本日のオモコロ特集は「テキストサイト」についてであります。
普段の記事と完全に毛色が違うので飛ばしても良いかも知れません。
「テキストサイトについて書きたいなぁ」という気持ちは以前から持っていて、
ずっとタイミングを見計らっていたのですが、
「テキストサイト」という言葉自体を知らない人も増えてきているでしょうし、
オモコロが産まれるきっかけにもなっている出来事なので、
僕の青春の備忘録という意味も含めてそろそろ書いておきたいと思います。
ちなみにめちゃくちゃ長文です。
【第一章】テキストサイトの歴史
1:テキストサイトの誕生(1990年代後半~)
とは言っても、「テキストサイトって何ぞや?」みたいな人もたくさん居ると思いますので、そういった人々の為に「テキストサイト」についてざっくり説明をしたいと思います。
いわゆる「日記系サイト」と呼ばれるサイトがぼつぼつ出てきたのは1990年代後半頃でしょうか。
当時のインターネット回線は今のように光ファイバーやADSLといった高速通信ではなく、
普通の電話回線を利用したものだったため、WEBページの表示にかなり時間がかかるようなシロモノでした。
いかんせん、「遅い」のです。
エロサイトでエロ画像を見つけてクリックしても、上からジワーっと表示されていき、
ようやく顔が拝見出来た、と思ったらババアがこっちを向いて半裸で笑ってたり、
たかだか10MB程度の動画をダウンロードするにも丸1日かかるような環境で、
そうやって丸一日かけて落としたエロ動画が思いっきり無修正のゲイビデオだった時の落胆ぶりと言ったらパソコンを叩き壊す勢い。
そんな環境下でしたので、
「WEB上で何かを表現したい」と思ったとしても遅い回線のせいであまり選択肢はありません。
もちろんプログラムを配布したりmidi音源を公開したりというようなサイトはありましたが、
何のスキルも持っていない一般人が出来る事となると限られてきます。
画像を多用したサイトは「重い」などと言われて避けられる傾向にありましたし、動画なんてとんでもない。
では何を持って皆が「表現」したか、と言うと「テキスト」であります。
文字情報だけならそれほど太い回線が必要ではありません。
「テキスト」と言うと堅苦しい印象を受けるかも知れませんが、
要するに「文章」です。クソゲー批評や妄想恋愛日記など、WEB上では様々な人が自身の「文章」を公開し、その面白さを競い合うような土壌が生まれました。
これがいわゆる「テキストサイト」の走りとなります。
《参考リンク》
「”FUNNY” GAMER’S HEAVEN」(閉鎖済 インターネットアーカイブ)
糞ゲー弄りの元祖。テキストサイトの源流と言われる事も多い。
トップページ下部「GAME」から糞ゲー批評ページに移動可能。
「HEXAGON」(閉鎖済 インターネットアーカイブ)
「ゼロの使い魔」の著者である事でも知られるヤマグチノボル氏が運営していたテキストサイト。
ときメモの登場人物との妄想恋愛を描いた「片桐彩子日記」が人気を博した。
2:テキストサイトの勃興(2000年~2001年)
前述の通り、回線の細さという制約の中で生まれた「テキストサイト」ですが、
インターネット人口が今ほど多くなかったこの頃、
1日に1000ほどのアクセスがあれば「人気サイト」と言われていた時代であったため、
各サイトの管理人はリンクや掲示板などで他のテキストサイト管理人と交流する事も多く、
BBSで頻繁にやり取りをしたり、日記の内容が内輪にしかわからないような内容だったりする事もしばしば。
当時流行ったチャットソフト「ICQ」で夜な夜な話したり、オフ会なんかもちょこちょこあったり。
※僕も人生で初めて参加したオフ会が当時掲示板に常駐する勢いで閲覧していた「ニガシオ」のikukoさん主催のものでした。
当時のテキストサイト界隈と言えばホソキンによる批評問題※1やまるるん事件※2などがあったにしろ、それほど大きな騒動になるわけでもなく、
