登場人物紹介
ストーム叉焼・この記事の筆者。アプリからウマ娘に入りドハマリした。競馬は全く知らないが、ダートしか走れないウララの為に全ての競馬場の芝を根絶やしにするという使命を背負っている。
カメラマン・主に撮影担当。Twitterで迂闊にも「ハルウララに会ってみたいなぁ」と呟いた所を確保された哀れなモルモット。
取材日は4月上旬。千葉県は御宿(おんじゅく)のマーサファームにはうららかな日差しと涼しい風が吹き抜ける。
二人とも地方出身なので、鼻腔をくすぐる牧場特有の匂いに、揃って「懐かしい」と感想を漏らす。
運動場の横を抜け小さな厩舎へ向かうと、木陰に鹿毛(焦茶色)のサラブレッドが佇んでいた。
「でっけ……!」
間近でサラブレッドを見るのは初めてだったが、想像していた「馬」の大きさより一回り大きい。
その体躯には雄大さと、どこか神秘性が漂う。
「これハヤテ君だね。HPで見た」
「下調べ万全じゃん」
登場馬紹介
ハヤテ
26歳・サラブレッド・セン馬(去勢済みのオス馬)・鹿毛
マーサファーム最年長。競走馬時代は「グランスクセー」という名前で走っていた。競走馬引退後は20歳まで警視庁騎馬隊に務め、引退後は養鶏場の警備員(自称)の後、マーサファームへやってきた。現在では「ハヤテの会」が結成され、会員に支援されている。
「なんか経歴すごくない?」
「……ハヤテ『さん』今日はよろしくね」
ハヤテ(グランスクセー)さんのアカウントはこちら
スタッフに挨拶を済ませ、厩舎内の馬達の写真撮影。
「こちらヒシアンデス。アンちゃんって呼ばれてるらしい」
登場馬紹介
ヒシアンデス
23歳・サラブレッド・牡馬(オス)・黒鹿毛
母はヒシアマゾン。競走馬の成績は…ながらとってもジェントルマンとの事
「へー。お母さんがヒシアマゾンなんだ」
※ヒシアマゾン……アメリカ生まれの有名な牝馬。最優秀3歳牝馬、最優秀4歳牝馬、最優秀5歳以上牝馬に選出された。ウマ娘にも登場。
ヒシアンデスは競走馬としては全く活躍出来ず、「そうじゃなかった馬」の一頭だった。
だが現在は、「マチャルの会」による支援でマーサファームで暮らす事が出来ている。
近年は、引退馬の支援団体の活動により第二の人生を歩めるサラブレッドも増えては来たが、全ての馬に支援が行き届く訳ではない。
そういった意味では、ヒシアンデスは強い馬ではなかったが幸福を手に出来た馬なのだろう。
「この子はマーキュリー。『アミちゃん』って呼ばれてるみたい」
「HPに『うーちゃんとなかよし』って書いてあった子だ」
登場馬紹介
マーキュリー(アミちゃん)
日本スポーツホース種・9歳・牝馬
黒鹿毛に白い流星がチャームポイント。隣の馬房のうーちゃん(ハルウララ)となかよし。
「『マーキュリー』なのに『アミちゃん』って愛称なんだね」
「確かに。なんでだろ」
「……もしかして『セーラーマーキュリー』って事?」
「そんな事ある?」
そしてその隣にはハルウララがいる。
……正直に言うと、心のどこかでハルウララと対面する事を恐れていた。
ハルウララは競走馬になる以前から臆病な性格だったという。
以前の馬主に散々振り回され、人間を嫌いになってないだろうか。人目から逃れるように馬房の奥に引き篭もり、怯えきっていたりしていないだろうか。
そうでなくとも、昨今の見学者急増で多大なストレスを負っていたりしないだろうか。ボロボロになった姿を目の当たりにしてしまうのではないだろうか。
いざ対面したら「我々はここに来るべきじゃなかった」という現実を突き付けられるんじゃないか、そんな怯えがあった。
そして、いよいよハルウララの馬房へ。
「ウララだ!(小声)」
「うーちゃん!(小声)」
登場馬紹介
ハルウララ(うーちゃん)25歳・牝馬・鹿毛
最早説明は不要。(散々説明した後に書いていい台詞ではない)
