2025年5月5日。

Skype、サ終。

 

Skypeの終焉

「Skype(スカイプ)」というサービスを見たことも聞いたこともない、という人は恐らく少数派だろう。

Skypeとは、インターネット経由での通話やチャットを基本無料で行えたサービスだ。

2025年の今日では至極ありふれたもののように思えるが、Skypeのローンチは2004年にさかのぼる。

日本ではauが「着うたフル」をリリースしていたような時代に、Skypeは既にインターネットを使った無料通話を実現させていたのだ。のちにZoomやLINEといった企業が続く市場を切り開いた、その分野のパイオニアと言えるだろう。

その後、2010年前後に最盛期を迎えるが、徐々に衰退。

この5月に、ついにサービス終了し、Microsoft Teamsに引き継がれることになった。

いまSkypeを開いてみたら「Teamsに行け」と言われた。悲しい

このあたりのサービスの盛衰についてもいろいろと興味深い話があるのだが、この記事では立ち入らない。

気になる人はぜひGoogleやYouTubeで調べてみてほしい。わかりやすくまとめた記事や動画がヒットするはずだ。

 

はじまりの地、エストニアへ

筆者自身、近年はLINEやZoomばかりを使っていて、Skypeアプリを開くことすらしていなかった。

だが、Skypeにはたくさんの思い出がある。サ終の知らせには、思いのほか胸が痛んだ。

そして気付いたら……

エストニアにいた。

 

ここは、Skypeが生まれた国なのだ。

 

 

エストニアは、東にロシア、北にフィンランドがある、いわゆる「バルト三国」の一国である。

日本からはフィンランドのヘルシンキまで飛行機で12時間ほど飛び、さらにフェリーで2時間かけてバルト海を渡ることで辿り着ける。遠かった。

これは首都・タリンの旧市街の街並みだ。ここには13~16世紀の建物が数多く残されており、街全体が世界遺産に登録されている。

どちらを向いても絵になる町並みは、一見の価値がある。海外旅行に行くなら、ぜひおすすめしたい。

ちなみに上の写真は宣材写真みたいだが、筆者が撮影したものだ。被写体が良すぎて素人が適当に撮ってもバキバキに映える。

そんな古い街並みとは対照的に、エストニアはIT大国としても知られる。

人口わずか130万人(さいたま市と同じくらい)、面積も4.5万平方キロメートル(北海道の半分くらい)という小国ながら、数々のスタートアップ企業がこの国から生まれた。背景にはオンラインでなんでも完結しちゃう行政や、税制の優遇、みたいな話があるようなのだが、まあとにかく、この国でSkypeも誕生したというのだ。

そんなエストニアの首都、タリンへやってきた。

この日は、奇しくもSkypeサ終の2日後である2025年5月7日。

 

せっかく日本から約8,000kmも離れた場所まで来たのだ。

今日はこの国で、Skypeにまつわる場所を訪れ、その終焉を偲ぼうと思う。

 

 

というわけで、まずは2003年、企業としてのSkypeが産声を上げた場所に行ってみたいと思う。

こういうときに役立つのは、やはりWikipediaだ。

Wikipediaより引用。Skypeを開発したSkypeテクノロジーのページをGoogle翻訳で日本語にしたもの

へえ……創業者はエストニア人じゃなくて、スウェーデン人とデンマーク人の二人なんだ。そんで技術者がエストニア人だったんだ……。

それで最初の本社の場所は……

ん?

 

最初の本社、ルクセンブルクじゃねーか。

 

 

ルクセンブルクはここ

 

あれ? もしかしてエストニアじゃなくてルクセンブルクに行かなきゃいけなかった? 来る国、盛大に間違えた?

でもいろんなサイトに「Skypeの発祥地はエストニア」って書いてあるし? 合ってるの? なんなの?