テキストサイト界隈が一番平和だったのはこの頃かもしれません。
※1「ホソキンズルゥム」というサイトが、ReadMeJapanの登録サイトを片っ端からレビュー。辛辣な言葉で批評されるサイトが多く、多数の反感を買った。
※2 「我思う故にラーメン」内に「ブッタギリ」という依頼者のサイトをレビューするコンテンツ内で弄られたMMM管理人のまるるんが依頼しておいて批判されるとキレる、という行動を起こしてしてプチ騒動に。
《参考リンク》
我思う故にラーメン(閉鎖済 インターネットアーカイブ)
通称「我ラ」。「ボクの町」という、参加サイトが同じテーマでテキストを書く企画を主催。
独特のテンポで読ませる軽妙なテキストが多数のフォロワーを産んだ。
POPOI(閉鎖済 インターネットアーカイブ)
書籍化もされたイリエマイさんのサイト。
男性人口が多いテキストサイト界隈で「共感出来る」と女性人気を一身に集めた。
3:侍魂ショックとテキストサイトブーム到来(2001年)
そうやって平和に暮らしていたテキストサイト村に突如黒船がやって来ました。
「侍魂」という個人サイトが2001年3月3日に公開した「最先端ロボット技術」という、 中国が開発した先行者なる二足歩行ロボットを揶揄した一連のテキストがネット上で空前のブームを巻き起こしました。
ネット上で大人気となった先行者。
《参考リンク》
侍魂 最先端ロボット技術(ヒットのきっかけになった記事)
http://www6.plala.or.jp/private-hp/samuraidamasii/tamasiitop/robotyuugoku/robotyuugoku.htm
上記のテキストへのリンクがインターネット上のあらゆる場所に貼り付けられ、
様々な媒体に取り上げられるなど、
瞬く間に侍魂は1日に20万PVという、驚異のアクセス数を叩きだすお化けサイトと化し、
その侍魂を入口として、膨大な数の人々がテキストサイトに流入してきました。
侍魂からリンクを貼られていたサイト群も軒並みアクセスが急上昇。
侍魂を見て感化された人々が次々と「テキストサイト」に参入し、黒背景にセンタリング、
行間とフォント弄りを多用した「フォント弄り系」と呼ばれる侍魂「風」のサイトが無数に生み出される原因となります。
この頃ははっきりと「インターネットの中心点」がテキストサイト界隈にあったように思います。
侍魂に端を発した「先行者」いじりがネット上で大流行し、フラッシュアニメ化され、あらゆる所でネタにされる一方、
「バーチャルネットアイドルちゆ12歳」の開設によりバーチャルネットアイドルブームが置きたり、
NOTFOUNDにて新爆さんが掲載した「吉野家」の一文が2ちゃんねる上で大流行し、吉野家オフが全国各地で開催されるなど、
テキストサイト発祥であらゆる「ネット上での流行」が作られた事からもわかります。
参考リンク
吉野家コピペ
数字面でも、テキストサイトやニュースサイトの多くが登録していたランキングサイト、「ReadMe!Japan!」での順位の移り変わりを見ると、
2000年12月9日のランキング上位5サイトが、
1:裏ニュース! (32524)
2:TECHSIDE.NET (15560)
3:9-FFいっしょにTALK (8977)
4:水無月情報ページ(6740)
5:みんなきてKOIKOI(4087)
となっており、テキストサイトと呼べるのは色んな飲み物でカップラーメンを作る「爆裂!カップメン!」というコンテンツが人気の「みんなきてKOIKOI」ぐらいだったものが、
約一年後、2001年12月3日のランキングでは、
1:侍魂 (139670)
2:バーチャルネットアイドル・ちゆ12歳 (66371)
3:TECHSIDE.NET (36033)
4:Ginger Japan] (30133)
5:スパイ日記 / 探偵魂 (22506)
