「なんか有名っぽい」というぐらいの知識しかなかった、谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」を最近初めて読んだ。

「翳」という字を何と読むのか知らず、フィーリングで「いんさんらいさん」と読んでいたけど、実際には「いんえいらいさん」と読むらしかった。今まで口に出す場面がなくて助かったと言える。

内容を恥ずかしげもなくざっくり言うと、「光が当たっているメインの部分だけでなく、影の部分や無駄に見えるものが美や風流を支えているよね~」みたいなことを話している作品で(ざっくりしすぎ)、現代でも共感される感覚だろうし、実際かなり面白かった。「吸い物椀」について語っているところなど最高だ。

 

私は、吸い物椀を前にして、椀が微かに耳の奥へ沁むようにジイと鳴っている、あの遠い虫の音のようなおとを聴きつつ、これから食べる物の味わいに思いをひそめる時、いつも自分が三昧境(さんまいきょう)に惹き入れられるのを覚える。

 

吸い物椀ってジイと鳴ってる!? でも言われてみれば、鳴っている気もする。

「吸い物椀の音に耳を澄ます」という発想自体がなかったので、こういう部分に趣を見い出せるというのはかなり凄い。「そうか、吸い物椀ってそういうところがいいんだ」と素直に思ってしまうような、言葉の力を感じる。

 

そんな「陰翳礼讃」で、「羊羹」について触れられている箇所があり、そこもかなり印象的だったのだ。

 

かつて漱石先生は「草枕」の中で羊羹の色を賛美しておられたことがあったが、そういえばあの色などはやはり瞑想的でないか。玉(ぎょく)のように半透明に曇った肌が、奥の方まで日の光を吸い取って夢みるごときほの明るさを含んでいる感じ、あの色あいの深さ、複雑さは、西洋の菓子には絶対に見られない。クリームなどはあれに比べると何という浅はかさ、単純さであろう。

だが、その羊羹の色合いも、あれを塗り物の菓子器に入れて、肌の色が辛うじて見分けられる暗がりへ沈めると、ひとしお瞑想的になる。人はあの冷たく滑らかなものを口中にふくむ時、あたかも室内の暗黒が一個の甘い塊になって舌の先で融けるを感じ、ほんとうはそう旨くない羊羹でも、味に異様な深みが添わるように思う。

 

まず思うのは「クリームのこと悪く言いすぎ!」だろう。「浅はかさ」とまで言うかと。クリーム好きな人はムッとするに違いない表現だ。

「何かを褒める時に、他の何かをくさす必要はない」とは、余計な争いを生まないための知恵として近年ネットでは良く言われる言葉だが、文豪って意外とくさしがちかもしれない。でも「陰翳礼讃」の時代には、今のように美味しいクリームが世に溢れてはいなかっただろうし、「谷崎潤一郎は、ビアードパパの美味しさを知ることがなかったんだな…」と同情的に見ておきたい。

 

それよりも、太字にした部分に注目して欲しい。

「あたかも室内の暗黒が一個の甘い塊になって舌の先で融けるを感じ」……。

 

要するに羊羹を暗い部屋で食べると、羊羹の色と暗やみが一体となり、まるで闇そのものを食べているような、不思議な体験になるということだろうか?

これは興味深い。ぜひとも暗いところで羊羹を食べてみよう、と思った。

 

羊羹を

食べます。

 

何となくこういう時に食べる羊羹はコンビニで買っちゃいけない気がして、亀屋万年堂の「亀甲羊羹」(1本1300円)を買ってきた。

何軒か和菓子屋さんを見て回ったが、延べ棒みたいな長方形のドスンとした羊羹って意外と売ってない。

確かにそんな大量の羊羹を買おうってタイミングって、なかなか無いよなと思う。みんなで昼から公民館に集まる時ぐらいか?

