にゃーお

あ! いたいた!
いましたよ、ピンクの首輪の猫ちゃん!

やれやれ
毎度毎度、手間をかけさせてくれますね

……そりゃ! やったー!
捕まえましたよ先生!

に゛ゃ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!

うわあ!!

 

痛いじゃないですかあ

 

お手柄ですよ、レイニー君
その傷のおかげで数日は空腹を凌げそうだ

 

 

 

 

あーん! ミルキーちゃん!
無事に帰ってきてくれて嬉しいザマス!
我が家の304匹の猫ちゃんは1匹も欠けてはいけないザマス!

マダム、また迷い猫の捜索依頼がございましたら、ぜひ私どもへご連絡を

いつもありがとうザマス!

あのー、マダム、僕の顔の傷の治療費もいただきたいんですけど……

そんなのは、ねぶれば治るザマス
なんならワタクシがねぶってあげるザマス!

おお! レイニー君、それが良い!

そ、それは嫌だ―!!

 

僕の名前は雨森 怜二(あめもり れいじ)。
この町で探偵助手をしている。

 

そしてこの人が探偵のセミクラウド先生。
2年前、働き口が無くて困っていた僕を拾って住み込みの助手にしてくれた。

雨の降る夜のことだった。
傘も差さずに歩いていた僕を、同じように傘も差さずに立っていたセミクラウド先生は呼び止め、優しい声で「私の助手になってくれませんか?」と言ってくれた。
本当に困り果てていたので、不意に舞い込んできた働き口に喜んで飛びついたのを覚えている。
とはいえ……

 

 

 

 

やりましたよ! レイニー君!
数日はもやし生活をしなくて済みそうです!
これだけお金があればキムチが買えますね!

 

僕たちは、貧乏だ。

 

探偵業というのは、顧客から寄せられる依頼が無ければ成り立たない仕事だ。
近年ではプライバシー保護の観点から探偵に調査を依頼する顧客が減ってきている。
当然、僕たちもその煽りを受け、元々少なかった依頼はほぼ無くなり、今では時々あるマダムの迷い猫捜索依頼だけが食い扶持という有り様だ。

 

じゃあ、依頼が無いときはどうしているかって?

 

依頼が来るようにお祈りをしています。

 

こちらから営業活動をするのはセミクラウド先生のポリシーに反するらしく、本当に困って依頼に来る人は運命的に現れるはずだと信じて疑っていないのです。
それは別に構わないのですが、僕の業務の大半はこのお祈りで、残りは家事を含むセミクラウド先生の身の回りのお世話です。

 

正直、家事をしている方が全然マシで、最初はお祈りなんて身体を動かさないのだから体力は減らないだろうと考えていました。
これが意外と疲れるもので、確かに体力が大きく減ることはないのですが、精神力がどんどんすり減っていくのを感じます。

 

僕は、真剣に転職を考えている。
実際、大手転職サイトにも登録をしてみました。
テレビCMで聴く「あなたのキャリアは想像以上だ」という謳い文句に釣られて登録してみたら、1日に数件のスカウト連絡が来るようになった。
そのほとんどは僕の今の仕事内容を問うもので、正直に答えると大抵の人は当たり障りなくフェードアウトしていった。
おそらく、関わるべきではないと判断されてしまったのだろう。
中にはすごい説教※1※2※3※4をしてくる人もいた。真剣に僕の将来を案じてくれていたのだろうけど、その熱意は余計に僕を不安にさせた。
どうやら僕のキャリアは本当に想像以上なようだった。すごいなビズリーチ。

※1・・・FAXで65枚の白紙と「夢」と書かれた紙が3枚届く。計68枚をシャッフルし、1枚ずつ破る音を電話越しに聴かせ、夢が破れる音はわかるんだという主張にそうですねと同意しなければいけない。同意しなければ追加で68枚届く
※2・・・喫茶店に呼び出され、学生時代に好きだったバンドを貶される。どうやら先方もそのバンドが好きだったらしく、嫌でも貶さないといけないとのことですすり泣いていた。お前のせいだと言われた
※3・・・春、おだやかな風は僕の鼻をくすぐり、何もないのににやけてしまうようだ。君は冬に僕を置いて出て行ってしまったというのに、これだけ悲しいにもかかわらず、季節は変わってしまう。どうして世界は僕を待ってはくれないのだろう。夏が過ぎ、秋を経て、冬を越える。そうしてまた春が来てしまう頃には君は僕のことを忘れてしまうのだろう。僕も君のことを忘れてしまうのかな
※4・・・あみだくじに参加させられる

 

本来ならすぐにでも逃げ出してしまいたいような境遇だけど、行く先なんてないし、それに……

 

キムチをそのまま、いや、レンジでチンしてもいいですね
豪勢な食事になりそうですよ……

 

セミクラウド先生は、本当はすごい探偵なんだ……

 

 

 

コンコン

 

誰だろう?