となっており、上位5サイトの内、侍魂、ちゆ、探偵ファイルと3つのテキストサイトが上位を占めるようになります。
更に、上位100位までの合計アクセス数が約16万から約66万と4倍にもなっています。
このことからテキストサイト界隈にたくさんの人が流れ込んできた事が理解出来ると思います。
《参考リンク》
個人サイトで初めて1億ヒットを達成したお化けサイト。
その爆発的ヒットによりテキストサイト界隈に大きな変化をもたらした。
可愛いらしい外見とは裏腹に、切れ味するどい舌鋒でサブカルチャーから宗教までをめった切りに。
VNI(バーチャルネットアイドル)ブームを巻き起こした。
4:ネットバトル全盛期(2001年~2003年)
さて、膨大な数の人が参入してきたテキストサイト界隈で、おのおのが「面白さ」を競う一方、
ある流行が生まれます。
それは「テキストサイト系テキストサイト」と呼ぶべきようなもので、
「テキストサイトとはかくあるべき」「アクセスアップの方法論」などを取り扱うサイトが増えてきました。
「金を掘るより、金を掘るための道具を売る方が儲かる」というような話がありますがまさにそれで、
「テキストサイト運営者に向けたテキスト」をメインコンテンツに据えるサイトが出てきたのであります。
これまで、テキストサイト運営者はあくまで自己完結したお笑い文章を核にサイト運営をしている事がほとんどでしたが、
こういった「~論」が流行るにつれ徐々にネット上での「論争」が増えてきます。
有名なもので、「斬鉄剣vs無題」※1や「アクセス至上主義問題」※2「脳死レンジャー問題」※3などが挙げられますが、
これらの発生により「ウォッチャー」と呼ばれる、争いを見物しに来た人達がなだれ込み、
一気にテキストサイト界隈がキナ臭くなります。
※1「斬鉄剣vs無題」ランク制リンク、というリンク先をランク付けしたようなリンクが批判され更新を停止していた斬鉄剣が侍魂のリンク先になっていた事から多数のアクセスを集め更新を再開。「しれっと再開してんじゃねーよ」的に無題が斬鉄剣への批判を開始。あらゆるサイトを巻き込んで各地で論争が勃発した
※2「アクセス至上主義」「堕落誌~塾憂~」が提唱したアクセスを集める事追求する考え方。サイト読者を使って他サイトへの推薦コピペメールを爆撃させるなどモラルに書けた手段を取り批判が殺到。
余談だがこの「堕落誌~塾憂~」の正式名称は「塾講師の憂鬱」と言い、サイトの中身は15歳女子中学生の教え子との恋愛を綴ったもので、「せんせぇに愛たい」という死ぬほどキショいサブタイトルが付けられていて筆者も心の底から嫌っていた。
※3「脳死レンジャー問題」ネットバトルに意気揚々と参戦するも返り討ちにあって醜態を晒したサイト群をまとめた呼称
その一方で、テキストサイト管理人だけを100人集めた「テキストサイト100人オフ」や、
クラブを貸し切って行われた「ドクデス」と呼ばれるクラブイベントなどのオフ会も活発に行われ、
テキストサイト界隈は黄金期を迎えます。
5:テキストサイトの衰退(2004年~)
前述の通り、黄金期を迎えたテキストサイトですが、この頃からテキストサイト系テキストサイトの閉鎖が相次ぎ、
ネット界の中心地が徐々にテキストサイト界隈から軸足を移しはじめ、
その後も「NIKKISONIC」や「紅白日記合戦」などのイベントも行われましたが、
一つ、また一つとテキストサイトが消えて行き、「テキストサイト」という言葉も現在では死後に近くなっています。
では一体、あれだけ隆盛を誇ったテキストサイトを、誰が殺したのでしょうか。
《参考リンク》
有名サイトが時間軸に沿って記事を公開していく形のテキストサイト界隈のお祭り。
登場サイトの充実ぶりが話題に。
テキストサイト陣営とブログ陣営の対決を紅白歌合戦風に構成。
新旧陣営のぶつかり合いが好評を博した。
【第二章】誰がテキストサイトを殺したのか(ビックリ!ここからが本題だよ!!)
