言うまでもないが、この世には嘘が蔓延している。ひとつついた些細な嘘を取り繕うと必死になり、いつしか取り返しのつかない事態に発展することもある。人間、一度痛い目に合えば学習するか、反省するか、後悔するか、誠実に生きようと心を改める者が多い(と信じたい)が、変に嘘がばれずうまくいってしまうと中毒症状のようになり、あらゆる都合の悪い場面をしょうもない嘘でくぐりぬけようとする癖がつく。「盛る」なんて表現が定着して久しいが、誇大、「大したことないっすよ」の矮小化、忘れたふり、数値の改ざん、なんでもござれである。

とりわけ、男女間の関係において「嘘」が利用されないケースのほうが少ないのではないだろうか。特に最近ではマッチングアプリを出会いのきっかけにすることが、ひと昔前よりは、眉をひそめる人間も少なくなってきたように思われる。出会い系サイトが世の中に登場して20年ほど経つだろうか。やっている中身は大差ないのだが、インターネットの普遍化により、リアルの人間関係が希薄になっていくにつれ、「犯罪の温床」的ネガティブイメージも比例して薄まっている。

だが、それに応じてどのような事態が発生するかといえば、嘘をつくことが、よりライトに、はたまたカジュアルに、罪の意識なく行えるようになってしまっている。少なくとも、マッチングアプリを利用した経験がある中で、一切の誇張や脚色をせず、最初から最後まで素っ裸のおのれを晒し続けられる人間が存在するだろうか。

 

俺はとあるマッチングアプリを利用しているユーザーの1人だ。幾許かの課金をし、いままで数名の女性と実際に対面、食事やデートにまでこぎつけた「実績」がある。しかしながら、今のところ、交際にまで発展してはいない。

交際、果ては結婚までこぎつけるとなれば、主に収入に由来する生活・将来の安定が求められるのであって、この不景気な日本においては最低限、不自由をしない生活が送れるぐらいの零細サラリーマンである俺は、正直におのれのプロフィールをアプリに登録しているけれども、右に左にスワイプされ、画面の外に親指で弾かれるのが関の山である。がしかし、この手のアプリを利用する手合いは、大なり小なり「嘘」をつくものであって、野面に丸腰、ステゴロで戦おうとするほうが間違っている。

そこで俺は、収入欄を「盛る」ことにした。年収400万円が「高給取り」とみなされる、とネットニュースで読んだ記憶がある。実際、なんの手に職もキャリアもない俺の年収は基準に達しておらず、このマッチングアプリ界においてもっとも有効な攻撃・ないしは防御手段である収入欄のステイタスが低い。しょせん、昨年度の源泉徴収票を提出せよ、となんらかのエビデンスをアプリ提供側に求められているわけではないから、いくらでも数値の改ざんは可能である。俺はこの「高給取り」とされる数字にプラス50万円ほど足した。それだって、あまりに派手に盛っているわけではないから、つつましい範囲内での改ざんである。と、自分自身の罪意識から目を背けながらプロフィールを更新した。

ひとたび「経歴詐称」に手を出してしまえば、どうせバレないだろう範囲内でハッタリを張ることに抵抗がなくなっていく。趣味欄は正直に「読書・散歩」としているがこんなもの何も言っていないのと一緒である。興味関心のかけらもない。だいいち、本のジャンルだって多岐にわたる。たとえば小説を例に上げるだけで、ノンフィクション、推理、SF、ミステリー、歴史……。枚挙にいとまがなく、比較的歴史小説を多く読むほうかな?とは思うが、趣味:歴史小説とまず掲げるだけの知識を持ち合わせているわけではなく、もし歴史小説を好む女性とマッチしたとして、コアな話題を振られて返せなかった場合、一度期待値を上げてからの肩透かしは落差が激しいから、幻滅の度合いが増してしまうのである。これは男女関係に限った話ではなく、広くもなく深くもない俺のような人間にとって、この「趣味」の話題は毎度、鬼門である。

が、しかし、まったく関連のないジャンルを指定するとどうなるのだろうか。たとえば、「園芸」としてみる。すると、草木や花を愛でる人畜無害な存在という演出に一役買うし、20代半ばの同年代に「園芸!わたしも植物が大好きなんです!雑草なんて名前の草はない、とかつての植物学者・牧野富太郎が語っていたように……。」と火の点く女性はおそらく少ない。というかマッチングアプリなんてやっておらず暇な時間はスマートフォンではなくスコップを握っているだろう。とにかく、「園芸」にしておけば趣味でボロが出る確率は低い。話題になったとしても、ネットで適当に拾った鉢植えの画像でもストックしておけば問題ないだろう。これをリスクヘッジというのだ。

そのような流れで、性格・休日の行動・身長体重など、塩コショウ程度に味を整えてプロフィールを更新した。料理も味見を続けているうちに、どこか決定打にかけるような気がして余計な調味料を加えてしまうものだ。だが用心していれば大丈夫だ。と、アプリを閉じ、通知を待った。