 

筆者が慌てている間、美しいタリンの街並みをお楽しみください。

 

とりあえず、あれだ。

Skypeがエストニアのどこで生まれたのか調べてみるか。日本を出る前に調べておけばよかった。

 

**********

 

その後、『The birth of Skype Story』(※筆者訳「Skype誕生秘話 」)という記事を発見し、いくつかのことがわかった。

■Skypeサービス開始前の2002年、旧市街のステンボックハウス裏にタリンオフィスがあった。ここがSkypeが産声を上げた場所の可能性大。

■同じく旧市街にヴァッリ・バーというバーがあり、その頃のSkype社員がよく来ていたらしい。

■最近まで(現在でも?)タリン郊外に、Skypeの大きなオフィスがあった。Googleストリートビューでも、Skypeのロゴを冠したビルが確認できる。

 

このあたりが、現在訪問可能なSkypeゆかりの場所のようだ。

早速、この3か所を訪問して、Skypeの名残を探したいと思う。

 

 

タリン旧オフィスを探せ

まずやってきたのは、ステンボックハウスだ。

建物の全景がわからない写真で申し訳ないが、狭い路地に面しており、これ以上引けなかった。

ここは、エストニアの首相官邸である。

裏手に回れば、大きな建物が崖の上に造成されていることがわかる。

先ほどの記事によれば、Skypeのタリンオフィスはこの「ステンボックハウスの裏(behind Stenbock House)」にあったとされている。

文字通りの「裏」は今の写真でお見せした通り崖っぷちなので、おそらく隣近所にあったということだろう。

近所を徘徊してみるが、細い路地に沿ってお洒落な建築が続いているだけで、オフィス然とした建物は見当たらない。というか、看板の類もなく、これらの建物がオフィスなのかアパートなのかも判然としない。「Skype」の文字も見つけられなかった。

しかたないので、地元の人に聞いてみることにした。

すぐ近くには観光名所になっている展望台があり、その周りにはお土産屋が軒を連ねている。

そのうちの一軒に足を踏み入れてみた。

なぜかお土産屋の入り口の前では、ふてぶてしい顔の謎の動物と、しょんぼりした女の子の人形が置かれていた。どういうコンセプト?

適当な土産物を買ったうえで、店員さんに話を聞いてみる。

(筆者)つかぬ事を伺いますが、Skypeって知ってますよね?

もちろん知ってるよ!

ネット記事で、「2002年頃にステンボックハウスの裏にSkypeのオフィスがあった」って見たんですが、何か知ってますか?

うーん……さすがにそんな昔のことはわからないな。

同僚の方で、知ってる人はいないですかね?

いないと思うなあ。

ですよね……。ありがとうございます。

 

知らないのも無理はない、応対してくれた店員さんは20代前半ぐらいに見えた。

Skypeオフィスがここにあったとされるのは、今から23年前だ。彼は生まれてすらいない可能性がある。

見回してみると、他のお土産屋の店員さんも若者ばかりだった。これでは情報は得られなさそうだ。

情報が得られずしょんぼり

仕方なく、一度ステンボックハウスを離れて街の中心地に戻ってきた。

やってきたのは、観光案内所だ。

おそらく誰よりも街に詳しい人物がここにはいるはずだ。カウンターで待機しているスタッフは中年の女性に、さっそく話を聞いてみた。

変なことを聞くんですが、かくかくしかじかでSkypeの昔のオフィスを探していまして。

うーん、そのエリアにオフィスがあったかは知らないわね。でも、ちょっと調べてみるわ。

 

残念ながら、当時のオフィスの場所まではわからないようだ。

しかしありがたいことに、その場でPCで検索を始めてくれた。筆者自身も日本語と英語で検索はしていたのだが、エストニア語での検索は思うようにできていない。

ローカルの人が調べることで、新たな情報にアクセスできるかもしれない。……が、

 

うーん、残念ながらわからないわ。郊外のアカデミア通りにはオフィスがあったみたいだけど。

(それはストリートビューで見た最近のオフィスの方だな……)わかりました、ありがとうございました!