そんなわけで、「テキストサイトの中に居た人」の一人として、
当時のテキストサイト界隈に起こった事を書いておきたいと思います。
【要因その1】戦争疲れ
前述の通り「ネットバトル」と呼ばれる一連の論争はあらゆるサイトを巻き込んで活発に行われましたが、
蓋を開けてみれば参戦したサイト群は全て満身創痍、叩き叩かれ、無事に済んだ人は一人も居ない、みたいな悲惨な状態になりました。
ネットバトル時代の幕を切って落としたのは無題と斬鉄剣の論争ですが、結局は2サイト共に更新を停止、
「テキストサイト論」を語っていたサイト群も、徐々にその不毛さに気付いたのか相次いで更新を停止しました。
それに従ってテキストサイト界隈に跳梁跋扈していたウォッチャー達がテキストサイト界隈から去っていき、
皮肉にもそのせいでテキストサイト界隈から活気が失われていく事になります。
不毛に思われたネットバトルも、テキストサイト界隈においては主要なコンテンツの1つだったのであります。
【要因その2】:馴れ合い批判
当時、テキストサイト界隈では仲が良いサイトの管理人さんに本文中で呼びかけたり絡んだりする「文中リンク」と呼ばれる手法が取られたり、
ICQやメッセンジャーなどのチャットソフトで管理人同士が話をしたり、オフ会が頻繁に開催されるなど、
テキストサイト管理人同士の交流が活発に行われていました。
交流によって、アクセス数の多い、いわゆる「大手サイト」の管理人と仲良くなると、サイトにリンクを張ってもらうなどして、
アクセス数に伸び悩んでいた中小サイトにとってはアクセスアップの一因となります。
テキストサイトの中には「テキストサイト」とは名ばかりでオフレポばかりアップしているようなサイトも確かに存在し、
人的コネクションで多数のアクセスを集める一方、真面目にテキストを書いている人達から顰蹙を買うような流れがあり、
そういった「馴れ合い」サイト群が2ちゃんねるの「テキストサイトはここで語れスレ」で「馴れ合いうざい」などと盛大に叩かれるようになります。
前述のネットバトル全盛期、ウォッチャーがテキストサイト界隈に大量に流入していた事もあり、
テキストサイト管理人はこの「テキスレ」で叩かれる事を恐れていた人が多く、
この一連の流れのせいで「オフレポ」や「文中リンク」などが避けられる空気感が形成されました。
実際僕も元々は文中リンクやオフレポなんかもちょくちょく書いていましたが、こういった空気感が形成されてからは自粛する傾向にありました。
叩かれるの怖いからね!
掲示板で読者の方からのコメントを返していたら「読者に媚びてる」などと言われる始末で、
「テキストサイト管理人は孤立して執筆作業に集中すべき」みたいな空気感が確かにあったように思います。
その結果、こういった他サイトとの交流が表面的には失われて行く事になりました。
【要因その3】:mixiの参入
そしてネットバトルや馴れ合い批判による「叩き」に嫌気がさしたテキストサイト管理人達は、
この頃に登場した新しいサービス、mixiにこぞって参入し始めます。
当時のmixiは承認制であり、日記に制限さえかけておけばウォッチャー達に目をつけられる事もなく、
仲の良い人達と和気あいあいと楽しいコミュニティを形成する事は容易でした。
そもそも、「テキストサイト」とは名ばかりで、テキストサイトを「他人と仲良くする為のツール」というような使い方をしていた人達も少なくなかったため、
そういった人々がごそっとmixiへ移動したのであります。
要因の1、2、3を総合すると、ネットバトルを派手にやらかして来た人達が戦争に疲れ去って行き、
馴れ合いツールとして使ってきた人達がmixiに移動し、テキストサイト界隈に残ったのは純然たる「日記書き」達でした。
普通に考えると、純粋な人達だけが残ったのですから、そのままテキストサイトは更なる発展をとげそうなものですが、そうは行かなかったのです。
