきました。そうだ、この道を右に行くのでした。ちょうど太陽もそっち側にあって露骨に「正しい道」っぽくなってるのでこれはもう間違いないでしょう。
やはりこの道が正解だったようで、しばらく進むと見覚えのある青緑色のフェンス(小学校を囲っている)が見えてきました。ここに学校があったことや校舎そのものは全く印象に残っていないのに、なぜかこのフェンスだけが記憶に残っています。
明るい道を歩いているとそれだけで自己肯定感が高まる気がしますね。みなさんも明るい道を歩いてみてはいかが?
神代植物公園の敷地が見えてきました。あとは公園の中を突っ切っていけば深大寺に着くので、ここまで来ればもう迷うことはないでしょう。ただ、ラジオの進み具合が少し遅い気がする(以前はここにたどり着く頃にはかまってみくのしんを聴き終わっていたはずだが、まだ10分ほど残っている)ので、道路脇の石に腰かけて少し時間をつぶすことにしました。
かまってみくのしんを聴き終えたところで、次は「ありっちゃありアワー」第110回「みくのしんベストアイス2018」の再生を始め、散歩を再開します。この回はタイトルにある通りみくのしんさんがゲストとして出演しており、今まで聴いていたかまってみくのしんと合わせると2時間以上みくのしんさんの声を聴き続けたことになります。僕の「最高の日」にみくのしんさんの存在がこんなに関与していたとは。今度お礼を言っておきます。
このアバウトな地図、5年前も見た気がする。今日ここを訪れなければ、僕は一生この表示を思い出すことはなかったでしょう。それでもこれはずっとここに存在し続けていたと思うと、何かこう「世界の本気さ」みたいなものを感じさせられます。なんで世界ってこうもマジなんでしょうね。適当に生きているのは自分だけなのでしょうか。
紅葉がきれいですね。もう深大寺は目と鼻の先です。
でも、深大寺も便宜上の目的地として設定していただけなので着いたからといって何もすることはありません。ただ境内を通り抜けて、また歩いて三鷹駅まで戻るだけです。徒歩で1時間かけて深大寺まで来て、お参りの一つもせずに帰るって今思うとすごい。5年前の自分、クールすぎます。
16時10分
というわけで復路に就くのですが、やっぱりラジオがちょっと遅れてる気がするのでもう一度休憩を挟むことに。5年前は深大寺を出た頃にはベストアイス1位の発表に入っていたはずが、今はまだ3位のアイスの話をしているのです。人の「3位のアイスの話」を聞きながらぼうっと暮れゆく空を眺める、これ以上に贅沢な時間の使い方があるでしょうか。
適当に休んだところで出発します。ここの深大寺通りと都道12号が交わる交差点好きなんですよね。十字路自体もさることながら、特に写真奥にあるスロープみたいな坂が良いです。この坂を上って家に帰りたい。「坂を上ったところにある家に住みたい」とまでは言いません。僕はただ、この坂を帰り道として利用したいだけです。駄目ですか?
あとこの交差点の近くにあるステーキガストもかなり良いです。利用したことはないのですが、立地や佇まいだけなら今まで見たファミレスの中でも最高クラス。このステーキガストでサラダバーを楽しむことを想像するだけでもうっとりしちゃう。頑張って記事を書いてお金を貯めて、いつか行こう!
