3.いざ内見へ。

 

それからしばらくして、ようやく3件の内見予約を取り付けることができた。

 

その間に学生寮を退去する日付も迫っており、少し焦りながらも、なんとか条件に合うところを見つけた次第だった。この3件のうちなら、どこに決まってもいい、とすら思っていた。

 

1件目は、Woodsideという好アクセスの地区にある、一軒家の地下室である。

 

待ち合わせの場所で待っていると、アメリカ人の若い夫婦が現れた。2人とも妙にテンションが高く、必要以上にフレンドリーだった。旦那から握力測定で8点は取れそうな固い握手をされ、数分のあいだ手に痺れが残った。

 

彼らのテンションの高さを文字で表すために、ここからはエクスクラメーションマークを多用させてもらう。読みづらいだろうがお付き合いいただきたい。

 

「よく来たね!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!日本人は初めて会うよ!!!!!!!!!このあたりは韓国人が多いからね!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!え?東京から来たって!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!東京はいつか行ってみたいね!!!!!!!!!!!!行けないけどね!!!!!!!!!(ここでなぜか夫婦で爆笑)」

 

予想以上に読みづらくなったので、やっぱりこれ以降は普通に表記させていただく。

 

「家まで車で行くよ!乗ってくれ!」

 

「えっ、ここから徒歩5分くらいですよね?歩きますよ」

 

「いいから!さあ早く早く!」

 

知らない人の車にいきなり乗るのは、どう考えても悪手である。しかし彼らの勢いに負けて、あれよあれよという間にワゴン車の後部座席に収まってしまった。

 

「この車も日本製なんだ!!やっぱり日本製は一番だね!!!」

 

そういう彼が握るハンドルには、ヒュンダイのロゴが輝いていた。突っ込むべきか迷っていると、あっという間に物件に到着した。

 

「ここよ!」

 

案内されたのは、古い木造の平屋だった。庭は枯れ木が茂っているが、建物自体はこぎれいな印象を受ける。

 

「さあ、入って!」

 

案内されるままに玄関から入る。室内には、想像を超える光景が広がっていた。

 

 

外観に反して、あまりに綺麗だったのだ。

 

モデルルームのように整えられ、北欧製と思われる家具が整然と並んでいる。壁には趣味の良い絵画や写真が飾られていて、吊るされた照明も素敵だった。

 

「すごいですね!こんなところに住めるなんて…」

 

「こっちよ!!」

 

興奮気味に言う僕をさえぎるように、夫婦は部屋を横切っていく。後を追うと、彼らは木製のドアを開けて、その先の階段を降りて行った。「そうだ、募集は地下室だった」と思いだす。この部屋に住めないのは残念だが、この内装であれば、地下室もきっと悪くないだろう。そう思い直し、階段を駆け降りる。

 

「ここだよ!!」

 

そこには、またも想像を裏切る光景が広がっていた。

 

 

薄暗い空間を、裸電球がぼんやりと照らしている。その下に簡素なテーブルが一つだけあり、左右にドアが一つずつ。奥には風呂・トイレへ続くドアが空きっぱなしになっていた。

 

控えめに言って、不気味だった。

 

「君の部屋はここだよ!!広くて、静かで、清潔だよ!!」

 

言われて、右の扉を開けてみる。ベッドとクローゼットだけの簡素なつくりだった。確かにその部屋は、広くて、静かで、清潔で、窓が無かった。

 

「左の部屋には、アルジェリア人のヤシンが住んでるんだ!!彼は真面目で、大人しくて、インテリジェントなんだ!!きっと気に入るよ」

 

そこで上階で電話が鳴る音がして、夫婦は「部屋を見ていて」と言い残してドタバタと階段を上がっていった。正直ここに住むのはきついな…どうやって辞退しようか、等と考えていると、左のドアがおもむろに開いた。

 

現れたアラブ系の男は、アルジェリア人のヤシンに違いない。

 

彼は僕を見つけるとにこりともせずに近づいてきた。

 

「そこに住むのか?」

 

ぶっきらぼうに聞こえるが、英語が得意ではないのかもしれない。そう思いながら「考えてるところです」と返すと、彼はさらに近づいてきて言った。

 

「うるさくしたら殺すぞ」

 

ヤシンは真面目で、大人しくて、インテリジェントで、ソシオパスだった。

 

僕は逃げるようにして、その家を後にした。

 

* * *

 

その足で、2件目に向かった。

 

アクセスはやや悪いが、家賃が手ごろな部屋だった。

 

今度は家に直接来いと言われていたので、現地へ直接向かった。そこはまたしても平屋の一軒家で、家の前にごみが散乱していた。

 

「あんたが入居希望者?」

 