何故でしょうか。
【コミュニティとしての機能を失ったテキストサイト界】
ネットバトルのような論争が無くなり、オフ会や文中リンクが消えたテキストサイト界において、何が起こったのかと言うと、
「人の流動性」が無くなったのであります。要するにコミュニティとしての機能が無くなってしまった。
各サイトの管理人は自分のサイトで黙々と新しいテキストをアップし、閲覧者がそれを見に来る、という流れは確かに存在しましたが、
はっきり言って、管理人側からするとそれだけだと面白く無いのです。
「テキストサイトを何故運営するか」と言うと、
最初の頃は「反応が貰えると嬉しい」「面白いと言って貰えると嬉しい」「アクセスが増えると嬉しい」といったものがモチベーションになりますが、
ずっと運営を続けていると徐々にそういったものには飽きてきます。
多数のアクセスを獲得したところで、誰かにお金を貰えるわけでもありません。
例えば1日に20万PVという、国内サイトの頂点に立った侍魂ですら、半年間の広告収入が100万円程度、
それでもその話を健さんから聞いた当時の僕らは「すごい!!100万円も稼いだんだ!!羨ましい!」みたいなリアクションをしていたわけで、
当時どれだけWEBに流通しているお金が少なかったか、は想像出来ると思います。
となると、やはりサイト運営をする上で、一番大きなモチベーションとなるのが「人との出会い」であります。
少なくとも僕にとってはこれが本当に大きかった。
サイトを運営していたおかげでオフ会に誘って貰ったり、憧れのサイトの管理人さんに絡んで貰えたりするのが凄く嬉しかったのであります。
「ろじぱら」に貼られていた自分のサイトへのリンクを発見した時、どれだけ嬉しかったか。
「ウキウキ抜き」のカガミさんと一晩中やってたチャットがどれだけ楽しかったか。
文中リンクが消え、オフ会が消え、他サイトと絡む事なく自分のサイトを運営する、っていうのはやはり寂しいのです。
しかしながら漠然とそういった「孤立したサイト」を望む界隈の空気感は確かに存在おり、
コミュニティとしての機能が消えたテキストサイト界隈は、明らかに魅力が半減していました。
mixiなどのSNSに人が流れて行くのは自然の摂理だったのかも知れません。
【何故ブログはテキストサイト文化を継承しなかったのか】
mixiの登場と同時期に、ブログというものが脚光を浴びるようになりました。
ブログも基本的には文章をアップするものですから、テキストサイトを継承するものとして、
テキストサイト文化を受け継いで発展していくのかと思いきや、結果的にはそうなりませんでした。
文章をこねくりまわし、「笑える文章」をストイックに追求する、という事を実行しているブログなどはほとんど生まれませんでした(もちろん少数派ながら存在はしますが)
そもそもテキストサイト、と一口に言っても、作るには若干の参入障壁がありました。
今でこそWEBで日記を書くにはブログでアカウントさえ取れば終了、なんてお手軽な時代になりましたが、
当時はhtmlの構造をある程度理解して、タグを打てないとテキストサイトを作る事さえ出来なかったのです。
しかし、その一方でそういった参入障壁がある事で、ある程度の情熱だったり自信だったり、
そういうものがある人しかテキストサイトに手を出さなかったのです。これがテキストサイト界隈の「質」を保つのに一定の役割を果たしていたと思います。
誰も「今日はパスタを食べました♪」なんて文章を書くためにいちいちタグを打ち込んだりはしないのです。
ところが、ブログはそのお手軽さ故に、特に書く事や情熱が無い人も大量に参入し、
悪貨が良貨を駆逐する、の例に漏れず、気付いた頃にはテキストサイト的なテキストを書く人達は少数派になり、
ネットの隅に追いやられてしまいます。
そもそも、ブログという新しいサービスが出た当時、テキストサイトを運営している人達はそれを懐疑的な目で見ていて、