帰り道は「パクパクラジオ」第20回「海まで何分?」を聴きつつ、都道12号と東八道路を通って駅方面へと戻っていきます。行きに比べてルートは単純なので迷う心配はありませんが、何分疲れがひどい。2回休んだのに全然足が楽になってないです。5年前はこれだけの距離を無意味に歩いておいて途中で休んだ記憶もないのだから大したものです。初めて観た「リズと青い鳥」の影響で体力と精神力にバフがかかっていたのでしょうか。
ちなみにパクパクラジオ第20回は、パーソナリティーのマンスーンさんとたかやさんが真夏に歩いて海を目指すという内容。炎天下の中目黒をむやみに歩き回る2人の様子は、季節こそ違えど今の自分の状況とも重なる部分があり、聴きながら軽いシンパシーを感じました。
なんとかいきなりステーキなどがある通りまで戻ってきました。すでに足は棒のようです。なおこの時点ですでにパクパクラジオは聴き終わっており、今度は「イうてるマにイっちゃってる」第9回「合宿でのイイこと忘れちゃってる」を聴いています。
ところでなぜこんなにオモコロのラジオばかり聴いていたのかというと、同じく2018年にあった「第5回オモコロ杯」に落ちたショックで半年くらいオモコロを見ていなかった時期があり、その期間のラジオのバックナンバーが大量に溜まっていたからです。でも今、そのことをオモコロの記事上で振り返ることができているというのは、本当に気分が良いものですね。
5年前と同じく、こちらの三鷹市立図書館にトイレを借りるため立ち寄ります。また5年前は、用を足すついでに子供の頃愛読していたポプラ社の「学校の怪談」シリーズをちょっと立ち読みしたら思いのほか怖かった記憶があるのですが、今日改めて読んでみてもやはり怖いと感じました。特に挿絵が怖い。児童書らしいポップな絵柄ながら悪意がこもっているというか、急に目に入ってきたらぎょっとしてしまう感じがあります。あとこの図書館のトイレ自体も、なんか奥まった薄暗い場所にあって少し怖いです。
17時40分
ようやく駅前まで戻ってきました。午前中の不摂生を本日中に取り返そうとせんばかりの長距離ウォーキングはさすがにこたえました。5年前と比べて如実に体力が落ちていることを感じます。というか5年前が元気すぎたのか?
一日を締めくくるのは、ここ「中華そば みたか」での夕食。「みたか」は僕が小学生の頃から度々通っている思い出深い店です。当時、親に三鷹の国立天文台でやっている天体観測会に連れて行ってもらうことがあり、その帰りによく「みたか」のラーメンを食べていたのです。その時の思い出補正もあるとは思いますが、未だに一番好きなラーメン屋です。
昔から僕がみたかで頼むのは、いつもこの「五目そば」。ピーマンの千切りやハムなど、少し定番から外したトッピングがうれしいんですよね。疲れてるからとか、これが「最高の日」だからとは無関係においしかったです。
これで「最高の日」はおしまいです。冒頭にも言った通り劇的なことが起きるというような日ではなかったけれど、こうして一つ一つの出来事を振り返ってみると、やはり2018年10月25日は充実した一日だったように思います。日記などの記録が残っていたわけでもなく、完全に記憶頼りだったわりにはなかなか細かいところまで再現できたのではないでしょうか。あとは帰宅するだけです。
一旦中央線で隣の武蔵境駅に行き、そこからバスで帰ります。同じ目的地へ向かうバスは三鷹駅からも出ているのですが、武蔵境駅発のほうが乗客が少ない気がするのでいつもわざわざ移動しています。帰りのバスの車内で聴いたのは「かまってみくのしんGOLD」第18回「ロックストックアンドトゥースモーキング夢顎」です。
一日を振り返って
こうして僕は、「最高の日を可能な限り忠実に再現する」ということを達成しました。その感想はこの一言に尽きます。
決して戻らない過去の幻影を追うのがこんなに虚しいことだとは思いませんでした。好きな町に行ったり、好きな映画を観たり、好きなものを食べたりすること自体はもちろん楽しかったのですが、総じてこの一日を振り返ってみると、今日という日がどうしようもないまがい物だったと気づかされます。どれだけ過去を正確に再現しようとしてもそれは興ざめの茶番でしかなく、むしろ埋めがたい隔たりを強く意識させられるばかり。夜空の星にどれだけ手を伸ばしても掴めはしないという当たり前のことを、僕はまる一日かけて思い知らされただけではないですか。
そもそも、今日という日を過去のために費やすというねじれた構造そのものが今思うと明らかな間違いです。それはある種、人生への冒涜とも言えるほどに不自然な行いではないでしょうか。人は今を生きるしかなく、それこそが道理であり希望なのだと痛感しました。過去はどれだけ甘美に思えても、実体のない蜃気楼のようなもの。確かなものは今だけです。今を生きましょう。
そういうわけで最近は個人的にプランクトンの模様のハリセンを作ったりしています。これって「今を生きている」と言えるでしょうか?