呼び鈴を推して現れたのは、小柄なヒスパニック系のおばさんだった。彼女のあとをついて、廊下を進んでいく。

 

「ここが部屋よ。リビングとキッチン、バスルームは自由に使って」

 

通されたのは、8畳ほどの部屋にマットレスが置かれただけの簡素な空間だった。今度はしっかり窓があって、日当たりも良好だ。広さも家賃も申し分ない。悪いと思っていたアクセスも、実際に来てみれば思ったより不便ではなさそうだ。

 

条件はすべて良好だった。

リビングや、廊下を、ゴミが埋め尽くしていることを除けば。

 

「良い部屋ですね。ええと、念のために聞きたいんですが……ゴミは片付けないんですか?」

 

「ゴミ?なんのこと?」

 

僕は丁重にお礼を言って、その家を後にした。

 

* * *

夜の公園で、1人待ちぼうけていた。

 

最後の物件は、地下鉄の駅からバスに乗りついで向かう場所にあった。正直アクセスは最悪で、気乗りはしないがもう後がない。

 

が、待ち合わせの公園に来ても、家主が現れない。

 

約束の時間はすでに15分以上過ぎていた。

 

周囲には人通りが少なく、心細さが増していく。家主のメールアドレスに連絡を入れるが、返事はない。

 

30分が過ぎ、そろそろ帰ろうかと思った矢先、奥から老人がやってきた。「家主だ!」と思い、恐る恐る近づくと、老人は明らかに警戒心を丸出しにこちらをにらんでくる。

 

「あの、内見のお願いをしている者ですが…」

 

「F*CK OFF!!(うせろ!!)」

 

これが、初めてファ〇クと言われた記念すべき日になった。家主は結局現れなかった。

 

4.迫るタイムリミット

 

その後もクレイグスリストを毎日のようにチェックしたが、なかなか条件に合う物件は見つからない。そうこうしているうちに、学生寮を出ていかなければならない日付が迫っていた。

 

溺れる者はワラをもつかむとはよく言ったもので、焦ると視野が狭くなり、とんでもないミスをおかしてしまうものだ。

 

僕にとってのワラは、エドに止められた、フェイクの物件広告だった。

 

正直、条件はすこぶる良い。家賃も安く、駅から近く、便利なエリアである。例え写真がフェイクだったとしても、募集自体は本物である可能性は捨てきれないのではないか、とそのときは半ば本気で思っていた。今考えると馬鹿である。

 

その募集広告を掘り出してメールを送ると、すぐに返事が来た。急いでいる旨を伝えると、その日のうちに内見に行けることになった。

 

ここでふと、1件目の内見のことを思い出した。

 

これから会う相手は、あまり信用できない相手である可能性が捨てきれない。その相手に、1件目の夫婦のように、有無を言わさず車に乗せられてしまったら、リスクが高そうだ。

 

そこで僕はのちの不要なトラブルを避けるため、ある準備をして、家を出た。

 

* * *

待ち合わせ場所に現れたのは、ヒスパニック系の若者だった。

 

「やあ、君が加味條か。連絡をくれてありがとう。俺はホセだ」

 

気さくに微笑む彼にやや安堵し、後について物件に向かった。

 

道中も、ホセは常に気さくに話しかけてきた。ドラゴンボールが好きだというので、誰が一番好きなのかと聞くと、曇りのない目で「悟空だよ!」と答えてきた。漫画の好きなキャラクターを聞かれると「にわかじゃないよアピール」のためにマイナーキャラの名前を挙げてしまいたくなる僕は、この素直な答えに妙に関心した。

 

着いたのは、7階建ての大きなアパートメントだった。

 

ホセの後に続いて、2階の1室に向かう。

 

「ここだよ、ついてきて」

 

玄関のドアをくぐると、お香のような臭いが鼻を突いた。室内はブラインドが閉められているせいか薄暗い。家具は真新しく清潔で、片付いている。が、写真とはまったく別の部屋だ。

 

「こっちだよ」

 

ホセに呼ばれて、奥に向かう。通されたのはベッドルームだった。ここもブラインドが閉められていて、昼間なのに暗い。シングルベッドは清潔そうで、家具も一通りある。

 

「ここが、僕に貸してくれる部屋?」

 

ホセに尋ねる。返事が無いのでホセを探して振り返ると、彼は部屋の入口を塞ぐようにして立っていた。手に何かをもって、こちらに差し出すようにしている。暗くてよく見えない。近づこうと一歩踏み出すと、

 

「止まれ」

 

ホセがぴしゃりと言う。

 

「財布と携帯を出せ」

 

心臓が強く脈打つのを感じた。暗闇に目が慣れてきた。彼は何かを差し出しているのではないことに気が付いた。小さい銃を、こちらに突き付けている。

 

「早くしろ」

 

