2024年12月8日(日) 再挑戦編
「ハヤカワさんの物干竿」を初めて観てから、実に1か月半が経ちました。
あの頃は、ただ何も考えず真剣に観ていただけでした。
今は、さまざまなストーリー展開が体に染みわたり、長谷川町子さんの志が内面化され、カツオの行動原理が頭に叩き込まれている。
今なら、わかる気がする。
「ハヤカワさんの物干竿」とは、一体どういう話だったのか。
観ていきましょう!
くりかえしですが無音なので、台詞もそれに基づく展開もすべて推測です。
観たという方、多分いろいろツッコミどころがあると思いますが、僕のひとり相撲をひきつづき温かく見守ってください。
「サザエでございまァ~す!」(内なる呼び声)
アバンタイトル
「カツオ!またアンタね!Yのやつをどこに隠したか言いなさい!」
ここは良いでしょう。
前回考察した通り、というか見たまんまサザエのうっかり系4コマです。
今改めて考えると、4コマから抜き出したエピソードは当然漫画が元ネタなので、視覚的にもわかりやすい話が多いんですよね。
『サザエさん』の漫画は、言葉はあくまで最小限、説明しすぎずに絵でわからせる系も結構多いんです。
さすが、黎明期の漫画家ですよね。
タイトル
ハヤカワさんの物干竿
前回は飛ばしましたが、タイトルも重要な情報。
カツオが長い物干竿を持って立ち、隣にハヤカワさんがいます。
改めてよく眺めると、カツオの顔つきが凛々しいんです。ガッツポーズも取っている。
隣のハヤカワさんは、両手の平を合わせて拝みながら、カツオの方を見ています。
ただの笑顔というよりも、何かを期待しているような表情です。
背景には集中線があり、竿の字に竹の絵があしらわれている。
この一枚絵に、カツオの今回の行動原理が凝縮されているニオイがします。
カツオに何かを期待している
ハヤカワさんに何かを期待されて奮起している
カツオは既に手に物干竿も持っているので、カツオはハヤカワさんに「物干竿に関する何かを期待されている」と考えるのが自然です。
普通に考えたら、物干竿を使って欲しいということなのでしょうが、それだと家族からの非協力的な姿勢の説明がつかない。
特にタラちゃんすらも不満な顔をする理由との関連がない。
それに次のシーンで・・・
シーン1:物干竿を持って帰ってきたカツオ
カツオ1人じゃなくて中島もいる理由が気になるんですよね。
しかも「もう1本の竿は中島の家に運ぶ」と思われるカットまでわざわざ入れている。
中島が今回登場した理由は、常識人枠だと思います。
基本的に準レギュラーの中でも異物度が低い中島は、カツオと対比させることでカツオ独自のこだわりを目立たせるための役ではないかと。
つまり、この後の行動(物干竿の用途)が中島とカツオとで異なるのではないか?と考えられます。
映像では中島の行動がわからなかったので、言葉で説明しているはず。
言葉で説明しているとしたら、ここ、シーン1で言っているのではないか。
でも、物干竿にほかの用途なんてないよな・・・。
どうすれば中島とカツオの行動を別々にできるか・・・。
・・・・・
・・・
もしかして、
これ、物干竿じゃないのでは?
この竿、劇中ではそもそも物干竿じゃなくて「ただの竹」と認識されているのではないでしょうか。
ハヤカワ家の庭に生えている竹を2人がそれぞれ譲り受けて、
・カツオは物干竿にするつもり
・中島は竹馬にするつもり
これなら対比になります。
「竹なんかもらってきて、何に使うのよ」(こういう失礼なことを全然言う)
「うちは、おじいちゃんに竹馬を作ってもらおうと思って」
「うちは、物干竿にしようよ!姉さん、すぐなくしたり壊したりするでしょ」(アバンタイトルの4コマが軽い伏線になっている)
こういうことです。
不満顔で何かを訴えるタラちゃん
竹を眺めてゴキゲンのタラちゃん
タラちゃんが不機嫌になったりゴキゲンになったりする理由は、この竹を竹馬にしてほしいからです。
カツオが物干竿にすると言ったら自分の遊び道具にならないので不機嫌になり、竹馬にするという話を中島から聞いたらゴキゲンになるんです。
シーン2:庭に物干竿を設置したカツオ
カツオはもらった竹を物干竿として使うと宣言済なので、当然そのまま、庭にもらった竹を設置します。
しかしカツオ以外にそのこだわりは伝わっていないので、
「うちにはもう物干竿あるじゃない!」
と言われています。
では、なぜカツオは物干竿にこだわるのか?
