取扱説明書を読破したことがあるだろうか。僕はない。説明書は前から順に読んだりはしない。だからそこに誰かの人生が潜んでいたとしても、想いを馳せることもない。
初夏の休日。部屋の掃除をしていると、1冊の古い取扱説明書が出てきた。タイトルは「FOMA P900i」。およそ16年前、高校生の時に使っていた、いわゆるガラケーの説明書だ。PとはメーカーであるPanasonicのPを指している。
分厚すぎる。
500ページを優に超えるのは、取扱説明書界隈でも屈指のボリュームだろう。思うに、携帯電話の説明書というのは、世界でもっとも読み終えられることのない本の1つではないだろうか。ある意味カントやドストエフスキーよりも重厚な佇まいを見せるこの一冊に、思わず目が留まってしまった。そうして何気なく表紙を開いたのが、長い夏の入り口だった。
ページをめくる。懐かしい単語が並ぶ。iモード。ワンセグ。センター問い合わせ。届いて欲しいメールが届かなくて、アンテナを振り回していた日々を思い出す。
「メール」の章ではその打ち方から送信方法まで丁寧に説明されていて、サンプルの本文が添えられている。例えばこのメールの本文では、「docomo.taro」というアドレスから会議の開催案内が送られている。新携帯電話の発表があるらしい。
参照:P900i 取扱説明書
ページをめくっていく。他にもメールのサンプルが掲載されている。そして同じく「docomo.taro」が、いろんな例文に登場するのだ。
ここではdomo taroが、打ち上げの動画を送っている。
参照:P900i 取扱説明書
さらにチャット機能の解説では、ドコモ太郎という彼の本名が表示されている。渋谷に映画を観にいくらしい。
参照:P900i 取扱説明書
10時から新携帯電話の会議を開催し、打ち上げの動画を送り、渋谷で映画を観るドコモ太郎。
ふと気になった。もしこれらのメールが実在すると仮定したら、ドコモ太郎とはどんな人物なのだろうか?一体彼は、どんな日々を送っているのだろう?
他の説明書を読んでみたら、そこにもドコモ太郎は現れるのだろうか。時折現れるドコモ太郎の断片を集めることで、その輪郭が見えてくるのかもしれない。
ドコモ太郎を、もっと知りたい。
好奇心の赴くままドコモのWebサイトを調べてみると、驚いた。なんとガラケーからスマホまで、あらゆるメーカーの、あらゆるドコモの携帯電話の取扱説明書が閲覧できるようになっているではないか。その数なんと、554冊。ドコモはそんなにも多くの携帯を提供してきたのだ。
迷いはなかった。
これ、全部読もう。
こうして取扱説明書554冊、総ページ数にして約20万ページを漁り、ドコモ太郎の人生をたどる夏が始まったのだ。
対象となる携帯電話は以下の通りである。視力検査みたいになった。
ガラケーやスマホに加え、高齢者向けの「らくらくフォン」や、「キッズ向けケータイ」もある。
これらの説明書を1つ1つ開き、特に「メール」の章を中心に読んでいく。メールの文例はたいてい画像になっているので、検索機能を使うことはできない。目視だけが頼りである。目を皿のようにして、ドコモ太郎の軌跡を拾っていく。
その条件も明確にしておこう。説明書には様々なメールやチャットの例文が掲載されている。そのなかでも今回対象とするのは、ドコモ太郎が送受信に関わっており、かつ彼の行動が分かる例文のみである。要はあくまでもドコモ太郎の手がかりとなる文章のみを対象にするということだ。
補足:より詳細には以下の条件で対象となる例文を選定した。
・条件1. 宛先や送信元に「ドコモ太郎」という文字があったり、ドコモ太郎だと思われるアドレスが使用されていること。あるいは説明書の文脈から、ドコモ太郎が関わっているのが明らかであること
・条件2. メール本文に、何かしらのドコモ太郎を知る手がかりとなるような文章が掲載されていること(メール本文がなかったり、「テストメールです」のような機械的な例文は除外する。)
◇
今年は猛暑らしい。部屋の中にいても、蝉の鳴き声が聞こえてくる。朝起きては説明書を読み、夜寝る前に説明書を読む。外に出づらい状況が続くなかで、唯一の楽しみが説明書である。そこには小説のような心躍るストーリーこそないけれど、昔の版から順を追っていくことで、その進化が垣間見える。
