憧れは近づくと姿を変えるという。
学生最後の夏休み。なんとなくのリビングでポツンとテレビを見ていた。
再放送で、オダギリジョーがバーテンをするドラマが流れていた。
「これだ」
その日の夜、バーの面接に行った。
シェイカーをカッコよく扱うのに憧れるが、いきなり振らせてもらえるわけでもない。僕はシェイカーを使わないカクテルや、ビールとかを担当しつつ、お酒のレシピを勉強していた。
落ち着いた雰囲気で働ける事が新鮮で嬉しかったが、1つデメリットがあった。
店長にオリジナルカクテルのセンスが無いことだ。
具体例を出すと、マッコリにブルーハワイのシロップ入れて「どうだ。新作、スカイハイマッコリだ」とか言ってくる人だった。
2ヶ月ほど経ったある日、「昨日、アイデアの神が降りてきたんだよ」と言われた。
嫌な予感はそのまま具現化し、目の前に「エリンギトニック」というキモいカクテルが置かれた。
ウォッカトニックに焼いたエリンギを落とした、シンプルなカクテルだ。
「これはジントニックよりウォッカトニックのが合うんだよ」
どこをこだわってるんだ。
「ウォッカトニックが580円だから、これは780円かな」
マジかよ。
「今日から出すから、マキヤ、店開く前にエリンギ10本買ってきてくれ」
発注は需要と供給のバランスを考えて行うべきなのだ。
エリンギ1本丸々は大きすぎたので、横に切って半分を入れる事に決まった。下の部分に当たった人はエリンギなのかすらよくわからんものが入ることになる。
怖いもの見たさみたいな気持ちからだろうか、エリトニのオーダーは稀に入った。
先輩が別のカクテルをカッコよくシェイクしている横で、僕は串に刺したエリンギをコンロでチリチリと焼いていた。俺はこんな事がしたくてバーで働いてるんじゃない。
もしかしたら今でなら、インスタグラマーとかに若干の需要があったかもしれないが、当時このカクテルは”早すぎた”。
そしてある日、月に1度のオーナーが奥様と飲みに来る日がやってきた。この日は接客を普段の3倍丁寧にやらないといけない。店長も入念に在庫を確認する。
「やべえな、エリンギ切らしそうだ」
全然ヤバくない。フードメニューにも使ってない食材なんだから。
近くのスーパーまで買いに行かされ戻ったら、「なんだこれは」「食べ物で遊ぶな」みたいに怒られてる店長がいた。エリンギはみんなで焼いて食べた。
「本当にお客様が求めるようなの、作らなきゃな……」
怒られた店長は少し寂しそうな顔で、メニューからエリトニを消した。
オリジナルのカクテルがある必要性はそんなに無いのだが、店長はこだわっていた。内装はオーナーの趣味だから、カクテルが個性が出せる場なのだろうか。
閉店後もずっと色々なお酒の調合をしている店長を見て、良いカクテルが出来て欲しいと願った。
数日後
彼は新作、ブナピーミルクを完成させた。