火の神・ホノカグツチは、日本という国がまだ誕生する前、母イザナミ・父イザナギの間から産まれた。と同時に、イザナミの陰部に大やけどを負わせ、イザナミは命を落とした。怒り狂ったイザナギは、剣でホノカグツチを斬り殺した。親殺し・子殺しが絡むこの物語は、「炎」の取り扱いが、昔の人びとにとっていかに難しく、畏怖の対象となされていたかを示しているようである。ホノカグツチの遺体からも幾多の神々が誕生した。炎が世界を発展させ、そして破壊してきたのだ。現代に生きる我々も、炎の取り扱いにはくれぐれも用心しなければならない。云々。

 

 

そんな場合ではないのだが、俺は今、ワム!のウキウキ・ウェイク・ミー・アップを聴いている。日常的にワム!のウキウキ・ウェイク・ミー・アップを聴いている人というのは、80’s好きか、織田裕二か、異常者かのどれかに分類されそうだが、俺はそのどれでもなくて、いや異常者かと言われればそうではないと自ら信じているだけだが、おそらくそうではない。純粋な・一介の・吹けば飛ぶような・大学4年生・かつ・就活生・ウェイク・ミー・アップである。

 

ではなぜ、ワム!のウキウキ・ウェイク・ミー・アップを聴いているのかと申し上げると、ほとほと就職活動というものに嫌気が差し、サブスクリプションでワム!のウキウキ・ウェイク・ミー・アップを聴くしか気持ちの持っていきようがなかったのである。逃げようがないのである。

 

ウェイク・ミー・アップ!

ビフォー・ユー・ゴー・ゴー

ドント・リーブ・ミー・ハンギング・オン・ライク・ア・ヨー・ヨー

 

ははっ。なんじゃそれ。おもしれー。

 

こんな具合である。MVのジョージ・マイケルみたく、背中をまるめ、左右にステップを踏みながらハンドクラップを拍ってみたりもする。隣人迷惑である。奇っ怪に躍りながら、心の裏では泣いているのである。人の感情を読み取ることなんか不可能である。メンタリストなんて職業は存在しえないのである。なめるなよ。

 

しかしながら、メンタリストが10分の動画で稼ぐ収入を四半期ほどかけてアルバイトで稼ぐ俺の身分は限りなく低く、ましてや、このまま就活に失敗し、大学生という肩書きさえ失ってしまうとなると、俺はただの、純粋な・一介の・吹けば飛ぶような・ウェイク・ミー・アップと成り果ててしまうのである。それだけは避けなければならない。うーむ。ワム!のウキウキ・ウェイク・ミー・アップでも聴こう。

 

ウェイク・ミー・アップ!

ビフォー・ユー・ゴー・ゴー

ドント・リーブ・ミー・ハンギング・オン・ライク・ア・ヨー・ヨー

 

ちょっとまって、おもしれー。ひひひひひ。

 

無惨である。

 

無惨の成れの果てである。

 

子どもの頃から怠け者で、夏休みの宿題は最終日にドリルから答えを書き写し、体裁だけ整えて提出するスタイルだった。人生の瞬間瞬間をのらくらとやり過ごし、東京は楽しそう、友だちが増えるのではないか、との理由だけで三流大学に進学、上京。麻雀を打ったり、ギターを弾いたりやめたりとして過ごしているうちに光の早さで丸3年が経過。

 

おかしい。こんなのってないよ。とそこから一念発起し就活を初めてみたが、特にやりたいこともなく、面接で当たり障りなくウケそうな発言を繰り返してはみるものの、心の底にある熱意のなさ、無本質さ、を見抜かれて次々と「祈られ」を繰り返した。俺の心を見抜きやがって。メンタリストって、ほんとうだね。あれは。参っちゃう。

 

