昭和58年1月27日。
東京都練馬区でボクは生まれた。
ソファの隙間に頭がハマって身動きがとれなくなる災難を乗り越え、
気丈な母親に大きな愛情を注がれて、
強く、明るく、たくましく育っていった。
そして、小学三年生。
どういうわけだが知らないが
ボクはすっかりジジイの顔になっていた。
今ここに、そんなジジイの作文ファイルがある。
ジジイの日記や感想文がファイリングされたものだ。
このように、ほぼすべての作文には三重丸か四重丸がつけられているのだが、ひとつだけ花丸のつけられた作文がある。
タイトルは「しっこをしってすっきりしたこと」。
すっごくがまんしてたので、
すっきりしてきもちくて「ほっ。」とした。
トイレを出たら、お母さんがおどかして、
「ずいぶんながかったね。」といった。ぼくも、「ながかった。」といった。
タイトルの「しっこをしって」は、
「しっこをして」と言いたかったのだろう。
それにしても、ただ放尿するだけの作文になぜ先生は花丸をつけたのか。
そしてもうひとつ気になる点がある。
ひとこと、「詩」と書かれている。
先生の当時の心情を想像してみた。
この一文字にはおそらくこんな意味が込められている。
「作文の域をこえている。もはやこれは “詩” だ」
ふざけ半分で書いたしっこの作文に思いもよらぬ高評価。
ジジイは小躍りしたに違いない。
そして味をしめたのか、次の作文でジジイはこんなことを書いている。
トイレに、入ろうとしたら、なんと、お父さんが、入っていて、ぼくは、5分ぐらい、すわってまっていた。
すごくがまんしたので、もらしそうになったら、水をながす音が、きこえたから、お父さんが、出てきた。
トイレに、入って、うんちを、したら、げりが出た。
きたなかった。
くさかった。
トイレットペーパーで、おしりの、あなをふいて、手を、あらって出て、朝ごはんを、たべた。
読点を過剰に使用している。ジジイなりに「詩情」を出そうとしたのだろう。
しかし、先生の評価は四重丸。花丸はもらえなかった。
原稿用紙の余白には、本人が書いたと思われる「詩」の文字を確認することができる。
ジジイはひょっとすると、花丸よりも「詩」の一文字が欲しかったのかもしれない。
先生はなぜうんちの作文に花丸をくれなかったのか。
読点が多すぎるから……?
しっこの時のような詩情が感じられなかったから……?
それとも、ここぞとばかりにうんちの作文を書いたジジイの浅ましい根性が気に食わなかったから……?
その真相を確かめるべく、先生に聞いてみることにした。
まず、当時通っていた小学校に電話した。
20年も経っているので当然といえば当然だが、先生はいなかった。他の学校に異動したらしい。
電話に出た職員が「あなたの電話番号を先生に伝えてあげましょうか?」と言ってくれたので、お願いして電話を切った。
それから数十分後、見知らぬ番号から電話がかかってきた。
タイミング的に先生からの着信だろう。
先生はボクのことを覚えているだろうか。
すこし緊張しながら電話に出ると、温かいトーンの女性の声がきこえてきた。
もしもし。石井です。 |
ボクが名を名乗ると「いっちゃん、お久しぶりです」と当時のあだ名で呼んでくれた。
「すごい。よく覚えてますね」と感心してしまった。
仕事のこと、結婚してないこと、オモコロで記事を書いてること――。
近況を報告すると、先生は「元気そうでなにより」と言って笑った。
そして本題へ。
「うんちやしっこの作文を覚えていますか?」
確認したところ、なんと覚えているそうだ。
先生にとって衝撃的な作文だったらしく、読んだときはえらい笑ったのだとか。
しかし、なぜうんちに花丸をつけなかったかは思い出せないとのこと。
思い出してもらうために、ボクは電話口でうんちの作文を読み上げた。
朗読ありがとう。
でもやっぱり思い出せない! ごめんなさいね……。 |
謝らせてしまった……。
ボクのほうこそすいません。こんなしょーもない話しかできなくて……。
昔の私は厳しすぎたのかも。
だって今の私なら花丸あげちゃうもん。 |
と先生がフォローしてくれたので、
「じゃあ先生、いま改めてうんちの作文を書いたら読んでくれますか?」
とダメ元で頼んでみたら、答えはOKだった。
会うのは難しいが、手紙でのやりとりなら大歓迎とのこと。
住所を教えてもらい、すぐに送ると約束した。
楽しみに待ってます。
元気そうでよかった。お仕事がんばってね。 |
お礼を言って電話を切り、
ボクは原稿用紙を買いに近所の百均まで走った。
先生との約束どおり、うんちの作文を書き上げた。
詩情豊かな作文を書けば、きっと先生は花丸をくれるだろう。
そんな思いを込めて書いた作文がコレだ。
タイトルは「無人島へ」。
うんちが飛び出て、一等賞。アルカイックスマイルで。
アイドルだって、あめんぼだって、みんなうんちをするものさ。
ピュッ、ピュッ、ピョー。
人はみな、うんち。生まれた時からみな、うんち。
だからぼくは旅に出よう。あてどもなく、誰も知らない無人島へ。
うんちをしよう。無人島の、だだっ広い砂浜に。
SOSのうんち文字ができるまで、ここにうんちをしていこう。
ここにうんちをし続けよう。ピュッ、ピュピュッ、ピョー。
果てして、先生はこの作文をどう評価するのか――。
返信用封筒と一緒に作文を封入し、ポストに投函した。
後日、先生から返信があった。
先生の評価やいかに…。ドキドキしながら開封する。
「は、花丸だ―――――っ!!!」
…と喜んだのも束の間。
今回は甘めに採点しました。
いい加減大人になりましょうね。
……はい、すいません。
最後はピシャリとお叱りの言葉。さすが教育者と言わざるを得ない。
完全にお情けの花丸だが、何はともあれ、うんちの作文で花丸をもらうことができた。
20年ぶりの挑戦でリベンジに成功したのである!
おい、ジジイ! 喜べっ!!
お前の代わりに花丸とってやったぞっ!!!
シケた面しやがって! なんとか言えよ! バカッ!!
(おわり)