初期はメール自体の解説にページを割いていた説明書も、次第に高度な内容が中心となっていく。携帯電話が普及し、人々がメールに慣れてきたからだろう。途中からはデコメールと呼ばれるキラキラ装飾できるメールも登場し、説明書はどんどん分厚くなっていく。
この流れを変えたのは、やはり2008年頃のスマートフォンの登場だ。ご存知の通り、スマホの説明書はガラケーのそれに比べると内容はシンプルでかなり薄い。ドコモ史上最長の説明書は「FOMA らくらくホンIII」で、724ページにも及ぶ。一方でスマホである「GALAXY NEXUS」は68ページ、最新の「Google Pixel」に至ってはわずか4ページの冊子しか存在しない。
ただいずれもドコモ太郎が登場する可能性は拭えないので、全ての説明書を平等に確認していく。だんだんとドコモ太郎が出てきそうなページには勘が働くという特殊能力が身についてきて、読み進めるスピードも飛躍的に向上した。この能力はどこで役に立つんだろう。使わない商品の説明書を読む意味はなんだろう。そんなちっぽけな疑問は心の奥底にしまって、探偵になった気分でドコモ太郎の痕跡をかぎつけ、Excelシートにメモをしていく。
読む、見つける、メモする。読む、見つける、メモする。
そうして1ヶ月かけて全ての説明書を確認し終わった僕は、夏の抜け殻となった。
ドコモ太郎の年表
まず、条件に当てはまる形でドコモ太郎が登場したのは合計844回。一冊あたり平均1.5回ということになる。意外と少ない。これはメーカーごとの偏りがある為だ。例えばサムスンやファーウェイなどの海外メーカーの説明書には、一度も登場しなかった。やはり太郎が日本人だからだろうか。一方でシャープは平均3回、三菱電機では平均6回登場するなど、ドコモ太郎が躍動している様子がうかがえる。
そしてこの844回のドコモ太郎、メールなのでそのほとんどに日付が掲載されている。
それを活用して、ドコモ太郎の年表を作成していきたい。
同じメーカーの説明書などには、日付も内容も重複した例文も含まれており、それらは全て除外していく。一方で同じ内容であっても、送信日が異なれば違う行動として扱う。
補足:日付が明記されていないメールについては、説明書内で用いられている別のメールと同じ日付を参照した。なぜなら554冊ほとんどの説明書において、全ての送信日は同じ日に設定されていたからだ。
そこからさらに特徴的な行動だけをピックアップし、日付順に並べる。そうして長い長い年表が完成した。長すぎてここに貼るのは諦める。
2004年4月27日から始まったそれは、2019年12月13日まで15年に及んでいる。その間、登場した日付は247日分。この日数に、ドコモ太郎の人生が凝縮されているのだ。それでは始まりの2004年から、彼の過ごした日々を追体験していきたい。
2004年 〜多趣味なドコモ太郎〜
記念すべき最初の1日目は、2004年4月27日、北海道への旅行から始まる。
参照:F900i 取扱説明書
(画像はイメージです。以下同様)
ドコモ太郎は北海道へ旅行し、その旅行記をホームページにアップしている。さらに写真とともに、感想とご意見まで求めている。相当な承認欲求である。そしてこの北海道旅行、2004年だけで4月27日、7月12日、8月20日と3回行われている。
参照:F900iC 取扱説明書、F900iT取扱説明書
前述の通り、日付が異なることから、これらは全て別の事象として扱うこととする。つまりドコモ太郎はこの年3回北海道へいき、その全てをブログに記し、毎回誰かにそれを報告しているのだ。たしかに夏の北海道は涼しくて魅力的だが、ちょっと行きすぎである。
あとはこんなメールもある。これは逆に、誰かからドコモ太郎へと送信されたものだ。
参照:N900iL 取扱説明書
太郎はどうやら音楽活動をしているらしい。スタジオを予約しているというから、バンドでも組んでいるのだろうか。またライブに行ったという報告があったり、ことあるごとに音楽ファイルを添付して送っていたりなど、相当の音楽好きであることがうかがえる。
他にも2004年のメールからは、
・犬を飼っていること
・携帯電話関連の仕事をしていること
などが読み取れた。ドコモ太郎、なかなか多趣味である。
2005年 〜ボウリングと携帯花子〜