 

 

わたしは東京郊外の老人ホームで介護士として勤務している30歳です。職場内は女性が過半数を占めており、同年代の異性との接点に乏しいのです。最後にお付き合いをしてから半年ほど経過していて、あまりよくない別れ方をしたものですから、「本気にならないようにしよう」と軽い気持ちでマッチングアプリを始めてみました。女性は無課金だから大して本気にならずに済みますし、もし話の弾む男性が現れた場合はもうけもの、程度の身の入れようです。プロフィールも「常識の範囲内で」嘘をついている箇所があります。せいぜいが会ってご飯をご馳走してもらうだけでお終いですから、その確率だけでも高めておいた方が美味しいのです。

年齢も「20代後半」としています。ひと世代ほど前までではないかもしれませんが、20代と30代の壁は今でも、体感として確実に存在します。大いなる隔たりとも呼べるでしょう。「美しく年齢を重ねる」ことが素晴らしいとされる風潮もあり、それはそれで結構な話ですが、そもそも美しい人にだけ許される特権です。うるわしい精神はうるわしい容姿に宿るのです。異論もあるでしょうが少なくともわたしはそう考え、そう生きてきました。

プロフィール写真の加工も「嘘」のひとつに数えられるでしょうか。しかし、それを嘘と捉えるのであれば、毎朝時間をかけて化粧をし、出勤していることも嘘になってしまうのではないでしょうか。きれいにして、着飾ってから世間に出るのはエチケットであり、マナーであり、嘘ではなく、礼儀です。同様に、輪郭を削ったり、鼻を縮小したりするような指先での加工は「礼儀」にあたります。決して「嘘」ではないのです。というか、加工もなしで通用するような素材の持ち主が、そもそもこのようなアプリに登録をしているわけがありません。「暗黙の了解」であり、「双方同意の上」であるべきです。

相手の男性を見繕ううえで最低限のラインを引いている条件は、収入、容姿、趣味ではありません。今後末長くお付き合いをするうえではどれも欠かせない要素ではありますが、わたしに限れば、その日限りのお付き合いであれば大して重要視をしていません。では、一体何が大切かと申しますと、「話が成立するかどうか」です。もっと言えば、「まともかどうか」です。

マッチングアプリを利用した経験のない方は、当然でしょ、と思う方もおられるかもしれませんが、こと、マッチングアプリ内においては、まともにやりとりが成立するだけでもけっこう難儀なのです。年下であるだけでのっけからタメ口を叩いてくる人間なんかザラですし。次に「どこ住み?」と訊かれたら、「は?」と返そうと思っています。

 

『はじめまして!』

 

「はじめまして。」

 

『どこ住み?』

 

「は?」

 

わたしとしては、計6文字でコミュニケーションを終了させられるので非常に効率的です。初手から失礼な口の利き方をしてくる連中の喉笛を最短距離でひと突き。ワンキルです。「どちらにお住まいですか?」と尋ねてください。

あとは、とにかく過去をほじくり返そうとしてくる人間には辟易します。過去の恋愛話を振れば盛り上がるだろうと、訊いてもいない自分語りを始めた挙句に「あなたは?」と問われても口をつぐんでしまいます。距離の詰め方・間合いの取り方が合わない人は、これもごめんです。

ともかく、体目的丸出し、マルチ・宗教への勧誘やサクラはうじゃうじゃいますし、快い会話のラリーが続くだけでもありがたいのです。単に、わたしの利用しているアプリの治安が悪すぎるだけかもしれませんが。そりゃあ、お金を費やせば費やすだけ、より澄み渡った空気の中で、のびのびとマッチングに勤しめるのでしょう。いまは、ぬかるみのなかに腕を突っ込んでかき混ぜながら、金貨を探しているような感覚です。精神が蝕まれていくようですが、やめられないのです。

 

 

「はじめまして。待ちましたか?」

 

「いいえ、わたしもさっきついたばかりです。今日は寒いですね」

 

「ええ、本当に。ちょっとどこかに入って話しませんか?外だと凍えちゃうんで」

 

「はい、そうしましょう」

 

12月の上旬、都内は寒波に見舞われた。天候のコンディションははっきり言って最悪だが、相手の仕事がシフト制で、土・日で予定の合う日が、直近ではピンポイントで今日しかなかったのである。池袋駅東口交番前で落ち合い、そのまま近くの喫茶店に入る流れとなった。俺は、先日インターネット通販のセールで購入したおろしたてのダウンジャケットを羽織り、家を出た。

