ある日、オモコロ編集部に一通のメールが届いた。

 

メールの送り主は絵画教室ルカノーズ代表の三杉レンジさん

以前『【挑戦】美術のプロを唸らせろ! 初心者だらけの「現代アート展」!』という記事などでお世話になった画家・美術作家だ。

内容は以下である。

 

メールよると、なんと国立新美術館に「間違った向きのまま展示されている作品」があるというのだ。

 

国立新美術館2021年の来場数は日本の美術館で2番目に多い。そして建物の面積約49,830平方メートルで日本最大。

そんな美術館で「間違った向きのまま展示されている作品」があるとしたら、かなりすごいことなのでは……?

 

ということで早速、三杉さんに連絡をとり、詳しい話を伺ってみることにした。(左上は筆者、ヤスミノ)

 

「向きの間違った作品」ってよくある?

まず基本的なことなんですけど、三杉さんが鑑賞してきた中で「間違った向きのまま展示された作品」ってありましたか?

少なくとも僕が実際に見てきた中ではなかったですね。有名な例だとマティスの舟はありましたが、これも稀なケースなので事件になっているわけですし、めったにあることではないですね

アンリ・マティスの「舟」

1961年、ニューヨーク近代美術館にて開かれたアンリ・マティス展にて、「舟」という作品が上下反対に展示されていた。指摘されるまで11万6000人が訪れたが、誰も気が付かなかった。

やっぱり相当珍しいケースなんですね

そうですね。普通はかなり気を遣う部分なので

 

ちなみに偶然にも、この取材のあとにこんなニュースもありました。

モンドリアンの抽象画、77年間も上下さかさま展示 誰も気づかず(朝日新聞デジタル) – Yahoo!ニュース

 

李 禹煥(リ・ウファン)とは?

それでは本題なのですが、国立新美術館で展示している「向きが間違っている作品」とは誰の作品なのでしょうか?

はい。李 禹煥(リ・ウファン)という方の作品です。

 

2022年8月10日(水)~11月7日(月)まで「国立新美術館開館15周年記念 李禹煥」を開催中。

り・うふぁん……。不勉強で申し訳ないのですが、李 禹煥さんとはどんな方なんですか?

韓国出身の世界的アーティストで、もう大巨匠と言って差し支えないと思います。

ほう、大巨匠ですか。具体的に言うとどういう……?

ヴェルサイユ宮殿で展示をしたり

ヴェルサイユ宮殿!? あの!?

あと、贋作が3億円で売られてたとウワサされていたこともありましたね。

贋作で3億!?

 

作風は一言ではなかなか説明できないのですが、自然素材そのままの組み合わせで提示する「もの派」と呼ばれるムーブメントの代表的な作家です。

「もの派」……ですか。はじめて聞きました。

今回国立新美術館の展示にも、木だけとか石だけの展示物がありますよ。僕が大学生のころに作品の講評を受けたこともあり、尊敬する恩師でもあります。

 

※ちなみに名前を関した「李禹煥美術館」もあるぐらいすごい人です。

https://benesse-artsite.jp/art/lee-ufan.html

なぜ気が付いた?

ちなみに三杉さんはなぜ間違っていると気が付いたんですか?  検索して作品をいくつか見てみたら、僕だったら間違っててもわからなそうな感じの絵画ですが……

僕も美術作家で、そしてある種の美術マニアでもあるので、絵そのもの以外にもかなり細かく見てるんですが、ひとつ大きな違和感があったんです。

大きな違和感ですか! それは具体的にはどのポイントだったのでしょうか?

図録のここを見てほしいんですけど……

 

※三杉さんが気が付いた違和感に関しては記事の後半で明らかになります。

たしかに!! これに気が付いたら誰でも分かりそうですね!

はい。李禹煥さんを知らない人でも「あれ?」と感じると思います。なので、その場にいた係の人に「これ間違ってませんか?」と尋ねてみたんですよ

え? その場で言ったんですか?  だったら、今頃もう修正してるのでは……

いえ、たぶんまだしていないと思います。僕がそう尋ねたら……

 

「変なおじさんが変なこと言ってる」みたいな感じで、一笑に付されてしまって……

親切心で言ったのに

それと、この作品自体は別の美術館が所蔵していて、サイトに作品の縦横のサイズが書いてあるんです。それと照らし合わせてもやっぱり間違っているとしか言えないんですね

なるほど、「ある違和感」もそうだし、所蔵している美術館のデータとも違うしで

なので、間違いないかと思います

 

もしかしたら「意図」がある?