2005年には、ドコモ太郎の人生に大きく関わるイベントが始まる。それが「ボウリング大会の開催」である。
参照:SH901iC 取扱説明書
たかがボウリングと侮ってはいけない。なんと2005年だけで7回も開催されているのである。破竹の勢いだ。おそらく会社のイベントだと思われるが、どれだけボウリングが盛んな会社なのか。しかもその度に集まって練習しているようだから、ドコモ太郎の腕前は相当であろう。この後もなんと14年間、ボウリング大会は延々と続くことになる。ボウリングとドコモ太郎の人生は、切っても切り離せないのだ。
あとは「携帯花子」という人物から、こんなメールも届いていた。
参照:SH702iD 取扱説明書
不気味である。しかもこの年だけで同じメールが7回届いている。彗星がそんなに頻繁に接近するものだろうか。花子は虚言癖があるのか、あるいは太郎の気を引こうとしているのかもしれない。
2006年 〜春子という女〜
この年の4月、とある出来事が起こる。「春子さん」という人物の歓迎会の案内が、ドコモ太郎に送られてくるのだ。
参照:SH702iD 取扱説明書
驚くべきはこの春子の歓迎会、一定期間を挟んで、1年で5回も開催されているのだ。はじめは余程手厚く歓迎されているのかと思ったが、数ヶ月おきに開かれるというのはどうも不自然である。
ここで僕はある仮説を立てた。もしかしてこれは偶然、同じ名前の人が何度も入社してきているのではないか。1年で5人の春子が入社してきたというわけだ。春子の大量採用である。
そんなことが起こりうるのか不明だが、この世界では春子という名前の女性が多いのかもしれない。僕は強い気持ちでこの説を採用することにした。それが、のちの悲劇に繋がるとも知らずに。
他にはというと、太郎が犬に加え、猫も飼っていることが発覚する。やはりかなりの動物好きのようだ。
そして相変わらず携帯花子からは、彗星に関する不気味なメールが届き続ける。本当に怖い。
2007年 〜度重なる結婚〜
この年、新しい猫を1匹、新しい犬を2匹飼うことにしたようだ。これでペットは5匹となった。
そして何度も歓迎会を開催していた「春子さん」であるが、なぜか途中で「ドコモ春子さん」にしれっと名前が変わっている。
参照:SH703i 取扱説明書
これはもしかして、そういうことなのか。
憶測にすぎないが、ドコモ太郎が春子さんと結婚して、ドコモ春子という名前になったのではないか。社内結婚である。おめでとう。
しかしそう考えると、何人ものドコモ春子が入社してきている事実と辻褄が合わない。矛盾が生じてしまう。どうしよう。
そうしてまたしても、僕は恐ろしい仮説に辿り着いてしまった。
入社した春子さんの全員が、ドコモ太郎と結婚したのではないか。
きっとこの世界では、多妻制度が認められているのだろう。だから大量の春子が入社するたびに、ドコモ太郎は結婚を繰り返しているのである。そうなると2007年の終了時点で、すでに10人の妻を迎えていることになる。
ついでに、ここで初めて太郎の年齢を推計してみよう。日本人男性の結婚平均年齢を単純にそのまま当てはめてみると、31歳。まさに働き盛りである。このまま太郎がどうなっていってしまうのか、末恐ろしい。
2008年 〜ドコモ太郎の最盛期〜
2008年は、ドコモ太郎がもっとも活動的に動き回った年だ。
キャンプに行ったり、コンサートに行ったり、パーティに行ったり。友達と焼肉を食べたり、結婚式に参加したり。
参照:L705i 取扱説明書
急にハートマークを使い始めたり。どうした太郎。
ボウリング大会の頻度も激しさを増して、ほぼ毎月レベルで開催されている。音楽活動にも積極的で、新曲を次々に生み出しているようだ。もしかしたら太郎は、本気でミュージシャンを目指しているのかもしれない。それくらいの熱の入れようである。
動物を愛する気持ちにも変わりはなく、愛犬や愛猫の写真を知人に送りまくっている。
参照:D705iμ 取扱説明書
添付画像は猫だった。また新しく飼い始めたようだ。
そして問題のドコモ春子だが、相変わらず増え続けている。2008年には8人の春子が誕生している。このままでは職場がドコモ春子で埋まってしまう。太郎はどこまで結婚を重ねるつもりだろうか。
愛するたくさんの動物とたくさんの妻に囲まれて、幸せな日々を送っているドコモ太郎の姿が想像できる。
2009年 〜飛び散る火花〜