最初の印象は、まあ、誤差の範囲内の修正具合に美人、といったところだろうか。まれに、亜空間で撮影したのかというほどに写真と実物のビジュアルに差がありすぎるケースがあるから許容できる。黒髪のセミロングが似合うが、訊いていた年齢よりも、首筋のしわに人生が刻まれている気がしないでもない。厚手のグレーのコートは職場にも着ていくものだろうか、少し幸薄そうな印象だ。しかしその薄幸さにどこか惹かれるものもある。話してみて合うようであれば、今後もお付き合いを続けるのも考慮に入れたく思っております。と、そのように失礼極まりない品評をしているなんておくびにも出さず徒歩すぐのカフェチェーン店に入った。

 

今時めずらしく、2階席は喫煙可能だった。

 

「タバコ、喫います?」

 

「はい、いつもは喫うんですけど。今日は遠慮しておきます」

 

「え、いいですよ?喫っても」

 

「そうですか、じゃあお言葉に甘えて」

 

彼女は喫煙者だった。しかも紙タバコのようだ。アプリでのやりとりでは、喫煙するかしないかの話にはならず、把握をしていなかった。俺の職場でも喫煙者はだんだん減ってきていて、ほとんどが役職者クラスの男性である。喫煙ルームは外からも見えるようになっているが、女性社員はあまり見かけた記憶がない。俺はタバコが体質的にNGなわけでなく問題ないのだが、非喫煙者の男性を前にスパスパとやるのは女性側からしたら気まずい思いをするのだろうか。俺は、コーヒーにはシロップとミルクを入れないと飲めないのだが、彼女はブラックをそのまま飲んでいる。

 

「介護の仕事をされているんでしたっけ。大変じゃないですか?」

 

俺は、とりあえず当たり障りのないよう、仕事の話から始めた。

 

「そうなんです。土日休みじゃないので、なかなか予定合わなくてすみません」

 

「いえ全然!こちらこそ貴重な週末なのに、すみません」

 

だいぶ気を遣わせてしまっている。仕事の話題は取り下げよう。

 

「いつも休みの日って何をされてるんですか?」

 

「わたしは……。そうですね。最近はサブスクで映画観たり、ドラマ観たり」

 

「へえ、最近ハマってるものとかあります?」

 

「海外のゾンビものなんですけど、次の展開が気になっちゃって、つい夜更かししちゃうんです」

 

俺はゾンビものは観ない。子供のころから、ホラーの類を一切、拒否してきた。友人の家で夜ご飯をごちそうになっている最中、テレビでやっていた心霊体験特集に恐れ慄き、暗い夜道を帰ることができなくなり友人母の運転で自宅まで送り届けられたほどにホラーを受け付けない体質だ。心霊、スプラッタ、サスペンス、ありとあらゆるジャンルの恐怖を避けて生きてきた。映画も、人が死ぬ確率が限りなく低い作品ばかり観る。寅さんとか。寅さんは連続猟奇殺人に巻き込まれないから安心できる。

だがしかし、ここで「ホラー全然ダメなんですよ、ボキは」と白状しようものなら、いきなり腰抜けの玉無しとみなされてしまう危険性があり、ゆくゆくはふたりで映画鑑賞をする機会があったとして、「寅さんの新しいやつ観ませんか?生前の渥美清の未公開映像を編集して作られたんですけど」と誘っても一蹴されるのではないか。というか、デートで寅さんをチョイスするのは銀婚式以上は年月を共に歩んだ老夫婦にのみ許されるのであって、初手の寅次郎はいささか渋すぎるだろう。

 

「ゾンビものとか観るんですね、やり取りしてた印象と違うから驚きました」

 

「そうですか?引きました?」

 

「いや、全然そんなことないんですけど」

 

余計な発言をしてしまった。

 

「映画やドラマって、何をご覧になります?」

 

寅です。いや違う。

 

「あまり観ないんですが、強いて言うなら邦画のコメディが多いですね」

 

「邦画ですか。わたしはそこまで詳しくないので、今度おすすめ教えてくださいね」

 

「ぜひ!よかったら今度映画でも観に行きましょう」

 

踏み込みが早すぎるか?しかしこれぐらいのスピード感を持って関係を構築せしめんとする余裕さを醸していた方がなにかと好都合なのだ。何が?わからないが、どこか自分の発言が上滑りしてテーブルの上をスピンしている感覚に陥っていた。アプリ上では好感触だったのだが。

向こうも緊張しているのだろうが、俺は余裕さを演出しようとして空回りし、かと言って軌道修正するのもぎこちなく、芯をつかまえるようなきっかけを会話の中で見つけるのに必死だった。そもそも、波長が合わないのであればきっぱりと諦めてしまってもいいのであるが、「つまらない週末」を過ごさせる申し訳なさ、心の奥底に潜む無用のプライド、貧乏性、乾燥注意報、緊迫する中東情勢など複数の要因が混じり合い、両名の間にゆがみが生まれている。このままでは、副流煙を吸い込んで肺がんになるリスクを高めただけで1日が終わる。点を決めたい。一矢報いたい。誰に。

 

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