しまった――という思いが頭をよぎる。同時に、頭が妙に冷静になっていくのを感じる。

 

「日本人に銃を見せてもあまり怖がらない。刃物の方が怖がる」と何かの本で読んだことがある。日常であまり見慣れない銃を見せられても、現実感が無いのだ。

 

なんだかフワフワした思いで、この状況をどう切り抜けたものかと考えていた。

 

ここに来る前に、トラブルになってもいいようにある準備をしてきていた。

 

盗まれて困るクレジットカードや高額紙幣、身分証の類はすべて寮に置いてきていたのである。さらに携帯も、スマートフォンは家に残して、電話とメール機能だけの50ドルで買ったプリペイド携帯を持ってきていた。

 

ポケットには、20ドル紙幣(2000円札ぐらいの価値)が1枚だけ。

 

なかなか財布も携帯も取り出さない僕に業を煮やしたホセが、僕のポケットを漁り始めた。さすがに目の前に銃を近づけられると、恐怖がじわじわと湧き上がってきた。間近で見る銃は、東京マルイ製のエアガンと違い、重量感があった。

 

 

緊張感のある時間が過ぎる。冷汗が背中をつたう。

 

ボディチェックを終えて、僕が20ドル札と、おもちゃみたいなプリペイド携帯しか持っていないことに気付くと、ホセはなぜか泣きそうな顔になっていた。

 

「これだけなのか?」

 

「貧乏でして…」

 

「日本人はもっと金があるはずだろう。ATMのカードはどこだ」

 

「家にあります」

 

「じゃあ今からお前の家に行くぞ。案内しろ」

 

「いいですけど、学生寮なので15人くらい学生がいますよ」

 

そう言うと、彼はスペイン語で何かをぶつぶつとつぶやきながら、ベッドルームから出て行ってしまった。

 

拍子抜けして立ちすくんでいると、奥からテレビの音が聞こえ始めた。スペイン語の番組のようだった。

 

恐る恐る音のする方に行くと、ホセがソファに座ってテレビを見ていた。テレビの光に照らされたテーブルの上には、銃と、理科の実験器具のようなものが散らばっていた。

 

僕の存在に気付いて、ホセが振り向く。とっさに身構える僕に、ホセはこう言い放った。

 

「なんだ、まだいたのか。さっさと出ていけ」

 

お言葉に甘えて、僕はその場から逃げ出した。

 

5.物件探しの終結

 

寮に戻って起きたことをエドに話すと、彼はあきれながらも僕の無事を喜んでくれた。

 

部屋で1人になると、生死の境目にいたのかもしれないという恐怖がだんだんと湧き上がってきた。その夜はなかなか眠れず、やっと寝入ったときには、日本で住んでいたアパートにホセがやってくるという最悪な夢を見た。

 

次の日、結局僕は日本人が運営する不動産会社に連絡を入れていた。

 

この一件ですっかり心が折れてしまったのだ。不動産会社は優秀で、あっという間に好条件のアパートが見つかり、契約にこぎつけた。学生寮の退去日まであと2日というタイミングだった。

* * *

 

学生寮で寝る最後の夜、エドが僕を部屋に招いた。

 

「日本のビールを買ってきたよ。良い音楽を聞きながら飲もう」

 

エドの部屋に入るのは、彼が入居してきたときに荷物を運び入れるのを手伝って以来、初めてだった。エドは「ビールを取ってくるから、僕の部屋で楽にしていてくれ」と言い残して行ってしまった。

 

部屋に入った途端、ギョッとした。

 

ホセの家で嗅いだ、お香のような臭いが部屋中に立ち込めていた。見ると、彼のデスクの上に、これまたホセの家で見た理科の実験道具のようなものが転がっている。

 

「おっと、片付けていなかった」

 

ビールを持ってやってきたエドが言う。

 

「これって、もしかしてだけど…」

 

「ああ、weed(大麻)だよ」

 

エドは「内緒だよ」というジェスチャーをして、ニヤッと笑った。

 

* * *

 

昨今は日本でも、マッチングアプリや、モノやサービスを近所で提供し合うサービスなど「インターネットを通して人と会う」プラットフォームが急速に普及している。

 

昔に比べて、インターネットで人と知り合い、何かをする行為自体のハードルは大きく下がっているように感じる。

 

しかし、依然知らない人に会い、付いていくという行為にはそれ相応のリスクが伴う。

 

少なくとも、マッチングアプリのプロフィール写真が拾い物やフリー素材だったとしたら、その相手には会わない方が賢いだろう。

 

もし判断に迷ったら「世の中には悪いやつがいっぱいいる」というエドの忠告を思い出してほしい。

 

次に銃を突きつけられるのは、あなたかもしれません…。

 

(おわり)