 

ごきげんよう、セミクラウド君

ジュリア君じゃないですか!

カレッジ以来ね

 

ちょっと! 誰なんですか、あの美人!

カレッジ時代の学友ですよ
下着破りのジュリアと言えば、ちょっとした有名人でしたよ

下着破り?
ずいぶん物騒な二つ名じゃないですか

ええ、それは彼女の悪癖に起因しているのですが……
また今度、お話しましょう

二人して、どんな内緒話をしているの?

大した話ではありませんよ
それより懐かしいですね、ジュリア君

今は何をやっているのですか?

今はメッセンジャーをやっているわ

メッセンジャー?

セミクラウド君のような凄腕の探偵へ、事件の依頼を届けているの

 

ウフ、久しぶりに見られるかしら!

 

 

なるほど、正確には”まだ事件が起きたわけではない”ようですね

せ、先生!

どうやら、あなたの”能力”は健在のようね

 

これがセミクラウド先生の特殊能力!
片目のレンズが曇った時に限り、対象の”隠れた真実を視る”ことができるんだ!

 

事件が起きるのは10日後、E半島の洋館……

 

スーッ

 

おや、手の熱気ではすぐに曇りが解けてしまいます
少しの間しか視ることができませんね

”片目曇り” あなたの二つ名だったわね
久しぶりに見られて嬉しいわ

疲れるのであまりこの能力に頼りたくはないんですが……
君の話はよく脱線しますからね

そんなの昔の話じゃない
では、本題を話すわね

わかりました
レイニー君、彼女にお茶を入れてあげてください

はい!

 

それから、ジュリアさんは事件の起きる場所と日時を教えてくれた。
E半島、北東に位置する小さな島だ。10日後、そこで事件は起きるのだという。
E半島の高台に佇む洋館の主人の元に、殺人が起きるという匿名の連絡が届いたらしく、誰が誰を殺害するかまではわからないけど、セミクラウド先生に事件発生を防いでほしいのだという依頼だった。
匿名の連絡は犯人から届いたものなのか、あるいは第三者から届いたものなのかはわからないが、見過ごすことはできないということで、警察に連絡をしたが取り合ってもらえず、まわりまわってジュリアさんの所属する組織に依頼が届いたのだそうだ。
と言っても、ほとんどはセミクラウド先生が片目曇りの能力で視た内容で、本題は数分で話し終えたのだけど、ジュリアさんの話はそれから4時間続いたし、僕の入れたお茶をジュリアさんは13杯飲んだ。
セミクラウド先生が言った「君の話はよく脱線しますから」というのは本当で、ジュリアさんの話は次々に移り変わり、ジュリアさんがメッセンジャーになった経緯から始まり、カレッジ時代の話になり、学友の誰それが結婚しただの、仲の良かった学友同士が喧嘩して疎遠になっているだのと、かなりローカルな話題が続いた。セミクラウド先生がカレッジ時代は髪を赤と白のツートンカラーにしてイキってた話や、セミクラウド先生とジュリアさんがカレッジ時代に一瞬付き合いかけた話も聞いた。あまり身近な人のそういう話は聞きたくなかったな。
昔話に花を咲かせているくらいならまだよかったのだけど、ハイスクール時代の担任の不倫相手の住んでいる家の家賃の話になったところで、つい「これ、何の話?」と口を挟んでしまった。
どうやらこれが良くなかったようで、話を遮られたジュリアさんは烈火の如くお怒りになり、不思議な力で僕の下着をビリビリに破いた。


このあたしの話に茶々を入れるのはテメェかあ!!!!!

 

怖かった。触れていないのにズボンの中でどんどんビリビリに破れていく下着の感覚だけが脳裏に刻まれていった。後からセミクラウド先生に話を聞くと、これはジュリアさんの能力らしい。誰よりも話をすることが大好きなジュリアさんは自分の話の途中でほんの少しでも横槍が入ることを何よりも嫌い、その怒りの力が下着破りの能力を発現させ、怒っている間はその場にある下着をすべて不思議な力で破るのだという。
横にいたセミクラウド先生の下着もビリビリに破られたし、家中の下着をビリビリに破られたので、当面ノーパン生活を余儀なくされることになった。
下着をビリビリに破り終えたジュリアさんはスッキリした顔をして、今度は市の財政状況を心配し始めた。それからも話を転々として最後には何かを成し遂げたかのような晴れ晴れとした顔で去っていった。

 

それじゃあ、事件の方は任せたわよ

 

ガチャン

……すごい方でしたね

しかし、事件を防げば報酬が出るということです
レイニー君、急ぎ準備に取り掛かりましょう

はい! セミクラウド先生!

 

スーッ

……まずは下着を買うとしましょうか