これこそが今回のストーリー展開の肝でしょう。
僕の仮説は「カツオの勘違い」です。
おそらく今の時点では、
「ハヤカワさんはこの竹を物干竿として使って欲しがっている」
とカツオは思っており、
直後のカットでカツオがサザエに反論する時にもおそらく、
「ハヤカワさんは僕に“物干竿として使ってね”って言ったんだ!」
と主張しているのではないかと。
(中島の用途はカツオの眼中にないのでしょう。自分がハヤカワさんにどう思われたいか、なので)
じゃあ、カツオはどう勘違いしているのか。
要は実際には「ハヤカワさんは“物干竿として使って欲しい”とは言ってない」んです。
それがこの後明らかになるというのが、今回の展開だと僕は予想します。
シーン3:家族に物干竿をアピールするカツオ
「へェ~!スゴいねェ、カツオくゥ~ん!」
元々磯野家にあった物干竿を差し替えただけだとしたら何もスゴくないのに、一応ノッてくれるマスオ。
これは、このまんまでしょう。
マスオはこんな感じで本人のこだわりを肯定するタイプだと思いますし、その後の波平の反応との対比役も兼ねていると考えられます。
波平の部屋での流れは、
物干竿についてプレゼンしている
カツオには素っ気ない顔をして、フネには笑顔で何か言う
微笑む
2人の反応を見てしょんぼりする
という流れですが、おそらくこうです。
「お父さんも、竹はやっぱり物干竿が良いと思うでしょう?」
「物干竿はもうあるだろ(素っ気なし)」
「竹と言えば、なあ母さん、昔はよく竹馬に乗って遊んだものだなあ(笑顔)」
「そうですね(微笑む)」
しょんぼり
タラちゃんもワカメもサザエも、そして波平もフネも「竹は竹馬」派。
しかしハヤカワさんからは「物干竿として使って欲しい」と言われている(とカツオは思っている)。
これが、カツオが磯野家内で孤軍奮闘せざるを得ない構造です。
シーン4:登校中もしくは下校中
次のシーンは、中島とカツオの対比を補強するためでしょう。
カツオは「物干竿として使われる竹」を思い描き、一方の中島は「おじいちゃんに竹馬を作ってもらった」と話している。
ここで花沢さんが合流します。
今回の花沢さんは異物役ではなく、ハヤカワさんとカツオを直接コミュニケーションさせないための舞台装置だと思われます。
先述の通り、カツオは勘違いをしています。
ハヤカワさんは別に「物干竿として使って欲しい」とは言ってないのに、カツオは「物干竿として使うことがハヤカワさんの期待に応えること」だと勘違いしています。
しかし、早々にハヤカワさんが登場してしまうと、勘違いが発覚してしまう。
ハヤカワさんの登場はギリギリまで先延ばしさせたい。
そこで、花沢さんを介した間接的なやり取りをさせることで、勘違いの発覚を防いでいるのではないでしょうか?
これが、『ゴドーを待ちながら』方式を採用した真相だと僕は考えました。
では、このシーンで花沢さんは何と言っているのか?
「ハヤカワさん、『磯野くんが物干竿として使ってくれてうれしい』って言ってたわよ」
こうです。
ハヤカワさんとしては「(物干竿でもなんでも)竹を使ってくれてありがとう」という意味なんですが、カツオはこの台詞を過剰に額面通りに受け取り、
「やっぱりハヤカワさんはあの竹を物干竿にして欲しいんだ!」
となります。
伝言ゲームによって勘違いが生まれ、カツオの行動原理がここで決定的に強化されるということです。
シーン5:カツオ帰宅、庭にて
そして問題のシーンです。
「えぇっ!?(驚)」
物干竿が・・・物干竿が・・・
ある。
いや、あんのかい!
今まで推測したストーリーと地続きで考えたら、スッキリ理解できた気がします。
ここは、「物干竿が、ある!?」ではなく、
「何も干してないじゃないか!?(驚)」
です。
つまりカツオは、物干竿が家族に使われている姿を思い描いていたのに、いざ帰ってみたら実際には物干竿として使われていないので驚いたんです。
「わーいですー!(竹馬にしたいので)」
「ダメダメ!(物干竿として使いたいので)」
です。
サザエも「みんな竹馬にしたがっているから」という理由で、物干竿として竹を使っていない。
このままでは、磯野家ではあの竹が物干竿にならない。
ヘタすると竹馬にされてしまう!
カツオ、ピ~ンチ!