怒涛のボウリング大会が続く。太郎はミュージシャンよりプロボウラーを目指すべきではないか。
だがドコモ春子も負けていない。2009年も、ドコモ春子は8人増えている。もうこうなってしまったら、どこまで増殖を続けるのか見届けるしかない。
また一方で、気になる人物が再登場する。携帯花子である。あの、彗星に関する謎のメッセージを繰り返し送ってきた人物だ。実は以前から、携帯花子はドコモ太郎のことを食事に誘い続けていた。
参照:SH704i 取扱説明書
その時点では、僕は携帯花子のことを悪質なストーカーかなにかだと思っていた。しかし2008年頃から変化が訪れる。ドコモ太郎の方からも、花子の様子を伺うようなメッセージを送り始めたのだ。花子も彗星に関する不気味な発言をいつしかやめて、楽しそうにやりとりを続けている。
そして2009年7月25日、ついにドコモ太郎は携帯花子をショッピングセンターへと誘った。
参照:SH-06A 取扱説明書
これだけでは、太郎が浮気をしているかまでは判断はつかない。ただの仲の良い友人関係かもしれない。だが次々と増えるドコモ春子と、それに対抗するかのようにじりじりと距離をつめる携帯花子。2人の間に、太郎を巡る見えない火花が散っているのではと邪推してしまうのだ。
2010〜2011年 〜諦めた夢〜
2010年には大きな変化はない。ドコモ春子は引き続き増殖し、一方で太郎は携帯花子のことも誘い続けている。北海道に旅行する頻度は落ちてきたが、それでも定期的に旅行記をあげている。
変わったことといえば、2011年1月21日を最後に、以降はもう横浜のスタジオを借りなくなったことだ。実は新曲の制作活動もすでに2008年を境にストップしている。昔はあれだけ熱心だった音楽活動から、すっかり身を引いてしまったのである。
ドコモ太郎の年齢はちょうど30代半ばに差し掛かった頃。もしかしたら、このときに彼は一つの夢を諦めたのかもしれない。夢を追い続けることには勇気がいるが、それを諦めることもまた勇気の形である。新しい人生を踏み出した太郎を、僕は応援したい。
2012年 〜ターニングポイント〜
ドコモ太郎、36歳。この年は大きなターニングポイントである。まずドコモ春子の入社回数が10回と、ついに2桁の大台に乗った。そしてそれに反比例するかのように、携帯花子との接触が一気に減少している。ドコモ太郎の活動日における、「ドコモ春子の歓迎会」と「携帯花子との接触」の割合を時系列にすると次のようになる。
途中までは拮抗を続けていた両者の争いは、2012年ではっきり明暗が別れたことがわかる。2014年12月18日、「遅くまで付き合ってくれてありがとう」という携帯花子からの意味深な言葉を最後に、以降2人の接触は発生していない。
ドコモ春子の大量入社という人海戦術が、ついに太郎の花子への思いを断ち切ったのだ。
クローンのように大量発生しているとはいえ、ドコモ春子たちが大切な家族であることには変わりはない。太郎にとっても良い結末だったと言えよう。携帯花子には、ぜひ別の素晴らしいパートナーに巡り合って欲しい。
2013〜2014年 〜家庭への回帰〜
音楽活動をやめ、携帯花子への浮気心も断ち切ったドコモ太郎。2014年を最後に、北海道への旅行も終了してしまった。だが代わりに新しい趣味ができたようである。それがホームパーティだ。
参照:SH-02E 取扱説明書
この頃の取扱説明書は、すでにスマホが主流である。その中でもドコモ太郎は繰り返しホームパーティを開催しているのである。また「これから家に帰ります」というメッセージを、おそらく春子に対して頻繁に送信している。
これまで外に向いてきた太郎の意識が、この頃にはすっかり家庭に集中していることがよくわかる。ちなみにこの時はもう春子が57人いる。
2015〜2019年 〜そして繰り返す日々〜
12年間かかさず参加していた新携帯電話の発表会も、2016年が最後だった。ボウリング大会と、ドコモ春子の歓迎会と、ホームパーティ。この3つをひたすら繰り返す日々が続く。そうして少しずつ太郎の活動は見られなくなっていって、2019年12月13日。43歳になるドコモ太郎は、ここで消息を断った。その後の行方は、誰も知らない。
振り返ってみたときに、ドコモ太郎の過ごした15年間とは、なんだったのだろうか。