そもそも疑問なんですけど、いくら大巨匠といえど、配置などは本人が監修しますよね?

そうですね。図録にも書いてあるんですけど、今回の展示はご本人が監修したそうです。

 


引用:国立新美術館 兵庫県立美術館 編 『李禹煥』.平凡社,2022,p.8.

たしかに図録を確認すると「李 禹煥氏自身によって構成されて」いるとの記載が

 

となるともしかしたら、何かしらの意図がある可能性もあったりするんですかね? 本人があえて間違えてるということも……?

そうですね。もちろん本人ではないので、完全には否定できないですね。僕もなにか理由があるのかなとは思ったんですけど

 

今回の展示のためにわざとしたんだったら、何か一言付け加えるんじゃないかな、とも思うんですよね

たしかに作者といえど向きを変えて発表するなら、何かしらの説明はしそうですよね

少なくとも「意図がある/なし」に関わらず、本来の向きではないことは確かです。

なるほど。わざとだとしても、いろんな情報を照らし合わせたら、従来と違う向きで展示しているのは揺るがないということですね

あと、単純にもちろん本人が向きを忘れてることもあるかもしれません。巨匠といえど人間なので……

普通にうっかりミスの可能性も……。親近感がわきますね

意図的だったとしても、間違ってたとしても、どちらにせよ興味深いですよね

 

誰か気が付いていないのか?

話を聞く限り、どうやら「間違った向きのまま展示されている作品」があるというのは本当のようだった。

とはいえ、マティスの「舟」の時代ならいざしらず、現代では個人の感想がチェック可能。もしかしたらどこかですでに話題になっているかもしれないと思い、SNSなどで調査したが、やはり見当たらない……

(一人だけ指摘している人がいる!と思ったら三杉さん本人のツイートでした)

 

これは是非、実際に確認しに行かなければ。と思っていたところで、実は三杉さんからある提案をいただいていた。

 

「間違った作品がどれか知らないまま鑑賞して、その作品を当てる」というのはどうですか?

 

美術館で間違えを探そう!

というわけで実際に国立新美術館に来た。

 


(※ダ・ヴィンチ・恐山は普段仮面を被って活動している男性ですが、この日は仮面を忘れてしまったので合成しています)

参加者こちら。

美術館の中に「向きが間違って展示されている作品」があることは知っているが、それがどの作品なのかは知らない。

そして、彼らには「どの作品が間違っているのか」を予想してもらう。大掛かりな間違い探しのようなものだ。

 

どうですか、みなさん。自信はありますか?

普通に分かるわけがないのでは……

美術館巡りが好きでけっこう行ってるんですけど、自信ないですね

いわゆる抽象画ってやつだよね? 分かんないと思うけどな~

 

国立新美術館で購入できるポストカード。作品名『点より』

 

作品名『応答』

ちなみに李 禹煥の作品はこういう感じ。時期によって作風も異なるがシンプルな色使いに線や点で構成されているものが多い。

 

というわけで、チケット購入し、間違い探しを探しに。

 

ーー1時間後…

 

鑑賞を終えた3人。

まず間違え探しの前に、展示自体への感想を聞いてみよう。

 

スケジュールの関係であんまりじっくり見れなかったんですけど、本当ならもっとじっくり見たかった! 「ここに、急に、石があったら、なんか……ええやん?」としかいいようのない良さと、その良さに少なからず共鳴できる嬉しさの両方を同時に感じました。

言語化も現実化もされていない「なんかええやん、よさそうやん」に手間とお金と時間をかける賭けの面白さってアートならではだと思うんですけど、その曖昧な領域のためにくそでかい石を大量に仕入れて並べられる思い切りと勇気、見習いたい。 最後の方にあった、壁の絵の前に石があるやつが「鑑賞者」の所在ない感じを連想させて特におもしろかったです。

 

家に飾ったら良いだろうなぁという感じの絵で素敵な展示でした。Macbookの箱に描いてあっても違和感ないと思う。インスタレーションは岩を用いた作品が多く、岩が好きなのかなと思いました。最初のほうにあった地下鉄のロゴみたいな作品(作品名『第四の構成』)もかっこよかった。

 

この人、どんだけ「関係項」って言うのよ!と思ったんですが(筆者注:今回の展示には「関係項」という単語が入っている作品が20個ありました)ズシン!と置かれた石の迫力や余白の使い方がちょうど気持ちよくて、ずーっと見ちゃえる素晴らしい展示でした。各地方のパワースポットに導入したい距離感。あと全体的に搬入と撤収がヤバそう。この展示を片付ける人にはなりたくない。

 

「向きの間違い」はあてられたのか?

