文化祭前日に中止の発表があり、学校内には当然の如く不平・不満の嵐が吹き荒れた。よりにもよって隣の町で謎の病気に感染した人がいるようで、高熱にうなされ喋ることもままならないらしく、収容先の大学病院では見境なく看護師や他の患者に襲いかかった、なんてウワサも流れている。もともと怪しかった雲行きが一気に悪くなった結果、中止の判断が強行採決されたのだった。わたしはもともと乗り気ではなかったが、それでも、熱心に出し物を用意したり企画を考えたりしていた子たちが気の毒だと思った。

 

わたしも、完成したハシビロコウの絵が日の目を見ないことになったのが少しだけ悔しかった。汐見くんに見てもらえるのではないかと一抹の期待があったのだけれど展示に誘ったわけではなく、おそらく部活とクラスの企画手伝いで忙しいだろうからと遠慮した。なんらかの偶然が重なり、第二校舎の三階、地学部による「河のそばで発見された比較的珍しい形状の岩石」展示の隣まで来てもらうことを心の片隅で希望しつつ、まあそんなことはなかろうと、ただ椅子の前に座り遥かなる緩慢な時を過ごす、中国の老道士のように茶粥などをすすりながら。という心づもりでいた。

 

寸前まで進んだ準備の撤収をするみんなの姿は見ていてつらく、ある程度片付けの目処が立つまで手伝うと、みんなが帰り出すまでわたしは誰もいない美術部に引きこもることにした。ハシビロコウの絵には目隠しの白い布がかぶせられている。他の部員の作品も、持って帰るのが面倒だからそのままにされている。しばらくは放置されるのだろう。また顧問の尾崎先生から文句を言われるに違いない。橙色の夕暮れの空を見ていた。

 

扉が開く音がした。誰かが忘れ物でもしたのだろうか、と振り返ると、息切れをした汐見くんが立っていた。シャツにはうっすらと赤い染みがついている。さながら返り血のようだった。そういえば、片付けの時に見かけなかったな。

 

 

 

「え、あれ?どうしたの?」

 

「テイク・オン・ミー」

 

「は?」

 

テイクオンミー?アーハの?汐見くんがアーハ知ってるんだ。意外だな。最近の曲とか好きそうなのに。やっぱり人の第一印象なんてあてにならないんだね。動物園で逢った時に学習したはずなのに。テイクオンミー、いつまで流行ってるんだろう。もう100年近く前の歌なんじゃないだろうか。おばあちゃんがたまに聴いていた。あの漫画の中に入っちゃうPVやっぱりいいよね。あれ、わたしもやりたい。

 

「し、汐見くん、アーハ好きなんだ?」

 

「カキフライ御膳 大振りのカキが5つ入ってます 1,200円」

 

わたしはカキフライが苦手である。海の近くに住んでいるくせに、磯臭い食べ物が苦手なのだ。貝類全般、うに、海苔もダメである。結構な偏食で、周りに迷惑をかけてしまう。好きで苦手をやっているんじゃないんだからしょうがないでしょうよ。回転寿司でもコーンマヨやハンバーグなどばかり食べている。

 

ひとり、美味しくなさそうな顔をしていると雰囲気が冷めるらしい。親戚の集まりでしかたなくご飯でも食べましょうかとなると、わたしが貝のお造りその他を残すのをお父さんが今か今かと待ち構えているのが嫌である。複数人でご飯を食べに行く機会が少ない。前に汐見くんと行ったのが初めて男性と2人きりの食事だった。

 

「カキフライ、わたしはイマイチかもしれない……。あ、この前のハンバーグは美味しかった。ありがとう」

 

「毛利元就」

 

誰だっけ、武将?歴史も好きなのかな?歴史勉強しようかな……。あまり興味が持てない。けれど、部の中には熱心に2.5次元の舞台に通っている子もいて、戦国武将を扱っているのもあるらしい。わたしもいわゆる「布教」をされたことがある。笑っちゃう気がして粗相をしそうで丁重に断った。というか、汐見くんとの会話って思っているより難しいな。わたしのせい?どこで練習をすればいいのか?駅前のユーモア教室「ゆうとぴあ」に通えばいいのかな?

 

「二段階右折」

 

二段階右折、と聞こえたような気がした瞬間、汐見くんが歯を剥き出しにしてこちらに飛びかかってきた。とっさのことで反応できず、押し倒される形になった。まずいやつじゃん。

 

「ちょ、ちょっと何してるの?危ないって」

 

聞く耳を持たず、わたしは汐見くんの両肩を下から突き上げて抵抗した。目は真っ赤に充血していて、少し生臭い匂いが鼻をかすめた。いくらなんでもおかしい。歯を剥き出し続け、体にかじりつこうとしているようだ。

 

うまく体に力が入らないのか、えい、と振りほどくと汐見くんは机の脇に倒れ、うずくまっている。わたしは急いで部室を飛び出し、顧問の先生から預かっているカギで外側から施錠した。ドアを拳で殴る音と振動。

 

これは絶対にあのウイルスだ。と勘づいた。汐見くんの両親、病院勤務って聞いたし。ひょっとして、例の大学病院だったのかな。思い出せない。

 

わたしは、かまれられうるか?