旅行好きで、動物好きで、音楽好きの会社員。そんなごく普通の男性が、ドコモ太郎の輪郭だった。
脂の乗った30代前半には、趣味に人付き合いにと外への活動に傾倒した。
少し危険な遊びにも手を出してしまったかもしれない。
だがそこから彼は変わった。
自身を改めて見つめ直し、夢を諦め、家庭へと回帰していく。
6匹のペットと72人の春子と一緒に暮らしていく。
そんなどこにでもあるようで、どこにも、いや、ドコモない物語。
それが太郎の送った15年間だった。
ページを閉じて、窓を開ける。急に電波が届いたみたいに、むせ返るような夏の匂いが飛び込んでくる。
この無味乾燥に見える取扱説明書にも、こうして1人の人生が潜んでいたのだ。
◇
最後に、ドコモ太郎の登場しない、とある場面を紹介したい。それは2007年のN904iの取扱説明書。チャット画面を解説するそのページにて、奇妙なやりとりが紹介されているのだ。あの携帯花子と、携帯四郎という人物が会話を繰り広げている。
参照:N904i 取扱説明書
携帯花子「あれ?この景色、どこかで見たような…」
そう。花子は、この時すでに気づきかけていたのだ。
◇
私の名前はドコモ太郎。ペットと子どもと72人の妻と暮らしている、43歳の会社員だ。今は会社のイベントを終えて、家路を急いでいるところである。
今日開かれたのは、入社してちょうど80回目になるボウリング大会だ。昔はなぜこうも頻繁にボウリングをするのか不可解だったが、すっかり生活の一部として馴染んでしまった。今日も200越えのスコアを叩き出して上機嫌だ。
師走の冷たい風が、イルミネーションで彩られた街路樹を吹き抜けていく。暑いのはめっぽう苦手だが、この季節は嫌いではない。昔はよく北海道まで行って、スキーやスノボーに興じたものだ。ここ15年間で、30回は行ったと思う。その度に旅行記を書いては友達に見せて回ったが、全然読んでもらえなかった。
青年が路上でギターをかき鳴らしている。思わず立ち止まって耳を澄ます。そういえば私にもあんな頃があったっけ。横浜のスタジオを予約しては仲間たちと練習した毎日。いつか音楽で食っていけると信じて、合計42曲のオリジナルソングを作った。その努力が実ることはなかったけど、青春の日々として今でも脳裏に深く刻まれている。
おっと、のんきにしていたら終電を逃してしまう。今日は早く寝ないと。明日は我が家でホームパーティを開催する予定なのだ。音楽を引退してから、すっかりハマってしまった。すでに30回以上開催していて、その度に昔の仲間を集めては思い出話に花を咲かせている。
そういえば、そろそろ彼女を誘ってみるのもありかもしれない。私はとある女性のことを思い出していた。ひととき、淡い恋心のようなもの抱いていたことがある。たまに不思議なことを言う子だったけど、それもまたミステリアスで良かった。
「何ニヤニヤしてるのよ。」
鋭い声ではっと我に返る。横を歩いているのは46人目の春子だ。毎月のように入社してきては、その度に籍をいれる。昔は違和感を覚えていたが、今ではこれにも慣れてしまった。
頬を膨らませる春子を見て思いとどまる。やっぱりあの子を誘うのはやめておこう。私にはもう、こんなに幸せな家庭があるのだから。それに72人を敵に回しては、いくつ命があっても足りない。
「なんか、明るくない?」
春子が言った。確かに夜だというのに、急にあたりが明るくなった気がする。
満点の星空を見上げると、一筋の閃光が煌めいていた。
きれいだな。まぶしいな。
あたりはどんどん明るくなって、次第に頭がクラクラしてくる。でも、なぜか悪い気はしなかった。
このまばゆい光は、どこか懐かしい。
そうだ、昔ステージの上から眺めた、逆光するスポットライトがこんな風だっけ。
意識が遠いていく。
脳裏から、聞き覚えのある声がかすかに響いてきた。
「あなたも気づいていたでしょう?」
「君は、もしかして…。」
「この世界が、繰り返していることを。」
「……。」
「同じ出来事が何度も起こって。同じメールを何度も送って。」
「ああ。」
「でも、それも間もなく終わる。永遠につづくことなんてないから。」
「そうか、よかった。」
「よかった?」
「僕は、それを待ち望んでいたんだと思う。」
「そう。」
「それにしても…久しぶり。」
「久しぶり。」
柔らかくて、暖かい光に包まれながら、私の意識は圏外へと沈んでいった。