日本中にハルウララ旋風を巻き起こし、現在は「春うららの会」の支援でここマーサファームに安住。
ここでは「うーちゃん」「うーさん」「うららさん」等と呼ばれている。
うーちゃんは飼料か水が入っているであろう宙吊りのバケツに首を突っ込み、もそもそと漁っていた。
馬は350度に及ぶ視野角の他に敏感な聴覚も備えているので、我々部外者の気配には気付いている筈。それでも身構えた様子が見られないという事は、少なくとも人間を怖がってはいないようで、ひとまずはほっと胸を撫で下ろした。
(肋骨が浮いて見えるのは加齢によるものらしい)
「ウマ娘のほうのウララも飾ってあるね」
「擬人化が受け入れられててよかった」
「……」
「……」
「全然こっち向いてくれないね……」
こちらに全く関心がないのか顔を上げてすらくれない。
……まぁ、我々を警戒してないという意味では喜ぶべきかもしれない。
「後で人参持って出直そう」
後に予定している餌付けタイムまで正面カットはお預けだ。うーちゃんは人参が大好きとの事なので、流石に振り向いてくれるだろう。
(春うららの会公式「ハルウララと仲良しアミちゃん」のスタンプはこちら)
「それではお世話体験の準備をしますね」
今日はうーちゃんを始めとしたマーサファームの馬の日常に迫るべく、日々のお世話の一部を体験出来るメニュー「お世話体験」をお願いした。(事前に予約)
マーサファームの関係者と思しき人はこの時一人だった。
牧場としては小規模ではあるが、これだけの命、それも人間より遥かに大きく、力強いものを僅かな人数で背負っておられる事を思うと頭が下がる。
スタッフに引かれて連れて来られる二頭の馬。
「シャルマン君と白ちゃんです」
シャルマン(右)
サラブレッド・10歳・セン馬・鹿毛
マーサファームでは若手。元競走馬。
サラブレッドとしては小柄との事だが充分デカイ。
イケメンらしい。
白ちゃん
アラブ×道産子・22歳・牝馬・芦毛
名前の通り真っ白。
ファームのオープン前からいる最古参でお局様。
隣の馬房の若いオス馬(ウィンチェスター君)からウェイウェイ絡まれるもそれをボコボコにする。
「まずはブラッシングです。こちらのブラシで毛並みに沿ってブラッシングして下さい」
「よろしくねシャルマン君」
シャルマン君の側面に回り込んでブラッシングを始める。
ブラシと反対の手で背中に触れて、驚く。
(うわ、柔らか、温か……!)
テレビで見る競走馬が筋骨隆々で張り詰めた皮膚をしているからか、馬の身体は革張りのような感触だと無意識に思い込んでいた。
シャルマン君の肌は、想像より柔らかい毛並みで、僅かに指が沈み込む。
そして春の日差しを浴びた、人間のそれより僅かに高い体温。
(なんていうか……血の通ったあったかさだ……)
本当に当たり前ではあるが、「生きてるんだ」という実感がしみじみとこみ上がる。抱きしめたくなる……というよりは、寄り添ってずっと撫でていたくなるような、そんな命の感触。
「もうちょっと力入れても大丈夫ですよ」
プロが言うのだからそれに間違いはないのだろうが、あの肌の柔らかさを感じるとどうしても遠慮してしまう。
後で写真見たらシャルマン君が物凄く傾いていた。くすぐったかったらごめん。
「それでは白ちゃんの方も」
「じゃあ白ちゃんは俺が」
白ちゃんは換毛期らしく、さっと撫でるだけで毛が宙に舞う。
軽くブラッシングするだけでこうなる。
最近は春先からすごく暑くなったりするから、早く衣替えが終わるといいね。
「次は『裏掘り』をします。蹄の裏に詰まった汚れを掻き出す作業です」
「これってお馬さんは痛かったりしないんですか?」
「人間でいう爪の部分なのでよっぽど深く突き刺したりしない限り大丈夫ですよ」
(というか馬の脚って持ち上がるもんなの?)