 

またしても情報は得られず(なんでこの人形が街じゅうにあるんだよ)

 

こうなるともう、推理をしてみるしかなさそうだ。

おそらく「タリンオフィス」と言っても、Skypeローンチ前の2002年には、そう大きなオフィスを構えていたわけでもないのだろう。

有名な話ではあのAmazonもGoogleも、最初は一軒家のガレージから始まったという。Skypeもアパートの一室から始まっていたとしてもおかしくはない。

というわけで、もう一度ステンボックハウスに戻ってみる。

「ステンボックハウスの裏」と言ってもよさそうな建物は、このピンクの建物か、黄色の建物に絞られるように思う。

このどちらかのアパートの一室にて、23年前にSkypeは誕生したのだろうか。

 

**********

 

アパートの一室と言えば、筆者はどうしても思い出してしまう光景がある。

2011年。

大学進学を機に地元を離れて上京した筆者は、同じように狭い路地に面した小さなアパートの一室で暮らし始めた。

生まれ育った地を離れての、初めての一人暮らし。その寂しさを埋めてくれたのが、Skypeだった。

無料の通話は、地元に残してきた友人たちとの170kmの距離を瞬時に埋めてくれた。

のちに大学のサークルでできた友人たちとは、毎日のように深夜までSkypeのチャットで語り合っていた。

「Skype」という言葉と、上京後初めて住んだ狭いアパートの一室は、筆者の中で今もまだ密接に結びついている。

 

ときには、友人たちは実際に筆者の暮らすアパートへやってきて、安酒を酌み交わしながらキャッキャと騒ぎ合っていた。(当時のご近所さんには本当に申し訳ない)

Skypeの創業メンバーも、23年前は主に20代の若者たちだった。

比べて語るのはめちゃくちゃおこがましいが、彼らもこのあたりの狭いアパートの一室で、同じようにキャッキャと騒ぎ合っていたときがあったのかもしれない。

 

いずれにせよ、この入り組んだ狭い路地の中から、のちに月間ユーザー数3億人を超える巨大サービスの産声が上がったのだ。

 

 

ヴァッリ・バーで悪名高いカクテルを

先述の記事で、Skypeローンチ前のゆかりの地としてもう一つ名前が挙がっていたのが「ヴァッリ・バー(Valli Baar)」だ。

記事によればSkypeの新入社員は必ずこのバーに連れていかれて、通過儀礼として不味いことで有名なカクテル「ミリマリカス(Millimallikas)」を飲まされていたらしい。

この店は、現在も営業中のようだ。さっそく、向かってみる。

旧市街の南側、大きな映画館がある大きな広場に面して、そのバーは店を構えていた。

 

看板を信じれば、1991年開店。Skypeメンバーが通っていたという2002年当時に現存したことは確実と言っていいだろう。

店内の写真撮影は禁止だったため、ここからは文章のみでお伝えしていく。

 

店内はU字型のバーカウンターがあるのみで、カウンター内から老夫婦が「やあ」と声をかけてくれた。

昼過ぎに訪れたにもかかわらず、店内では数組の男女が杯を傾けており、突如入ってきたアジア人2人組(筆者と、筆者の妻)に好奇の視線を向けてきた。

飛び交う言語は、おそらくエストニア語。観光客向けではない、地元の人々が日常的に使う店なのだろう。

 

店主と思しき老年のバーテンダー「ミリマリカスはありますか?」と聞くと、にやりと笑って、すぐにその悪名高いカクテルを作り始めてくれた。

許可を得てこれだけ撮影。これがミリマリカスだ!

まさかのショットだ。これ何ですか?

ウォッカとテキーラに、タバスコを入れたものだよ。

思ってたよりヤバそう。

 

おそらくだが、ショットグラスの下部に沈んだ透明な部分がウォッカで、上半分で混ざり合っているのがテキーラとタバスコだろう。

さっそく、味見をしてみよう。

……といきたいところだが、筆者はアルコールを飲めないので、同行していた妻に飲んでもらった。

「こんなヤンチャなものを飲むのは大学生以来」と語る妻に「くれぐれも無理はしないよう」「味がわかればいいので舐めるだけでいい」と伝え、挑戦してもらった。

結果、ちょうど上半分だけを一息に飲み干した妻。味の感想を聞くと、「タバスコの味しかしなかった」とのこと。そりゃそう。

カウンターの隣に座っていた常連客らしき二人組からは、「一息に飲まないとそんなもの飲めないよ」と苦笑された。彼ら常連客のなかでも、「ミリマリカスはヤバい」というのは共通認識のようだ。

このタイミングでちょうど店主が手持ち無沙汰にしていたので、思い切ってSkypeのことを聞いてみた。

実はSkypeがサービス終了すると知ってこの店に来たんですが、Skypeはご存知ですよね?