 

 

正直に申し上げると、わたしが今後の人生を送るにあたりまして、異性と接する機会が設けられうるか、と胸に手を当てて考えた場合に、”接せられうる”パターンと、”接せられえない”パターンと2つに分けますと、”接せられえない”パターンに向かう確率が非常に高いのであります。なぜかと申しますと、もうすぐ満18歳を迎えるにあたりまして、先日の動物園帰りでの一件が、目下、唯一、わたしの中で青春と呼ぶにふさわしい出来事だったのであります。

 

\おい、だからなんなんだよ!/

 

\まだわからないだろ!チャンスだってあるだろ!大学デビューとか!/

 

落ち着いてください。高校入学の際、わたしは少しでも生活を変えたいと、それまで中学校でも美術部に所属していたのにも関わらず、意を決し、今まで交わることのなかった体育会系の世界へ関わることを決意したのであります。野球部のマネージャーとして、「青春航路」への舵を切るに至ったのであります。

 

\いいじゃないかよ!/

 

\その調子だろうが!/

 

確かにそうおっしゃる気持ちもわかります。わたし自身がそうでございました。しかしながら、事態はそう簡単には進まなかった。

 

\なんでだよ!進めよ!/

 

\その頃からコンタクトにしたの?/

 

えー、はい。メガネからコンタクトレンズに切り替えたタイミングでございました。もし、所属する野球部が何かの拍子に甲子園まで進んだ際に、全国中継されることがございます。各種SNSで晒されるリスクもないとは言えませんから、明らかに垢の抜けていない短足で猫背の女が、凛々しく、さわやかに戦う選手たちの横に並んでいるだけで大変に危険です。そのようなリスクを鑑みまして、高校進学を機に、コンタクト・デビューと相成ったのであります。

 

\いけーーーっ!/

 

\ちょっとお茶買ってくる/

 

話が逸れました。事態はそう簡単には進まなかったと申し上げましたけれども、わたしはですね、恥ずかしながら、自転車に乗れなかったんですね。

 

\おい!それじゃあ、ランニングの時に、先導したり、後ろから励ましたり、できないだろ!/

 

\今からでも、広めの駐車場かなんかで練習しろーっ!/

 

うーん。確かにそうなんですけど。我ながら恐ろしいほど運動神経が悪くて。あと、諦めがいい。「無理だ」と感じてから踵を返すまでが速い。小学校低学年の頃に、もうとっくの昔から自転車に乗れる友人たちの後ろをぜえぜえ喘ぎながら追いかけてたころの、心を鋭角についばまれたような生傷がまだ癒えてないんですよ。一瞬だけ家族の自転車を借りて練習したこともあったんですけれど、生傷がうずく錯覚があって、胸が苦しくなる、と申しますか。

 

\言い訳だろ!真面目に努力しろよ!/

 

\スコアラーとか場内アナウンスとか、そういう仕事もあるんじゃないの?イメージだけど/

 

ルール覚えるのも大変ですし、人前で喋るのも……。あと、単純に野球があんまりおもしろくなかったっていうのもあるんで……。

 

\いい加減にしろ!!/

 

\性根を叩き直せ!!/

 

わたしが、ここでかまれて、汐見くんと一緒になったほうがいいっていう、可能性は……?

 

\逃げろ!!/

 

\今は、かまれられるべきではない!!/

 

 

今じゃないのだ。もうちょっとだけ諦めるのは先送りにしよう。わたしは立ち上がり、一目散に駆け出した。背後で、扉が破られる大きな音がした。体当たりでもかましたのだろうか。

 

「シルバーブルーメ!」

 

汐見くんの叫び声だ。わたしを襲おうとする足音が聞こえるが、病状が進んでいるためかうまく体が動かないようで、普段の汐見くんであればすぐにでも追いつけそうなものを、わたしといい勝負だった。瀕死の汐見くんと、至って健常なわたしの熱いデッドヒート。転びそうなギリギリの速度で階段を二階まで駆け下り、渡り廊下を走って第一校舎へ。心臓が爆発しそうなほど苦しい。いっそかまれられうるのではないかと挫けそうになる。

 

人だかりが見えた。せっかくだからもったいない、と、クラスのみんなが大量に余ったポップコーンを食べながら談笑していた。

 

「あれ、どこにいたの?片付けもしないで。まあいいや、せっかくだからあなたも食べたら?ブルーベリーの。」

 

「みんな!汐見くんが!」

 

キャー!という悲鳴と共に、クモの子を散らすかのようにてんで逃げ出す女子たち。わたしはさんざんローファーで踏んづけられた。ていうか、かまれられうればよかったのではないか?ポップコーンが吹雪のごとく舞い散る中、意識を失った。しょうゆバター風味に包まれたまま死ぬよりよかったかも。

 

 

舗装されたてのアスファルトからうっすらと湯気が立ち上がるほどの暑い夏がきた。汐見くんはその後駆けつけた男の先生たちに取り押さえられ、救急車で運ばれていったらしい。重篤化が危ぶまれたものの、両親を始めとしたスタッフたちの適切な看護により、若く健康な汐見くんはみるみるうちに健康になった。わたしを襲ったときの記憶はまったく残っていないそうだ。

 

それと、わたしはといえば、必要以上に無事だった。頭をしたたかに打ったため、CTやMRIを撮ったのだけれどどこもヒビひとつ入っていなかった。擦り傷用の軟膏と、踏まれた背中に貼る湿布を処方され、事件のあった当日家に帰ってきた。帰らせるんかい。と思った。体が硬く、背中に湿布が届かなかったので母親に貼るのを手伝ってもらった。

 

病院の面会禁止が解けて、わたしは勇気を出して汐見くんのお見舞いに行くことにした。

今日か明日のうちに。