みなさん、どれが間違っているかわかりましたか?

いや、これ…分かったと思う

はい、私もこれしかないだろうなというのがありました

たぶん僕も同じだと思います

じゃあ、せーので言いますか…。せーの!

 

『照応』!

 

 


作品名『照応』

引用:国立新美術館 兵庫県立美術館 編 『李禹煥』.平凡社,2022,p.127.

 

正解です!!

 

なんと全員が正解した。とはいえ、3人とも美術の素人。なぜ間違いに気が付くことができたのだろうか?

 

いや、だって…

サインが……

サインが、これだけ他作品と別の個所にありましたね

 


引用:国立新美術館 兵庫県立美術館 編 『李禹煥』.平凡社,2022,p.95.

そう、この作品。サインがほかの作品と異なる場所に書いてあるのだ。

上記画像は李禹煥の中でも人気の高い作品『線より』のサイン。普通はこのように「Lee Ufan」というサインが右下に記載されているのだが

 


引用:国立新美術館 兵庫県立美術館 編 『李禹煥』.平凡社,2022,p.127.

「照応」という作品に関しては……

 


引用:国立新美術館 兵庫県立美術館 編 『李禹煥』.平凡社,2022,p.127.

右上かつ横にサインが入っているのだ。図録の拡大だとわかりにくいが、本物をみるともっとはっきり識別することができる。

 

図解

ただ「向きが違うよ」と事前に言われてなきゃ絶対気づかない!

しいて言えば、類似作品の筆致の法則性もこれだけ違ったというものありましたね

あと頭の中で回転させたとき「本来の向き」のほうがなんとなく収まりがいいような気がしました。後付けで脳が気取ってるだけかもしれませんが……

 

電気バチが鑑賞中に書いたメモ

僕もサインがなかったら、分からなかったですね

今まで自分が美術館で見てきた絵にもこういうケースがあったのかなと考えたらなんか怖い

 

美術館に聞いてみた

しかし、今回の展示のための図録には「(縦・高さ)194.3cm×(横・幅)259.0cm」と記載されている。つまり展示で見たままの縦横比、横長だ。

 


引用:神奈川県立近代美術館,「照応」

一方でこの作品を所有している「神奈川県立近代美術館」のサイトには「(縦・高さ)259.0cm×(横・幅)194.3cm」とはっきり記載されている。つまり本来は縦長の作品のはず。

こちらから確認できます→照応 : 神奈川県立近代美術館

 

もちろん三杉さんが言っていたように、この展示が「意図的」であることも否めない。というより、公式図録にもこの向きで掲載されているということは、むしろ意図がないほうがおかしいような気もする……。

と思っていたところで、三杉さんから再度メールが送られてきた。

内容によるとなんと「所蔵している美術館に電話をして確認してみた」というのだ。

 

内容は以下の通り。

学芸の担当者のお答えでは、

「展示の際に、李先生が、これは横の方がよいのではないか」と突然言い出したとのことでした。

なので、元々、神奈川近代美術館としては縦で展示していたのだけど、国立新美術館では横になってしまって

今後については……縦の作品なのか横の作品なのか確定してないとのことでした。

これから神奈川近代美術館に作品が戻った際にどうするかを聞いたらば、

李先生が横といえば横になるし、縦にしてと言えばそうするしかないとのことでした。

 

なんとご本人が「向きを変えたほうがいい」と指示したという。巨匠のきまぐれである。

ということで散々「間違った向きの作品」と言ってきたが、正しくは……

 

 

ともあれ、いずれにせよこのような作品もそうそうあるものではないので、興味のある方は11月7日(月)までなので是非!

 

『国立新美術館開館15周年記念 李禹煥』
https://www.nact.jp/exhibition_special/2022/leeufan/

■2022年8月10日(水)~11月7日(月)

■10:00~18:00
※毎週金・土曜日は20:00まで
※入場は閉館の30分前まで

 

ちなみに、先ほど紹介したこちらのポストカードですが…

 

作品の正しい向きはこちらになります。

皆さん、気が付きましたでしょうか?