もちろん知っているよ。

Skype社員がよくここに来ていたっていうのは本当ですか……?

ああ、本当だよ。

ええ、すごい! ちなみに20年前のSkype社員が、新人にミリマリカスを飲ませていたっていうのは?

それも本当さ。実際に、このカウンターでね。

 

なんと、ここに来てついに創業時のSkypeの足取りを捕らえることができた。

店主は実際に、Skype社員たちにここで酒を出していたというのだ。あの記事の信憑性が一気に上がった。

あらためて見回してみると、年季の入った店内の見え方が少し変わったように思う。もしかしたら、ここで初期のSkypeにまつわる重要なアイデアが生まれた、なんてこともあったのかもしれない。

それにしても当時のSkype社員、元気な大学生みたいな「儀式」をしてたんだな……。

 

**********

 

2012年。

大学2年生になった筆者には、後輩ができていた。

筆者と、同期の友人たちの間には、「毎日のように深夜までSkypeでチャットをしたことで仲良くなれた」という成功体験があった。

後輩がいれば、ついアドバイスをしたくなってしまうのが先輩という生き物だ。我々は訳知り顔で「みんなも同期でSkypeやったらいいと思うよ」などと後輩たちに伝えていた。

しかし、当の後輩たちの反応は鈍かった。前年末にはiPhone4Sがリリースされていたようなタイミングだ。世間では、スマートフォンの普及がものすごいスピードで進んでいた。

それと同時に頭角を現したのが、LINEだ。

結局後輩たちは、普及率も高く、スマートフォンでも使いやすいLINEを使い始めた。

もしかしたら当時の後輩たちから見れば、Skypeを執拗に勧めてくる筆者たちは、ミリマリカスを新入社員に勧めていたSkype社員たちのように見えていたかもしれない。

さすがに妻に悪いと思って、出がけにミリマリカスを一口だけ舐めてみた。

辛いタバスコの味と強いアルコールの香りが口の中に広がる。

このバーでこの辛いカクテルを飲ませ合っていたSkype創業期の社員たちは、自身の生み出したSkypeが23年後に「サービス終了」というスパイシーな展開を迎えることを想像できていただろうか。

いや、もしかしたら、「23年も続くなんて、思ったよりホットなサービスになったな」と喜んでいるかもしれない。

 

アカデミア通り Skypeオフィス跡地へ

 

Skypeを巡る「追悼」の旅も、次が最後の目的地になる。

 

Googleマップでタリン市内で「Skype」と検索すると、1か所だけヒットする場所がある。(2025年5月現在)

「Skype Technologies Oü」として登録されている、タリン郊外のオフィスビルだ。

調べたところ「Oü」はエストニア語で「株式会社」とのこと。つまり、Skypeのオフィスのようだ。

ストリートビューで事前に確認してみたところ……

Microsoftのオフィスのようだった。

実際、Skypeは2011年にMicrosoftに買収されており、そのためサービス終了後はMicrosoft Teamsが後継となっているのだ。

ちなみにストリートビューで建物の裏手に回ってみると、そこにはなんとSkypeのロゴが!