その便利さにも関わらずこぞって参入、という事にはなりませんでした。
「ブログなんかに手を出してたまるか!」みたいな、なんとなくの空気感がテキストサイト管理人の間にはあったんじゃないでしょうか。
ブログに参入していったのはどちらかと言うと評論家や今で言う「意識の高い学生」みたいなテキストサイト界隈の外の人々が多く、
テキストサイトの後釜としてのブログ、と言うよりは、テキストサイトとブログは全くの別物として違う道を歩んでいたように思います。
そのせいもあってテキストサイト文化がブログ界隈に受け継がれる事がなかったのであります。
もちろん、ブログの便利さが徐々に浸透していくと、テキストサイトからブログへ移行する人々も現れましたが、
その頃にはテキストサイト界隈とは全く違う文化を持った人々、「ブロガー」によって新しいブログ文化が生まれており、
テキストサイトがその文化圏において主流派を占める事は、未来永劫無くなったのであります。
【今なお続く、テキストサイトの系譜】
とは言え、テキストサイトがインターネットの主流ではなくなった今でも、テキストサイトの系譜を受け継いでいる人達は存在するわけであります。
最後に、それらのサイトを紹介することで、今回の記事を締めたいと思います。
オモコロ
我がオモコロであります。元々、オモコロはテキストサイト管理人が集まって出来たサイトで、
主だった所を挙げると、
シモダ(半ズボン、ゴブリンと僕)
原宿(桃色核実験)
まきのゆうき(メガネバリヤー)
ヨッピー(オレイズム)
ヤスノリ(俺とパンダ2)
パンティ田村(ブラニュース!)
ヒャク(らせん)
ニスィーベ(グチョグチョライフ)
などなど、テキストサイトを運営していた連中が多数メンバーに含まれています。
悪ノリした企画などはテキストサイト時代のノリをそのまま引き継いだようなものも多く、
テキストサイトの系譜、と言っても良いのではないでしょうか。
デイリーポータルZ
言わずと知れたデイリーポータルZ。
マスターの林雄司さんは「WEBやぎの目」という古参テキストサイトを運営。
人気ライターの小野法師丸さんも「テーマパーク4096」というテキストサイトを運営中。
卓越した文章力に、テキストサイト時代に培ったものが活かされております。
numeri
「出会い系サイトと対決する」「債権回収業者と対決する」など、対決企画で人気を博し全国に「ヌメラー」と呼ばれる熱狂的ファンが多数産まれた。
相変わらず1本の記事の文章量が半端ないですが、苦も無く読ませるのはさすが。
現在も「ヌメリナイト」と称して全国でイベントを行うなど勢いはとどまらず。バナーくらいちゃんと作れ。
カフェオレ・ライター
漫画「テニスの王子様」やBL本イジりでお馴染み。
今や「山田井ユウキ」の名義で人気ライターとなったマルコさんも更新継続中。
ツッコミ文を書かせたら天下一品。
ろじっくぱらだいす
テキストサイト最後の大御所は元気に現在も毎日更新。
近頃はリアル脱出ゲームに傾倒中。
プラッチック
http://www6.ocn.ne.jp/~fronts/
2001年の開設よりずっと毎日更新を続けている短文日記モンスター。
サイトデザインなどは往年のテキストサイトを彷彿とさせます。
……いかがだったでしょうか。
「テキストサイトについて書こう」と思い立ってからこんな物量になるとは思いませんでしたが、
同じ時代にインターネットをやっていた人達は「あった、あった」と懐かしがるも良し、
テキストサイトを知らない人達は「こんな事もあったんだねぇ」と何かしらの参考にでもして頂ければと思います。
少なくとも、僕の青春は、あの頃のテキストサイトと共にあったのです。
これからもWEB界隈では様々なコミュニティが産まれ、消えていく事と思いますが、
この「テキストサイトの教訓」を糧に、色んなおもしろいものが産まれて来るといいなぁ、なんて。