こうです。絶対こう。
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ここから先は、かいつまんでおさらいしましょう。
二度目の花沢さん。
初見時はやたら長々と喋る花沢さんが気になっていましたが、ハヤカワさんの状況の伝達役なので当然ですね。
おそらく「ハヤカワ家の竹は全部さばけてしまい、かつ物干竿として使っている人は磯野家くらいのものである」と伝えているのではないか。
繰り返しますが、カツオ目線では「ハヤカワさんは物干竿として使って欲しがっている」と思っているので、カツオは自分がハヤカワさんにとって最後の望みだと気づきます。
だからカツオは、驚いたような気づいたような表情をしている。
そして、自分の服を引っ張り出して干すカツオ。
これは「あの竹が物干竿として使われている状態」にするためです。
自分が最後の望みだということに気づき、ギアが上がったということ。
ギアが上がった結果自分の服を無理やり干すという、こだわり×行動力が凝縮されたカツオならではの展開。
電話のシーンは、カツオがハヤカワさんに「服を干したので見に来てほしい」と伝えたがっているためです。
ワカメに受話器を突き出しているのはミスリード。
「アレで”物干竿として使ってる”だなんておかしいわ!」
「いや、僕は電話するったらする!」(決意表明としての受話器突き出し)
つまり受話器をワカメに突き出しているのではなく、決意のガッツポーズを受話器持ちながらやった結果、突き出しているように見えているんですよ。
これは「無音サザエさん」ならではのひっかけポイントです、絶対。
しかし雨が降ってしまい、服はびしょ濡れ。
波平から「あの竹はノコギリで切って竹馬にする」と宣言されてしまいます。
やたら説教が長いのは、
「物干竿にしたいがために、乾いた服を無意味に干して、あげくのはてに雨で濡らすとは何事だ」
と、波平が脚本に言わされているからです。
カツオの「自分の中では一貫した行動」が、視聴者からすると謎すぎるので、波平に説教というテイで解説をさせている。
カツオはそれから数日間、毎日自分の服を引っ張り出して干し、物干竿としての用途を既成事実化しようと奮闘します。
それよりもちゃんと洗濯して本物の物干竿として使う方が遥かに良いはずなのですが、カツオの行動原理は「洗濯物を干したい」のではなく「ハヤカワさんからもらった竹が物干竿として使われている状態にしたい」だけですからね。
実にカツオらしく、また『サザエさん』らしい展開だと思います。
結局、カツオがちょっと油断している隙に、あの竹は竹馬にされてしまいました。
「あぁ~!もう何もかもおしまいだ~!!」
竹馬が完成し、ハヤカワさんも嬉しそうなシーン。
それもそのはず。
ハヤカワさんは「物干竿にして欲しい」なんて全然思ってないんですから。
その誤解を解消したのが、サザエの電話ということですね。
(カツオの主張が本当なのか確かめないまま竹をちょん切ることは流石にしないということ)
「竹馬も、実際乗ってみると結構カイテキだね」
「ハヤカワさんに期待されている」という行動原理から解放されたカツオからすれば、物干竿でも竹馬でもどっちでも良いというわけですね。
「カツオ~!靴忘れてるわよ~!」
おしまい。
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最後にタイトルについて考えます。
「アタシの商店街」同様、タイトルのネーミングそのものも今回非常に重要な情報だったと思います。
「ハヤカワさんの物干竿」、これがどういう意味か。
僕の予想では、あの竹は「ハヤカワさんの物干竿」ではなく実際は「ハヤカワさんの竹」でした。
物干竿にも使えるし、竹馬にもなる。でも今はまだ「ただの竹」。
しかしカツオだけは最初から「絶対に物干竿として使う」と言い張っていた。
これがストーリーの太い軸です。
つまり、
他の全員にとっては「ハヤカワさんの竹」だけど、
カツオにとっては「ハヤカワさんの物干竿」。
だからこのタイトルは、カツオの信念や思い込みも込めて、
「ハヤカワさんの物干竿」
なんです。
多分、タイトルコールそのものをカツオが言っていると思います。
視聴者目線だと最後にわかる伏線が、このタイトルに込められているのではないでしょうか?
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はい。
以上が、僕の「無音サザエさん」の最終解答です。
長かった。
長かった。
本当に長かった。
僕の歩みも長かったし、記事も長かった。
でも、これでやっとできます。
解答編。
「ハヤカワさんの物干竿」を、ついに、音を出して観れる。
ついに、ついに、ついに。
ついに。
リモコンを持つ手が震える。
何か見落としている気がする。
もう遊べない寂しさもある。
合ってるかどうかとかどうでもよくなってきたな。
このまま観ない人生もありだと思う。
でも、
進もう。
僕の好きなアニメは、『サザエさん』です。
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