お前の会社に入って安泰に暮らしたいぜ。なにがそんなに悪いんだ。夢もないのにずっとアルバイトなんて辛いぜ。綺麗な奥さんと出逢い、子どもに恵まれて暮らしたいぜ・ウェイク・ミー・アップ。

 

そんな金曜日の晴れた午前だった。ゴミ収集者が奏でる草競馬が聴こえてきた。

 

 

翌週の月曜日。似合わないリクルートスーツを着用し、濃紺のネクタイを結びよたよたと出かけようとすると、スマホに着信があった。

 

『火野龍斎』

 

祖父である。内容は想像がつく。

 

「もしもし?」

 

「おお、久しぶりだな。元気か。炎太(えんた)よ」

 

「元気だけど、今急いでるから早くして」

 

「就活はうまくいっているのか?」

 

「うまくいってないから、これからまた面接だよ」

 

「おおそうか、で、話なんだが。こっちに帰ってくるわけにはいかないか?」

 

「無理。今忙しいんだって」

 

「わかってはいるが。どうしても話したいことがある」

 

「電話じゃ無理?」

 

「できれば、面と向かって直接伝えたい」

 

「言っとくけど、期待に応えるつもりはないと思って」

 

「……どうしてもか」

 

「どうしても」

 

「わかった。じゃあ」

 

電話が切れた。

 

不定期のペースで祖父から電話がかかってくる。内容は決まりきっている。

 

俺は自由自在に炎を操ることができる。

 

しかし、全く得がない。

 

 

火野家は代々、炎を操る忍者の一族である。遡れば途方もないのだが、文献でしっかりと残っているのは、戦国時代の合戦で、先祖が炎を用いて山をまるまる焼き払い、武田軍団を退治したとかしないとかである。そもそも忍者の一族だから、「文献に残らない仕事」を成してきたのであって、あまり派手にやっては元も子もないのだけれど、たぶんその先祖はロックだったので、豪快に焼き払って終いとしたのかもしれない。

 

だしかしながら、戦国の世も去り、太平の江戸を迎え、文明開化、と徐々に忍者の活躍の場も減っていった。明治から昭和にかけては「スパイ」じみたこともしていたようだけれど、残念ながらというか、平和な時代になるとともにお役御免となってしまったのであった。

 

近代ではすっかり現代社会に溶け込み、一般的な職業に就いている者も多い。うちの父親なんかもその一人だ。父親は炎忍者としての才能がないがまじめな人だから、地元の役所で会計をずっとやっている。だから俺もそうなるつもりだったのだが、うまくいかない。下の名前が「炎太(えんた)」だからじゃないのか。親、公務員なのに。

 

不幸にも、祖父の前ではうかつにも口に出せないが、あえて「不幸」と表現させてもらうけれども、俺は不幸にも炎を操る才能に恵まれていた。恵まれすぎていた。母親も出産時に「熱くて死ぬかと思った」という他の出産エピソードではあまり聞かない感想を語っているし、保育器の中でパトランプのように赤く輝いていたらしい。幼稚園のころ、屋根の上で宙を廻るトンビを火の玉で撃ち落とし、祖父にこっぴどく叱られた。それからは遊びで炎を扱うことをやめた。

 

火野家では、むやみに人前で火術を披露してはならないという鉄の掟があり、俺はその掟を忠実に守り過ごした。ただ「炎の操作に異様に長けている」だけで他の才能にはみじんも恵まれず、ケンカにもいともたやすく負けた。ボロボロで家に帰ってからトイレで炎の塊を握り潰した。

 

俺が本気を出したら一瞬で警察に捕まるのだ。ハンデを与えているのだ。知らないくせに。大人になったら見とけよ。と将来の反撃を夢見たこともあったが、心の中の「炎でいつでも燃やせるしね。おまえ。いつでも勝てるから。さようなら」との慢心・うぬぼれ・思い上がりにより、大人になるまで暮らしに改善が見られなかった。全部炎のせいだ。

 

いや、おのれのせいである。

 

 

 

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