はじめまして、ペンギンと申します。

 

子ども時代の、記憶の片隅にある「不思議な体験」って、誰しも1つはありますよね。

死んだはずのおばあちゃんと会ったことがある。自分が階段から落ちる瞬間を第三者視点で見ていたことがある。飼っているネコが喋る声を聴いたことがある。
今でもふとした瞬間、実家の匂いを嗅いだときとか、テレビで似たようなシーンを観たときとかに、ふと思い出すあの奇妙な記憶。

 

でも大人になると、そんな自分だけの超常現象も、すべて理屈で説明できてしまうことに気づきます。

階段から落ちた時の視点については、母から「あなたは3歳の時にあそこの階段からこんなふうに頭から転がり落ちてこうやってガラスを突き破ったのよ」と何度も何度もくり返し聞かされ続けたから、さもそれを自分の眼で目撃したと勘違いするようになっただけだった。

ネコについては、小さい頃『魔女の宅急便』が好きで、何度も何度もくり返し観ているうちに、自分自身の体験だと思い込むようになっただけだった。

 

基本的に、ネコはいくら待っても喋らないし、死んだばあちゃんは蘇らない。
だからこそ、子どもは「体験するはずのない事態」に戸惑い、その戸惑いをつたない論理で大人に語るから、大人は「かわいい子どもの主張」エピソードとして昇華させる。

『ハハハ、子どもの頃の記憶なんてアテにならないね~』

自分にとってかけがえのない宝物だったはずの不思議体験は「子どもならではのかわいい勘違い」という陳腐な引き出しに押し込まれ、整頓され、記憶の彼方に埋没していく。

 

でも、

 

 

近所のイトーヨーカドーに行くと、出る時には絶対『夜』になっていた。

 

5歳の頃、家族でイトーヨーカドーに車で訪れると、買い物を終えて駐車場に戻った時にはいつも、100%、確実に、空が真っ暗になっていたんです。
さっきまで青空だったのに。なぜ。

 

わかります。
それって不思議でも何でもないじゃん。そりゃなるでしょ、夜には。
そんな賢(さか)しい「大人」の声が聞こえる。
子どもの発想はかわいいなあ。

 

親にいくら「イトーヨーカドーが夜になる」ことを説明しても、彼らは「出たよ」という顔で笑いながら聞き流す。

しかし子どもは至って真剣なので、この「出たよ」顔をされると腹が立つ。
今、自分の主張は幼稚な考えとして処理されていることを敏感に感じ取る。

 

だから僕はどうにかして対抗しようとしました。
いつも夜になるという主張がおかしいことは、5歳の僕でも自覚できます。
「なぜ夜になるのか」という仮説をいくつか立てて、検証もしました。

もう一度、当時の試行錯誤をきちんと振り返りたいと思います。

小さい頃の自分を嗤いたくないから―――

 

イトーヨーカドーを思い出す

たしか、イトーヨーカドーにはいつも車で訪れていました。

キャンプ好きの父が「これなら山奥でもスイスイだぞ」と奮発して買って、すぐに脇をこすったために後部ドアの立て付けが悪くなってしまった哀れな4WD車に乗り込み、家を発って、快晴の空の下で10分もドライブすれば、あの青い鳩マークが姿を現します。

遠心力で幼い躯体がぐるぐる振り回されることに快感を覚えながら、イトーヨーカドーの立体駐車場の急斜面をスパイラル状に5階まで駆け上がっていきます。

 

駐車場の5階は薄暗く、柱の隙間から覗くキンキンに青い空の色と対比されることで、コンクリート張りの壁の不気味さが際立ちます。

今日は、夜になるだろうか。なってほしくない。怖い。

入場時点ではまだ昼であることをキッチリ目で確かめつつ、母に手を引かれながらいつも通りイトーヨーカドーへ入っていきます。

 

ひとたび入ってしまえば、ひとしきりイトーヨーカドーを楽しみます。

スーパーマーケットというにはちょっと大きめで、2フロアくらいの空間に食品・おもちゃ・本売り場などが立ち並んでいます。

 

おもちゃ売り場では、ガラスケースの中で、短い環状線路をトーマスが感情を殺してひたむきに走りつづける姿を眺め、1周に1回立ちはだかる急勾配を彼が登り切れるか、毎回ハラハラしながら見守ります。ちゃんと僕が応援しないと、トーマスは坂を登り切れないかもしれないので。

彼は何度も、モーターをビンビン鳴らしながら坂を登り、頂上で一瞬だけフッと息をつき、今度は下り坂をほとんど重力だけで雑にすべり降りて、また坂へ向かって迂回を始めました。

 