「自分の身体で(馬の身体を)軽く押してあげて、足首のあたりを持ってあげて下さい。そうしたらこの器具で汚れを落とします」
「できるかな……」
シャルマン君の体重は400kg超。俺の4倍はある。
……いや、俺が重すぎるせいでスケールダウンしてる。普通の人間の6~7倍はある。
シャルマン君の体温を肩で感じながら言われた通りに脚を持つと、ひょいとリフトアップされる。
俺のSTR(ストレングス)が強靭という訳ではなく、シャルマン君が自分の意思で脚を持ち上げ、片足立ち(正確には3/4脚立ち)している形だ。我々人間はそれの保持を手伝っているだけに過ぎない。
馬はこういう作業を嫌がるイメージがあったので、お手入れに協力的なのは意外だ。
蹄の内側の汚れをざくざくと掘り進めながら、「ありがとね」と労りの言葉が口を衝いて出た。
「脚を手離す時は自分の足の位置気をつけてくださいね。踏まれると最悪足が砕けますから」
「ひゃい」
ただ馬に悪気がなくとも質量とパワーは健在なので、そこは人間が気をつけてあげましょう。
「次は運動場に連れて行ってあげましょう。繋いだロープを短めに持って、頭の横に立つように牽引します。ロープは腕に巻きつけないで下さい。万が一走り出した時に腕を持っていかれます」
「ヒエッ」
「それではシャルマン君を向こうの運動場へ」
「じゃ撮影お願い」
「あいよ」
運動場へ続く道をゆっくりと歩く。
一定の速度で歩いていたが、ときおりクンッっとロープが突っ張った感触があった。
そうか。四足歩行なんだ。二足歩行の人間とは歩くリズムが違うんだ。
言われれば当たり前の事象も、この手に伝わる実感があると何故だか感動してしまう。
ふかふかの砂が敷き詰められた運動場の中へシャルマン君を引き込む。
無口(頭についているベルト)を外す時、自ら首を下げて協力してくれた。てっきり引っ張られる感覚が嫌で抵抗されるものだと思っていたが。
「これ(無口)取る時も手伝ってくれるんですね」
「まぁ、いつもやってる事なので、勝手は分かってますよ」
そう言われてはっとした。しゃらくさいかもしれないが、本当に目が覚めるようだった。
気性の荒い競走馬の逸話をネットでよく見ていたせいか、特にサラブレッドは全然人の言うことを聞かないという思い込みがあった。
だが冷静に考えてみれば、常日頃からスタッフの方にお世話されているのだから、脚を持ち上げれば蹄を掃除して貰える事、運動場に連れて来られたら自由にして貰える事は学んでいて、だから人間を信じて身を任せたり協力してくれる。
マーサファームの動物達とスタッフの信頼関係を垣間見ると共に、
「馬に言うことを聞かせなくちゃ」という傲慢な無意識が自分にあった気がして、その先入観を恥じた。
我々が柵の外へ出ると、シャルマン君は砂の感触を踏みしめるようにてくてくと歩き始めた。
「……あのさ」
「どしたの。もしかして撮れてなかった?」
「いや、動画で撮ってたんだけど……とりあえず見てみなって」
どれどれ……綺麗に撮れてるけど。iPhoneのカメラのスペックは侮れないよな。
うん。後ろからついてくるアングルで……
……え?
「ウワーッ!」
「やっぱ気付いてなかったか……途中から『脚五本ない?』って思ったらこれだった」
「え……でも俺が振り向いた時には……」
「もうその頃には引っ込んでたよ」
「そっか……」
……時々いうこと聞かない事あるよねここ。わかるよ。俺も男だからさ。
「次は馬房のお掃除です。寝床の籾殻を漉いてボロ(馬のふん)を集めて下さい。その間に人参を用意しておきますね」
「よし、ここは俺に任せろ。これでも俺は清掃のプロだからな」
「あの部屋に住んでて?」
わっせ、わっせ
掃除している内、馬房の方から「ダン!ダン!」という硬い物を叩く音が響く。
振り向くと、アンちゃんが犬かきの要領で地面を叩いていた。
「あれっておねだりらしいよ」
「へー」
匂いか、それとも人参を切る音に気付いたのか。
既に人参争奪戦のアピールは始まっているのだ。
「それではこちらのバケツをどうぞ」
バケツには細切りにされた人参。野菜スティックの親玉みたいだ。
「そういえば馬といえば人参ですけど、どうして馬は人参が好きなんでしょう」
「馬は甘い物が好きなんです。りんごとかバナナも好きですよ。それからシャキシャキとした食感も好きです。逆にねっとりとした食感は苦手な事があって、例えば柔らかい桃は食べる子と食べない子がいます」
「なるほど……地元が山形なので、季節になったらりんごをお送りします」
※本当に送られても大丈夫か聞いた所、すぐ腐らないもので常識的な量だったら受け取れるとの事でした
うーちゃんも人参を察知したのか顔を出してくれた。念願のふれあいタイムだ。
「お先に失礼」
うーちゃんに人参スティックを差し出すと
消えた
「持ってかれる!指ごと持ってかれる!」
「どういう事?」
ボリ、ボリと心地よい咀嚼音を立てながら凄まじい勢いで人参を吸い込んでいくうーちゃん。わんこそばもびっくりのペースだ。
「じゃあ俺はアミちゃんに」
シュンッ(人参を持ってる瞬間が残っていない)
「うわ!吸われる!吸われてく!」
スティック状の人参は、差し出すとげっ歯類のように先端からボリボリ齧ってくのだと想像していた。
実際には奥歯で噛み締めるので、馬にとって一口サイズの人参は一息に頬張ってもぐもぐするのだ。
そりゃそうかという話ではあるが、それ故人参は一瞬で吸い込まれていくし、ついでに指まで唇ではみはみされてしまう。
ふにふにしっとりの感触で、それはそれで気持ちいいのだけど、人参を噛み砕く勢いでうっかり噛まれたら多分俺の一部もおやつになるだろう。お腹壊すよ。美味そうなのは名前だけだからね俺。
そして咀嚼するそばから「はやく!つぎのにんじんをはやく!」というアピールが凄いので、つられて矢継ぎ早に人参を差し出してしまう。
かわいい。かわいいんだけど。
牧場の餌付けってもっとこうまったりとした空気が流れるものじゃないのか……!