ストリートビューの撮影日は2014年の7月だった。11年も経てば、さすがにもうロゴは残ってはいないかもしれない……。

しかし、ここに行ってみれば何かSkypeの残滓を感じることができる可能性もある。なんといっても、筆者が訪れた2日前まではSkypeはサービスを継続していたのだから。

 

旧市街からオフィスまでは、車で15分ほど。

ここは、配車アプリの「Bolt」を使ってみることにした。

日本ではあまり聞き馴染みのないアプリだが、早い話がUberみたいなサービスだ。いや、Uberも日本では「Eats」の方しか馴染みがないので、タクシーアプリGOみたいなサービス、と言った方がわかりやすいだろうか。

初めて使ったが、車に乗る前にアプリ上で目的地の指定と決済の予約ができて便利だった。

海外旅行にありがちな「言葉の壁で目的地が正しく伝わらない」や「運賃をぼったくられる」という心配を一切しなくてよいのが助かる(エストニアは治安がいいのでその心配はあまりなさそうだが)

なぜBoltについて長々と説明したかと言うと、Boltもエストニア発の企業だからだ。2013年にエストニア人の高校生が起業したBoltは、今では世界50か国で使われる巨大サービスに発展している。

15分ほどのドライブの末に、郊外のアカデミア通りまでやってきた。

都心から少し離れただけなのに、かなり殺風景な場所だ。広大な土地に、簡素なデザインの団地が並ぶだけの景色が続く。

道端には、Boltの電動キックボードがいくつも放置されていた。

東京では何かと物議を醸している電動キックボードだが、ここタリンでは市民の生活に馴染んでいるようで、あちこちでこの車体を見つけた。だって……

道が広くて見通しがいいから……。

これだけ道が広くて見通しがいいなら、筆者も電動キックボードに乗ってみようという気になる。東京でも電動キックボードをより普及させるためには、まずは道を広くして、見通しをよくしてみるのがいいと思う。

 

さて、話がそれてしまったが、車を降りてすぐのところに、そのオフィスはあった。

Microsoftのビルだ!

ストリートビューで見たそのまま、といった趣である。

おそらく二日前までは、ここでSkypeの運営が何かしら行われていたはずだ。

すでに19時を過ぎているためか、建物に人気はない。結構ホワイトなのかもしれない。

ストリートビューで見た限りでは、この奥、建物の裏手に回ったところにSkypeのロゴがあるはずだ。

せっかくここまで来たので、それだけでも見て帰りたい。だが、果たしてまだあるのか……?

 

裏へと回る。

 

なんだか、緊張してきた……。

 

頼む!

 

何かしら、残っててくれ………!!

 

 

 

…………あっ

 

 

 

無い!!!!!!!

 

「Skype」のロゴ、跡形もなくなっている……!!

 

 

…………いや

 

「跡形もない」わけではなかった。

よく見たら、取り外された跡がある。悲しい。

 

一昨日のサ終とともに片付けられてしまったのだろうか。だとしたら、いくらなんでも仕事が早すぎる。

いや、ストリートビューで見えていたのは2014年の光景だ。もしかしたら、もっと早く取り外されていたのかもしれない。

 

……ん?

 

あれは……

 

 

 

あったーーーーー!!!!!!!!!!

Skypeだーーーーーー!!!!!!!!!!!!

 

「Skype」と記念撮影。

建物に入るためのドアに、Skypeのロゴがまだしっかりとプリントされていた。

これが残っているということは、やはり二日前まではここはSkypeのオフィスだったのだ。

「ここに確かにSkypeがあった」という紛れもない証拠を目にすることができた。嬉しい。

 

**********

 

ちなみに、これだけ言っておきながら筆者もこの10年はほとんどSkypeを使っていなかった。

大学の後輩たちがLINEを使い始めてすぐ、自分たちもLINEを使い始めた。

コロナ禍には、SkypeではなくZoomを使ってリモート飲み会をしていた。

 

それでも……。

それでも、Skypeがあったから、初めての一人暮らしの寂しさを乗り越えられたのは間違いない。

今日の便利な技術も、Skypeがその道を切り開いたからあるはずだ。

 

ありがとう、Skype。

 

そして

 

さようなら、Skype。

 

それでは最後に、全員で懐かしいSkypeの着信音を歌って、Skypeとお別れしましょう。

音源は勝手に載せてよさそうな感じのやつが無かったので、各自検索して流してください。

 

では、行きます。

 

 

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(おわり)