1階の食品売り場では、おもちゃみたいに小さなホットプレートであらびきウインナーを焼く香りが漂っています。
焼き上がったばかりのウインナーの上空では、突き刺されたつまようじがあちこちの方向に屹立している。
1つ拾い上げ、勧めてくれるおばさん店員。食べて良いらしい。
理由もわからずありがたく頂戴して、なぜか気まずそうにホットプレートから離れゆく父の背中を、小走りに追いかけるのでした。

 

イトーヨーカドーをくまなく漫遊しているうちに、いつしか疲れ果て、眠くなり、引きずられるようにして駐車場に戻ります。

でもまだ寝てはいけない。あれを、確かめなければ。

 

帰り際、駐車場の隙間から見える空は、吸い込まれるように真っ暗でした。
ほんのついさっきまで、突き抜けるような青空だったのに。

 

1回や2回の経験ではありませんでした。
イトーヨーカドーは、安いからなのか、便利だからなのか、あるいは子どもがトーマスの終わりなき周回を異常に喜ぶからなのかわかりませんが、ほとんど毎週訪れていました。
そしていつも帰る時には「夜」になっていました。

厳密に言うと、イトーヨーカドーに入ったらすぐ夜になる、ではなく、入った後の何かしらのタイミングで夜になります。
当たり前なことを言ってすみません。

一通り終えて、駐車場に戻ると、ああ、今日もやっぱり夜になっている。
得体のしれない怪異を毎週毎週たたきつけられ、眠れない日々を過ごしていたわけです。

 

超常現象なのか?
それとも説明できる現象なのか?

 

1つずつ可能性を潰しながら、僕はこの現象を紐解くことにしました。

 

①いつも遅い時間(夕方)に訪れていたから、すぐ夜になるのではないか?

5歳でもすぐにたどり着く仮説です。

この仮説はすぐに検証できますね。
昼からイトーヨーカドーに行けば良いだけの話です。

5歳児の調整能力では「何時にイトーヨーカドーへ行くか」のコントロールは出来ません。
昼に行く日を虎視眈々と狙いつづけました。

その日、僕は神経をとがらせました。
イトーヨーカドーに到着し、太陽が真上から照り付けていることを確認し、買い物を終えて駐車場に戻る。
たったこれだけのことです。これで空が青ければ、子どもの勘違いということで手を打てる。

駐車場に戻る時には、空の色のことなんてすっかり忘れています。
愛する『重甲ビーファイター』が表紙を飾るてれびくんを買ってもらったんですから。

ビーファイター、好きなんだよなあ。クワガタが良い味出すんだよなあ。

ホクホク顔で戻った矢先。真っ黒に染まった空が目に飛び込んできました。

夜になっている。

見た瞬間、てれびくんを抱えたまま全ての記憶を取り戻しました。ヘリの中でデスノートを持った夜神月みたいに。

夕方に入店しても、昼から入店しても、イトーヨーカドーは必ず「夜」になるのでした。

 

②イトーヨーカドーが楽しすぎて、気がついたら一瞬で時間が経ったのではないか?

この説はかなり妥当だ。当時の僕もそう思いました。
何時に入店しようとも、イトーヨーカドーが楽しくて家族みんな日没まで過ごせてしまう。
時間を忘れて楽しめるスーパーマーケット、イトーヨーカドー。

ということは、逆に、つまらない気持ちで過ごせばイトーヨーカドーは夜にならないのではないか?

たしかに――
この前おばあちゃんに連れて行かれた、川沿いの地面に花が生えているだけのお祭りは、いつまでも昼のままでした。

次のイトーヨーカドーは、あの時のようにつまらない気持ちで過ごそう。

その日、僕は神経をとがらせました。
イトーヨーカドーに到着し、太陽が真上から照り付けていることを確認し、ものすごくつまらない顔をして過ごして、買い物を終えて駐車場に戻る。
たったこれだけのことです。これで空が青ければ、子どもの勘違いということで手を打てる。

つまらない顔をすれば、トーマスもただの動くプラスチック塊です。
てれびくんも、ただのカラフルで硬い紙束です。

夜になっている。

ウインナーを頬張りながら駐車場に戻った瞬間、目に飛び込んできた、当たり前のように真っ黒な空。
ただのカラフルで硬い紙束を抱えたまま、駐車場に立ちすくむ子ども。

楽しくても、つまらなくても、イトーヨーカドーは必ず「夜」になるのでした。

 

③イトーヨーカドーの魔力によって、時間経過が加速しているのではないか?