「俺もうーちゃんにあげよ」
「バンッ!バンッ!バンッ!(おねだりの音)」
「ひいい!圧が!隣からおねだりの圧が!」
「アミちゃんは俺に任せろ!今のうちだ!」
「応!」
最終決戦のお膳立てみたいなやり取りを経てバトンタッチ。
うーちゃんは年齢的にはおばあちゃんだ。
それでも硬い人参をしっかりと噛み締めながら、差し出される側からどんどん受け取り、際限なく次をおねだりする。とても健啖家だ。元気によく食べる姿はそれだけで我々を安心させてくれる。
そして馬の食事風景は小気味よい咀嚼音も相まって癒やし効果が高い。最近YouTubeのおすすめ動画が、馬が何か食べてる動画で埋め尽くされ始めた。
――――
人参を一瞬で食い尽くされて餌付けが終了したので、お手隙のタイミングでマーサファームの皆のお話を伺った。
「お互い仲良しの子達っているんですか?」
「やっぱりうーさんとアミちゃんは仲良しです。よく一緒にくっついてますね」
馬房の奥で寄り添う、うーちゃんとアミちゃん。
馬は元来群れで生きるそうだ。
人間にしか出来ないお世話も沢山あるが、きっと馬同士でしか満たせないものもある。
品種も違えば歳も離れてるけど、願わくばそんな2頭の友情はいつまでも不変であって欲しい。
「まぁ、人参が絡まなければですけど」
「あぁ……」
あぁ……って言っちゃった。
「うーさんが『にんじんは私のよ!!!』とグイグイ行くので小競り合いになるというか」
「なるほど……」
マーサファームに見学希望をする人の大半がうーちゃん目当てだろうから(我々含む)、隣のアミちゃんの人参ゲットは熾烈を極めるだろう。さっきの猛アピールも納得だ。頑張れアミちゃん。
「それから
ハヤテと
アンちゃんも馬房が隣でオス同士なので、放牧で一緒になると遊んでたりします。ただ、うーさんとアミちゃん程べったりではないですね。オスとメスの違いかもしれません」
「へー、馬でもそんな所で男女の性格の違いがあるんですね」
「性格と言えば、さっきのシャルマン君は人でも馬でも女の子が好きなんですよ!男性だと『触んな!』って感じなんですが女性だと紳士的で」
「えー?!人間でも女の人がいいとかあるんですね」
……ん?
じゃあさっきのアレはどういう?
喉元まで出掛かった言葉を飲み込んだ。
そろそろお暇の時間だ。
滞在時間は1時間半程だったが、マーサファームのゆったりとした時の流れは都市部の喧騒を忘れさせてくれた。
(反面、昨今の見学者急増で関係者の方々は忙しない日々を送っておられるのだろうなという申し訳なさもある)
最後に、うーちゃんと再び対面する。
「じゃあね、うーちゃん。元気でね」
シャルマン君に教えて貰った馬の撫で心地と温もりを思い出して、最後に一撫でしてあげたい所をぐっとこらえた。
スタッフの許可なく馬に触れるのはマナー違反だ。怪我をしたり、させない為にも絶対に守らなくてはいけないルール。
小さく手を振ってお別れした。
「体験メニュー代はこっちで精算してくれるって」
「はーい。俺払っとくね」
……事務所の外で財布の中を覗いていると、とん、と背中を小突かれた。
「ん?」
……ヒシアンデスだった。馬房が事務所から近いので、首を伸ばして鼻先で突いたのだろう。
「……あ!人参あげてない……!」
「……」
「ごめん……今度美味しいもの送るから……」
――――
帰りの特急わかしおを待つ間。
お土産のハルウララ缶バッチを見ながら、今日の取材に思いを馳せる。
……記事としてのバリューを上げるなら、もっと「ハルウララ」を中心に、他の馬には目もくれず取材をしたほうが良かったのかもしれない。
だが、マーサファームの「うーちゃん」は皆に愛されていながらも「マーサファームの一員」だ。
支援者に支えられているアンデス君やハヤテさん、マーサファームがオーナーの馬やポニー、ヤギや犬達と一緒に、「特別すぎない日々」を送っている。
日本中にブームが起きて、「特別な馬」になったからこそ悲喜交交に巻き込まれたハルウララ。だからこそ、ちいさな牧場の一頭として余生を送れる事が、「うーちゃん」の何事にも代え難い幸せであって欲しい。
御宿駅のホーム。
靴に染み付いた牧場の残り香が鼻腔をくすぐった。