 

「人類が火星に移住する時、こういうボックスをたくさん持って行きそう」というような箱に亀甲羊羹は入っている。

これ一本で1089カロリーもあり、小型にすれば携行にも便利なことから、羊羹は登山やロードバイクの補給食として人気が高いらしい。

いつかオモコロ特集でダウラギリ山脈に登る時は、羊羹をたくさん持って行こう。

 

内袋の銀紙を外すと……

 

「宇宙?」

と、言いたくなる物体が突如として現れる。

ミクロの船でこの中を進んでいけば、何かしらの星雲にぶつかりそうな、そんな冒険心を刺激する輝きが羊羹にはある。

確かに「暗やみ」との相性はしごく良さそうだ。

 

宇宙を一口サイズに切る。

 

闇の中で羊羹を食べる前に、明るいところでも食べてみた。

小倉あんならではの豆っぽい味と優しい甘みが口の中に広がって、しみじみと美味い。濃く出した緑茶が欲しい。

 

40歳になると、こういう初速の激しくないスムースに発進する甘みが逆にアリになってくる。

「和菓子って誰が食べてるの? ケーキの方が美味くない?」と思っていた自分が恥ずかしくなってくるぐらい、体が疲れない甘みを求めだすのだ。

若い人たちはジジイの戯言だと、今はせいぜい馬鹿にしておいてください。

 

さて…………(この写真、掃除機ジャマだな)

 

 

闇だ。

電気を消すと、完全なる闇が辺りを覆った。羊羹の写真を撮ろうにも最早カメラのシャッターが下りない。

 

iPhoneで撮影してもらうと、微かに暗やみの中に自分の姿が見えた。

この状態で先ほどの羊羹を食べていく。

果たして、あたかも室内の暗黒が一個の甘い塊になって舌の先で融けるを感じることができるのか……。

いただきます。

 

あー………

 

なるほど。

 

なるほどなるほど。

 

うん。

 

なんか違うな。

 

なんつうの? さっきよりちょっと味が重たく感じるというか……

 

さっきは「優しい甘さ」って感じだったけど、今はもっと粘っこく感じるな。

 

甘さが増したと言えば、そうかも……。

 

「室内の暗黒が一個の甘い塊になる」っていうのは正直よく分からんけど。

 

視覚を閉ざした分、より口の中の変化に集中できるのは確か。

 

これをめちゃくちゃ研ぎ澄ませていったら、「異様な深み」っていうのも感じ取れなくはないのかも。

 

「闇がある」って、目をつぶるのともまた違う感覚だな。

 

あと何だろ。

 

「とらや」の羊羹が食いたくなってきたな。

 

 

ちょっと頑張れば、行けたのよ、とらやまで。

 

でも亀屋万年堂の方が近かったから、いいか、って……。

 

亀甲羊羹が美味しくないわけじゃなく、むしろ美味いんだけど。

 

とらやも食いてえな~。

 

 

 

パッ

 

 

 

明かりがついた。

暗やみで食べる羊羹は、少しだけ口の中で重たく感じた。

「すげえ甘く感じる!」とかそういうわけじゃなくて、もっとささやかでじっとりとした繊細な感覚だ。

この繊細な感覚を自分でリコイル制御して神エイムで捉えにいけば、谷崎潤一郎が言わんとしていることも分かるような気がする。

 

そのためには忙しかったらダメだな。

「あのメール返信しなきゃ……」とか「あの原稿書かなきゃ……」とか、ソワソワしながら暗やみで羊羹を食べても、多分何も感じ取れない気がする。

暗やみで羊羹を食べる前には、会社やバイトを辞めた方がいい。

でもそれはそれで不安だねっていう。誰だ! こんな不安を俺たちに植え付けたのは!

俺……?

 

俺なのか……

 

 

せっかくなので、カメラマンとして付き合ってくれたオモコロ編集部のヤスミノにも暗やみで羊羹を食べてもらうことにした。

大の甘党で、いつも卸売市場で買ったようなチョコレートの袋を抱えている。

羊羹もけっこう好きとのことだ。

 

 

 

いただきます……。

 

…………………………。

 

……………。

 

うん……。

 

あー。

 

うまいっすね、羊羹って。久しぶりに食ったな。

 

物足りない感じもするけど、だからこそ後引くような……。

 

うん……。

 

周りが暗いのは……何だろ……。

 

ぶっちゃけよく分かんないっすね。

 

変わる?っていう。

 

でも羊羹はうまいっす。

 

うまい。

 

 

 

パッ

 

 

 

え?

 

 

ヤスミノ……お前それ……

羊羹じゃなくて……

 

 

ウタマロせっけんじゃねえか!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※ウタマロせっけんは絶対に食べないでください。