嫌な予感がしてきました。
こちら側の認識の問題ではなく、イトーヨーカドー側に何かしらの原因、つまり魔力があると言えてしまうのではないか。

真っ先に思いつく魔力は「時間加速」です。
たかがイトーヨーカドー鶴見店が全世界の時間に影響を及ぼしているとは考えにくいため、イトーヨーカドーが自らの周囲に「時間を加速させる結界膜」を張っていると考えました。

図に落とすと、こういうことです。

だとすると、入店から退店までの間に、イトーヨーカドーの内側からは水色(昼)と黒(夜)の「中間色」が視認できるはずです。
もしかしたら雲の動きとかも速くなっているかもしれません。

イトーヨーカドーには窓がないので、何度かお店を出たり入ったりする必要があります。
買い物途中で「トイレに行く」「ウインナーをおかわりする」など適当な理由をつけて出入口まで行きました。

しかし、中間色を見ることはありませんでした。水色か、黒か、いつもそのどちらかです。

 

です。

 

『この写真、あんまり黒くないなあ』

 

そうなんです。
これは近所で適当に撮った写真ですが、あの頃も、自宅とかで見上げる空は大して黒くなかったんです。

でもイトーヨーカドーの空は絶対「黒」。

もちろん当時の写真はないので、かわりに#000000をご覧ください。

これですこれ。懐かしいなあ。

こんな空はあり得ない、と当時の僕も考えたわけです。

つまり、どういうことか――

 

④イトーヨーカドーの魔力によって、空の色がパチンと変わったのではないか?

段々わかってきました。
いくらなんでも時間が加速するなんて、そんなバカな話があるわけありません。

そうではなく、どうやら「空の色が水色から黒へ一瞬で変わる」だけのようです。

そうでなければ、あの尋常じゃない黒さが説明できないですからね。

#00B0F0→(パチン)→#000000 です。簡単な話じゃないか。

 

でも、どうやって?

どうやって?

 

―――結界膜。

 

結界膜でした。

あの結界膜は、内側だけ時間が速くなるという非現実的な膜ではなく、単純に「巨大な黒い幕」だったということです。

つまり、パチンではなく、シャッです。

 

⑤シャッ

これで、全て説明がつきました。

駐車場に入る時は、幕が降りていなかった。入った後に、真っ黒の幕が降りるだけだった。
僕は、その幕を見て「夜になっている」と思い込んでいただけだった。

説明できないほどおそろしい仕組みだったらどうしようかと思っていました。
でも、タネが明らかになれば、なんてことはない。ただの大きな幕じゃないか。
幼稚園で「イトーヨーカドーが夜になる」なんて言いふらしていたら、とんだ笑いものだったなあ。

これで、今日からはぐっすり眠れる――

 

――――

―――

――

 

あれから25年。

 

幼稚園卒業と同時に引っ越したため、あれ以来イトーヨーカドーには近づいていません。

 

あの時は小さかったから、最初は「入ったら絶対夜になる、恐ろしい怪異」だと思い込んでいたっけ。
でも実際は、スーパーと駐車場を覆うくらいの大きさの幕が垂れ下がっているだけだったんだよなあ。

 

日常におぼれ、仕事におぼれ、人生におぼれ。

 

イトーヨーカドーに黒い幕が降りてくることなんて、すっかり忘れていました。

 

イトーヨーカドーに黒い幕が降りてくることなんて、すっかり忘れていました。

 

イトーヨーカドーに黒い幕が降りてくることなんて、すっかり忘れていました。

 

イトーヨーカドーに黒い幕が降りてくることなんて、すっかり忘れていました。

 

そうだ、もう一回行ってみよう。

 

全てを包み込む漆黒の夜空、もとい、イトーヨーカドーだけを包み込む黒い幕のもとへ。

 

イトーヨーカドーへ行く

LICOPA(りこぱ)

あの建物は、ぺこぱみたいな名前に変わっていました。

こんな小さかったっけなあ。
小さい頃遊んだ公園を大人になってから見ると小さく感じるって言うけど、スーパーも同じなんだなあ。

 

満天の快晴。まだお昼過ぎ。コンディションは完璧です。

では早速。

 

写真は白飛びしていますが、たしかに、駐車場の隙間から水色の空を見ることができます。

あとは館内を適当に過ごして、幕が降りるのを待つばかりです。

 

店内はキレイに改装されていました。

 

トーマスもウインナーも巣立っていったようです。僕と同じく。

 

一旦、空の色をチェックしておきましょう。

 

 

まだ全然水色です。

 

 

おっ!?

 

やはり降りましたね、『幕』が!

黒いな~!

 

25年経ってやっとわかった勘違いですが、

 

僕がずっと『重甲ビーファイター』だと思っていたのは『ビーロボカブタック』でした。

 

子どもの頃の記憶って、アテにならないですね。